アウシュヴィッツと煙草

 この世は地獄よりも地獄的である。――あくたがわりゆうすけあくたがわは異常なほどの愛煙家であった〉


 一切れとたば一本のはなしだ。

 アウシュヴィッツ支所での強制収容を体験した精神科医フランクルに体験記『夜と霧』がある。アウシュヴィッツではまずはたらけないものから室か焼却炉でさつりくされ、はたらけるものはひもすがら強制労働させられていた。生存のための食糧は一日に一切れだった。

 おなじくフランクル著『それでも人生にイエスという』によると、ホロコーストとは単純明快なる経済活動であった。生産性のない子供、女性、老人、心身障害者をまずみなごろしにして、労働力となる男性だや人を、死ぬぎりぎりの状態ではたらかせつづけた。共産主義者は『資本論』を援用して、に窮極の資本主義を見るかもしれない。

 窮極の資本主義経済においては、労働者ははたらける程度に死ななければよい。一切れで毎日ひもすがら労働してくれれば経済は成立するのだ。の相場は不明だが、一切れよりも高価なるたばをあたえる『必要は』なかったし、たばは強制労働に、ひつきよう、経済活動に『必要は』なかった。

 実際には、強制労働で優秀とされただや人には報奨として外部企業からたば一本があたえられた。報奨されただや人はほかのだや人とのあいだで、たば一本と一切れを交換して空腹をみたした。死を覚悟しただや人はひるがえって、一切れとたば一本を交換し、最期にたばたしなみながら餓死していった。

 餓死を目前にしただや人にとって、空腹をみたす一切れよりも、たば一本のほうが大切だったのである。窮極の資本主義経済の渦中で、しただや人は、ほうてきしてたばをえらぶことで人間の尊厳をまもった。たば一本のが嫌煙家の皆様に理解できるだろうか。愛煙家にとって、喫煙とは、食欲、性欲、睡眠欲にひつちゆうする第四のマズロー的よく望といってもよい。

 アウシュヴィッツの被収容者でさえ、たばを吸う権利があったにもかかわらず、現在、へいってもたばの吸えない日本はアウシュヴィッツよりも地獄的だといえる。


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