第4話 さようなら坂本英弘。こんにちはキルク・セロ


 人はどういった状況で恐怖を感じるだろうか?

 ホラー映画を見た時や上司に怒られた時だろうか?

 それとも、大事な人や物を失う時?

 或いは妻に浮気がバレた時だろうか?

 人それぞれであるだろうが、万人が共通するモノがある。

 それは、死に直面した時だ。


 病に臥して死を待つ恐怖。

 四方を敵に囲まれ、殺される恐怖。

 絞首台に立たされ、今まさに処刑されようとしている恐怖。

 死は、恐怖に直結するのだ。



 ―西暦2029年10月5日正午

  太平洋、ハワイ沖上空―



 彼はまさに、その死の恐怖に心が支配されていた。左の主翼が半壊し、けたたましく警報が鳴り、切迫感の籠ったアナウンスが鳴り響く機内で……。

 つまり、旅客機の中でだ。


 「なんで……なんでだよ、クソッ!」


 彼は――坂本英弘は、座席に座って体を丸め、身を守っていた。

 両手で頭を抱え、悪態を吐きながら必死に身を守る。

 もっとも、仮に航空機が墜落した場合、何の役にも立たない格好だが。


 「頼むから、生きて返してくれっ……!」


 何度目になるかわからない祈りの言葉。

 騒然とする機内で、すぐに掻き消えてしまう程のか細い声だ。

 そんな、誰にも聞かせるわけでもない祈りを発しつつ、英弘は自身の不幸を呪う。


 彼はただの学者だった。

 経済と社会体制の結び付きを研究する学者だった。

 30歳を超えて、バイトと大学教授の助手を務めながら、やっとの思いで書き上げた新しい社会体制に関する論文を、アメリカはシカゴの学会で発表したのだ。


 『国民と国家による相互経済管理体制』


 そう題された論文は、しかし学会でこれ以上無い程に酷評された。曰く、「矛盾だらけ」「理想論」「子供騙し」等々。当然、論文を書いた本人英弘は大いに落胆した。

 落胆した帰りの便が、今の旅客機なのである。

 エンジンのトラブルによる、墜落の危機であった。


 「こんなことなら、論文なんて書かなきゃ……」


 書かなきゃよかった。そう心の中で続けながら、英弘は足元に転がる鞄を――厳密には、その中にある論文の存在を恨んだ……その時だった。


 「っ!!? ぅっぅううおおおおおお!!」


 左主翼のエンジンが突如爆発。直後、錐揉み回転を始める旅客機。

 急激な運動に耐えられない機体の外壁が、瞬く間にはがれていき、外の景色が……空の青と海の青が交互に視界へと映る。


 「あああああああああ!!」


 彼は叫んだ。叫んでも意味がないことも理解できずに。そして後悔した。人生のやり残したことについて。

 結婚したかったし、一流の学者として認められたかった。

 大好きな偉人の研究や、オッパイに関する研究もしたかった。

 それらはもう叶うことがないと、理解できずに。


 午後12時39分。

 英弘を乗せた旅客機は太平洋の真ん中に墜落した。

 享年、30歳であった。




――――――――――――――――――――――――――――――――




 ―レリウス歴・・・・・1577年10月4日昼

  パノティア王国、王都ルナ、セロ家の庭―



 英弘は悩んでいた。それも深刻な悩みだ。

 5年前、地球とは違う世界・・・・・・・・で、キルク・セロとして再び生を受けたのはいい。所謂、”転生”という奴だろう。そんなもの、5年も経てばどうでもよくなる。

 3歳の時に母を亡くし、4歳の頃に弟を亡くしたのはどうしようもない。前世で言えば、16世後半くらいの文化レベルなのだ。死亡率の高さは如何ともしがたい。

 近衛兵として王宮に仕える厳しい父親から、スパルタな教育を施されるのは、むしろありがたいことだ。習うということは楽しい。

 剣術や槍術、弓術等の武芸に加え、パノティア語のみならず、ヌーナ語、バルバラ語、ゴンドワナ語等の言語や、歴史や算数を習うのはいい暇つぶしになる。

 だがどうしても、英弘にとって悩ましいことがあった。


 「どうしてバロック調というか、中近世の女性の服は体の線が分かり難いんだ? これじゃオッパイの観察がし辛いじゃないか……」


 それはすなわち、自身の趣味オッパイの観察が出来ないことだ。

 広くない庭の生垣から頭を出し、道行く女性の胸を観察するのが、今の彼の日課である。が、ブラジャーもない、ダボついた衣服を身に纏っているお陰でハッキリとした形が分かり難い。

 このことが後に、彼をブラジャー開発へと決意させた原因である。

 前世では、30歳になっても続けた趣味・・で幾度となく通報されたが、それも今となってはいい思い出。

 だがしかし! キルク・セロとして生まれ変わった現在、鼻の下を伸ばしても許される年なのだ!

 今も愛想のいい妙齢の女性が手を振ってくれている。


 「キルク!」


 背後から子供の声が聞こえて来た。

 英弘が振り返ると、そこには現在・・の彼とよく似た男の子が英弘を睨んでいる。


 「撒き割り手伝ってくれって言っただろ!」

 「ごめん、セルク兄! 今行く!」


 子供は、英弘……キルク・セロの兄、セルク・セロだった。

 英弘の3歳年上のセルクは明るい茶髪で、髪と同じ色の瞳を持つ少年だ。癖ッ毛であることを除けばよく似た兄弟であるし、仲が良いと近所でも評判の兄弟だ。

 兄であるセルクに呼ばれ、英弘は小さめの斧を手にしたセルクを手伝う。

 家の仕事は子供の仕事なのだ。


 英弘は悩んでいた。

 だがそれは、彼の趣味に関することであって、決して前世の記憶を持ったまま生まれて来たことではない。

 確かに、生まれ変わった直後は大いに悩んだし、戸惑った。

 しかしそれでも、英弘は”キルク・セロ”としての人生を受け入れたのだ。

 今さら自身の秘密について、父や兄に教えることは無いだろう。

 英弘はそう考えていた。


 この日までは。




――――――――――――――――――――――――――――――――




 夜になれば、父、アルク・セロが帰宅する。濃い茶色の髪を短く切り揃え、よく引き締まった体の現在の父親だ。

 親子3人で食卓を囲み、父からの厳しい剣術の稽古を受け、そして座学の為に再びテーブルへと席に着く。

 英弘とセルクが並んで座り、その向かいにアルクが立つ。それがいつもの授業風景だ。


 「魔法については先日教えたから、今日は魔石について説明しようと思う」


 そう言うなり、アルクは水晶のような、大きさも形も色も様々な石を机に並べる。

 だが、「魔石について」と言ったことからこれらは全て、魔石なのだろうと英弘は予想した。


 「これは”魔石”と言ってな……いくつかここに並べたが……そもそも魔石とは何か分かるか?」

 「知っています父上! 魔力がない人でも魔法が使えるようになる石です!」

 「その通りだセルク」

 「フフーン!」


 どうだ! と言わんばかりに英弘を見るセルク。

 英弘としては、兄からしたり・・・顔を向けられて黙っていられない。

 英弘はアルクに期待と挑戦の眼差しを送り、アルクもそれに応えた。


 「ではキルク。何故魔法が使えるようになるのか、分かるか?」

 「えーっと……魔石には、魔力が溜まっているからですか?」

 「溜まった魔力が、人にどう影響する?」

 「あーっと、それが人の体に流れるから、魔法が使える……ですか?」

 「うむ、そう言うことだ。そもそも――」


 アルクは具体的な説明を始めた。


 魔力とは、この世界におけるエネルギーの一種であり、多少の差は有れど、万物のあらゆるものに備わっているとされている。

 人類は長い年月をかけ、魔力を自在に扱う術を研究し、やがて”魔法”という体系で確立させたのだ。

 そしてそれを補助するのに役立つとされているのが、普通の鉱石よりも多量の魔力を溜める”魔石”である。

 魔石に溜められた魔力は、人や他の魔石に流れ込みやすく、逆に人から魔石に流れ込みやすい性質を持っていた。

 故に人は、魔石を非常時に魔力を補う為の道具として扱ってきたのである。


 「だから魔法兵や、代々に渡って魔法が使える家系などでは、こうして魔石をいくつか持っていたりする」


 アルクは机に置かれた小粒の魔石を1つ摘まみ上げると、それをプラプラと振る。

 父の説明を聞いていた英弘は、前世で似た存在があったことを思い出していた。

 まるで、”電池”みたいだ、と。

 予備の魔力を魔石に溜めて置き、必要とあらばその魔力を使用する。

 差し詰め、魔力版の電池と言えよう。


 「魔石の使い方は他にもある。例えば、ハンマーなどで強い衝撃を与えると、爆発する」

 『えっ!』


 兄弟は揃って身を退いた。父がプラプラと振っている魔石が、ひょっとすると爆発するかもしれないのだ。

 頼むからそんな恐ろしいものを弄ばないでくれ。

 英弘はそう目で訴えかけるも、アルクはどこ吹く風だ。ハラハラして仕方ない。


 「後は魔石同士を近づけると、極々小さなが生まれる」


 尚もアルクは説明を続ける。

 右手で持っていた魔石に、もう片手で魔石を持ち、それらをそっと近づけた。

 するとどうだろうか? 魔石同士が接触する前にバチバチと小さな紫電を放ったのだ。


 「だから魔石同士をくっ付けておくと、火事の原因になるから、取り扱いにはくれぐれも注意すること。分かったか?」


 英弘とセルクはコクコクと懸命に頷く。

 爆発する上に放電するとなれば、それはもう危険物であることに外ならない。

 だがこの時、兄弟の感情は明確に違っていた。

 英弘は主に、放電する性質を何かに利用できないだろうか? もしそれが叶えば、16世紀頃と同程度のこの世界の科学が、一気に向上んじゃないか? と静かに興奮していたのだ。


 「ち、父上。魔石から出る、その……小さな雷で、僕達ケガしたりしますか?」

 「セルク。騎士の息子なら雷ごときに怯えるな。いいな?」

 「は、はい!」


 一方のセルクは、魔石に対して若干の恐怖を抱いていた。主に、小さな雷という言葉を聞いた時から。

 雷の鳴り響く夜には、なんだかんだと理由を付けて英弘のベッドに入ってくる辺り、雷に対する恐怖は筋金入りだろう。

 そんなセルクをからかうのも、英弘の楽しみの一つだった。


 「そういえば、ヌーナではその小さな雷の利用法を発見した者がいるらしい。他にも、魔石の使用法を新たに20以上も発見したとか」

 『へえー』


 電気の利用法を発見した人物がいる。

 きっと歴史に名を遺すような人物になるだろう。

 偉人オタクの英弘としては、是非ともお目に掛かりみたいものだと目を輝かせていた。

 名前だけでも知りたいものである。


 「その発見者なんだが、噂に聞くところによると”ギフト”と呼ばれているらしくてな」

 「ギフト、ですか?」

 「そうだセルク。なんでも、前世の記憶を持っているのだとか」


 輝かせていた目が一点、瞳が動揺の色を浮かべ、揺れる。

 前世の記憶を持っている……つまり自分と同じように、生まれ変わった・・・・・・・人物がいるということ。

 その事実に英弘は、小さな混乱に見舞われていた。

 英弘のような存在が、”ギフト転生者”と呼ばれている。それはつまり、ギフトという存在が世間に知られているということ。

 少なくとも、2人存在することは確定しているのだ。つまり、件のギフトと、英弘のことである。


 「様々な知識を持って生まれ、”ネーム”と呼ばれる前世の名を名乗るらしい」

 「すごいですね父上! その人、ほんとうに何でも知っているんですか?」

 「何でも、かどうかは分からないが、実際に魔石の新しい使用法を発見したというからな。きっと、もしかしたらなんでも知っていたのかもしれんぞ」

 「おおー!」


 ギフトについての説明をするアルクに、感心して目をキラキラさせるセルク。

 彼らのすぐそばに、そのギフトがいる事実を知るのは、英弘当人だけであった。

 脂汗が噴き出し、体は強張り、瞳があっちへ行ったりこっちへ行ったり。

 ここが取り調べの場であれば、嘘発見器など必要ないだろう。

 それ程分かりやすく、英弘は動揺を隠しきれていなかった。


 もし自分がギフトだと知られたら? 今と扱いがどう変わる? どんな扱いを受ける?

 そんな疑問が、英弘を大きく動揺させていたのだ。


 「そのギフトのネーム前世の名、「エジソン」というらしくてな……」

 「エジソン!?」


 ところがどうだろうか? 英弘は前世でも聞き知った偉人の名前を聞き、ほぼ条件反射で立ち上がった。

 かの”発明王”、トーマス・アルバ・エジソン。その人の名前を聞いて。

 そんな、いきなり立ち上がった弟にセルクは驚きつつ、尋ねる。


 「キルク? 知ってるのか?」

 「しっ……あっ、うっ、ええっと……勘違い、かな? あはは」



 危うく「知ってる!」と叫びそうになった英弘だが、すんでのところで呑み込む。

 墓穴を掘るわけにはいかないからだ。最も、前世では墓穴を掘る前に死亡したが。


 「……まあ、そのエジソンという男だが……」


 明らかに挙動不審な息子に、怪訝気な視線を送るアルク。

 だがすぐに話を戻した。キルクが挙動不審なのはいつものことだと、気に留めなかったのである。


 「3年前に死んだそうだ」


 惜しい人物を亡くしたものだ。と続けるアルク。その表情は心底残念そうに眉を顰めていた。

 英弘は、アルクのその表情を見ていると、つい自身の正体を明かしたくなったし、そういう気持ちに駆られるのだが……しかし、肝心の勇気が湧いてこない。

 正体を明かした瞬間、父が、兄が、態度を豹変させるのではないか?

 そんな不安が英弘に決断させないでいたのだ。


 結局この日、正体を明かすことは無かった。

 正体を明かすべきかどうか、秘密にしたままにするかどうか。

 これから英弘は、大いに悩んでいくことになるのであった。




――――――――――――――――――――――――――――――――




 ―レリウス歴1582年12月19日朝

  パノティア王国、王都ルナ、セロ家の兄弟の寝室―



 5年が経った。英弘は、10歳になった。

 この5年間、英弘は自身の正体について、家族に打ち明けるかどうかをズルズルと悩み続けていたが、結局は秘密のままである。

 何度も告白しようとしたことなど幾度もあったものの、その度に怖気づくを繰り返してきた。

 それ程、”キルク・セロ”としてアルクセルクとの関係を壊したくなかったのだ。

 決して、オッパイに関することばかり悩んでいたわけではない。


 「なあキルク?」

 「何? セルク兄」


 とはいえ、英弘も四六時中悩んでいるわけではない。特に、家の仕事の最中や、勉学に励んでいる時など。

 13歳になったセルクが魔法に関する歴史書を読みつつ、ヌーナ語を翻訳していた英弘へと声を掛ける。

 近衛兵であるアルクが仕事でいない時は、こうして兄弟で小さな机で向かい合い、勉強をしているのだ。


 「キルクは魔法を3種類とも使えるんだよな?」

 「うん。”自然魔法”も”治癒魔法”も”障壁魔法”も全部使えるけど……それがどうしたの?」

 「いや、俺は治癒魔法しか使えないから、キルクが羨ましいなーって思ってさ」


 魔法は基本的には3種類に分かれている。


 火の玉や水の塊を発生させる”自然魔法”。

 自身や他人の怪我を治療する”治癒魔法”。

 魔力を用いて防護壁を作る”障壁魔法”。


 人によってはこの内のどれか1種類しか使えなかったり、3種類とも使える者もいる。

 だが一般的に、魔法を使える人口の割合は少なく、およそ1千人に1人の割合で、3種類全て使える人は、更にその1百人に1人の割合しかいない。

 勿論、国や地域、人種によってこの割合も違うし、努力次第では全て使えるようになることもある。が、それまでの道は果てしなく長いのだ。

 そのことを知っている英弘は、やや意地汚い笑顔を浮かべた。


 「フフーン! いいだろー! 羨ましいだろー!」

 「くそう! こんにゃろう!」

 「ひゃはは! くすぐりは反則!」

 「うるせー!」


 英弘の挑発にセルクはくすぐることで応え、兄弟はじゃれ合った。

 前世でも兄がいたが、しかしその仲は険悪そのものであり、こうしてじゃれ合うことなど何一つなかったのだ。

 だからこそ、英弘は甘えさせてくれるセルクの存在を有り難く思い、思う存分に甘え、頼っていた。

 2人はまるで、子犬のようにじゃれ合う。

 顔立ちの良い10歳13歳の少年らが、顔をやや上気させ、体を密着させてくすぐり合う姿は、ある一定の需要を満たせそうな光景であった。

 尊い光景である。


 『セルク! キルク! 戻ったぞ、来てくれ!』


 と、兄弟が仲良くじゃれ合っていたその時、いつもより早く帰って来たのだろうか? 父、アルクが2人を呼びつける。

 それはどこか、焦ったような、慌てたようなの声だった。


 「どうしたんだろう? 行こう、キルク」

 「うん」


 体を離しつつ、兄弟揃って首を傾げ、リビングへと向かう。

 寝室を出てリビングに入ると、そこにはアルクがいた。それも仕事着のままで。

 右手を額に当て落ち着きなく動くアルクの姿は、2人の息子からすれば初めての光景である。

 普段は冷静沈着で、何事も動じない父なのに。


 「2人共、そこに座れ」


 2人の姿を確認するなり、アルクは椅子に座るよう促した。

 英弘とセルクは、お互いにチラリと視線を交差させ、そそくさと椅子に座る。

 この時、2人が同時に考えたのは、『俺達、何か怒られるような事したっけ?』というものであった。

 イタズラ盛りらしい思考である。


 「いいか、心して聞け」


 そんな2人の身に覚えのない焦燥感とは裏腹に、アルクは重々しく口を開いた。


 「今朝、日の出前……国王陛下が御崩御あそばされた」


 アルクの言葉に、兄弟は、今度はハッキリと顔を見合わせる。

 それも驚愕に彩られた表情で。まるで鏡を見ているかのように。


 「それで、次の国王には誰が即位されるのですか?」

 「確か、王太子殿下は3人おられたはずです」


 慌てて父にへと向き直って問うセルクに、英弘も続いた。

 以前から国王の容体が悪いとはアルクから聞いていたが、しかしこうも急に崩御するとは思わなかったのだ。


 「国王陛下は、ご臨終の間際まで……次期国王をご指名されなかった。そのため、当初は御嫡男のドロウ公エリンスケルコ殿下が即位されるハズだったが……」


 次期国王を指名していなかった。

 その事実を知り、兄弟はまたも顔を見合わせる。今度は困惑の表情を浮かべて。

 だが次に父親へと向き直った時、2人は更に戸惑った。

 何故なら、アルクは更に言い辛そうに、むしろ今から言うことの方が重要ではないだろうか? そう思わせる程の苦渋に満ちていたからだ。


 「その直後……次兄のメティアネ公フランケルコ殿下が、エリンスケルコ殿下をこの王都から追放したのだ」

 『追放!?』


 揃って叫ぶ兄弟に、アルクはゆっくりと頷いた。

 兄弟の父親が述べた事の顛末はこうだ。


 嫡男であるドロウ公エリンスケルコの、その私生活の問題や王としての資質を問題視した次兄、メティアネ公フランケルコが、エリンスケルコと彼を支持する貴族共々、 自らの私兵を使って無理やりに王宮から追い出したという。


 「そんな、無茶苦茶な……」


 英弘は思わず呟いた。 

 そもそも次男が嫡男を追放するなんて、何を考えているのか。

 王太子達が国王の座を争って対立し、付随する貴族の意見が分かれてしまうのはいい。まだ話し合いの余地はあるのだから。

 だが、嫡男に何かしらの問題があったとしても、追放という手段に訴えてしまえばどうなるか……それはつまり――


 「いいか2人とも……この国は、内戦になる」


 そう、内戦だ。

 その事実を突きつけられた兄弟は、お互いに強張った表情で顔を見合わせた。

 ヌーナ帝国やバルバラ王国とも散発的に戦争しているのに、その上内戦だ。

 この国パノティアは一体どうなるのだろうか……。


 「それに、困ったことにな……」


 アルクは腕を組んで、さも苦々し気に言う。


 「フランケルコ殿下自身が告白されたことなのだが……自信をギフトだと明かされた。確か……”トォトゥミ・ヒデオシュ”だとか」

 「……ん?」


 何か、心に引っ掛かりを覚えた英弘。

 何かが引っ掛かる。何だろうか?

 英弘は、アルクの言ったギフトに関しての情報を聞き、必死に思考を巡らせる。

 …………トォトゥミ・ヒデオシュ。

 ……トオトミ・ヒデオシ。

 トヨ――。

 そして、英弘は気付き、一瞬で頭の中が漂白された。


 「そのフランケルコ殿下が、こう布告された。「パノティア国内のギフトは、我が下に参集せよ」と」

 「この国にギフトがいるなんて、聞いたことありません。まして殿下がギフトだったなんて……」

 「ああ、私も驚いたよセルク……だが、フランケルコ殿下はこうも仰られた。「儂がギフトとして生まれたのなら、他にもギフトがおるはずじゃ」とな」

 「あ、成程……だからフランケルコ殿下はギフトであることを告白されたのですね?」

 「恐らくな」


 アルクとセルクの会話は続く。


 「ところで、エリンスケルコ殿下はその後、どうされたのですか?」

 「恐らく、ご自身の領地へ戻られて挙兵の準備に掛かるだろうな」

 「……父上は、どちらに付かれるおつもりですか?」

 「うむ……」


 真剣な眼差しで問いかけるセルクに、アルクは深く考えこんだ。

 腕を組み、口髭を撫で、思考の渦に身を投げたアルク。

 そこへ、今まで会話に加わらなかった英弘がすかさず立ち上がり、言った。


 「フランケルコ殿下に付くべきです!」

 「バカなことを言うな!」


 すぐに否定したのはセルクだ。

 先程、アルクに問いかけはしたものの、セルク自身、答えありきの問いであった。

 まさか、父上が不利な側フランケルコに付くはずないだろう、と。

 ところが、弟はその不利な側に付くべきだと主張しているのである。


 「どんな理由があるにせよ、フランケルコ殿下は嫡男を追放したんだぞ! そんな殿下に従うなんてバカげてる! 内戦になれば負けるに決まってるぞ!」


 セルクの言うことは正しかった。

 私兵を使い、無理矢理エリンスケルコを追い出したフランケルコに、実際多くの貴族が反感を覚えたのだ。

 いや、反感というよりも、強引に事に及んだフランケルコを大義名分を持って叩き、領地なりを掠め取る機会を得たことに喜んだ。そう言った方が正しい。

 なんにせよ、フランケルコの敵は多いのだ。


 「いいえ、勝ちます。秀吉・・は勝ちます」

 「何で言い切れるんだ? フランケルコ殿下に勝てる見込みなんて――」

 「いや、待てキルク」


 それでも言い切る英弘に、正論と常識をもって反論するセルクだったが、そんなセルクの言葉をアルクは遮った。


 「お前、さっきなんて言った? まるで殿下のことを知っているような口ぶりだな……どういうことだ?」


 アルクの疑念を孕む視線が、英弘を射る。

 自分の息子キルクが、フランケルコのネーム前世の名を呼び捨てにしたのだ。いかにも物知り顔で。


 「答えてくれ、キルク。お前は何を知っている?」


 嘘や誤魔化しは許さん。そう目で訴えかけてくるアルク。

 隣で未だに状況を呑み込めていないセルクを余所に、英弘は数舜、瞼を閉じる。

 いつかは、こんな日が来るかもしれないと思っていた。

 勿論、戸惑いはあったし、2人がどう反応するのかも分からず不安でもある。

 だが、もう既に言い逃れが出来ない状況であるし、明かすならば、この時をもって他にないだろう。

 そう、英弘は覚悟した。


 「……豊臣朝臣あそん羽柴秀吉。木下藤吉郎として日本、尾張国の下層民の子に生まれ、生涯を通して羽柴、藤原、豊臣と本姓を改めました」

 「き、キルク?」


 セルクは、突然語り出した弟を不安書かれた顔面で見つめた。

 それでも、英弘は続ける。


 「天下人、織田信長に使えてからは瞬く間に頭角を現し、謀反で死亡した信長の跡を継ぐかのように秀吉は天下を治め、ついには並みいる大大名を配下に従えて自らは関白、太政大臣という地位に就き、日本を統治します」


 アルクは、抱いていた疑念をある確信に変え、英弘を静かに見つめていた。


 「天下統一以後、刀狩令や太閤検地などの政策を推し進めつつ、当時地方分権の色が強かった大名やその領地・国家を解体・再編することで中央集権的な統一国家を構築した」


 英弘の足は震えていた。

 ここまで講釈垂れて気付かない父ではないと、分かっていたからだ。

 しかし最初に言葉を紡ぎ出してみれば、後に続く言葉は驚く程スムーズに出てくるではないか。

 こうして、偉人に関する知識がスラスラと出てくる辺り、自分でも偉人が好きなのだな、と改めて感じる英弘であった。


 「また、徳川家康や上杉景勝などの不安定な関係である大大名を高位の官位につけ、更に他の大名にも官位を授けて律令官位体系に取り込み、秀吉を中心とした本格的な官僚制度を作り出たのです。それから……いえ――」


 秀吉についてある程度話したし、言おうと思えばまだまだ言えただろう。

 だが英弘はあえてそれを止めた。キリがないからだ。

 小さく息を吐き、不安げに見つめてくるセルクや、いつにもまして難しい表情を浮かべるアルクを、英弘は見やった。


 「それがフランケルコ殿下の前世……豊臣秀吉の生涯です」


 そして続けざまに言い放つ。


 「そんな、一農奴から国一つをまとめ上げるまでに成り上がったような人が、何の策も無しにこんな暴挙に出るとは思えません」


 豊臣秀吉というギフトであるといった情報が無ければ、英弘もフランケルコを支持しなかっただろう。そればかりか、内戦勃発の張本人として厳しく非難していただろう。

 それが、そういう情報が出て来たものだから、英弘としてはフランケルコに付くべきだと主張したのだ。

 何より、秀吉を敵に回したくない、というのが英弘の本音だろう。


 「と、俺はそう思っています。何故なら……」


 やや迂遠で回りくどい告白の仕方だった。


 「俺も、秀吉のことを知っている、ギフトだからです」

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