第 16話 エント・モルモン攻防戦 前編


 ―レリウス歴1589年7月8日早朝

  パノティア王国、王都ルナ、王宮―



 この日、英弘はヌーナとの国境へ進発する日であった。

 その準備を万端なものとしてきた英弘であったが、しかし不安が募るというもの。

 というのは、もう既に国王秀吉やアンリマルクが親征したのだ。もし、王族男子たるこの2人が戦死する事態に陥れば、パノティアという国そのものが危うくなる。

 2人には跡継ぎがいないわけではないが、まだどちらも5歳以下の幼児しかいない。これでは万が一の際、カヴァルカント候アンドレクのような、腹に一物抱えた貴族に権勢を握られる恐れがある。


 そんな不安を抱く英弘であったが、しかしそんな万が一の状況を抑え込める人物が、いなくもなかった。


 「うげ! キルク……」

 「……その毎回嫌そうな顔するのやめて頂けませんかね? ミリア殿下」


 その人物は、何を隠そうフランケルコ3世の実妹、ミリアである。彼女は咄嗟に、慎ましやかで主張の少ない胸を隠した。理由は言わずもがな。

 王宮の廊下でばったりと出会った2人は、毎回王族にあるまじき反応を示すミリアを皮切りに、寸劇が始まるのだ。


 「い、嫌そうな顔だなんて! し、していませんわ! ……していないわよね? サリーナ?」

 「……はい、殿下」


 ミリアの侍女は、妙に強張った表情で頷いた。

 何なんだその間は。と問い質したい英弘であったが、英弘から視線を逸らしつつ、やや小刻みに肩を震わせている様子を見て察するに至った。

 笑ってんじゃねーよ、と。


 「そ、それではキルク殿。ごきげんよう!」


 そう言いつつ、ミリアはそそくさとその場を後にする。胸を隠しつつ、英弘に背中を向けて彼の傍を通過したのだが、しかしふと、ミリアは立ち止まった。

 そして真面目な顔で振り向くと、胸を隠していた腕を一瞬躊躇つつ下げ、英弘の目を真正面から見据える。


 「キルク」

 「はい。殿下」


 ミリアのその真っ直ぐな眼差しに、この時ばかりは流石の英弘も、自身の趣味・・を弁えてその瞳を見つめ返した。


 「貴方はまだ17歳で、私の1つ年上なだけの青年よ。そんな貴方が部隊を率いて、先頭に立って戦うというのは、凄く立派なことだと思う」


 称賛の言葉が、ミリアの口から紡がれる。普段は王族として丁寧な言葉遣いを心掛けるミリアであるが、今は一個人として、また、1人の友人として言葉を掛けずにはいられなかったのだ。

 そんなミリアの、不器用ながら英弘のことを心から慮るその態度と言葉に、英弘自身、感謝の念を抱かずにいられなかった。


 「だけど、死なないで……兄上達も、貴方達も、無事に帰って来てよね」


 憂苦の色を瞳から滲ませ、ミリアは言う。

 彼女は確かに、英弘の奇行趣味に辟易してはいたが、だからといって嫌いになる理由にはならない。それどころか、1人の人間として尊敬さえしていた。

 そんな英弘が国境へ赴き、自分は王宮に残らなければならない。見送ることしか出来ない。自分が男だったら……、と悔やむ気持ちを持ちつつも、己の気持ちを精一杯伝えなければならないと、ミリアは考えていたのだ。


 「……はい殿下。必ず、勝って帰って参ります」

 「ええ。絶対よ……って何見てるのよ!」


 例え、真剣な話の最中、胸を凝視していたとしても……。


 「いえいえ! 殿下のお心遣いのお礼に、少しでもご成長・・・されることを願わせて頂いたまででございます」

 「うるさいわね! 気にしてることいちいち言わないでよ! あーもう! 見るなぁっ!」

 「グフフフフ!」


 慇懃無礼な英弘に、ミリアは慌てて胸を隠した。先ほどまでの一途な面持ちが一転し、ミリアはリンゴのように赤くなった顔で英弘を睨んだ。されど当の本人は鼻の下を伸ばすばかりで、自身の行為を省みる様子が全く見られなかった。

 だが、英弘自身こうして茶化してはいるものの、本心ではミリアの気持ちを有り難く思っていた。

 英弘はただ、照れ隠しをしたかっただけなのだ。


 「もういいわ……心配した私がバカだったわ……じゃあ、行って来なさい」

 「ええ。行って来ます」


 ミリアがツンとそっぽを向けば、その耳まで赤くなっていることが見て取れた。

 それきり、ミリアは背中を見せて歩き去って行った。従者を引きつれて廊下を進むそんなミリアを、英弘は深く頭を下げて見送る。

 「行って来なさい・・・・・・・」という言葉を噛みしめながら。




――――――――――――――――――――――――――――――――




 ―レリウス歴1589年7月27日夕方

  パノティア王国、エント・モルモン、中腹―



 パノティア―ヌーナ間の国境には、カルメ山脈という山の連なりが両国の壁として横たわっている。

 その最西端に位置するエント・モルモン一本角の山の中腹に、忠道率いるパノティア王国陸軍1万3千が布陣していた。

 当初は予定通り、8千兵力で国境周辺の守りに付くハズだった。

 しかし、ヌーナが存外に早く、パノティアへの再侵攻の兆しを見せた為に、5千の王国陸軍兵士が追加で派遣されてきたのだ。


 「敵はこのエント・モルモンの西を通るはずだ。南に少し行けば、キェル港に我が海軍の鎮守府がある。敵はそこを狙って進撃するはずだからね」

 「オキデンス海での制海権喪失は、ヌーナにとって痛手でしたからね……なんとしてもその制海権奪回の為、邪魔なキェル港を攻めたいのでしょう」

 「しかし、敵の戦力はどうなんだヒデヒロ? それによっては、周辺の領主達に援軍を頼まなければならないぞ?」

 「ああ。報告によれば、敵は2万を越えていて、まだ増える見込みだそうだ」


 仮に設置した司令部テントの中で、忠道、英弘、カトリーヌ、その他諸将を交えての議論が交わされていた。

 地図を広げ、敵味方を占めす駒を置きつつ、彼らはあれやこれやと意見を述べる。

 そんな中で浮かび上がった問題点は、次の3つとなった。


 1つ、敵の侵攻ルートについて。

 2つ、敵の最終的な戦力について。

 3つ、敵をどこでどう撃退するかについて。


 これらの問題を正しく解決しない限り、ヌーナに侵略を許す恐れが出て来るのだ。だがそんな責任重大な状況の中であっても、指揮官たる忠道は沈着した態度をもって、的確な指示を出す。


 「敵は恐らく、エント・モルモンの西側にある街道を通りたいはずだ。そこから南に向かえば、すぐキェル港だからね。僕達としては、それを阻止するために海軍との連携を密にしなければならない」

 「海岸線を行軍する敵に、砲撃を浴びせるんだな?」

 「やあ、その通りだカトリーヌ君。敵の進撃ルートの中で、海に近い地点で砲撃を加えさせる……と、敵に予想させるんだ」

 「では、本命は別のところにあると?」


 英弘の問いに、忠道はコクリと頷いた。そしてそのまま、地図に描かれていた街道を指でなぞり、説明を続けた。


 「敵としては、砲撃を受ける覚悟で西側の街道を通りたいはずだ。行軍のコストを抑えたいからね。だけど、砲撃を受ける損害よりも、多少遠回りしたほうがいいと判断すれば、敵はエント・モルモンの東側の峠を越えようとするはずさ」

 「成程、つまりタダミチは、東側の峠に向かわせる、何かを仕掛けるんだな?」

 「そう。例えば、不完全な野戦陣地の構築。敵にとって、半分以下の戦力しかない僕達が、簡単に攻め落とせそうな陣地を築いていたら? 敵の戦力を撃滅出来て、尚且つ後背を突かれる心配も取り払える。まさに一石二鳥だと思うはずだ」

 「そこを私達が、エント・グラートのように敵を撃退するのか」

 「完膚なきまでにね」


 そう言って、忠道は地図上の現在地にパノティア軍を模した駒を置く。

 そのすぐ北には、峠へと続く街道が記されていた。彼らパノティア軍が運用する迫撃砲やマスケット鉄砲、それに魔法兵の射程に届く位置関係だ。


 「ですが、それだけでは敵も西側を通るはずです。もうひと押し、何か敵にとっての判断材料があればいいんですが……」

 「そこを君に任せたい、英弘君。君達独立騎兵隊を使って、わざと敵を東側に向かわせないよう、ハラスメント嫌がらせをして欲しい」

 「ああ~、成程、分かりました。敵に対して、「東に向かって欲しくない」って動きをすればいいんですね?」

 「その通り。2人とも頼むよ」

 「了解!」

 「ああ、任せてくれ」


 忠道と英弘、カトリーヌの意見が符合した。

 要は心理戦術であった。西側の街道を無防備にして通りやすいようにすれば、敵将は疑心暗鬼に陥りやすくなる。その上で、予想した以上の強力な砲撃が待っているのだと相手に思わせ、逆に東側の峠を越えた方が得だと、そう判断させるのだ。

 準備万端な西側か、来られるのを嫌がる東側か。という二択を迫るのである。


 そして、大方の行動方針が決まれば、彼らの行動は迅速であった。

 忠道は不完全・・・な陣地構築の指示に勤しんだし、英弘とカトリーヌは部隊を率い、任務に従事せんと行動する。

 勝てるかどうかは、彼らも確信をもって言えないだろう。敵は恐らく、倍以上の戦力を差し向けてくるだろうし、作戦が上手くいく保証もない。

 それでも彼らは行動する。勝つことを信じて……。




――――――――――――――――――――――――――――――――




 ―レリウス歴1589年8月2日深夜

  ヌーナ帝国、ヌーナ・パノティア国境付近―



 宵も深まった頃、ヌーナ軍の宿営地では一騒ぎがあった。


 「敵襲! 敵襲!」

 「ええいクソッ! またかっ!」


 ヌーナ軍の将軍で壮年のルーダーは、テントの中からヒステリックに叫んだ。

 ヌーナ帝国内陸部からわざわざ兵を率い、パノティアとの国境まで来たのはいい。

 その国境に近づく度に、パノティアの騎兵の小部隊が、昼夜問わず攻撃を仕掛けてくる。そのため、兵士を率いる立場にある将軍でさえ、疲労とストレスに悩まされることになったのだ。

 その因果関係は不明だが、ずんぐり肥えたその体が少し痩せたようである。


 「敵騎兵、撤退して行きました!」

 「今度は何をやられた?」

 「魔法兵が被害を受けました!」

 「今度は魔法兵か!」


 敵は決まって、ヌーナ軍の脆弱な部分を狙って攻撃してきた。それも効果的に、実に嫌らしく。

 2万8千の兵を行軍させれば、隊列がそれなりに長くなる。となれば、脆弱な部分が出てくるのは必然であろう。

 敵騎兵は、森林の中から、朝の霧の中から、宵の中から、あらゆるところから奇襲を仕掛けてくるのだ。そんな相手に、守りを固めながらの行軍となれば、その速度は牛歩の如く遅くなってしまう。

 故に、ルーダーは臍を噛む思いでこれに耐えなければならなかったのだ。


 しかし彼の悩みは、これだけではない。


 「ルーダー将軍」

 「チッ……なんだジョンスン将軍!」


 それは今しがたテントに入ってきた黒衣の将軍、ジョンスン黒太子である。

 彼はルーダーの与力として、今回のパノティア遠征に派遣されたのだ。

 この何かとうるさいシルヴィリーア公爵令嬢派の黒太子に、ルーダーは悩まされていた。皇帝派であるルーダーに、シルヴィリーア派である黒太子が平気で意見を述べてくるのだ。与力として指揮下に加わったにも関わらず。

 そしてもう一点、ルーダーは悩まねばならないことがあった。それは、皇帝派のルーダーがこのギフトを使い潰すよう密かに命じられたために、その任をどう全うするか、についてである。

 兎にも角にも、自然な形で使い潰す・・・・為には完全なコントロール下に置かないことには、これらの悩みは解消できないだろう。


 「もう少しで街道の分岐点です。予定通り、海岸線を南下する際には――」

 「海岸線は通らん!」

 「は? 今なんと?」

 「海岸線は通らんと言ったのだ!」


 喚きたてるように言い放つルーダーに、黒太子は一瞬、言葉を失った。

 何故なら、侵攻ルート選定時において海岸線を通るよう強固に主張したのは、他でもないルーダーであったからだ。危険な海岸線を避けるように主張した黒太子の反対を押し切ってまで……。

 それがどういうわけか、現在両者の意見が正反対になったのだ。

 黒太子は、その真意を問い質さねばならなかった。


 「ルーダー将軍! 将軍があれ程まで強く推されていた海岸線への進軍を、何故今さらになって改められたのか、理由をお聞かせください!」

 「パノティアの騎兵は、東側からやって来て東へと帰って行く! まるで東に来るなと言わんばかりに! だとすれば、奴らにとって都合が悪いのは東側の峠を通られることだ! 違うか!?」


 この時、黒太子は、危険な何かを感じた。ただ東から襲撃してきて東へ帰るからと、そのように判断するのは安直ではないか? と。

 そんな危機感を抱く黒太子をよそに、ルーダーは鼻を鳴らしながらつづけた。


 「それだけではない! 斥候を放って敵の根拠地を偵察させたら、連中は陣地の構築に手間取っていると報せが入った! これを一気に攻めれば敵戦力の駆逐が叶うではないか!」

 「罠です。ルーダー将軍」


 危機感と直感に刺激された黒太子の反射神経が、口からその旨を報せた。

 直後、黒太子は心の中で自身の失敗に悪態を吐いた。毛嫌いする相手黒太子からそんなことを言われれば、ルーダーがどんな反応を示すのか……容易に想像がつくことだろう。


 「罠だと!? 貴様は敵軍船からの砲撃を理由に海岸線を通るなと言えば、今度は峠に待ち構えているのは罠だと言う!」


 大仰な仕草で問い詰めるルーダーはまるで、黒太子に八つ当たりをしているようであった。

 しかし、そんな彼の八つ当たりも、まだ終わらない。


 「教えてほしいものだ! 我々はいったい、どこを進軍すればいいのかを!」

 「お聞きくださいルーダー将軍! これは敵の――」

 「聞く耳など持たん! 貴様はもう、私の言うことを聞いていれはよいのだ!」


 そしてそれだけ吐き捨てるように言うと、ルーダーは手で追い払う仕草をみせる。最早何も聞き入れられまい、と悟った黒太子は、これを素直に受け入れ、浅く頭を下げてからテントを後にした。


 「素晴らしき観察眼の将軍殿だ」


 小さく呟いた黒太子。その言葉に、蔑みと皮肉を十分に込めて。


 「大佐や、レディー・・・・を迎えなければならない手前、ここは何としても主導権を握らねばな……」


 そう独り言ちつつ、黒太子はテントへ戻る途中に足を止め、星空を見上げた。


 「なんにせよ、征く先に罠が待ち構えているのなら、それを食い破るまで……」


 その目に闘志の炎を滾らせた黒太子の言葉が、空へと霧散していった。




――――――――――――――――――――――――――――――――




 ―レリウス歴1589年8月4日夕方

  パノティア王国、エント・モルモン―



 「どうだ! どうだジョンスン! アレを見てみろ! 敵は中途半端なバリケードで我々を待ち構えているではないか! あんな連中がどう罠を仕掛けるというのだ? んん?」


 馬上のルーダーは嘲るような笑みを浮かべ、同じく馬上の黒太子を見つめた。

 そんなルーダーの顔を無視しつつ、パノティア軍の方を見れば、確かに陣地の構築が不完全であるように見受けられる。辺り一面に木の1本も無く、岩だらけの斜面に隠れられる場所など無かった。

 その敵兵士の殆どが、その身を隠すことなく列を作り、得物を手にしている。彼らは街道を挟んだ約1カルメル750先、エント・モルモンの中腹で、まばらに陣を敷いていたのだ。

 だが、以前に大敗北を決したエント・グラートでの戦いの経過を聞くに、敵は数の差をものともしない何かを仕掛けているはずだと、黒太子は睨んでいた。


 「あの鉄線で出来たバリケードも聞いたことがあります。たしか、”有刺鉄線”だとか」

 「フン! たかが棘付きの鉄線だ! 対策に抜かりなどないわ! 攻撃開始!」

 「お待ちください! ここはもう少し慎重に――」

 「もう遅い! 攻撃の命は下したのだ! お前も大人しく従え!」


 ルーダーの言葉通り、攻撃を知らせるラッパが辺りに鳴り響く。その音色と共にヌーナ軍の兵士達が……主にルーダーの兵が前進を始め、無秩序に山を登り始めた。

 魔法兵による攻撃の応酬が行われる中、最初はゆっくりと、しかし次第に歩調が早まり、怒声を上げて走りだす。


 内心で舌打ちをしつつ、黒太子は遅れて、敵の最も左翼側を重点的に攻めだした。まず攻めるなら、敵からの攻撃が集中する敵中央部ではなく、その端部であろう。

 自身が前世から・・・・積み上げてきた経験に従って攻撃を開始した、その時だった。敵に変化が現れたのは。


 「て、敵が地面に隠れました!」

 「やはりそういう仕掛けであったか!」


 パノティア軍の兵士達が一斉に、地面に隠れたのだ。いや、よく見ればそれは、長く、幾重かに掘られたジグザグの溝である。

 山の麓から見えないよう巧妙に施されたそれらは、ヌーナ軍側の魔法攻撃やマスケットの銃弾から身を隠すのに最適であった。


 「敵が隠れたということは……次の仕掛けが来るぞ! 備え――」


 黒太子が叫んだ瞬間、地面が弾けた・・・

 ルーダーの部隊で埋め尽くされた山の斜面が、いきなりいくつもの轟音を立て、土砂を宙にまき散らしたのだ。


 「な、何だっ!?」


 幸い、その爆発から黒太子は難を逃れた。敵の最左翼を攻めていたからだ。

 大佐から聞いた、敵の”迫撃砲”とやらか!? と焦ったが、どうにも様子がおかしい。何故なら先程のは、なんの前触れもなく、大砲特有の砲撃音も全くなかったのだ。

 そして、黒太子には、それが何であったのかを推測している余裕などなかった。


 「敵、砲撃音!!」

 「いかん! 例の迫撃砲か!? 魔法兵! 障壁魔法!!」


 迅速な指示により、黒太子の部隊はすんでのところで砲撃を防いだ。

 だが自ら率いる1万1千の兵士達全員が、魔法兵の障壁魔法に守られたわけではない。中には隠れそびれ、敵の炸裂する砲弾榴弾によって体中が引き裂かれた兵士もいた。

 さらには敵の溝からマスケットや魔法を撃ち掛けられ、幾人かの兵士が倒れる。

 だが彼らの運のいい所は、パノティアの銃撃、砲撃がルーダーの部隊に集中したことだろうか。

 その様子を見ていた黒太子の判断としては、ルーダーはきっと、撤退の指示を出すだろうと、そう期待していたのだ。

 ところが――。


 「馬鹿なっ! まだ前進させる気か!?」


 次の瞬間、戦場に鳴り響いたのは、前進を合図するラッパの符丁であった。

 その音色を聴いたヌーナ軍の兵士達は、しかし、敵の砲弾からその身を隠し、守ることに必死だった。それどころか逃げ出す者も現れる始末。


 このままではエント・グラートの二の舞だろう。いや、過去の戦訓から何も学ばないところを鑑みるに、この状況は――


 「……まるでポワティエの戦いではないかっ……!」


 黒太子は歯噛みしてパノティアの兵士を睨め付けた。

 それも、悔し気な表情を纏いながら……。




――――――――――――――――――――――――――――――――




 「まるでポワティエの戦いだな……」


 英弘は思わず、そう呟いた。

 塹壕内から眼下に広がるそれを……敵の惨状を見ていた英弘は、前世で起きたイングランドとフランス軍の戦いの1つ、”ポワティエの戦い”を想起していた。


 「ポワティエの戦い? 聞いたことがあるな……確か――」

 「フランスがイングランドにボッコボコにやられた戦い」

 「ああ……屈辱的な戦いだったらしいな……」


 そう苦々し気に言ったのはカトリーヌである。

 過去に・・・そういった戦いがあったのを知っていたカトリーヌは、英弘のお陰でそれを思い出すこととなった。

 しかしカトリーヌは、ふと疑問を抱く。


 「だが、何故ポワティエの戦いなんだ?」

 「クレシーの戦いで、ロングボウ兵の威力を見くびって負けたフランス軍が、その時の反省をあまり生かさずに、ポワティエの戦いでもロングボウ兵から打撃を受けたんだ。それと今回の戦いが重なってな……」

 「そうか……エント・グラートでの戦いで私達が使った、迫撃砲や有刺鉄線を警戒せず、数で圧倒しようとしてきたからか」

 「ああ。そこを、有線式の地雷・・で景気づけにドカンとやったわけだ」

 「成程……」


 英弘から説明され、カトリーヌは硬い表情のまま頷いた。

 これがもし、逆の立場であったなら……カトリーヌはそう想像するだけで身震いしそうになった。

 ロングボウだけなら、まだいい。刺さりどころが良ければ軽傷で済む。

 だが先程目の前で起こったのは、火薬によって引き起こされる爆発である。

 それも予め地中に爆薬を設置し、魔石から発生させた電気を銅線で伝え、発破。爆発の力で、石や土砂をお手ごろなミンチメーカーに仕立てたのだ。

 当然、そんなものを喰らった敵兵はタダではすまない。文字通り、肉片に変わった敵兵を見て、カトリーヌは哀れにさえ思った。


 「エント・グラートの時も思ったが、少し、やり過ぎではないか?」

 「やり過ぎも何も、これが戦術ってものだよ」

 「タダミチ……」


 カトリーヌの言葉に反論したのは、忠道であった。

 忠道は指揮官として、戦いの準備を主導してきた。そして、彼の知りうる限りの知識と戦術を駆使した結果、目の前の惨状が成立していたのだ。

 あくまで効率的で合理的な戦術に拘るのが、栗林忠道という軍人であった。


 「ところで忠道さん」

 「何だい、英弘君」

 「やっこさんらの状況を見る限り、俺達騎兵部隊の出番は無しですかね? ま、俺としては、今日まで散々働いたから休まして欲しいわけですけど」

 「どうだろうね……敵の指揮官がこのまま前進を指示してくれて、敵が全滅してくれたらいいけれど、問題は……」

 「右を攻めて来た黒鎧が指揮する部隊ですね……」

 「黒鎧?」


 そう言って、英弘と忠道、それにつられたカトリーヌが右へと頭を向ける。

 そこには前進をせず、障壁魔法を張りながら徐々に後退をする敵の部隊があった。

 全身を黒い鎧で身を包んだ敵の部隊指揮官により、1万程の兵が統制の取れた動きを見せているのだ。この一方的な砲撃の中で、他が恐慌状態に陥っているにも関わらず、その指揮官は的確な状況判断をしていた。

 思わず3人は顔を見合わせる。


 『あの黒鎧は出来る』


 まるで機械仕掛けの時計の如く、英弘達は口をそろえてそう評した。


 「じゃあ、あのがなり立ててる・・・・・・・中央の指揮官には頑張って生きてもらって、右の黒鎧を重点的に狙っていこうか」

 「厄介な黒鎧を討って、御しやすい中央の指揮官を残す……えげつないこと考えますねえ」

 「……本当に、お前達が敵でなくてよかったよ……」


 ニッコリと笑顔の忠道に、下卑た笑みの英弘。そんな2人の対照的でありながらも同質の笑顔に、カトリーヌは引き攣った笑みを浮かべた。

 相手の厄介な部分を叩きつぶしてやろうとする、その根性がありありと感じられたからだ。

 次の目標が定まれば、それに対して号令を発するだけであり、実際に忠道は、黒鎧を狙うように指示を出そうとした……その瞬間だった。


 「敵指揮官らしき人物に、銃弾が命中しました!」


 兵士からの報告が飛び込んできたのだ。

 その報せに、英弘は思わず声を荒げた。


 「おいおい待て待て! こっから敵の陣地まで1カルメル750メートルぐらいあっただろ! 何でそんなとこまで!」

 「いや、違うぞヒデヒロ! 奴から近づいてきたんだ!」

 「それに僕達は敵より高い所にいる。ここから撃った銃弾が、敵の指揮官に届くこともあるだろう」

 「何でよりにもよって、敵の指揮官に当たるかね……」


 部下からの報告を受け、望遠鏡を除いてみれば、確かに敵の中央を指揮していた指揮官が倒れていた。その周りに兵士が集まり、ジタバタする敵指揮官の肥満体を引きずり、後方へと下げていく。

 未だに砲弾や銃弾、魔法が飛び交う戦場で、この出来事は明らかにヌーナ軍の動揺を増長させた。明らかに敵前逃亡を図るヌーナ兵の姿が目立ち、攻勢の鈍り具合が顕著であったのだ。

 程なくして敵の右翼、黒鎧の部隊からラッパの符丁が鳴り響く。


 「ラッパの音……敵が後退していくが、追撃するか? ヒデヒロ」

 「いや、既に黒鎧の部隊は槍衾と障壁魔法を展開しながら後退の速度をあげやがった。騎兵の突撃を警戒しているかもしれん」

 「分かった。ここは、我慢のしどころだな」


 幾度か繰り返されたその音色を境に、ヌーナ兵は全体的に後退を始めたのだ。


 「僕達は今、守勢に回っている。迫撃砲を置いて攻勢に出れば勝てるかもしれないけれど、その隙にこの陣地が敵に抑えられたら危険だ。ここは見送ろう」


 忠道はそう言って、敵に対する追撃の命令を留め置いた。

 各銃兵隊では、既に銃剣を装着して突撃する準備をしていたのだが、それも留め置かれたのである。

 ただ、迫撃砲や魔法の射程範囲内から敵が後退するまでは砲撃を続行させていた。

 やがてそれも終わると、戦場に一端の休戦状態が訪れた。


 「敵は一先ず、撃退出来ましたね、忠道さん。こちらの損害は239と少なく、敵の損害は5千とかなり多い」

 「だが、それでも敵の数が多いことに変わりない。少なくとも、敵の負傷者を2千と見積もると、動ける敵戦力は2万はいるだろうね。まだ敵の方が有利だよ」

 「だが敵は、私達の防御陣地の厄介さを理解したはずだ。それに今後、ヌーナ軍の指揮権を引き継ぐのは、恐らくあの黒鎧だろう」

 「ああ。もしかしたら夜戦を仕掛けてくる可能性もある。忠道さん、兵士達の見張りを強化しましょう」

 「やあ。それがいいね」


 こうして、戦いの幕は一旦、閉じられた。

 英弘達は敵に対する備えを万全のものとする為、休むことなく各所に出回らなければならなかい。だがそれは、勝つために必要なことで、彼らは一つも文句を言うことが無かった。


 そして、陽が沈み、夜が来る。長い長い、夜が……。

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