第4.5話 英弘の論文


          女性の乳房についての存在意義と必要性

             −男女による認識と相違−


                坂本 英弘

         (東京大学 政治経済学部 経済物理学科)


1.はじめに

 本稿では男性による女性の乳房への関心、及び夢と希望についてと、女性自身による自己評価と認識、そして様々な利害について述べるものである。

 まず、結論から簡潔に説明すると、以下の3点に要約される。

 1・乳房は女性の象徴であるとともに、男性にとって憧憬の象徴。

 2・女性にとっても性的アピールではあるものの、個人によってはコンプレックスでもある。

 3・男性はにとって乳房はその大小に拘わらず肯定的であり、否定されることは稀である。

 何故上記の3点に結論づけられたのかを、次項にて述べたい。


2.要約の解説

 前項では乳房について3点に要約されたが、本項においてその説明を果たす。

 まず、前提として乳房そのものについての説明を行う。乳房とは、哺乳類の雌が持つ授乳器官であり生物として種の存続に必要不可欠なものであるとともに、女性であることの象徴的な部位であり、俗にいう”おっぱい”である。

 ”女性であることの象徴”と書けば、「小さければ女性ではないのか?」とやや差別的な捉え方もされてしまうが、何も見た目で男女差を談ずるという意味ではなく、女性にとって容易に晒すことのできない、ある種の神聖なテリトリーのそれであり、男性が憧れと性的な興奮を覚える対象でもある。

 有史以前よりも、時代によるが女性は乳房を容易に晒すことはなく、それを露出させることによる恥じらいが性的アピール及び、男性の性的興奮を高めてきた。

 動物学者、デズモンド・モリス氏著、『裸のサル』に書かれている説によれば、ヒト種として二足歩行に進化するより以前、四足歩行の際には赤く大きな臀部が性的アピールとされてきたが、二足歩行と直立姿勢を獲得した際に臀部が目立たなくなり、代替として乳房が大きくなる種が出現し生き残ったのが現在のヒト種ではないか、と仮説されている。


 以上をもって、ここで前項に挙げた要約の1について説明すると、この女性の象徴である乳房は、本能的な女性にとっての性的アピールであるにも拘わらず、理性的に人として恥じらうことによりある種神聖なものとされ、男性にとって本能的な性的興奮と理性的な憧憬を覚えることとなった。

 男性は、女性の性的アピールである乳房の存在を確認することにより本能的に性的な興奮と欲求を覚え、子孫を残さんとするため生理的変化を起こし、理性的には女性が性的アピールである乳房を隠し、その露出に対して恥じらう姿に男性はある種のフェチズムを感じ、理性的な思考の元、様々な想像を行うのである。


 次に、要約の2について説明していきたい。

 男性にとっての乳房は一方的な性的興奮と憧憬の対象として認識しているが、当の女性の認識はどうか、という点について述べる。

 女性にとって性的アピールである乳房とは生物学上、進化の過程において自然と発達してきたものであり、性的アピールであることに関しては女性自身無意識的なものと言わざるを得ない。

 そもそも乳房とは自らの子孫である赤ん坊へと栄養を与えるための器官である。

 性的アピールという点で言えば、この搾乳する器官が大きい程より確実に子孫を残せる、という本能そのものが性的アピールと言えよう。

 では女性自身の乳房についての認識はどうか、という点だが、それは女性個々人の感情に左右されている。

 男性からの性的な視線を受けて嫌悪感を感じる者がいれば逆にそれに対して優越感(極々稀にその視線に対して性的興奮を覚える)者もいるし、乳房が大きいことで、或いは小さいことでコンプレックスを感じる者もいる。

 前述の通り男性からの性的な視線を受けて嫌悪感を感じやすいのは、乳房の大きい女性の方が割合的に多く、また乳房が大きいことで肩が凝る等の身体的苦痛を感じることが多い。

 乳房が大きいことの患難について私自身も体験してみた。

 実験としては極簡単なもので、バストサイズFカップ相当である800gの粘土を二つ用意し、それをサランラップで胸部と肩と首に巻いて固定して一日を過ごした。実験開始から早くも30分程で首、肩、背中、腰に疲労感を覚え、その状態で野外を1時間程歩行すると乳房に見立てた粘土が歩調に合わせて揺れ、やや歩き難く、さらに二つで1600gの粘土の重みで姿勢が前傾となった。

 一日の実験の後に粘土を取り外すと、翌日には首、肩、背中、腰がやや筋肉痛になり、乳房の大きな女性の患難を大いに理解することができた。

 乳房の大きな女性は成長と共に乳房を支える筋肉も発達し、上記の実験において筆者が感じた疲労感もある程度は緩和されるものと思われる。

 しかしながら乳房の大きな女性は、取り外すことの出来ない乳房を生涯に掛けて抱えることとなり、男性からの性的な視線も受けることでその苦労は推し量ることが困難であり、それがコンプレックスの原因でもある。

 また乳房の小さい女性に関しても、小さいことそれ自体にコンプレックスを感じる者もおり、噂や迷信からなる豊胸術を行う女性もいれば、手術というより確実性のある手段によりコンプレックスを克服しようとする女性もいる。

 以上のことから女性にとって乳房とは、本能的な性的アピールであること以上に身体的、精神的なコンプレックスであり、個々人が自身の乳房に対して多少の不満を抱える物でもある。しかし中には、自身の乳房に対して大きさに拘わらず自信と満足感を持つ女性がいることも確かである。


 さて、これまでの説明で要約1は男性の本能と感情に重きをおいた説明をし、要約2では女性自身の乳房の認識について説明してきた。その上で要約の3について説明していきたい。

 要約の3では男性の理性的で、ある種の冷静な判断と見識で女性の乳房に対する一般的で平均的な見解と解釈を述べる。

 男性は理性的な意識の中では女性の乳房に対し、好みとそのあり方についての価値観を個々人がそれぞれ持ち得ていると言える。

 論ぜられるのは大きく分けて次の2点で、乳房の大きさ、乳房の形である。

 乳房の大きさは、乳房のトップバストからアンダーバストの周囲数値を差し引いた数値から各カップサイズへと置き換えられ、アルファベットのAから表示されるが、これの大小の好みが実に様々であり、女性自身の悲喜こもごもな感情とは裏腹に男性観で論じられるところがある。

 乳房の大きさは女性ホルモンの一つ、エストロゲンの働きによると考えられ、このホルモンが多く分泌されるとより大きな乳房へと発育すると考えれている。

 次に乳房の形についてだが、これについても様々な種類があることを述べたい。

 乳房の形としては次の9種類である。

 1・お椀型…日本人に多く、半球よりやや潰れたハリのある形。

 2・釣鐘型…乳房の乳首から下の脂肪が豊富で欧米に多く形の良い乳房。

 3・半球型…全体的にバランスの取れた脂肪の付き方で見た目が良い。

 4・皿形…トップとアンダーの差があまりなく、所謂貧乳。

 5・雫型…雫が落ちたような形で、乳房の大きな日本人に多い。

 6・三角型…お椀型の女性が加齢と共になる形。

 7・円錐型…乳首が前方に突き出た形の乳房で欧米人に多く、ハリがある。

 8・山羊型…円錐型の乳房が垂れるか、乳腺が少ない為に乳首が下を向く形。

 9・下垂型…三角型の女性がさらに加齢し、40〜50代でなる形。

 女性の中には乳房の形に気を使う者もいるが、男性は言うに及ばず、女性の乳房の形を気にする傾向にある。

 ただ、乳房の形は女性の意思や生活習慣で変化するものではなく、遺伝や人種によってある程度決まってしまうのが現実であり、こればかりは男性にもどうしようもないことなのである。

 そしてこれら男性の乳房に対する好みに千差万別であれど、真っ向から否定して嫌悪感を抱く者は極稀である。

 そもそも男性は、女性の乳房に対する好みを論ずれど実際に恋人や妻を選ぶ際に、それそのものを基準にして選ぶようなことは殆どの場合、あり得ない。

 と言うのも、意中の女性がいたとして、その女性の乳房の大きさや形が理想と好みから大きく離れていても肯定的に受け入れるのである。

 そこが乳房を否定的に扱わないことの原因であり、乳房を乳房として受け入れる男性の心理でもある。

 本稿作成にあたり協力してくれた男性との討論において最終的に、「おっぱい(乳房)ならなんでもいい」との発言があった。

 つまるところ、男性としては女性の性的アピールであり、恥じらいを持って隠そうとする女性の乳房に、本能的で性的な興奮以上にその存在そのものを肯定し、愛でるものである。


3.結論

 本稿のはじめに述べたように、男性にとって女性の乳房とは憧憬の象徴であり、女性にとって乳房とはコンプレックスでもあり、性的アピールでもある。

 そして男性にとって乳房とは、個々人の好みの差異は有れども簡単に否定されるようなものではなく、本能的には性の象徴であり理性的にはある種の神聖な領域なので、容易に見ること直接見ることが出来ない存在でもある。

 容易に直接見ることが出来ないからこそ、男性は女性の服装の上からその乳房の形や大きさを想像し、思いを馳せることである種の理性的な性の欲求を満たす。

 それは、男性にとって自分に無いものへの憧憬以外の何ものでも無い。


 終わりに、蛇足ながら私自身の乳房の好みを述べたいと思う。

 私は乳房の大きさと形に強いこだわりを持たず、幅広い種類の乳房に愛情を持つと自負しているが、強いて好みを述べるならば、私はDカップで釣鐘型の乳房が好みである。

 と言うのも、私はとあるサービスを施してくれる店に通い(時には海外まで出向した)、様々な大きさや形の乳房に触れてきたが、その中で一番感触が良いと感じたのがDカップの釣鐘型だった。

 Dカップは丁度手のひらに収まる大きさで、釣鐘型であるとなお下から包み込みやすく、自然な形で手のひらに収まるのだ。

 大き過ぎず小さ過ぎず、包み込んでいるようで包み込まれているような感覚が味わえる大きさと形、それが私にとっての好みである。

 本稿を読まれた諸賢には是非とも自らの好みを模索していただきたい。


The significance and necessity of existence of women's chest

- Male and female recognition and differences -

Hidehiro Sakamoto.

Department of Physically Economics, Faculty of Political Economy, The University of Tokyo








〜高島田教授からのコメント〜

 経済的なことが一切書かれていませんし全く関係ない論文ですが、よく出来ていて好きですよ、私は。私はもう少し大ぶりのおっぱいが好きです。評価と合わせて私の好みを書いておきますね。


〜評価:F

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