第二話    吉原遊郭跡地を巡ってみた。

いつもの、変わらない休みの日のことだ。

私は、たまたま朝早く目が覚め、その日がはじまった。

数分で着替え、バックを肩にかけ、鍵穴に鍵をねじ込んだ。

だれにも追い立てられることなく、自分のペースで駅にむかった。しかし列車の音が、いつもの通勤を思い出させ、駅構内にはいると、毎日の習慣のように小走りになってしまう。

私は列車に飛び乗った。

発車と同時に揺れ進み、ゆっくり加速していく。その心地よい列車の揺れが、サラリーマン病から完治するような、列車の揺れと時間が重なりあう感覚になり、私の心を落ち着かせてくれる。 

『そうだ。今日は休みだ。』 

落ち着いた心は、その数ヶ月前の知らせを思い出させた。

その日の数ヶ月前に、友人の死の知らせを聞いた。聞いたときは、驚き、彼女のためになにかしないと。と考えたが、毎日あくせく働いてるうちに、数ヶ月たってしまった。


彼女は、学生の頃の同級生で、福島から上京してきた素敵な女性だった。

10年以上前の事が私にとっては、数カ月前の出来事のように思い出させる。

いつも、講義を一生懸命ノートをとってる姿が、後ろに座ってる私からみると印象的にみえ胸がたかなる。きっと私のタイプだったのだろう。そういう人には、私はなぜか話しかけられない。

とある桜がさいてる頃だ。

バイトに明け暮れ、授業がある日に学校にいく、一週間ごとに、決まり決まった繰り返しのサイクルの中、私は学校の喫煙所で、煙をはきだしていた。

彼女もまた、講義を終え、一段落とばかりに、壁に寄りかかり立っていた。彼女は年齢相応の外見とは考えられないくらい幼くみえる風貌で、タバコをすう彼女は、さらにアンマッチだった。彼女の吐き出す白い煙が、俺の体に届き、甘い乙女の大人への憧れが煙となって空に消えていくようだった。

「同じ授業とってますよね。」 

私は我慢しきれず言った。

彼女は、少し目を見開き驚いたように答えてくれた。

「は、はい。」  

「同じ学科ですね。もしよかったら友達になってください。」 

俺は臆することなく、軽い口調を装い、緊張さながら彼女に告げた。

彼女は、小さく口許に笑みを浮かべながら、笑顔で答えてくれた。 

 

それが、彼女とのはじまりだった。

特別な関係でもなく、異性の枠を超えた大切な友人。彼女は親がおらず、施設で育ち数年働き大学に進学した努力家だ。

親の顔を知らない彼女は、酔うといつも俺にこういう。

「卒業したら、故郷にかえって婚活するー。」

酔った勢いで、まわりの笑いをとるセリフだ。

その通り、彼女は卒業して、故郷の福島の会社に就職した。婚活していたのかは、定かではないが。  


列車の扉側に寄りかかり、車窓からみえる立ち並ぶ都会の建物。無垢な彼女の目にはどう映っていたのだろう。 


列車から降りた私は浅草行きのバスにのり、数十分。吉原大門前。

以前から行きたかったとこだ。 

吉原遊郭。 

江戸から明治時代にかけて、栄えた江戸幕府公認のソープランドだ。

バス停ちかくの、ガソリンスタンドの看板が目立つ交差点が吉原大門。吉原遊郭が栄えていたころは、ここが入口だったのだろう。囲いの外の世界につながる道。遠くには平成ピースの象徴、スカイツリーが、どら焼串刺しのように目立っていた。視線をスカイツリーをむけていると、うっかり見落としがちな。

見返りの柳。

当時、遊び帰りの客が、後ろ髪をす引かれる思いを抱き、この柳のあたりで遊郭を振り返ったということから、「見返り柳」の名があるとの事だ。

吉原大門交差点を入ると、道はゆっくりとした斜めにそれた一本道。しばらくすると、当時の一世風靡を極めていた頃の吉原大門の入口跡がでてくる。当時は木造の立派な門が華やかに色飾られ、隔離されたラスベガスのような感じだったのだろう。今となっては、歩道の端の柱に、家の表札のような吉原大門という文字があるだけ。

そこをぬけると、吉原のメイン通りだ。

吉原遊郭が、ずらりと建ち並んでいたのだろう。ここを吉原の遊女たちが、目映いばかりの衣装を着飾り練り歩いているところを思うと、女性の一生をその一時に謳歌し、サクラのように散っていくように感じる。短い命。

花魁道中。

今となっては、春先に一年に一度、行われるお祭りになっている。

花魁とは、遊女のなかで、もっとも高い身分のこと。つまり、ご指名ナンバーワンソープ嬢だ。

今の遊郭跡は、今風のきらびやかなソープランドにかわり、街角には客引きたちが、競い合うように、行き交う人に声をかけていた。 

吉原神社例大祭。

という、のぼりがあちこちに立ち、あちらこちらで、お神輿が顔をだしている。

『今日は、吉原神社のお祭りかー。』

私はそう思いながら、散策した。 

この日ばかりは、秘めた大人の社交場が、無邪気な子供の笑い声に変わっており、遊女達が舞い踊りながら、祭りを楽しんでいるかのような想像を私に与えた。 


吉原のメインストリートの仲之町通りを歩いていくと、右手に吉原神社がある。そして、その数十メートル先に道路を横切ると吉原弁財天がある。 

吉原神社の歴史は、吉原遊郭の歩みと折り重なり、遊女、遊客の開運、縁結び、商売繁昌のご利益のある神として華やかな信仰を集め、その様は江戸の小噺集などにもしばしば登場するとの事だ。

祭り当日ということもあり、会社名がはいっている提灯の飾りが俺の視界いっぱいに広がり、行き交う人達は、立ち止まり写真を撮る。

遊女達は、この吉原神社に花魁になることを願い願をかけたのか。それとも、囲いの外の世界を夢み、自由を求めるために願をかけたのか。

遊女とは、貧困な農家の家に生まれ、経済的に養っていけない為に吉原の遊郭に売られたとか。親族や夫の作った借金のカタとして売られたとか。そのほとんどが、東北方面の地方産まれが多かったと聞く。

平均年齢22歳という遊女の短命な生涯。

 

私は吉原神社を横切り、吉原弁財天に先いってみた。理由は帰るさいに効率が良いからだ。

弁財天という赤いのぼりが、敷地を囲うように何本も立ち並び、路地からはゴツゴツとした石山が目にはいり頂上には、観音像がたっていた。それはまさに、ゴツゴツした石山が険しい人生の崖のようだ。道はその断崖絶壁の石山を登る道しかなく、頂上から観音様が、手をさしのべてるように感じた。 

中に入ると、お花畑というわけではないのだが、ところどころに咲く花は、ここの場所に相応しく美しかった。 

ここは、関東大震災の時に、たくさんの遊女が焼け死に。逃げ惑う遊女達がここの池に飛び込み溺死し、折り重なる遊女達が窒息死した場所。たくさんの亡くなった遊女を供養するために、建立されたとの事だ。 


俺は思いだした。彼女のことを。

彼女の死のしらせを。

彼女もまた溺死だったということだ。


東日本大震災。


彼女は、その震災の犠牲者の一人になった。

親の顔も知らなず育った故郷を愛する女性は、30代という短い生涯だった。

 

私は吉原の観音様を見上げていた。

 

そして、吉原弁財天をあとにし、吉原神社の入口で一礼をし、鳥居をくぐった。

お祭り当日ということもあり、せまい境内は、走る子供が行き交い。社務所には、御朱印をもらっている若いカップルが笑っている。 


私は、手を合わせ願った。


『令和元年。新しい時代は震災が起こりませんように。』






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