第三話 「闇夜の悪戯」

 それは普段の何気無い日常から起こったことである。

 この日、悪羅丸あくらまるは何時ものように御社の雑事をこなし、武術の稽古を終え、境内の掃除をしようと箒を片手に歩いていたところだ。


「おい、悪羅丸」


 珍しく神社の小坊主が悪羅丸に声をかけた。普段は彼の赤眼せきがんを気味悪がり、仲間外れにする小坊主がである。


「何用じゃ?」


 悪羅丸はぶっきらぼうに返事をすると、小坊主は小声で耳打ちする。


「今宵、みなで集まり悪戯いたずらしようと企てておる。うぬも参加致せ」


 悪戯――この言葉に悪羅丸は惹かれた。彼は同年代と比べ、身体が大きいとはいえまだわらべだ。遊びたい盛りの彼は、向こうからの誘いに興味を示した。


「悪戯とは如何いかん?」


 悪羅丸の両目がキラリと輝くと、小坊主は続ける。


「宝物殿に奉じられておる御神弓を密かに拝借たてまつり、闇夜に向けて矢を射るのじゃ……」

「何と!? 恐れ多くもあまの甕槌みかづち様の御神弓を盗み出すと!?」


 天甕槌とは弓矢を司る軍神であり、この大和国やまとこくの国教・神門道しんもんとう一柱ひとはしらである。

 悪戯内容に驚き、思わず声を出す悪羅丸の口を、小坊主が慌てて閉じる。周囲に誰も聞いていないのを確認すると、ほっと一息吐く。


「たわけ。左様大声で叫ばれてはバレてまうわ」

「す、すまぬ……」


 今度は悪羅丸も小声で謝る。


「それにの、盗むにあらず。拝借じゃ。終わったら後で再び宝物殿にお返しするのじゃ。して、うぬはこの話、乗るか?」

何故なにゆえ、俺を誘うのじゃ? 何時も我主わぬしらは長丸ちょうまる兄ぃと共に、俺を除け者にしとるではないか」


 当然の疑問をこの赤眼の小坊主が口にする。

 いぶかしむ彼に、小坊主が打ち明けた。


「実はな、長丸兄ぃがいつも修練に励むうぬを見て、見直したのじゃ。そこでよ、仲直りの証にうぬをわしらの仲間に入れ、共に悪戯しようと斯様かよう思うたそうじゃ」

「ほう」


 武術に励む自身の姿を評価され、悪羅丸は少し嬉しくなった。

 神社で同年代から孤立していた彼は、武術の修練の為に大人たちとしか関わったことしかなく、同じ小坊主同士で夜中にする悪戯という響きに、胸がワクワクしたのだ。


「それにじゃ。うぬもまあの甕槌みかづち様の御神弓に触れてみたいじゃろ?」


 強い僧兵に憧れるこの少年が、このよう甘美な誘惑を断れる訳がなかった。悪羅丸は快諾した。



 そして決行当日の夜――。



 足元も見えない中、悪羅丸は夜目を頼りに予定の場所に密かに合流した。

 すると、一人の弓を持った小坊主が現れる。年長の小坊主・長丸である。彼は闇の中、赤眼の少年に声をかける。


「悪羅丸。うぬが初めにやってみい……」

何故なにゆえ、俺が最初に……?」


 普通、このような悪戯は年長が最初にやりたがるものだ。それを何故自分に譲るのか? 悪羅丸には理由が判らなかった。

 その疑問に長丸ちょうまるが答える。


「何時もはうぬを仲間外れにしてよったからじゃ。今日は最初にさせちゃる。そうじゃな…あそこからふくろうの鳴き声が聞こえるじゃろ? あそこ目掛けて矢を射てみい」


 長丸の指差す方角は真っ暗闇であった。確かに耳を澄ますと梟が一羽鳴いているのが判る。

 悪羅丸は首を横に振った。


「そりゃ駄目じゃ。御社ん中で殺生は禁止されとる。それにあの方角は御神木もある。御神木に止まる鳥は皆、神の使いじゃと宮司様が申しあそばされとる。射ることあたわずじゃ……」


 不安そうな悪羅丸を、長丸はなだめた。


「心配するなかれ。この暗闇じゃ、あたりゃせんわ!」

「それでも駄目じゃ! 例え当たらんでも御神木に矢を射るなど恐れ多いことじゃ!」


 なおも頑なに拒む悪羅丸に、長丸はいささか苛立った。彼はあからさまにこの赤眼せきがんの小坊主を挑発するようにこう言い放った。


「はっ! 何れ僧兵となりこの御社を守ると抜かすは戯言たわごとじゃったか!?」

「……なんじゃと?」

「それとも悪羅丸、うぬは腕っぷしが強いだけで肝は小さいんか? 普段から武士を倒すと抜かすはただの威勢の良い法螺ほらなんか?」


 そこまで言われると流石に悪羅丸はムッとなった。世間を見返してやる。自分を認めさせてやる。ナメられてなるものか。そう普段から思っていた彼は売り言葉に買い言葉とばかりに、祀られてた神具の弓に矢を番え、闇夜の中へ狙いを定めた。

 その姿に長丸はニヤリと笑みを浮かべたが、暗闇で悪羅丸に判るはずも無かった。


(御神木が何するものぞ! 所詮は只の大木じゃ! かるそしりを受けて黙っていられるか!)


 悪羅丸は自身が御神木に矢を射る行為を正当化した。頭の中で勝手に理由を作り、矢を放つ大義名分を作ってしまった。


 この赤眼の小坊主にもう少し信心深い心が備わっていれば、或いはこの場で思い止まったかも知れない。しかし、普段から武芸に熱心なこの小坊主はこの時、ほんの少しの功名心と、初めて体験する悪戯から、大人たちの言い付けを破ってみたいというドキドキした感情に心を突き動かされた。


 ジッと沈黙し、自身の全神経を耳に集中させる。

 月は雲に隠れ、周囲を照らすものは何もない。正に闇夜である。

 悪羅丸が弓を引き絞る間、他の小坊主たちは静まった。


 静寂と冷たい微風が悪羅丸の肌を撫でる。油断すればゾクゾクと背中が震えるような感覚に襲われる。弓矢を射るのは初めてではない。神社の僧兵たちに稽古を付けて貰ったことが何度かある。それでも生き物を、しかも暗闇の中、鳴き声だけを頼りに狙いを定めるなど初めての事である。


 周囲は固唾を呑んで見守った。既に長い時が流れているかのように感じた。もしかしたら今この瞬間だけ、時間が止まっているのではないかとすら思えてならなかった。頬を伝う汗を拭うことも、息をすることさえも許されない。それだけ暗闇の中からでもハッキリと判るほど、悪羅丸の集中力は凄まじいものだった。


 悪羅丸の引く神具の弓に軍神・あまの甕槌みかづち様の御加護でもあるのだろうか。

 弓を構えている間だけ、悪羅丸は自身に何倍もの力が宿るような、ハッキリと何か目に見えぬ存在に、身を乗っ取られてる感覚に陥ると、両目をカッと見開いた。


(――そこじゃ!)


 バシュ――!

 弦が闇夜を切り裂く音を鳴らし、悪羅丸の放った一矢は暗闇へ消えた。それと同時に梟の声も鳴き止んだ。恐らく何処かへ飛び立ったのだろう。


 初めから周囲は矢が中るとは期待していない。それよりも早く、悪羅丸が作り出したこの緊張感が充満する空間から解放されたがっていた。一同は息を吐いた。ようやく停止した時間が動き出したかのようであった。

 静寂の中、最初に長丸が口を開いた。


「……悪羅丸。うぬは今日からわしらの仲間じゃ」


 しかし、その言葉は悪羅丸に届いていない。悪羅丸は手の震えが止まらなかった。初めて禁忌を犯してしまったスリルと高揚感で、心臓の鼓動が早鐘のように高鳴り、気付けば汗をだらだらと流している。大きく肩で息をし、そして呆然とした。だが彼は矢を射た暗闇の方角をじっと見つめながら、度胸を見せた自分が何処か誇らしかった。勇気を見せた。幼気いたいけな少年が、英雄にでもなったかのように感じた。次第に緊張が解けると、悪羅丸は笑顔を浮かべながら長丸へ振る向く。


「今度は長丸兄ぃが射よ」


 そう言って弓を前に出した。

 すると見張りをしていた小坊主が急いで告げに来る。


「まずい! 見回りがこっち来るぞ!」


 その報せは悪戯終了の合図でもあった。

 一同は直ぐに解散すると、長丸は神具の弓を引きとった。


「これはわしが宝物殿に戻しとくわい。うぬは先に布団へ戻っておれ……」

かたじけなし」


 その夜。何事もなかったかのように悪羅丸は床に就いた。彼は初めて御社の決まりを破った興奮で目がしばらく冴えていたが、やがて微睡まどろみ眠りに落ちていった――。

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