健康とは殺すということ~フーコーの哲学からみる禁煙ファシズム


  啓蒙され尽くした大地は、勝ち誇った凶徴に輝いている。

     ――アドルノ&ホルクハイマー


 冒頭のエピグラフは、『啓蒙の弁証法』の冒頭だが、アドルノは第二次世界大戦で迫害され、『アウシュヴィッツ以後、詩は不可能である』という名言をのこし、ファシズムに傾倒しやすい人格=権威主義人格を測定するためのFスケールを開発したことでも有名である。第二次大戦前後の知識人たちは、『なぜ理性の発達した人類がホロコーストを主導したり収容所群島をつくったりしたのか』という難題に直面していた。この問題について、フーコーは『国家が国民の健康を推進することが虐殺の原因になった』と論考する。これは、現代の喫煙者差別にも通底するところがある。


 フーコーは『監獄の誕生』のなかで、ベンサムの哲学を非難した。最大多数の最大幸福で有名なベンサムは、犯罪者や病人、障碍者などの弱者からしあわせにしなければ、国家全体の幸福は実現しないと論じた。その結果、発案されたのが、犯罪者のしあわせを底上げするパノプティコンという監獄システムだった。ところが、フーコーはパノプティコンこそ近代における悪しき監視システムであり、ここにおいて、収容者は肉軆的な罰をうけつづけるという理窟に逢着した。


『監獄の誕生』はフーコーの主著のひとつなので、勘違いされているかたもいらっしゃるかもしれないが、フーコーはここで、『十九世紀までの』権力の構造を研究したにすぎない。二十世紀にまで視座をひろげると、フーコーは『監視システム』にかわる『生―権力』という名の権力を発見した。


 生―権力においては、国民全軆がひとつの生命体にちかいはたらきをもつ。国家は国民全軆という生命体を維持するために、国民の健康を保養してゆく。これは一見、国民を防禦するための権力のようだが、一面では、当然のこととして、国民全軆という生命体を維持するために、病人、身体障碍者、精神障碍者などという国民個人を『殺す』権力にも豹変する。フーコーは広義での『人種』という言葉をもちいて、生―権力が『殺す権力』へと遷移するさまを考察する。国民全体がひとつの生命体ならば、生命体のなかの病原的存在は『治療』しなければならない。ここにいたって『生かすべき人種』と『死ぬべき人種』が分類されるのである。


 ここにおける『死ぬべき人種』は一様ではない。前述した病人、障碍者のみならず、『国民全軆=生命体のそとの存在』も容易に『死ぬべき人種』とされる。戦前の日本では英語をしゃべるもの、在日外国人を擁護するものも『死ぬべき人種』とされた。簡単にいえば非国民である。単純明快なはなしで、これは国家主導の優生学にほかならない。丁度、今日=二〇二〇年一月八日に相模原障碍者殺戮事件における被告の初公判がおこなわれているが、これは、まさに生―権力のわかりやすい発露である。本事件の被告が政府からの同意を鬱勃ともとめていたことは、日本も他国にたがわず、生―権力の瀰漫する国家であることを象徴している。


 前述のとおり、フーコーは『国家が国民の健康を推進することが虐殺の原因になった』と論考した。この命題も生―権力という視座から俯瞰すればわかりやすい。猶太人のみならず、障碍をもった独逸国民という『同胞』までをも虐殺したナチ党は、『生命体=国民全軆の健康を維持』しようとしていたのである。必然か偶然か、ナチスは爾後、世界大戦というかたちで他国の国民も殺戮していった。ここにいたって、『国民全軆の健康を維持する』生―権力は、『国民全軆の健康を維持するためには邪魔な個体を排除する』という『殺す権力』に豹変したのである。


 長文になったので、以下、みじかくまとめたい。愚生は、本統に煙草が健康に害になるかは確信がもてない。これについては本稿内『煙草はほんとうに害なのか~』を劉覧していただきたい。ともかく、一応、煙草は健康に害があると仮定してみようとも、『生―権力』が『死の権力』に変貌する過程を御理解いただければ、『国民全軆という生命体の健康』のために『喫煙者という病痾を駆除する』風潮や権力が、いかほど危険かは御諒承いただけるかとおもう。以前、本稿でも記述したはずだが、禁煙ファシストのうちには『ナチスはわるいことばかりしたわけではない、経済復興や福祉の充実も実現した』と標榜する論者も存在する。縷述しなかったが、生―権力には経済的な側面もあり、病人や障碍者が虐殺されたのも、経済的な生産性がなかったからという見方がある。『国民全軆という生命体の維持には経済活動も必要』だからだ。これがナチスの経済復興の一面である。福祉の充実にかんしては、本稿を御覧いただければ充分だろう。以上の論考から、喫煙者差別が、容易に、『死ぬべき人種』を殺す第一段階になることは明鬯である。健康という病痾で死ぬのは、『国民全軆という生命体』そのものでもあることをわすれたくない。


『煙草は健康に害である、喫煙者は国民の敵である』と『啓蒙され尽くした大地は、勝ち誇った凶徴に輝いている』のである。

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『禁煙ファシズムとの死闘~煙草をすわせろ!』エッセイ集 九頭龍一鬼(くずりゅう かずき) @KUZURYU_KAZUKI

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