第 15.5話 英弘の楽しいお菓子作り
―レリウス歴1589年7月1日昼過ぎ
パノティア王国、王都ルナ、王宮、英弘の執務室―
「プリンが食べたい」
それは執務途中のことであった。唐突に呟いたのは国王直属の部隊、独立騎兵隊の隊長を務めるキルク・セロ……
そのため、王宮には英弘専用の執務室が用意されており、1日の半分近くをこの部屋で過ごし、報告書や国内外の情報の整理を行っているのだ。
「どうしよう、プリンが食べたい……」
そんな彼が今現在、最も欲しているのがこの呟きに現れていた。
それは、前世では極々一般的なお菓子であり、大人から子供まで幅広く愛される甘味である。少なくとも英弘の時代ではそうであった。
彼は羽ペンを置き、書類を視界の隅に追いやると、また呟く。
「無性にプリンが食べたくなってきた」
あまり広くない執務室の中、書類の山が摩天楼を成し、飾り気のない部屋に飾り気を生み出していた。そんな中、1人で作業をしていた英弘はふとしたことが切っ掛けで、プリンという完成された洋菓子の存在を思い出したのである。
「いかんな……カトリーヌのプリンプリンなオッパイのことを考えてたら、プリンが食べたくなってきたぞ……」
その切っ掛けというのは実に下品なものであった。とてもではないが、金髪の美しいカトリーヌには聞かせられないことである。
「プリン……無いしなあ……」
とはいえ、切っ掛けがどうであれ彼はプリンが食べたかったのだ。前世では簡単にありつくことが出来たプリンだが、しかしこの世界には存在しなかった。
あの薄黄色に輝き、カラメルソースがマッチした極上の食べ物は、この世界に存在しないのである。
「でも、どうにかして食べたぞ。プリン」
だが、彼は諦めきれなかった。プリンがこの世界に無いのは分かっている。しかしそれをどうにかしたくもあった。そのため英弘は、どうすればプリンを口にすることが出来るのかを、大真面目な表情で思案し始め、そしてすぐに結論へと至る。
「……そうか、プリンが無いなら作ればいいのか!」
妙案とばかりに表情にパッと花を咲かせ、英弘は再びペンを取ってメモ書きする。
幸い、彼にはプリン作りの経験があったのだ。
走り書かれたそのメモには、彼が知るプリンのレシピと必要な材料が日本語で書かれていた。
彼は最重要機密事項を書類に残す時は、必ず最初に日本語で置く癖があった。
やがて書き終えた粗悪なメモ用紙を手に立ち上がり、彼は執務室を後にする。
彼の机に残された書類は、既に処理済みの物が殆どであり、また機密性の低い書類が殆どで、かえってそれが英弘の突飛な行動の遠因ともなったのだ。
「コック長」
「むむ? おお! これはこれはキルク殿! 何かご入用で?」
逸る気持ちを押さえて、英弘は早速厨房へと足を運んだ。
厨房内では、昼食の片付けを終えたコック長と3人の料理人が夕食について相談している最中だった。
長身でやたらマッシヴでケツ顎のコック長だ。
「いや、ちょっと食材と厨房を貸してくれないかなーっと」
「何かをお召し上がりになりたいのでしたら、私共が作りますが?」
「いや、俺が作りたいんだ。いいかな?」
「左様ですか! ならば、どうぞご自由にお使い下さい」
「ありがとう」
英弘はコック長に感謝をしつつ、厨房に入った。英弘とコック長の関係は7年ほど遡る。というのも、英弘がハルゼーに用意するアイスクリームのレシピをコック長に教えたのが始まりであった。それ以来、2人は時間さえ合えば新しいアイスクリームの開発に激しい議論を展開し合っていたのだ。
「えーっと……卵に牛乳にグラニュー糖……は無いか……お? 糖液か。これで代用できるかな?」
「キルク殿、何をお作りになられるのですか?」
「ふふん。出来上がってからのお楽しみだ」
材料庫からプリンの材料を探す英弘を、コック長や他の料理人達が興味深げに覗き込んでいた。だがそれを英弘は意地悪な笑みで誤魔化し、食材を探し続ける。
卵や牛乳等の傷みやすい食材は、都度市場から買い付けるのが常であったが、いくつかの余りがあったようだ。英弘はコック長の許可を得てそれを拝借した。
「まずは、鍋に水を入れて……火にかける」
蒸し焼き用の鍋に水を入れ、火にかける。その間に英弘は卵を取り出し、殻を割ってボウルへと投じた。
コック長達の分を作ることも考え、合計6つのプリンを作るつもりであった。
2つは英弘の分だ。
「卵を溶いてから、牛乳を加熱するか」
コック長達が見守る中、英弘は時折レシピや手順を思い出しながら作業を進めていく。
溶いた卵に2~30秒加熱した牛乳と糖液を混ぜ、裏ごしをしてからコップへと注ぎ込んだ。
「プリン液の入ったコップを、火にかけた鍋にいれて、と」
当然、沸騰したお湯にコップ全体を浸すわけではなく、コップの底から2~3センチ程浸かるようにお湯の量は調整されていた。
このまま鍋に蓋をして蒸せばよいのだが、そのままだと水分がコップに入る為、英弘はコップにも布で蓋をし、鍋に蓋をする。
あくまで彼は、完璧なプリン作りに徹していたのだ。
「後は弱火で蒸らしている間に、カラメルソース作りだ」
小鍋に火をかけた英弘は、弱火で熱せられていく小鍋に糖液を入れカラメル色になるまで加熱する。
時折その匂いを嗅いだり味見するなどして好みの熱し加減を探し出すと、彼は火を消した。
「後はプリンが固まるのを待つだけだが……お、よしよし! 出来てる!」
しばらく蒸し、火を消して冷ましていたプリンの状態を確認し、固まっていることを確認すると、火傷しないようにコップを取り出す。
英弘は一度、コップを指で弾く。すると中のプリンは一瞬だけプルンと振動した。
その反応を見た英弘は、えも言えぬ感動を受け、急速に高まった甘味への欲求と格闘しながら、カラメルソースをコップへと注いだ。
「……出来た」
「おお! これが……これは何ですかな?」
「これは”プリン”って言ってな。俺の前世ではごく当たり前に食べられたお菓子なんだよ」
「ほお……
出来上がったプリンを目の当たりにし、コック長は感嘆しきりに頷いてた。
それを尻目に、人数分のスプーンを取り出した英弘がコップを手にすると――。
「ほら、アンタ達の分だ。食べてくれ」
と、プリンを差し出したのである。
「よろしいのですか?」
「ああ、是非この感動を、文字通り味わってくれ。俺はまた仕事に戻るから、感想は後で聞かせてくれよ」
「そういうことでしたら、遠慮なく!」
そうやって英弘は、2つのコップとスプーンを手に厨房を後にした。
直後に聞こえてきた歓声は英弘にとって新たな調味料となり、垂涎の想いをより一層強めたのだ。
兎に角、その場で食べてしまおうとするのをどうにか我慢しつつ、やっとの思いで自身の執務室前までたどり着いた。逸る気持ちを押さえつつ、扉に手を掛けようとした次の瞬間、その扉が突然開いたのである。
「おっと、すまないヒデヒロ」
中から出てきたのはカトリーヌであった。英弘は、ボディスという普段着姿の彼女を認めた瞬間――。
「ゲッ! カトリーヌ!」
明らかに不都合を感じさせる反応をしてしまったのだ。
これにはカトリーヌも不機嫌さを隠せない。
「なんだ、その反応は? 大体お前は執務室の鍵もしないでどこに――おい、ちょっと待て。今、何を隠した?」
英弘は咄嗟に、プリンを背中へと隠したのだ。
「い、いや……なんも隠してねえよ?」
「ではその後ろ手に隠した物は何だ? 見せてみろ」
「な、なあんにも持ってないけどな~?」
「ほら」と言いながら手を差し出すカトリーヌ。その眼差しは罪人を見るかの如く、嫌疑の色が濃厚であった。
所謂”ジト目”で見つめられた英弘は、その目を必死に合わせまいと目を泳がしつつ、2回に1回はカトリーヌの胸へと注ぐ。英弘がプリンを作る切っ掛けとなったその胸に。
英弘は言えなかった。このプリンを作った切っ掛けが、カトリーヌの胸であると……だからこそ彼は、咄嗟にプリンを隠してしまったのだ。
「はあ……そうか、ならば仕方ない……」
いつまで経っても隠し続ける英弘に、カトリーヌはわざとらしく溜息を吐くと……。
「ヒデヨシにこのことを話してこよう。「ヒデヒロが何かを隠している」とな」
「ま、待て! それは……」
「それは? 何だ?」
秀吉へ報告するぞ、とカトリーヌは脅したのだ。それを受けて明らかに狼狽え出した英弘に、彼女は圧力の籠った目で見つめた。
廊下の景色も何もかも映らなくなる程にカトリーヌの存在感が増し、やがて観念した英弘は、その背に隠していたプリンを目の前に差し出して言った。
「プリン……食べるか?」
――――――――――――――――――――――――――――――――
あまり広くない執務室の中、英弘とカトリーヌは向かい合って座っていた。
その手にはプリンとスプーンが握られており、興味深げにコップの中身を覗くカトリーヌを英弘は嬉しそうに見つめている。
「ヒデヒロが作った甘味なのか……ふむ、どれ……」
スプーンでカラメルソース越しにプリンをつつき、一掬い。掬って無くなった分、穴が空いた所へカラメルソースが流れ込む。
掬い取ったスプーンを物珍し気に見つつ、カトリーヌはその柔らかい唇を舌で舐めてからプリンを口に含んだ。
「……っ!?」
その瞬間、彼女の表情に変化が現れた。いつもは仏頂面で、あまり感情を表に出さない彼女であったが、プリンを口に含んだ瞬間、驚きに包まれたのだ。
「はぐ……はむ……あむ……」
驚きは一瞬だが、感動は永続した。次々とスプーンをコップと口の間を往復させ、一口毎に小さく声が漏れることもお構いなしに、カトリーヌはプリンを頬張った。
「うん……うん……ふぅ……」
一口一口を、多彩で幸福感のある表情を見せながら食べるカトリーヌを、英弘はまるで、子供の成長を見守る大人のような心境で眺めていた。
ここまで美味しそうに食べてくれる彼女に、英弘はプリンを作ったことそのものに幸福感を得ていたのである。
2人は今、確かに幸せな一時を過ごしていただろう。
だが、その幸せな一時も、すぐに終わりを迎えた。
「あ……」
それは、コップに入った最後のプリンを掬った瞬間であった。
カトリーヌは名残惜しそうにそのプリンを見つめ、口に含み、よりよく味わって嚥下する。
コップの底に残ったカラメルソースも掻き集めて掬い取り、余すまいと口にする。
目を閉じ、初めて食べたプリンの味を、触感を、香りを、その脳へと強く強く刻み込んだ。
やがて眼を開けたカトリーヌの目にまず映ったのは、未だ一口も口にしていない英弘のプリンであった。彼女は意図してそこから目を離し顔を背けたが、しかしこれまでに体験したことのなかったプリンの魅力に引かれ、チラチラと何度も英弘の手元を見てしまう。
悪いことと分かっていても、彼女は英弘の手元が気になったのだ。
「……」
そんな、頬を紅潮させながらも投げかけてくるカトリーヌの視線を、英弘は気付かないはずも無く、彼は無言でプリンを頬張り出した。
久しぶりに感じるその触感を楽しみつつ、一言呟く。
「……うん、まあまあ」
確かにプリンの味をしていただろう。だが、前世のそれと比べると、やや物足りなさが感じられた。
カラメルソースの味は悪くないし、プリンの舌触りも良い具合だ。
だが、卵の分量が多かったのか、やや卵の味が強く感じられたのが今回の反省点であろうか。
そう、至極冷静に自身が作ったプリンの味を採点しつつ、半分まで食べたところでカトリーヌをチラリと見やる。すると彼女は、すっかり英弘のプリンを見入っていたことに気付き、またそのことを見咎められたと勘違いしてか、バツの悪そうに顔を背けたのだ。
そんなカトリーヌに苦笑しつつ、英弘はコップを差し出した。
「食べるか?」
「い、いいのか!?」
「ああ。また作ればいいしな」
「……ありがとう」
おずおずと英弘の手からコップを受け取るカトリーヌ。そしてやや遠慮がちにその中身をスプーンで掬うと、彼女再び感動を味わった。
満たされた表情で食べるカトリーヌを見て、英弘は満足した。
プリンを食べるという目的は果たしたし、改善点も見つかった。食材も手に入らないわけではないから、また作ればいい。
プリンは、いつでも食べられる。
だが、幸せそうに食べるカトリーヌの姿は、今しか見られないのだ。
正確には、初めて味わうプリンの、その感動の瞬間である。
そんな彼女の感動を垣間見たことで、彼はプリンを食べた以上に心が満たされたのだった。
……余談だが、後にこのことを秀が知ることとなり、彼に献上しなかったことを、これまで以上の怒りをもって英弘は叱責されたのであった。
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