第 17話 エント・モルモン攻防戦 後編


 ―レリウス歴1589年8月4日夜

  パノティア王国、エント・モルモン―



 宵も深まる中、黒太子はルーダーのテントへと足を運んでいた。

 エント・モルモンでの戦闘中、ルーダーが敵の銃弾を受け、瀕死の重傷を負ったのだ。しかし黒太子には、見舞いの花束や気の利いた言葉など用意していなかった。

 そんなものを用意するくらいなら、黒太子は敵に関する情報の一つでも頭に収めたであろう。


 「失礼。ルーダー将軍の容体は如何か? 意識は戻られたか?」

 「ジョンスン黒太子将軍! 如何に貴方と言えど、勝手に入られては――」

 「そんなことを言っている場合か! 我々も敵も未だ健在だ。これからどうするかを指揮官に問うて何が悪い!」

 「……先ほど、一時的に意識が戻られましたが……」

 「また気を失われた、と?」


 将軍付きの従軍医師は小さく頷いた。

 黒太子の不躾で事務的な言葉に顔を顰めつつ、ルーダーの従卒や子飼いの貴族と共に黒太子と対峙する。中には腰の剣に手を掛けようとするものまでいる始末で、その殺気を受け取った黒太子は内心で辟易としていた。

 味方同士でいがみ合ってどうするつもりだ? と……。


 「……はあ」


 黒太子はわざとらしく溜息を吐いた。


 「仕方ない。ルーダー将軍の意識が戻られていないのなら、全体の指揮権は一時、私が預かる。よいな?」

 「そ、それはいくら何でも――」

 「あくまで一時的だ。意識が戻られ、戦闘の指示が出来るのなら指揮権は返す」


 黒太子が指揮権の掌握を図ったところ、当然ルーダーの子飼いの貴族がそれに異を唱えようとした。だがそれも黒太子は”一時的”と強調することで遮る。

 皇帝派側の貴族やルーダーに近しい者達は面白くないだろう。シルヴィリーア派の黒太子にここまで強く押しきられたのだから。

 だがこのまま引き下がるまいと、彼らは抵抗を試みる。


 「では、我らと配下の兵士らは重篤のルーダー将軍をお守りする為、この陣地から動きませんが、よろしいですな?」


 要は、ルーダーの預かる兵士の、その残存1万が戦闘に参加しないと、そう暗に主張したのだ。こうなれば、黒太子の兵士1万で敵と戦わねばならず、敗北することもあり得る……それは嫌だろう? と、そういった駆け引きを持ち出したのだ。

 当然、条件を提示したルーダーの取り巻き達は、黒太子が臆して指揮権掌握を断念するだろうと確信していた。


 「よい! 我が隊だけでやる」


 ところが、黒太子はいともたやすく言い切ったために、ルーダー側の貴族らの思惑は当てが外れてしまった。

 黒太子はそんな彼らへ一瞥もくれず、ルーダーのテントから宵の中へとその身を躍らせる。まるで用済みだと言わんばかりに。

 その姿を見送ったルーダーの子飼いの貴族達は、冷静に立ち戻って見れば、あれはジョンスン将軍の強がりだと断じたのだ。

 だが、残された者達は気付かなかった。黒太子の悪辣な仕掛けが、もうすぐ彼らを呑み込まんとしていることに……。




――――――――――――――――――――――――――――――――




 「ヒデヒロ、ヒデヒロ! おい起きろヒデヒロ!」

 「んがっ!?」


 深夜の塹壕内でのことだった。交代で睡眠をとっていた英弘が、突如カトリーヌによって叩き起こされたのだ。文字通り、頬を叩かれて。


 「んあ~ぁあ……あと5分……」

 「おい、ふざけるな。敵の様子が変だ。さっさと目を覚ませ」

 「ええー……」

 「ええー、じゃない! ほら、早く鎧を着るんだ!」

 「俺のオカンかよ……」


 なんだかんだとふざける英弘であったが、しかし状況の把握はその五感で既に行われており、ボンヤリとした顔でありながらもその動作は素早かった。

 軽装の鎧を着終え、両手で数回頬を叩けば、そこにはいつもの英弘が立っていた。

 彼は改めて敵の陣地を見やり、一言。


 「うーん、なんか敵の陣地が燃えてないか?」

 「だから言ってるだろ。敵の様子が変だと」

 「変だ、って言っても、何で敵の陣地が燃えてるんだ?」

 「さあ、そこまでは……取りあえず、タダミチの下へ行こう」

 「ああ、そうだな……ブルート、独立騎兵隊に戦いの準備をさせておけ」

 「ハッ!」


 副隊長であるブルートに指示を与えつつ、英弘はカトリーヌを伴って忠道の眠る壕内へと赴く。

 塹壕内を低姿勢で素早く駆け抜け、2人は地中に掘られた司令部壕の入り口へとたどり着く。しかしそこには既に、塹壕から頭を覗かせて外の様子を眺める忠道がいた。


 「やあ、2人とも。敵がなんだか慌ただしいね」

 「ええ。夜襲ですかね?」

 「十中八九そうだろうけれど、それにしても何でヌーナ軍のテントが燃えているんだい?」

 「私はてっきり、タダミチの指示かと思ったが……」

 「いや、僕じゃないよ」


 じゃあ一体誰が放火したんだ? というのが、3人の当惑した疑問だった。

 とはいえ、そんな疑問を抱き続けることも難しく、すぐに状況の変化が訪れようとしたのだ。


 「ポーラット忠道将軍! 敵襲です! 敵が一斉に攻めて来ました!」

 「松明を消せっ! 戦闘用意! 敵に備えよ!」


 その報せは、忠道に怒声を上げさせるのに十分であった。

 即座に出された命令により、ラッパ手による戦闘の合図がなされる。魔法兵は塹壕から魔法を繰り出し、銃兵は弾薬を込めて火縄に火を点け、砲兵は迫撃砲の準備に取り掛かった。

 彼ら王国陸軍は、職業軍人として日頃から厳しい訓練を受けていたために、こういった緊急時においても迅速さと冷静さを微塵も失わなかった。

 事実、彼らパノティア兵は訓練時のそれよりも、その機敏さが勝っていたのだ。

 彼らに訓練を施した忠道としては、日本軍までとはいかないものの、その練度に一定の満足感を得ていた。


 「とは言え、油断はならないな……英弘君、君達独立騎兵隊は全員徒となって右翼を守ってくれ」

 「ハッ!……ところで忠道さん。残ってる弾薬だけで戦えますか?」

 「正直、心もとないね。夕方の戦闘で半分使ったから、あれをもう一度やれば、迫撃砲が使い物にならなくなる」

 「では、私達も節約して使わせないとな」


 そう言って、英弘とカトリーヌは忠道の指示に従った。

 待機していたブルートらと合流し、右翼側の守りに付く。

 その間にも中央付近ではついに、ヌーナ兵への攻撃が開始された。マスケットや迫撃砲の発砲音が鳴り響き、魔法兵による間断ない攻撃が繰り広げられる。

 一方的であった。

 しかし、一方的であるが故に、最前線の兵士たちは奇妙な感覚に陥ったのだ。


 「おかしい……キルク英弘隊長、敵からの反撃が皆無です」

 「見えるのかグリューン?」

 「ええ、ある程度は」


 中央で起きたその違和感を、最初に感じ取ったのは英弘の部下であった。

 弓の名手であるグリューンは、深夜の曇り空の下で夜目を利かせ、5百メル375メートル離れた中央の様子をつぶさに観察していたのだ。


 「反撃がないってどういうことだ?」

 「はっきりとはわかりませんが……恐らく、敵は最初から武器を持っていないのかと。どこか混乱しているような様子です」

 「……言われてみれば、確かに敵に纏まりがなさすぎるな……」


 英弘はグリューンのように目を凝らし、敵の動きを観察する。

 統制も取れず、しきりに後方を気にしながらパノティア側の陣地に突っ込んでくる姿はまるで……。


 「ヒデヒロ……ヌーナ軍は何かに追われているのではないか?」


 カトリーヌの発言に、英弘はハッとなった。

 次の瞬間、彼はありったけの肺活量をもって叫んだ。


 「右側面警戒!」


 その大音量が周囲に響き渡り、英弘の部下やその他の兵士達が一斉に右を注視した。だが既に、彼らのすぐ右側には、闇夜に蠢く黒い影達が迫っていた……。




――――――――――――――――――――――――――――――――




 ヌーナ軍による夜襲の少し前……。


 「我が隊の兵、敵両側面に配置完了しました」

 「敵に見つかっておらんだろうな?」

 「はい。隠密行動を徹底させましたので、敵に気付かれた気配はありません」

 「よろしい。では予定通り・・・・だ。ルーダーの兵達のテントに火を放て。敵のど真ん中に追い立てろ」

 「ハッ」


 黒太子の命令は、知らない者が聞けば耳を疑ったことだろう。

 何せ、友軍のテントに火を放つのだ。利敵行為、或いは裏切りに近い行動である。

 それを平然と言ってのけた黒太子は、しかし何の痛痒も感じてはいなかった。


 「ルーダーの兵士らには気の毒だが、彼らにはデコイになってもらおう」


 黒太子は独り言ちたのだ。それも他人事のように。

 やがて放火と敵襲・・により、ヌーナ軍の陣地は瞬く間に狂奔へと陥った。

 「後方からパノティアが襲撃してきた」「山に敵兵はいない」「山へ走れ」

 と、あたりには真偽不明な情報が錯綜しており、それを信じる大半の兵士が、何も知らない・・・・・・南のパノティア軍の陣地へ雪崩込んでいく。


 「さて……ルーダーのテントはどうなっている?」

 「はい。一目散に逃げました」

 「結構。では始めようとするか」


 よく見れば、ルーダーを担架に乗せ、複数の兵士と共に西へと逃げる姿が黒太子の目に映った。恐らく、もうこの戦場には戻ってこないだろう。

 それを何の感慨も無く見送ると、黒太子はエント・モルモンの敵陣地へとその眼光を差し向けた。不敵な笑みをセットに付けて。


 「敵の指揮官もどうせギフトだろうが・・・・・・・・・・、私は卿らの思うようにはいかんぞ」


 黒太子の挑戦的な呟きが辺りに木霊した丁度その時、パノティア軍による銃撃、砲撃、魔法攻撃が始まった。

 そして、その時点において、黒太子の作戦は既に動き始めていたのだ。




――――――――――――――――――――――――――――――――




 「ポーラット忠道将軍! 敵軍が両側面に現れました!」

 「……しまった……前方に気を取られ過ぎた……」


 忠道は己の失態に小さく舌打ちをした。

 ヌーナ軍の陣地に起きた不可解な放火や、中央を攻めてくる敵兵の様子がおかしいことに、忠道は思考の半分を奪われてしまったのだ。

 まさかとは思うが、黒鎧が自軍の陣地に火を放った?

 そうして中央のヌーナ兵を囮にして、側面から攻めるつもりか?

 と、忠道は疑問の霧を晴らしつつ、しかし現実の状況に対処せねばなら無かった。


 「側面に対してバリケードを構築! 迫撃砲を側面に向けろ!」


 無駄なく、迅速に支持を飛ばす忠道。

 彼は自らの危険を顧みず、高台に上って戦場の様子を観察する。

 今のところは側面に攻撃が集中しているが、それに気を取られてまた中央から攻められては目も当てられない。今のところはその気配がないものの、忠道は、その戦局の潮目を見極めねばならなかった。

 例え、多くの兵士が遊兵化し、独立騎兵隊が危機にさらされていようとも……。


 「頼むよ。英弘君。カトリーヌ君」




――――――――――――――――――――――――――――――――




 一方で、英弘率いる独立騎兵隊は危機に瀕していた。

 側面から思わぬ奇襲を受け、彼らは身動きのとり辛い塹壕内で戦わざるを得なかったのである。

 それぞれが槍や剣を振り上げ、塹壕の上にいる敵兵と戦っていた。


 「塹壕の上を取られてる! 魔法が使える奴は撃ち落とせ!」

 「ヒデヒロ! このままでは身動きが取れない! 上に上がろう!」

 「駄目だ! 敵にはマスケット兵やクロスボウ兵もいる! 上に上がればハチの巣だぞ!」


 見れば、塹壕を飛び出した味方の兵士が次々に倒れていく。ヌーナ兵のマスケットやクロスボウ、魔法により、即座に撃たれたのだ。


 「隊長! こっちの槍衾は薄い・・! 簡単に突き崩されます!」

 「とにかく魔法だ! 魔法で上にいる敵を撃て!」


 これ以上ない程の危機感を、英弘達は感じていた。狭い塹壕内での戦いを余儀なくされ、十二分に実力を発揮できないでいる現状に、英弘は焦りに囚われる。

 敵戦列や陣地、城壁に対してほぼ平行に構築される塹壕は、本来ならば敵が塹壕を迂回するのを阻止するため、延々と延伸されるのが通常だ。

 だが、英弘達には延々と塹壕を掘り続ける時間がなかった。

 第1線から第3線まである塹壕は、時間の都合上、その端から端までの距離が1キロメートル程しか掘られていないのだ。


 「クソッ! 甘く見てたっ!」


 自身らの見通しの甘さに、英弘は思わず悪態を吐いた。

 塹壕が未完成でも、真正面から来る敵は塹壕と銃撃や砲撃、魔法攻撃で撃退できると考えていたのだ。

 忠道が不安の意を露わにしていたにも関わらず、英弘は楽観していたのである。

 そして今、その楽観が自分を苦しめていることに激しく後悔していた。


 「隊長! ここは損害を覚悟の上で塹壕を出るべきです!」

 「駄目だブルート! 忠道さんがすぐに迫撃砲で支援してくれる! それまでは現状維持だ!」

 「だがこのままだとジリ貧だぞヒデヒロ! 横から攻められたら塹壕の意味がない!」

 「耐えろ! 今は耐えるんだ!」


 ところが、今やその前提が崩れ、側面からの激しい攻撃にさらされていた。

 英弘達は敵を見くびっていたわけではない。ギフト転生者の存在を考慮していなかったわけでもない。彼らは単純に、敵の狡猾で、味方をも騙す罠に掛かってしまったのだ。

 罠を仕掛けたはずが、罠を仕掛け返されたのである。


 「敵魔法攻撃来ます!」

 「障壁魔法!!」


 塹壕の上から、敵が一斉に魔法を放つ。英弘は即座に魔法兵へ指示を飛ばし、自らも魔法を駆使しながら難を逃れる。

 それでも、魔法に焼かれた仲間の数は多かった。


 「次! 来ます!」

 「ッ!? カトリーヌッ!!」

 「ヒデヒロ――」


 拾った槍で上にいる敵兵を牽制するカトリーヌを、続く敵の魔法攻撃が襲わんとしていた。

 すんでのところでそれを守ったのが英弘であり、右手で障壁魔法を行使しつつ、左手でカトリーヌを抱えたのだ。

 半ば抱き寄せる形で。


 「無事か!?」

 「……あ、ああ!」


 守られたことと、自身に降りかかった危機を悟り、カトリーヌの心拍数は数段上った。一瞬、英弘に目が釘付けとなったものの、しかし次の瞬間には、またすぐに敵へと槍を振るう。英弘の手から感じた、妙な温もりを感じながら。


 「迫撃砲の支援来ました!」

 「よし! 敵を牽制しつつ後退! 後塹壕を出て隊伍を組むぞ!」

 『ハッ!』


 ここに来て、ようやく迫撃砲による側面の敵への砲撃が始まった。

 敵は混乱しつつも、統制の取れた動きで障壁魔法を展開し、やや後退する。

 そのわずかな隙を見逃さない英弘は、味方を塹壕内から出すと、周辺の銃兵を中心に隊伍を組む様に指示を出した。

 敵もまた迫撃砲の威力に耐えつつ、英弘達に対抗するかのように隊伍を組み、備えんとしている。

 まばらな砲撃がいつまで続くかは分からない。その砲撃が止むまでに、英弘は味方の隊列を整えさせたかった。

 砲撃が止めば、その時が正面衝突の始まりだろう。


 だが、ことはそう単純にはいかなかった。


 「敵中央方面! 突撃の気配あり!」

 「嘘だろ!?」


 その報告は、戦況の新たな転換点を告げるものであった。

 塹壕内で使用されている電話機により、中央からの報告を受けた部下が、敵の陣地方面を指して叫んだのだ。

 ギョっとした英弘がそちらへと頭を向けると、確かに、7百メートル下には敵の隊列が見て取れた。

 その中心にいる黒鎧の指揮官の姿も……。


 「黒鎧……お前か!」


 黒鎧の姿を認めた英弘は、怒りと憎悪に近い感情を持って睨み付けた。

 そして、こちらに前進してくる敵中央を、英弘は忌々し気に睨みつけたのだ。


 「どうするヒデヒロ!? このままでは挟撃に遭うぞ!」

 「何かないか? なにかナニか何か!」


 英弘は拳で額を何度も叩いた。それが彼の癖だった。

 そんな癖と共に、英弘は考える。


 忠道がこの状況を理解していないはずがない。

 なら、敵中央に対して魔法攻撃なり迫撃砲なりで攻撃するはずだ。

 敵中央へ攻撃する? いや他の仲間と連携が取れていないから危険だ。

 迫撃砲の支援を待つ? それじゃあ後手に回る。

 中央への後退合図を出す? こっちが後退する前に敵に食われる可能性が高い。

 どうすれば――。


 「……後退……後退か!」

 「ヒデヒロ?」

 「カトリーヌはブルートと共に部隊の指揮に当たれ!」

 「お前はどうするんだヒデヒロ!?」

 「一か八か、大博打打ってやるぜ! グリューン! ヌーナ語を扱える兵士を4、5人引っ張って来い!」

 「はい隊長!」


 英弘に、妙案が浮かんだ。現状を打開し、更には味方に有利な状況を作れると、そんな期待の籠った妙案、或いは奇策を、英弘は実行せんとする。

 グリューンに命じ、ヌーナ語を話せる兵士を5人とラッパ手を引きつれ、英弘は塹壕内へと姿を消した。

 指揮を引き継いだカトリーヌと副官のブルートは、味方を方陣に組みなおし、四方全ての敵に備えてマスケットを構えさせる。

 だが、1つが約3百人で構成されている方陣は、それを完成させるだけでも時間が掛かるのだ。

 その間にも、敵の中央は整然とした態度で前進し、その速度を加速させていく。

 敵が一歩、また一歩と地を踏みしめる度、味方の焦燥感と切迫感が高まる。


 「何かするなら、早くしてくれヒデヒロ!」


 最早一刻の猶予もない。そんな焦燥感に駆られる中、カトリーヌは英弘が思い浮かんだであろう策が、一刻も早く実行されるのを祈るかのように待った。

 遅れながら、忠道の指示による迫撃砲や魔法攻撃が敵中央へと降り注ぐ。

 が、それも散発的で、寂しいものだった。三方に分かれた敵に対処するには、やはり三方に分けて攻撃せねばならないからだ。

 一点に集中した敵に対し、濃密で連続的な砲撃を行うのがパノティア軍の新しい戦術であったのに、今やそれが出来ないでいる。

 故に、全体でみれば砲弾や魔法攻撃などはすべて、障壁魔法で防げるほど効果の薄い、中途半端なものとなったのだ。

 そして、敵は雄叫びを上げて突撃を開始する。


 「銃兵着剣! 全体、構え!」


 それに対しブルートは、指揮を託された方陣で銃兵や槍兵を構えさせた。

 宵闇の中、槍兵を中心とした敵は、その姿がはっきりとわかる距離まで近づいてくる。

 半包囲の中で圧殺されれば、負ける可能性が高いが……しかし、ここで逃げるわけにはいかない。

 カトリーヌ達が覚悟を決めた、その時だった。


 『撤退! 撤退だー!』


 ヌーナ語で、そんな叫び声が聞こえてくる。

 そして直後には、ラッパの音色が戦場に響き渡った。

 それもパノティア軍の符丁ではない。だが、カトリーヌにはその符丁に聞き覚えがあった。記憶の糸を手繰り寄せ、それを思い出す。


 「そうか……ヒデヒロ、敵の撤退合図を出したんだな!」


 それは夕方に敵が撤退した際、合図として吹き鳴らされたラッパの符丁であった。


 「敵の動きが鈍ったぞ! 銃兵! 撃て! 魔法兵! 焼き払え!」

 『おうっ!』


 敵中央の勢いが明らかに弱まった。その隙を逃さず、ブルートら各方陣の指揮官は銃兵や魔法兵による射撃を繰り出す。

 直後、微かな混乱の気配を見せるヌーナ軍全体であったが、しかし次の瞬間には違う符丁が響き渡る。


 「敵の突撃合図だ! 来るぞ!」


 自らも槍を持ち、魔法を行使するカトリーヌは、咄嗟に叫んだ。

 ヌーナ軍による再度の突撃の合図であることは想像に難くない。慌て、音を外しながらも連続して吹き鳴らされたその音色は、だが唐突にブツリと途切れた。


 「カトリーヌ! 無事か!?」

 「うまくやったなヒデヒロ! 敵のラッパ手はどうしたんだ?」

 「グリューンに射抜かせた。これで敵は混乱するぞ!」


 塹壕から這い上がり、カトリーヌのもとに英弘は戻ってきた。

 先ほど唐突に途絶えたヌーナ軍のラッパの合図は、英弘に命じられた部下の仕業であったようだ。

 その後には英弘の部下による、偽の撤退合図が鳴り響く。

 すると、英弘の言葉通り、敵中央の兵士達には明らかに綻びの様相が見て取れた。

 中央の敵兵も、右左翼両側面を攻めてきた敵兵も、動揺と混乱という負の気配を漂わせている。

 まるでゆっくりと燃え広がる炎のように。


 「隊長! ポーラット将軍からです!」


 通信兵が電話機を抱えて叫んだ。


 「なんだ!?」

 「敵中央に砲撃を集中! 側面の敵を優先して叩け! とのことです!」

 「なるほど、了解した!」


 かくして、土壇場からの逆転、土俵際からの大転換を経て、英弘達パノティア軍は再び再攻勢へと転じた。

 混乱した敵中央へと、迫撃砲が死をまき散らす。英弘達との距離が50メートルまで迫った彼らに、死の雨が降り注いだのだ。


 「陣形変換! 方陣から右側面へ横隊!」


 雲の子をまき散らすかのように逃げ惑う敵中央を後目に、英弘は右側面に対して迅速に隊伍を組み直す。

 弾薬は尽き欠け、魔力の消耗も著しい。最早塹壕に籠って銃撃や魔法攻撃を繰り返す余裕などない。

 だが、それでもパノティアの兵士達は戦況の流れを敏感に察し、勝利を得ようとアドレナリンを放出し、戦闘意欲を高めた。


 「全体! 前へ!」


 やがて、英弘が号令を発すると、統制と秩序の回復したパノティア軍が槍や銃剣付きのマスケットなどを構え、整然と前進する。

 一歩、また一歩と敵へ肉薄する度、統制と秩序を失った側面の敵は、偽の撤退合図が出ていることも相まってか、隊列が簡単に瓦解した。


 「ヒデヒロ、追うか!?」

 「追わん! 敵中央に向き直るぞ! 横隊! 方向転換しつつ左翼と合流を図るぞ!」


 また、英弘の号令が飛ぶ。

 なし崩し的に他所の部隊の指揮権を掌握しつつ、英弘は率先して指揮を執った。

 未だ敵中央は、迫撃砲の威力にさらされ、混乱している。だが、それもまばらになってきた。

 敵隊伍の崩壊も近い。英弘はそう肌で感じた。


 「左翼との合流急げ!」


 英弘の怒号が兵士達の脳を震わせた。




――――――――――――――――――――――――――――――――




 一方で、黒太子の心は、形勢の悪化に口惜しさを超えた何かに蝕まれていた。

 勝利を確信する所まで攻めていたのが一転。逆に窮地にさらされていたのだ。


 「退くなっ! 退くなぁっ!! 撤退の合図は出していない! 退くなぁ!!」


 どれだけ叫ぼうとも、黒太子の声がヌーナ軍全体に届くことは無かった。

 敵の側面から掣肘を加えるはずだった奇襲部隊が、敵による偽の合図を真に受けて撤退を開始していたし、中央本隊の一部も同様であった。

 更にパノティア軍の砲撃が中央本隊に集中したため、それが撤退を助長したのだ。


 「ジョンスン黒太子将軍! 最早組織的な戦闘は無理です! 撤退の御決意を!」

 「ぐ……ぅぅうううああああ!! 撤退だ! 撤退するぞっ!!」


 黒太子は叫んだ。

 敵の砲撃はまばらで、夕方に見受けられた苛烈さは微塵もない。

 敵は隊伍を組むのに手間取り、未だ歪な横隊でしかない。

 パノティア軍の現状は酷いものだった。


 「障壁魔法を展開しつつ後退せよ!」


 だがそれでも、ヌーナ軍の現状の方が遥かに酷いと、黒太子は理解していたのだ。

 敵両側面に3千づつ配置し、敵が両側へ意識が集中したところに中央から吶喊を仕掛ける手はずだった。

 ところがどうだろうか? 勝利を目前として、その勝利という甘い果実はするりと手から零れ落ちてしまったではないか。

 それも偽の撤退合図を出すという奇策によって……。


 「今回は負けを認めてやる……」


 去り際、悔し気に歯を軋ませる黒太子は、エント・モルモンを睨む。

 正確にはそこに潜んでいるだろう、奇策を指示した人物へと。


 「次は負けん」


 そして捨て去るようにして彼は唸った。

 しかしふと、黒太子は思った。果たして”次”があるのだろうか?

 恐らく、ここに向かって来ているであろうあの娘・・・が、リベンジを果たすチャンスを永遠に奪い取るのではないのだろうか?

 そう考えて、しかし頭を振った。

 今は、己の感情に支配されつつあると、そう自らを律したのだ。


 「ルーダーから主導権をもぎ取ったのだ。あとは、大佐と公爵令嬢殿にご期待だな……」


 黒太子は努めて理性的に、今後の展望へと思考を切り替えた。

 彼には彼の、成すべきことを考えながら……。




――――――――――――――――――――――――――――――――




 「……終わった……」

 「ああ……終わったな、ヒデヒロ……」

 「流石に、もう攻めてはこないよな?」

 「ないと信じたい……」

 「ああ、だな……」


 英弘とカトリーヌは、黒鎧らヌーナ軍が陣地へと撤退したことを確認した。

 陣地内に籠り、防御陣形を敷いた彼らヌーナ軍には再再度の攻撃の意思は見られず、どうやら部隊の再編を図っているようだ。

 そんなヌーナ軍の様子を確認した英弘達の敵は今、ヌーナ軍から脱力感と疲労感へと変貌していた。


 「ブルート、俺の隊をまとめて、いつでも馬に乗れるようにしておいてくれ。勿論、交代で睡眠をとりながらな」

 「隊長は如何なされるのですか?」

 「俺は忠道さんに報告と今後のことを話してくる……行くぞカトリーヌ」

 「ああ……」


 英弘は心に潜む睡魔と何とか戦いつつ、カトリーヌを伴って忠道の下へと向かう。

 足取りは重く、気を抜けはすぐにでも倒れ込んでしまいそうであったが、それでも2人は歩みを進める。そんな中、英弘の1歩後ろを歩くカトリーヌが、英弘へと声を掛けた。


 「ヒデヒロ」

 「うん? 何だ? カトリーヌ」

 「いや、その……さっきはありがとう。助かった」


 それは、先程の戦闘の中で英弘に助けられたことに関する感謝の言葉であった。

 あのまま英弘に助けられなければ、カトリーヌは敵の魔法に焼かれていた可能性があったのだ。そのことに関し、カトリーヌは頬を紅色に染め上げ、感謝の気持ちを伝えたのである。


 「ううん? 何のことだ?」


 ところが、当の英弘はその事実を覚えておらず、真面目な顔で首を傾げていた。

 いくら記憶を辿ろうとも、カトリーヌを助けた事実を思い起こすことが出来ずにいたのだ。そもそも、彼自身その出来事に関しては、カトリーヌを助けたという認識がなかったのだ。

 尤も、カトリーヌがその出来事をつぶさに説明していれば、英弘の反応も変わっていたであろうが。彼女は口下手であった


 「……いや、覚えていないなら、いい。とにかく、ありがとう」

 「うん……まあ、カトリーヌがそれでいいなら……」


 とにかく、カトリーヌは感謝の言葉を述べずにはいられなかった。それに英弘が覚えていないというのなら、それはあの時の行動が無意識的で、本人にとっては当たり前の行動なのだと、そう裏付けられることでもあった。

 そんな英弘の行動が、カトリーヌにとっては好ましく思えたのだ。


 「やあ、2人とも。よくやってくれたね」


 それから少しして、2人は忠道の下へとたどり着いた。

 忠道はホッとした様子で2人を出迎える。

 彼は彼で、敵の罠に嵌ってしまったという自責の念と、それを退けられたという安堵感で一杯だったのだ。


 「英弘君も、よく敵のラッパの符丁を覚えてたね」

 「これでも記憶力はいい方でして」

 「今回は、ヒデヒロのその記憶力に助けられたわけか」


 今回の戦いの功労者は英弘であろうか。

 彼がとっさの判断と記憶を頼りに、ヌーナ軍に混乱を与える一手を繰り出し、それがものの見事に成功したのだから。


 「把握している限りでは、銃弾、火薬の残りは1割未満。魔法も魔力が枯渇寸前でした」

 「こっちも、迫撃砲の弾薬はゼロさ。正直、次に戦いが始まったら負けるかもしれないね」

 「それよりも、今の私達に必要なのは、休息と食事だ」

 「問題は山積みですね……」


 3人が3人とも、疲れた顔で乾いた笑い声をあげる。

 今はそれで精一杯だと言わんばかりに。


 「とにかく、今日は勝った。そこは素直に喜ぼう」


 忠道の言う通り、今回の戦い、パノティアの勝利と見て間違いはない。

 ただ、その代償は大きいのものだったと、誰もが感じていた。

 実際に敗北する寸前まで追い込まれ、弾薬の殆どを消費し、本来の戦力が発揮できない程に消耗したのだ。

 素直に喜びはするものの、安心は出来なかった。


 「敵が未だに陣取っているってことは、増援が来る可能性ありますかね?」

 「そう考えてよさそうだね。こちらも援軍と物資の補給を要請しよう」

 「至急、手配しておきます」

 「それまでに、彼らが大人しくしてくれればいいが……」


 英弘と忠道は物憂い気な視線をヌーナ軍へと向ける。

 拮抗した戦力差で戦いを挑んで来る可能性は低いだろう。ならば敵は、援軍を待って優位な状況に持ってこようとするはずだ。

 その兆候を見逃さず、監視し、自らも戦力の回復と増強に努めなければならない。

 それが今の英弘達に課せられた使命であった。


 「お? 空が白んできた」

 「ああ……もう朝なのか……」


 英弘が視線を向けた先では、太陽が放つ白さと宵の濃紺さが合わさり、見事なグラデーションを彩っていた。

 そんな平和な空の景色を、カトリーヌは眠気眼で見つめる。

 戦いも大事だが、とにかく、今の彼らに必要なのは、睡眠であろう。


 「とにかく、交代で休もうか?」


 忠道の提案に、2人は黙って頷くのであった。


 かくして、エント・モルモンを巡る戦いは終わりを告げた。

 パノティア軍の損害、死者約1千3百人。負傷者約2千人。

 ヌーナ軍の損害、死者約8千人。負傷者約9千人。逃走した兵士約2千人。

 それがエント・モルモンにおける一連の戦いの結果であった。

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