第48話 高校生、田舎へ行く
「次は
随分遠くまで来たと感じる。
都会に暮らす高校生、
沙月の家は母子家庭だ。
母はパートの仕事を掛け持ちしているし、沙月自身も折り込みチラシ投函バイトを放課後や週末して家計を助けている。
小さなアパートにおける母とのつつましい生活に不満がないとは言えないが、それ以外の生活を望んだところで母にこれ以上負担をしいるだけなので普段は何も言うことはなかった。
この高校最後の夏までは。
この夏、彼女は友達が受験勉強に精を出す中、自身は家庭の事情から進学はありえなかったので、もっと実入りのよいバイトはないものかと探していた。
普段は自転車で行ける範囲でしか探さないのだが、今度は卒業後のことも考えとにかく待遇のよい仕事を探してみた。
すると、素晴らしいバイトが見つかった。
電車を乗り継ぎ2時間以上かかる田舎町、
宿泊・食事込みの高給バイト。
夏限定の募集ではないようだが、ひと月の間だけでも問題ないと書かれている(通常職員が休めるように補助として)。
夏休みの旅行にもなるし、バイトでお金も稼げる、これは一石二鳥だと思い、沙月はすぐに申し込んだ。
母の説得は難しくなかった。
水商売でないことを確認すると、時給を見るまでもなく、許可してくれた。
面接はネット越しだったがどうも向こうも人手不足のようで、最低限健康そうだとわかっただけで採用となった。
旅行なんて父が蒸発する前にしたことがあるくらいで、ほとんど覚えていない。
沙月は夏休みが始まるまでとても待ち遠しかった。
そのため、この何の変哲もない田舎を走る電車旅がとても楽しく感じる。
右手には川、左手には田んぼや山。たまに、トンネルを通過するし、国道と並走している時ぐらいしか人間を見かけない。
それなのに、唐突に街が現れた。
「なにこれ?」
沙月の口から驚きの声がこぼれる。
トンネルを越えて
駅の駅舎も木造風でデザイン性のある新しい建物だ。
ホームに降りると『木の町、
田舎の町が背伸びしてPRを奮発しているのかと思ったが、実際に降りる人も多い。
改札を出ると駅前の広場は公園になっており、日蔭を作る木が整然と植えられているし、噴水もある。
そこには多くの
一つ手前のほぼ無人駅と言った田舎とは時間の流れが全く違う。
ここにはバス停とタクシー乗り場まで完備されており、しかもそこまでの通路には屋根がついているので日蔭を歩くことが出来る。
沙月はメールで指示された通りタクシー乗り場へ向かい、バイト先となる陽だまりの里まで向かってもらう。
なぜこんな贅沢をするのかと言うと、交通費が全額支給だからなのと、そうするようにと指示されているからだ。
そうでなければ、タクシーどころかバスすら使わず歩いて行っただろう。
「おじいちゃんかおばあちゃんに会いに来たのかい?」
行先を告げると、初老の運転手から話しかけられる。
「いいえ、夏の間だけバイトをする予定です」
「ああ、そうなんだ。偉いねー、そんなに若いのに。まだ、高校生じゃないのかい?」
随分個人的なことまで質問される気がするが、タクシーなど乗ったこともない高校生、しかも初めての田舎とあってはこういうものなのだろうと考え、運転手の気ままな質問に気軽に受け答えしているうちに、到着した。
駅の周辺を離れるとすぐに田舎そのものの風景に変わったが、陽だまりの里はそんな田園風景の中に突如現れた小さな町のようだった。
あまり、高い建物はなく、見える限りでは大体平屋のようで正面の奥に1軒だけ少し高い3階建てくらいのレンガ造りの特徴的な建物が見える。
古く見えるがきれいなので新築なのだろう、高級感がある。
ただ、周りの平屋はレンガ造りとは限らず、一部は日本の古民家そのものだ。
スタイルが不統一なのに、何となくしっくりくるのはどれも古い造りをしていることや、平屋でサイズが統一されているからなのだろう。
タクシーが到着したのはその平屋が建ち並ぶ外門だ。
車はここまでのようでタクシーは訪問客用の駐車場に停まった。
運転手いわく、敷地中は原則車が禁止らしく、改造して15キロの速度制限を付けた車両だけが中に入れるという。
この話好きな運転手が門の受付係に沙月がバイトの娘だと説明してくれたので、すんなりと通してもらえた。
運転手にお礼をいい、支払いをして中へ入った。
一番大きな建物を目指し歩き始めると、沙月が玄関へ到着するより早く職員が出て来た。
「
疲れたでしょう。
荷物はこれだけ?少ないわねー。
持ってあげるわね。こちらへおいで。
ホント、可愛いわねー。若いって羨ましいわ、おばさん。
どうだった、ここまで、迷わず来れた?
都会の子がこんな田舎で迷うわけないか」
沙月が職員のマシンガントークに面食らっている間に、職員はさっさとスーツケースをかっさらい歩き始めた。
もちろん、一方的な会話を途切れさせることなく。
「あら、ごめんね。わたし自己紹介がまだだったわね、
自分の三倍ほどの年齢の女性をちゃん付けで呼べるわけもなく、結局敏子さんと呼ぶことで落ち着いた。
敏子さんは沙月を一番大きな建物『本館』...ではなく、本館をぐるっとまわった、外門から一番遠い建物の一つである寮の方へと連れて行ってくれた。
彼女いわく、本館に行くと職員や入居者に囲まれて休む暇もなくなるから、先に寮で落ち着いてから行った方がよいとのことだ。
敏子さんはとても細かな気遣いが出来る女性なのだ。
ただ、彼女と一緒にいることが一番疲れることであるのが玉に瑕だが。
「あなたの部屋は205号室よ。階段しかないけど、あなたはまだ若いから大丈夫よね?
若いって言うと、あなたお腹空いてない?
食堂に行くとみんなに囲まれて食べる暇もなくなるからやめといた方がいいわよ。
これが職員カードだからこれを使えば、敷地内の飲食店ならどこでも食べられるから好きな店で食べたらいいわ。お勧めは『トリや』っていう店のカレーね。そんなに辛くないわよ。わたしでも食べられるぐらいだから。ボリュームも増やしてくれるし、トッピングも2つまで付けてくれるからとってもお得」
そんなこんなで手続きを済ませるとその後、敏子さんは沙月に夕食の時間までゆっくりするようにと言って嵐のように事務所へ去って行った。
母と暮らすアパートより広い部屋に一人残された沙月の手元にはもらった職員カードと業務連絡用のスマホが置かれていた。
このカードは寮の鍵も兼ねているそうだ。
食事はカードで無料だと言われていたが、持ってきたおにぎりが残っておりもったいなかったので、外には出ず部屋の中で食べた。
もともと、この部屋には冷蔵庫とキッチンも付いているので自炊も可能だ。
そしてなによりも沙月にとって関心があったのがスマホだ。
仕事用に貸し与えられたものとは言え、彼女にとっては初めての自分のスマホだ。
WiFiも使い放題なので、母へ連絡を入れた後は、今まで同級生が話しているのを横から聞くくらいしか縁のなかったアプリの数々を試すことに没頭した。
もちろん無料のものだけだ。
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