第10話 マヨネーズ騒動 1
子どもたちを含む村人全員が駆り出されていたためか、解体作業は昼過ぎには終えることができた。
かなりの重労働であったはずなのだが、コケコの肉にダークフォックスの毛皮と戦利品は多かったので参加した村人たちの顔は明るい。全くこちらの世界の人たちは逞しい。
慣れてきたとはいえ血の匂いで青くなっていた俺とは随分な違いである。
昼食のサンドイッチの具材をタマゴや野菜中心のさっぱり系にしておいて正解だった。
がっつり肉が挟まっていたら食欲をなくしてしまっていたところだ。
「大丈夫?」
そんな俺の顔を天使が覗き込む。
いや、違う。天使のような美しさと愛らしさを持つ妻だった。
ふう、また心配をかけてしまったな。情けないと感じると同時に、彼女の優しさに触れて嬉しくなってしまう。
「血の匂いに当てられただけだから、すぐに良くなるよ」
そっと頬を撫でるとくすぐったそうに肩をすくめる彼女。文句なしに幸せだと思える瞬間だ。
しかし、
「やっぱり甘い卵焼きをパンに挟むのは微妙じゃないか?」
元の世界での甘味を感じる柔らかいパンならともかく、堅く少し酸味のあるこちらの世界でのパンには合わないと思う。
「ええー?美味しいのにー!」
彼女の言葉に、出汁巻き卵にすればよかったと後悔したのは言うまでもない。
昼食を終えて家に帰った俺たちは、コケコたちを外に出してやることにした。
彼女たちの餌として、村で飼っているヤギとロバの合いの子のような家畜の飼料を少量分けてもらってきたのだが、果たして食べてくれるかどうか。
「気に入ってくれたみたいね」
「……ああ。心配して損した気分だよ」
コケコもピッピヨも関係なく、撒いたそばからガツガツと食べ尽くしていく。せっかく保護したのに食べ物が合わずに痩せ細ろえていく、という事態にならなくて良かったと考えることにしよう。
ようやく腹が膨れたのか、コケコは玄関前に陣取ると日向ぼっこを始めた。ピッピヨたちは妻と追いかけっこをして遊んでいる。
昼下がりの温かい陽光の下で三十センチほどのぬいぐるみのようなモコモコと戯れる妻。天国に迷い込んでしまったのかと錯覚してしまったのは当然のことのはずだ。
夕食ももちろん卵料理、にはならなかった。
元の世界でのダチョウの卵ほどの大きさを誇るコケコの卵だが、さすがに大人二人で食べるとなると二食分程度にしかならなかった。まあ、それでも十分な量ではあるのだが。
そして夕食後、もしも明日もコケコから卵が貰えるのであれば、試してみたいことがあることを伝えた。
「それは今日、村で塩や果実酢を貰っていたことと関係があることなの?」
「ああ。生の卵に混ぜるんだ」
つまり、異世界物の定番になりつつあるマヨネーズ作りだ。
「生の卵!?それって大丈夫なの?」
眉をひそめる彼女に詳しい事を聞いてみると、どうやらこちらの世界でも卵の生食は危険であるようだ。これは魔物、動物を問わず全ての鳥系の卵に言えることであるらしい。
「それなんだが、もしかすると魔法で何とかできるかもしれない」
コケコを回復させる際に使った滅菌魔法について話すと、妻からは納得半分、疑い半分の目で見られてしまった。
納得したのはこの世界でも傷を綺麗に洗うという習慣があった――傷口から何か悪いものが入る、という認識はあった――ためで、疑っているのは回復魔法さえ使えば感染症の類がほとんど起こらないからだ。
「多分、回復魔法に免疫力とか抵抗力を増す効果が含まれているんだろうな」
「めん、えき?」
「あー、傷を塞ぐまでの間に悪い何かが入って来ていたとしても、それを倒せるように体を強化しているということ、かな」
こちらに来てすぐの頃に怪我をしてしまい、妻から回復魔法を受けたことがあったのだが、その際に体の芯が熱くなるように感じた。今から思えばあれこそが免疫力を強化した状態だったように思える。
その後、しばらく話し合いを続けた結果、妻はどことなく不安な顔をしながらもマヨネーズ作りへの許可を出してくれたのだった。
「ヒュートが作ってくれた卵料理はどれも美味しかったから……。だから期待しているわね」
なぜかハードルが上がってしまっていたが。
翌日は自主的休業日でもある『月の日』とあって、二人揃って普段よりも起床が遅れてしまった。
その原因は妻が可愛過ぎるのがいけない、ということにしておこう。
懸念だったコケコの卵だが、問題なく今日ももらうことができていた。
日課の朝の訓練――コケコやピッピヨたちも参加していた――と朝食を済ませると、妻とピッピヨたち――コケコは卵を温めるために部屋へと戻っていった――をギャラリーにして、さっそくマヨネーズ作りを開始することにした。
はっきり言おう。
とんでもなく大変だった。
元の世界でマヨネーズ作りをしたことがある訳でもなければ、そのレシピを記憶していた訳でもない。
小説などから仕入れた曖昧な情報だけではそうそう成功するものではなかったのだ。
「で、できた……」
試行錯誤を繰り返しては数多の
俺はマヨラーではなかったが、懐かしいその味を口にした瞬間、不覚にも思わず涙が頬を伝ってしまっていた。
気が付くと俺は妻に抱き留められていた。
温かく柔らかな感触に自然と涙が溢れてくる。
「おめでとう。頑張ったね」
その胸に顔を埋めて泣く俺に、妻は優しく囁いてくれていたのだった。
俺はもうあの世界には戻ることはできないけれど、この世界で何よりも大切な人と共に生きていく。
そう誓った。
追記。マヨネーズは妻に大好評で、その日は一日マヨネーズを作る羽目になってしまった。
そしてこのマヨネーズが、次の急展開の原因となる。
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