第 14話 聖女と思しき少女。


 ―レリウス歴1589年5月18日朝

  パノティア王国、王都ルナ、王宮の会議室―



 レオナルド・ダ・ヴィンチが仲間になってから3年。この3年でパノティアを取り巻く状況は目まぐるしく変化していった。


 宮廷内においては財務卿や工部卿、法務卿など、各部の重要な人事を正式に決定し、官僚制度を大きく刷新。

 英弘は改革するにあたり、明治政府と普仏戦争前後のドイツを参考にした。

 要するに、貴族制度の見直しや、身分差の無い官僚人事に、公用語の正式制定と学校制度の成立。さらには皆保険制度の導入を見据えた医療制度や、奴隷解放宣言、士農工商等の身分撤廃と職業選択の自由化等々……様々な改革が推し進められたのだ。

 全ては、ナショナリズム国民国家化の為に……。


 そもそも、英弘が提言し、秀吉が推し進めたパノティア王国のナショナリズム化とは……本来ならば王侯貴族専制政治によらない、国民主権によるナショナリズム化でなければ、上手く根付かないものである。

 要は、国家の為に国民があるのであって、国王の為に国民があるのではない。

 国民が国家を愛し、守る為に命がけで戦えるのが、ナショナリズムなのだ。

 専制政治と国民国家は本来、相容れ難いものである。


 しかしそれを、専制政治でありながら国民国家としてまとめる為、英弘はある提案をし、秀吉はそれを実行した。

 それは、王族の”国民宣言”である。

 これは、”国民を統べる国王”という従来の身分関係から、”国民の代表たる国王”という姿勢をとることで、王族も等しく、パノティア王国の国民であることを、英弘はあえて、国内に知らしめたのだ。

 この宣言により、フランケルコ3世を中心としたパノティア王国は、急速にまとまっていくこととなった。

 そして何より、英弘にとってこの宣言の真の狙いは……後世の人々が完全な民主化を願った時、スムーズな立憲君主制への移行を促す、大事な種でもあった。


 だが、これらの改革を進めるにあたって、3つの大きな障害が発生したのだ。

 1つ目は、財政難。

 急激な改革により、人材の確保や登用、各地の学校建設、軍港や常備軍の運用など、莫大な費用が掛かること。

 しかしこれは、内戦で元エリンスケルコ派の貴族から没収した財産や、王族が身銭を切る形で何とかなってはいる。それでもパノティアの財政は火の車だが。


 2つ目は、貴族達の反発。

 急激な改革に、保守的な領地貴族達が反発するのはまだ良い。彼らは説得するか、脅し付けることで大人しくなった。

 問題は、身分制度の改革により、爵位が形骸化した領地を持たない非領地貴族である。事実上、爵位が無意味と化した彼らは財産も手放さざる得ない状況となったうえ、他の”国民”と同列に扱われることになったのだ。

 彼らによるテロまがいの抗議に、秀吉は大いに頭を悩ませていた。


 3つ目は、他国からの侵略。

 急激な改革で生じた混乱に乗じ、ヌーナ、バルバラが侵攻してきたのだ。

 パノティアの内戦勃発当時、ヌーナ・バルバラ間では戦闘が激化していた。そこでパノティアが内戦を始めたことにより、それまで散発的だったパノティアへの侵攻が、大々的に計画されたのだ。

 ヌーナ、バルバラ両国は当初、この内戦が5年以上は続くだろうと予想していた。だが、内戦がたった1年で終結したことに両国は慌て、続く改革の混乱を狙って侵攻を開始したのである。


 ヌーナの攻勢は、北部の貴族軍が善戦し、これを押しとどめているが、バルバラには国内の侵入を許してしまった。

 盗られた領土を取り戻すべく、パノティアは王国陸軍や海軍を投入しての反攻作戦を展開してきた。

 その中でも役に立ったのが、レオナルドの作った数々の兵器や道具であろう。

 かつて、トーマス・アルバ・エジソンがギフトとして生み出した、魔石を使った発明品を、その設計図と英弘らギフトの知識を借りて再現してみせたのだ。

 電話機、電信機等、様々な道具を、いとも容易く。


 これらの改革、革新があってこそ、今のパノティア王国は精強な軍隊を保持する最も進んだ国家として、新たに生まれ変わったのだ。

 だからこそ、彼らギフトは、悩みこそすれ慌てるような状況に陥らなかった。

 今も淡々と、対ヌーナ、バルバラ戦に向けての会議が行われているのである。


 「エント・グラートは、忠道と英弘に任せる」

 『ハッ』

 「オキデンス海に集結しておるヌーナの水軍は、ハルゼー、お主に任せた」

 「あいよ! ヌーニーヌーナ人共のナニを縮み上がらせてやるぜ!」

 「レオナルドには、飛行機とやらの開発を進めよ」

 「任せなさいな」

 「うむ。で、儂は、先にメティス川まで進発したアンリと合流を――」

 『き、キルク殿はいらっしゃいますでしょうか?』


 ギフト会議も終わりに差し迫ったその時。扉を叩く音と、鈴の音のような、しかしどこか震えた声が、扉越しに聞こえてきた。

 英弘の明るい茶髪が、傾げた首と共に小気味よく揺れる。そして、幼さと精悍さの両立するその表情に、クエスチョンマークが浮かんだ。


 「うん? 陛下、席を外しても?」

 「かまわん。もうすぐ終いじゃし、行ってよい」

 「はい」


 英弘は席を立った。構わず続けられた会議を尻目に、彼は部屋を出ると、声の主と対面する。


 「ご、ごきげんよう、キルク殿……」

 「えーっと……ご機嫌麗しゅう、ミリア殿下」


 17歳となった英弘は、自身より頭一つ分小さい美少女、ミリアとぎこちない挨拶を交わした。この1歳年下の少女は自らの胸を隠しつつ、1歩2歩と後退りする。

 心なしか、ミリアの傍に控える侍女の顔付もかなり険しい。

 ああ、俺、ミリアに嫌われてるな……、と英弘は悟った。胸を凝視しながら。

 初めて会った時から今まで、英弘はミリアと会う度に、その胸へと熱い視線を送っていたからだ。

 本人としては、ミリアの発育・・の観察が目的であったが、当のミリアとしては大変迷惑なことである。


 「大事なお話のところ申し訳ないのだけれど貴方にお客様よ」

 「私にですか?」

 「ええ、応接間で待たせているからお行きなさい」

 「あ、はい。わざわざどうも……」


 口早で、捲くし立てる様にミリアは用件を話した。やや気の強い一面を持つミリアは、英弘と話をする際、上下関係を意識した強い口調で物を言う。王族とその臣下という立場が、彼女に上下関係を意識させたのだ。

 本音のところは、ミリアも下らないことで垣根なく英弘と話がしたいと、常日頃から思ってはいたが……。

 そんな、いつも何かしらの用件を伝えに来てくれるミリアに対して英弘は、王族も案外暇なんだなあ、と頓珍漢な感想を抱く。

 人の気持ちとは中々伝わらないものである。


 「では、私はその客人に会って参りますので、これで……」


 と、英弘がその場を去ろうとした時だった。


 「あ、そうだ。相手はギフトと名乗っていたわ」


 ミリアからの思わぬ発言により、英弘の目は大きく見開かれる。

 そのままミリアをジッと見据え、その目で真偽を問うた。


 「だ、だから、ギフトのことは貴方に伝えなくちゃと思って、わ、私がわざわざ来てあげたのよ! か、感謝なさい!」


 どうやら本当のことみたいだ……。そっぽを向いて語るミリアに、英弘はそう判断した。

 ギフトに関する情報の一切は、秀吉から英弘に一任されたもので、それを知っていたミリアが気を利かせて英弘を呼んだのだろう。

 そう確信した英弘は、相好を崩して感謝の意を示した。


 「ありがとうございます! ミリア殿下!」

 「ふ、ふん! さっさとお行きなさいよ!」

 「はい! 失礼いたします!」


 こうして英弘は、やや顔を赤らめつつ、そっぽを向くミリアを尻目に、件の客人ギフトのもとへと足早に向かったのだった。

 



――――――――――――――――――――――――――――――――




 「ここにギフトが?」

 「はい。この部屋でお待ちいただいております」

 「そうか。ご苦労さん」


 廊下をある程度進んだ英弘。彼は扉の前に立つ監視役の近衛兵と一言二言やり取りしつつ、一つ深呼吸をしてからドアノブを握り、開ける。

 そして、椅子に腰かけていた人物と向かい合った。


 「お待たせいたしました。私がギフト担当のキルク・セロと申します。ネーム前世の名は坂本英弘……ギフトです」

 「貴方もギフトなのか……私はカトリーヌだ」


 件のギフトは、女性だった。それも、英弘と同じくらいの歳の美少女。

 カトリーヌと名乗ったその少女は、金髪をポニーテールに纏め、服はチュニクとボディス姿であった。

 やや気の強そうな眼は、その碧い瞳と相まって冷たい印象を与える。

 だが、そんなことよりも英弘にとって重要な部分があった。

 言わずもがなであるが、あえて記す。

 それは胸であることを。


 「……お前、初対面の女性の胸を凝視して失礼だとは思わないのか?」

 「いや……今まで見てきた中でも、1、2を争う程のいいオッパイだったから、つい……ぐふふ」

 「なんて迷惑な奴なんだ……」


 カトリーヌは呆れていた。目の前の快活そうな青年は、視線のありかを咎められて尚、鼻の下を伸ばして凝視してきたのだ。

 当然、カトリーヌの両腕は胸を隠す為に腕組を強いられた。


 「う~ん……Dカップ。それも釣り鐘型か……素晴らしい」

 「帰っていいか?」

 「あ、いや、ゴメン。で? 何の話だっけ?」

 「……はあ……」


 疲れた様子のカトリーヌ。そんな彼女の疲れの原因である英弘は、今度は相手の目を見て用件を促す。

 ギフトがここに来たおおよその理由も、見当がついていたが。


 「仕官しに来た。ここの王様もギフトなんだろう? その王様がギフトを集めていると聞いた。だから、私も仕官しに来たんだ」

 「成程ね……仕官はいいが、まずは君のことを教えてくれ。ネーム前世の名とか」

 「……私のネーム前世の名も……カトリーヌだ」

 「ほう……今の名前もカトリーヌで、ネーム前世の名もカトリーヌだと?」

 「そうだ」

 「そりゃ凄い偶然だな」

 「……」


 ここにきて、英弘の目に疑いと警戒の色が浮かび上がってきた。

 ネーム前世の名とこの世界での名前が、一致しているなんて、ありえなくはないが、ありえない。ネーム前世の名を言いたくないだけか、或いは言えない事情があるのだろう。というのが、英弘の今現在の判断だった。

 いずれにせよ、この女、何か隠しているかもしれないな……。

 そんな疑いの念を抱きつつ、努めて笑顔を維持しつつ続きを促した。


 「まあ、それはいいとして……前世ではどの国にいたんだ?」

 「……フランスだ」


 どことなく言いにくそうなカトリーヌに、英弘の警戒心は更に高まる。


 「何世紀頃のフランスだ? 当時の元首は?」

 「15世紀頃で……シャルル7世の時代だった」

 「シャルル7世ね……」


 英弘の脳内を、情報が駆け巡った。カトリーヌから得た少ない情報を元に、彼女の前世での正体を暴こうとしたのだ。

 15世紀のフランスに生き、シャルル7世の治世を過ごした女性……。

 そして、それが偉人だったならば?

 英弘は、ある答えに辿り着いた。


 「……アンタ、もしかして……ラ・ピュセル・ドルレアンオルレアンの乙女か?」


 その瞬間、カトリーヌの表情が激変した。それまで訝し気でありながらも冷静だったその美しい相貌は、驚愕と嫌気に彩られていたのだ。

 まさか、あれだけの情報で、個人を特定できるとは、カトリーヌにとって思いもよらないことであった。

 ともあれ、英弘にとってその反応は、彼に確信を抱かせるのに十分過ぎたのだ。


 「やっぱりか! じゃあアンタの本当のネーム前世の名は、ジャン――」

 「やめろっ!!」


 怒号、そして静寂へ。

 カトリーヌの叫び声に面食らった英弘は、唖然と目の前の少女を見つめる。

 途端、背後の扉が開かれた。


 「如何ないさいましたか?」


 部屋に入って来たのは、室外で待機していた近衛兵だった。彼は腰に帯びた剣の柄を握りつつ、警戒の眼差しでカトリーヌを凝視するが、しかし英弘は、今にも剣を抜き放ちそうな近衛兵を手で制した。


 「いや、問題ない。任務ご苦労。下がってくれ」

 「……ハッ。失礼致しました」


 英弘に退出を促され、しかし警戒の気配を醸しだしたまま近衛兵は退出した。

 そんな一連のやり取りの中でカトリーヌは、手を組み、やや俯き加減で瞼をきつく閉じていた。それは、例えるなら祈るような格好であろう。


 「やめてくれ……その名で呼ばないでくれ……違うんだ……」


 カトリーヌはただ、懺悔するかのようにかすれた声で否定していた。


 「あー……その、ゴメン。もう無理には聞かないからさ」

 「……ああ」


 本来なら、無理にでも聞かなければならないのかもしれない。

 だが、英弘にはそれが出来なかった。

 俯き、手を組んだカトリーヌは、最早何かを隠しているというよりも正体を明かしたくないのだと、そう思えたのだ。

 ジャンヌ・ダルクの前世での最期を思えば、彼女が自身の名を隠したがるのも無理からぬことだと、英弘は思い至った。だから彼女は”カトリーヌ”というの|名前(ネーム)を使っているのだろう。


 「とにかく、私のネーム前世の名はカトリーヌなんだ……そう呼んでくれ」

 「分かったよ……カトリーヌ」


 一先ず、英弘はそれで納得することにした。

 とはいえ、カトリーヌの様子からその正体はほぼ確実に判明したのだ。

 ジャンヌ・ダルク……百年戦争末期に活躍した伝説の聖女。

 神の声を聞き、オルレアンを解放し、当時の王太子シャルルをフランスの王位に就かせることとなった偉人。その人なのだ。


 「話は変わるけど……」


 そんな偉人との間に、妙で気まずい空気が流れている現状を打開せんと、英弘は話題を変えた。


 「この世界で生まれ変わってから、今まで何をしてきたんだ?」


 英弘による会話の舵取りの変化を、カトリーヌは有り難く受け入れた。

 彼女は組んでいた手をようやく解き、話し始める。


 「あ、ああ……私は南部の貧しい村で農民の子として生まれたんだ」

 「てことは、剣を振るったり、馬に乗ったりっていうのは……」

 「いや……それは出来た。空いた時間で、その……素振りをしたり、村の農耕馬で騎乗の練習をしたりしていたんだ」

 「ほう、そりゃ素晴らしい」


 ということは、前世の経歴を鑑みても十分に戦力に慣れそうだと、英弘は見積もった。

 前世でのジャンヌ・ダルクといえば、剣を振るよりも、旗を掲げて兵士を導く印象が英弘には強い。その点についても、かの聖女に期待するところ大であったが、剣や馬の扱いに心得があるというのなら、これ程歓迎できることはないだろう。


 「農村で暮らしていたカトリーヌが、仕官にやって来た理由は……やっぱり金銭的な理由で?」

 「ああ……恥ずかしい話だが、さっきも言った通り、私の村は貧しいんだ。痩せた土地で、いくら畑仕事をしても実りが少ない。それなのに領主は重い税を徴集してくる……」

 「あ、悪い。取り締まっとくわ」

 「あ、いや、お前に、えっと……」

 「英弘だ」

 「ヒデヒロに、非があるとは思っていない」


 言いにくそうに顔をしかめるカトリーヌに、英弘は口惜しさを感じていた。

 国の為に推し進めた改革が、まだまだ末端まで行き届いていなかったことを痛感したのだ。


 「でも、やはり村の……家族の生活の為を想うと、いてもたってもいられなくてな……だから、ギフトとして仕官して、家族に仕送しようと思ったんだ」

 「そうか……」


 溜息のような呟きを、英弘は漏らす。

 一通り話を聞き終え、カトリーヌが家族を想って仕官を望んだのだと知り、彼女の高潔さの一端を垣間見た。

 これが聖女である所以なのだと、英弘は深く理解したのだ。


 「よし!」

 「ヒデヒロ?」

 「紹介するよ。他のギフトを」


 立ち上がり、そう言い放った英弘に、カトリーヌは数回ぱちくりと瞬きをすると、すぐに真剣な面持ちで頷いた。

 そして英弘は、カトリーヌを伴って秀吉達のいる会議室へと向かうことにした。

 王国の一官僚としては、カトリーヌがなぜネーム前世の名を偽るのかが分からない以上、安易に信用すべきではないだろう。だが、英弘個人としては、彼女の言葉は信用できるだろうし、信用したいのが本音だった。

 その結果、考え付いた解決策が、英弘自身の部下として自ら管理監督するのが正解だろうと、そういう判断である。


 そして何より、この聖女を……ジャンヌ・ダルクを味方に得られたことで、英弘は頼もしさを感じていた。

 彼女の行動力が、決断力が、きっと我々に勇気と勝利をもたらすだろう。

 偉人としてのジャンヌ・ダルクを知る英弘は、そう確信していた。




――――――――――――――――――――――――――――――――




 ―レリウス歴1589年6月15日朝

  パノティア王国、王都ルナ、王宮のサロン―



 「――と、言うわけなんだよ」

 「ふむ。成程……ヒデヒロも苦労してきたんだな」

 「わかってくれるか?」

 「ああ」


 長い話だった。この17年間の……とりわけ7年前から今に至るまでの出来事を、英弘はかいつまんで話したのだ。

 カトリーヌへの心証や、評価については上手くぼかしつつ、他のギフトとの出会いを語り聞かせ、これまでの苦労に理解を示してくれたことを英弘は喜ぶ。


 「だからといって女性の胸を凝視するのはやめろ」

 「えー? 俺の趣味にケチつける気か?」

 「もっと健全な趣味はないのか……」


 だがカトリーヌの表情は冷ややかだった。それも無理からぬことで、英弘の悪癖に遭った女性の心障を思うと、その部下であるカトリーヌ自身がいたたまれない気持ちになるのだ。


 「それにしても、皆後世に名を残す偉人だったんだな……」

 「皆はそうだけど、俺は偉業だの業績だのなんて大層なもの、残せないような凡人だったけどな」

 「ギフトは、必ずしも偉人の生まれ変わりというわけではないのか?」

 「俺の知っているギフトは、俺以外全員、偉人だ」

 「……私は……」

 「あー、俺とカトリーヌ意外な」


 うっかり地雷を踏んでしまったな、と慌てつつ英弘は訂正した。

 表情に影を作り、顔を背けたカトリーヌは、今も自身の正体について、否定的な感情を抱いているように見受けられる。

 それほどまで正体を明かしたくないのか……、英弘にそう思わせる程に、カトリーヌの態度は頑なだった。


 「…………」

 「…………」


 気まずい空間が、2人の間に形成されていく。

 喧嘩した新婚夫婦の如く、2人はお互いにどう声をかければいいのか思い悩んでいた。

 しかし実際には、英弘は、何かウェットに富んだジョークでも披露するべきか? と悩んでいたし、カトリーヌは他に話題がないものかと思考を巡らせていたのだ。

 ただ2人のその努力が、次の瞬間全くの無に帰すこととなったが。


 「やっと見つけた……隊長!」

 「お、おお!! どうしたセバスチャン?」


 それは、英弘の部下で、カトリーヌと同じ独立騎兵隊の兵士がやってきたからだ。

 これ幸いにと英弘は立ち上がり、その部下の要件を聞き出す。心なしか、カトリーヌもほっとした様子だった。


 「そいつは?」


 問われたセバスチャンという部下は、自身の後方に立たせた、まだまだあどけない中性的な少年を前へと押しやる。


 「部隊の新しい兵士です。ほら、自己紹介」

 「は、初めまして! 僕……自分は、オレットといいます!」

 「ん。俺が隊長のキルクだ。よろしくな!」

 「私はカトリーヌだ。よろしく頼む」

 「はい! よろしくお願いします!」


 そういえば、新人が来るんだったな、と英弘は思い出す。

 独立騎兵隊として3百人の部下を指揮するようになった英弘としては、その部下の把握に努めるのも大事な役割なのだ。


 「それと、ポーラット忠道将軍が呼んでおられましたよ。多分、今度の戦いの作戦会議かと」

 「ん。了解……じゃあ行くか、カトリーヌ」

 「ああ」


 連絡を受けた英弘は、カトリーヌを伴ってサロンを後にした。

 次なる戦いの為に英弘は赴かねばならない。次も生き残れる保証はない。

 だが英弘には心強い味方がいた。

 半歩分後ろを付いてくるカトリーヌをチラリと伺えば、美しくも凛々しい顔付きから力強い瞳が帰ってくる。

 今は、彼女の過去にとらわれることはない。彼女を信頼し、信頼を得て戦うだけ。

 そして、カトリーヌが自ら正体を告白してくれるのを待てばいい。

 それがいつになるのかは分からないが、英弘は気長に待とうと新たに決めたのだった。

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