第139話 偽りの神


 最北の国ヤマトとベルクード帝国の境にある国境線。

 帝国側の砦に、異例の使者が訪れていた。


「やあホノカ君、久しぶりだね」

「えっ、ロイドさん!? 帝都を守る要の貴方が何故こちらに……?

 まさか、お叱り……ですか?」

「いいや、キミが態とヤマトを落としていないのはバレていないよ」


 そう言って薄く笑うロイドに悲壮感を見せるホノカ。

 彼女は神速のロイドをも軽く凌駕する程の強者。

 その彼女が全力を出せば北を直ぐにでも制圧できるとロイドは確信していた。


「ああ、今となってはそれに気付いて居るのは私とミーシャくらいだよ。

 弱者にキミは測れないし、他の強者は自分にしか興味が無い」

「今となっては、ですか……?」

「ああ。イグナート候は亡くなってしまったからね」


「あっ……」と、悲し気に目を伏せるホノカに「今日の用事は別の話さ」とロイドはこめかみを押さえ苦い表情を見せた。

 周囲の目を気にするロイドが余裕を崩す様を見せるとはどれほどの厄介事だ、と彼女は息をのむ。


「あー、キミは主神の事はどれだけ知っている?」


 予想外な問いかけに彼女は「主神ですか?」と首を傾げたが、自分なりに知っている事実を並べていく。


「――――――――――誕生の地はベルファストでしたが、今では我らベルクードの地に居らっしゃるのですよね?」


 彼女が見識を並べ立てていくとその言葉が出てロイドが言葉を挟む。


「そう、その神様がね、顕現するらしいんだ。

 ベルファストが神に弓を引くと宣言した事で神がお怒りになり、神自らが戦場に兵を出す事になったと教皇自らが仰ったそうだよ」


「はい……?」と彼女は理解が追い付かないと言った様子で混乱した様を見せる。


「その……こう言っては何ですが、今までそういう発言をした輩は他にも居ましたよね?

 何故、今回はそれほどにお怒りに……?」

「さあね。それよりもここからが本題だ。

 その討伐のメインであるベルファストへ我ら将は全員従軍せよとの皇帝陛下からのお達しだ」

「はっ、今更ここの守りを空けろと?」


 侵攻を嫌がり手を抜いた彼女だが、帝国には絶対に足を踏み入れさせないと守ってきた。

 それを捨てろと言われ彼女は不快感を滲ませた様を見せた。


「ああ。ここの守りも神様がやってくれるのだそうだよ。

 正直、私も何とも言えない気持ちなんだがね」

「そう、ですか。何時迄に戻れば……?」

「今すぐだね。帝都へ三日で急行しろとの勅命だ。

 その為に私が使者という下の者がやる役目を担わされたのだよ」


 彼女は勅命と聞いて顔を青くしながらも机の引き出しを開け、物資のリストを引っ張り出すと急ぎチェックを始める。


「調達が必要な物が多々ありますし、このまま出ても速度的に考えて五日でも難しいですよ」

「ああ。だからキミと私が先行する。他の将には兵を連れて最速で来いと伝えて置けばいい。

 それでも余裕はそれほど無いがね」


 それならば一応は可能だと息を吐いたホノカは「ではこのままでましょう」と言葉を返した。


「準備はいいのかい?

 流石に私らが全力を出せば余裕を見ても半日程度は無駄に使えるが」

「要りませんよ。私はダンジョンの中で生きてきた女ですよ?」

「ああ、そうだった。今の身形が立派過ぎてどうにも忘れてしまうよ。

 何にせよ、余裕を持って移動できるのは助かる。じゃあ、行こうか」


 そうしてホノカが補佐官に指令を出した後、そのまま二人は帝都へと走った。






 帝都の皇城に着いたホノカとロイド。

 二人は慣れた場所でありながらも門の前で足を止め空を見上げた。


「あれが、そう……なのですか?」

「いや、私は何も知らない」


 上空に浮かび人型だが明らかに人ではないスマートで真っ白な巨人。

 それが空で隊列を組んでいる様は神の兵と聞いていても異様に見えた。

 だが、二人とも迂闊な事は口走れないと口を噤み門を潜った。




 二人は早足に皇帝の所へと足を運ぶ。


「武神ホノカ様、神速のロイド様がお越しになられました」


 兵の声に暫くして扉が開いた。

 その先には皇帝と宰相ハイドの他に教皇の姿もあった。


「おお、来たか。見たか? 外のあの神々しい姿を!!」


 皇帝は歓喜の様を見せ二人に問う。


「ええ、勿論。あれはやはり神の……?」とロイドが問う。


「ああ。とうとう来たのだ。この時が!」

「その……北に居た私には状況が一切掴めないのですが、時が来たとは……?」


 困惑しっぱなしのホノカは張り詰めた顔で問いかけ、三人の顔をゆっくりと見回す。


「ほほほ。今この時を理解しているのは、ホノカ殿どころか我ら教会と皇帝陛下くらいなものだ。ハイド、説明してやりなさい」

「はい。神がまた我らを直接導いてくれる時代が到来したのです!

 ベルファストを我らから献上できなかった事は遺憾でなりませんが、後世に刻まれる聖戦に我らも従軍出来るのですよ!

 この幸運に感謝せねばなりません!!」


 興奮しているのか碌に説明になっていない。

 しかし、いつも無表情を貫いていたハイドが喜色を滲ませ熱弁する様にホノカはたじろいだ様を見せる。


「ホノカよ、その様な顔をするな。直ぐにわかる。もうすぐだ。じき、始まる……」


 したり顔で笑みを浮かべる皇帝はその言葉と同時に立ち上がり「移動する。付いてまいれ」とバルコニーへと歩を進めた。




 移動を終えた頃には、もう何が何だかとホノカが半ば理解することを諦め始めたその時、帝都の中心に山よりも大きな、いや天にも届く程の人の姿が映った。


 それと同時に皇帝、宰相、教皇の三人が両膝を付き平服した。


 有り得ない状況に困惑しながらも二人もそれに続くと、白きローブに羽の生えた羽織を纏った天にも届く程に巨大な老人が手のひらを地に向け口を開いた。


『聞け、地上の民よ。我がこの地の神、なぎら神王である。

 此度、我に牙を向いた愚か者に鉄槌を下すこととなった。

 本来貴様らが行う雑務である。故に力に覚えのある者は従軍し責務を全うせよ。

 その働きが我の認めるものであれば、この先も導くことを約束しよう』


 神の物言いか、いい年をした者たちが喜色を滲ませ泣いていたからかはわからないが、ホノカは周囲を見渡すと自然とため息を漏らした。

 

 丁度そんな時、神の隣に同規模の人の姿が映る。


『ちょ、ちょっと! 俺を映してなんて言ってないってば!

 えっ、俺がやるの? カンペ出すから?

 いや、確かに緊急だけどさ……もう、わかったよ!』


「な、何故……ベルファストの王子が神の隣に……?」

「なっ、なんだと!?

 あれがベルファストの王子の姿だと言うのか!?」


 呟いたロイドに説明しろと皇帝がせっつくが、容姿が同じだという事以上の情報はありませんと首を横に振った。

 彼らの困惑が収まらないままに事態は進む。


『えーと、先ずこの人は神ではありません。人です。

 これはただの映像で、道具さえあれば誰でも扱えるものです』

『だ、だまれぇ!! 貴様、無礼にも程があるぞ!

 もう許さん、神兵よ、この愚か者に鉄槌を下せ!!』


 彼の言葉を遮ったなぎら王が、命令の言葉と共に手のひらをベルファスト方面に向けると神兵が白銀の剣を抜き、飛び立つ。


 その姿が帝都の外に消えていこうとしたその時、天からいくつもの光が降り注ぐとその光の数と同じ数だけ神兵が落ちていく。

 煙を上げ、明らかに撃ち落された様を見せつけた。


「えっ……」と間抜けな声で呟いたのは普段は老成されたポーカーフェイスを携えて笑う教皇。

 しかしそんな顔を見せていたのは神を名乗る者も同様だった。


『なっ!? 何故それだけの出力を一度に出せる!

 なっ、何!? だというのに箱舟が、こちらに移動してないだと!?

 き、貴様! 何をした!』

『いやいや、神を名乗ってるなら聞かなくてもわかってなきゃダメじゃない?

 人である俺の手の内すらもわからないって公言しちゃってるんだけど……』

『ぐっ……貴様も神の側だろうが!! 神の王である我に逆らう愚か者めが!!』


 そうこう言い合って居る間に、ほぼすべての二百は居た筈の神兵が討たれてしまった。


「か、神よ……我らはどうしたらよいのですか……」


 顔面蒼白なまま問いかけるハイドへと、巨大な立体映像のなぎら王は視線を向けた。


『ハイドよ。直ちにベルファストへと進軍せよ! 全軍でだ!』

『やめとけよ。死ぬだけだからな? この嘘つき爺さんに騙されんなよ?

 言っておくが、騙されていようがうちの国に侵攻してくる奴は全員殺すぞ』


 今度は逆に被せて発言したルイの一声で帝国軍人一同に大きな動揺走る。


「神の側と仰っていたという事は、俺たちに生身で神と戦えということか……?」

「おかしいと思ったのだ! あの化け物は一撃で三万人を屠るったのだぞ!」

「そんなの、どう考えても人の身でできることではない……」

「てことは本当にベルファストの王子は神なのか……?」


 勝てる訳がない。無駄死にするだけだ。

 周囲で囁かれる声はそんな言葉で埋め尽くされていた。


『違うからな? 俺は普通の人!』


 そんな声が響くがどう考えても普通ではない。

 彼の言葉を素直に信じる者は居らず、賢しい者はこの混乱に乗じて黙って姿を消していく。

 このまま神同士の戦いに巻き込まれて死ぬのはごめんだと。


『そうそう。死にたくないなら逃げとけ。

 なぎら王もわかってるでしょ。神兵が通用しないってなった今もう勝ち筋は無いってさ』


 視界に映らぬ様、物陰を渡る様に逃亡を計っていた者たちがギョッと空を見上げる。

 まるで心の中を丸裸にされている様に恐怖を覚え、震えながら逃避速度を上げた。


『ふっ、わかったぞ! あの高出力には制限があるな?

 もう一度告げる! 神命である! 直ちに進軍せよ! これは聖戦である!!』


 教皇とハイドはなぎら王の一括する様な声に、弾かれた様に顔を上げ立ち上がり声を上げた。


「聖堂騎士たちよ、敵の言葉に惑わされてはなりません。今こそ聖戦の時です」

「神のお言葉です! ホノカ殿とロイド殿は兵を連れ、直ちに進軍してください!」


 その声に下で整列し平服していた聖堂騎士たちがそのまま進軍を大至急で始めたが、ホノカとロイドは立ち上がるも足を止めていた。

 神と名乗った男が神とは思えぬ言動をしていたことや、ベルファストの王子が同じ大きさで出てきたことで疑念が生まれたからだ。

 二人の視線はトップである皇帝へと向かうが、彼はまだ混乱の坩堝に居た。


「神では無い、だと? 信仰心の無かった父上を自ら手に掛けたというのにか?

 ははは、有り得ぬ。現に天にも届くほどじゃないか! いや、しかし現に王子まで……

 くっ、ベルファストの王子さえ居なければこれほど迷わぬものを!!」

「我らが発つには陛下の決断を待たねばなりません。

 一先ずは他の将に声を掛けに参りましょう」


 ロイドはそう言ってホノカにアイコンタクトを取ると彼女を連れて足早にその場を去った。


「ロイドさん、この状況で本当に出るつもりですか?」

「それもこれも皇帝陛下次第だね。

 まあ、きな臭さが酷過ぎて時間稼ぎの為に出て来たんだけどね……」


「なるほど」と納得を示しながらも彼女らは小走りにミーシャの所へと向かう。


 話では兵舎の前で兵士たちを整列させているという話だが、着いた先に彼女は居なかった。

 まばらに並んでいる兵士が不安そうに下を向いている光景が移った。


「ふむ、これでは彼女を探さねばなりません。これは好都合ですね」


 ロイドがそう口ずさみ、ミーシャの屋敷へと移動をした時、再び光の柱が幾つも立ち並んだ。

 その光の柱は物凄い速度で帝都に迫り移動していき、町一歩手前でぱたりと止んだ。


「もしかして、さっきの光は聖堂騎士への攻撃……」

「頃合いを見るにそうだね。壊滅に近い被害は間違いないだろう……」


『これで制限が無いことはわかったろ?

 ちなみに出て来た騎士は殲滅したぞ』


 普通なら信じられない言葉。だが、先ほど神兵が討たれたことや王子の強さを知っているロイドは「これは我らでも厳しそうだな」と眉を顰めた。


「ええ。何が拙いってどこを叩けば止まるかすらもわからない所ですね」

「いいや、それ以前にここは射程内だから叩く前にすべてを潰せる。

 魔力量次第では、だが……」

「あっ……そっか。

 もし私たちが出ても迅速に終わらせられない限り帰る場所が無くなりますね」

「ああ。もしあの光を打ち続けられるなら完全な敗北が決まったも同然だ。

 それが無くとも神兵が落ちてしまった以上、敗色が強いというのにね」


 ベルファスト王子の一撃で三万の兵を失い、将が率いる部隊が逃げ帰るしかなかったという話はホノカも聞いていた。

 だが、絶望的な状況など日常だった彼女の心は屈していない。


「とりあえず、ベルファストに行って王子を捕まえますか。それが一番手っ取り早い」

「……意外だな。所詮俺たちは無理やり引き上げられた雇われだというのに。

 私はもう立場を捨てるつもりで居るぞ。将軍職なんて正直詰まらんしな」


 そう告げられると彼女は表情を緩ませた。


「あぁ、そっか。私たちにはそこまでして守るべきものなんてありませんしね。

 ロイドさんってなんでその年で独り身なんですか?」

「色々あって、だな……しかし、どこへ行けばいいのやら……」

「うちは北も南も全部手を出してしまっていますしねぇ。とりあえず西に行きますか」

「ここから西だとイグナート領か。

 あっちは奇病も落ち着いたそうだし、一先ず身を隠すにはいいか」


 そうと決まると直ぐにロイドは傍付きを使い自軍に使いを出し、現状と立場を捨てる旨を伝えた。


「キミの所はどうする。必要ならうちの者を使うか?」

「ありがとうございます。

 でも、あっちはどうでもいいですよ。皇帝直属で私に忠義なんてありませんし。

 勅命って言えば何でも私が言う事を聞くと思ってる連中ですからね」


 ロイドの気遣いに感謝を示しながらも愚痴で表情が歪んでいく。


「ははは、温厚なキミらしいね。他の将なら口走った者は翌日から姿を消しただろう」

「私はずっと死にたくないって思って生きてきましたから。殺しは好きじゃないんです」

「いや……温厚とは言ってしまったが、それが普通だ。うん、私たちがおかしいんだ。

 この国は……いや、この国の権力者は狂っている。慣れるまでに苦労したものだ」


 力が無ければ私も死んでいただろう、と彼は苦い顔で笑う。


「うちの親もそうでしたしねぇ。

 いくら妾の子だからって普通、姉妹揃ってダンジョンに閉じ込めます?

 そういうのは男の子の役目ですよね!?」

「いや、男女は関係ないが……まあ、よく聞く非道な話だな。

 大抵は死ぬが成功しても怨まれて碌な事にならない愚かな行いだ。

 まあ、最奥という有り得ない指定を達成するまで戻れる事に気付かなかったキミも大概だけどね」


 チラリと視線を向けるロイド。

 彼女はそんな彼にムッとした様で言葉を返す。


「いや、まだ五歳ですよ。長女ですら八歳だったんです。

 それから生死を掛け続けて何が何でも最下層に行くのが私たちの誓いになっちゃったんですって!

 死んだ姉さんたちの恨みを少しでも晴らしてやろうと思ったらもう家は潰れてたし……」


 彼女が戻った時には、既に政戦のライバルにより陥れられ彼女の家は国家反逆罪として一族郎党刑に処されていた。

 未だ燻る想い抱えている彼女だが、話が反れていたことに気が付き表情を改める。


「それで……話に乗ってきたってことは面倒見てくれるんですよね?」

「ははは、小面倒な話は私が何とかするが、武力面ではキミに頼らせて貰うよ」

「えぇ、ロイドさんが頼る程の人居ないでしょ。

 ああ、ベルファストが攻めてきた時か……任せて下さい。逃げてもいいなんて楽勝です!」


 そう言いながら彼女は獣車へと乗りこむとそれに続くロイド。


 そうして二人は帝都を捨て西へと旅立った。

 世界を激震させる事態が起こるとも知らずに。

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