第124話 停戦調停


 あれから、あの部屋が冥府の扉の様に感じて開けられなくなった俺はイグナートが泊まる部屋への案内をメイドさんに申し付けて自室へと戻った。

 ユリも疲れたのか今日は実家に戻って寝るらしい。


 そうして一晩空けて心気一転と背伸びをしながら部屋を出てイグナートが泊まったであろう部屋をノックしたが、返事が無い。

 こっそりと覗き見てみたが誰も居ない。

 まさか……と冥府の扉を開けに行けば案の定、彼は居た。

 姫の傍付きのメイドさんだけが起きている状況だ。


「殿下、漸く寝てくださいました」と少し疲れた顔を見せるイグナート。


「お、お疲れ様。寝てきていいぞ?」

「いえ、一晩程度問題ありません。

 それよりも今日の調停、気の抜けないものになるでしょう。殿下こそ万全にして頂きませんと」

「いやいや、俺は隣で聞いてるだけよ? お前らみたく頭良くないもの」

「またまた、ご謙遜を。

 殿下には経験が無いだけですよ。恐らく経験を詰めば誰よりもできるでしょう」


 いや、それは絶対に無い。

 てか泣き疲れて寝ちゃってるこの子たちどうしようね。


「男性が女性を寝所に運ぶ訳には参りませんからね。

 使用人の方々にお願いするしかありません」


 そうだよね。じゃあ、頼んで放置で良さそうだな。

 と、扉の前に控えているメイドさんに、あっちのメイドさんと相談して彼女たちを運んであげてと頼んだ。


「そんで、お前マジで寝ないで大丈夫なの?」


 寝てきて良いよと再び告げたのだが、彼は問題無ありませんと首を横に振った。


「んじゃさ、もしもの為に武装で顔隠して俺の騎士として調停の場に立っててくれない?

 できれば何かあった時に忠告をお願いしたいのだけど」

「それは構いませんが、公の場です。どのようにお伝えすれば良いのですか」


 そう問いかけるイグナートに聴力強化があるから誰にも聞こえないレベルの声で口にすればこちら側の人間には伝わると教えた。

 彼はその言葉に頷き、了承してくれた。


 そうして、漸く帝国との停戦調停の場が開かれることとなった。



 使ったことのない小会議室の様な空気の場所にて俺たちは帝国の使者が入ってくるのを待った。

 こちらの面子は何時もの人たちだ。

 親父、お爺ちゃん、アーベイン候、俺の四人。

 当然書記の人やら色々と人は居るが対面で座るのはこの四人だ。

 ちなみにユリちゃんはまだ実家に居る。流石にこの会議の出席はできないのでこれが終わったら行くと告げてある。


 暫く待つととうとう扉がノックされ開かれた。

 シェン君を筆頭に初老で小太りの爺さん二人が続いて入ってきた。


 その後、お互いに名乗りを上げ席について貰い話し合いがスタートする。


「さて、先ず第一にベルファストから言わねばならぬ事がある。

 此度の戦、主体がレスタールであり我らは援軍である。であるかしてあちらに通さねば決めかねる問題ばかりだ。その上で話があるのであれば聞こう」

「それはごもっともに御座います。

 当然時を同じくしてレスタールへも調停者を送っておりますので、持ち帰り話し合い再びという形を取ることになるとは思いますが、前もって言葉を交わしておくことは肝要かと」


 シェン君の言葉に親父は「であればこちらに異論は無い。此度はしっかりと言葉を交わそう」と頷いた。

 

「ありがとうございます。

 では先ず、現時点でこちらが出せるものを提示させて頂きます。

 まず一つ目として帝国には賠償金として大金貨五千を用意する準備がございます。

 もう一つは不可侵条約締結……に御座います」


 シェン君は二つ目を言い辛そうに口にした。

 そりゃそうだ。

 侵略してきた側が侵略を止めてやることが報酬だと言っているのだから。

 流石に親父の眉毛もピクリと動いた。


「要するに、うちへ攻め込んできて滅ぼそうとしたことを大金貨五千のみで許せということか?」


 親父の言葉にシェン君が「いえ……」苦い顔で俯くと、枢機卿の一人が待てと手を差し向けた。


「待たれよ。あれはミルドラドとそなたらの戦争であろう。

 帝国は条約により兵を出さねばならず巻き込まれた様なものよ。

 それを理由にするのは如何なものかな?」


 偉そうにふんぞり返った爺が帝国に非は無いなどと言い出し、親父の顔色がはっきりと変わった。


「ヤーコフ枢機卿だったか? あれはダールトンを抱き込んだ帝国主体の戦争だ。

 証拠もある。何も知らぬのであれば黙っていろ。時間の無駄だ」

「んなっ! ベルファスト王よ! 神の使いに対してなんだその言いぐさは。無礼であるぞ!」

「北方教会が神の使い?

 冗談もほどほどにしろ。神のお言葉を忘れた悪の権化であろう?」


 あれ……マジで敵対上等の対応だけど、大丈夫なの?

 とファストール公に視線を向ければ彼はこちらにわずかに微笑み頷いた。

 どうやら、予定通りの対応らしい。


「無知な貴殿に教えて差し上げよう。神に教えを賜ったのはベルファスト王家だ。

 北方教会にはその原本を写させてやっただけに過ぎない。

 その原本を書き換え金儲けに勤しむ貴殿らが神の使いなどとは断じて認めぬよ」

「ほほう。ベルファスト王は随分と剛毅なお方の様だ。すべての民を敵に回すおつもりかな?」


 もう一人の爺さんが明らかに作られた慈愛顔で微笑む。

 えーっと、名前はジェイマンだったか?


「はっはっは、全ての民ね? うちとレスタールには関係の無い話だと思うが?」

「なんと嘆かわしい。よもや王が神の教えはもう存在しないと申すか」

「話、聞いていないのか?

 そちらの聖典とやらはお前らが書いただけのだたの妄想本だ。それを神の教えとは言わない。

 今となっては本物はベルファスト大図書館の地下に埋蔵されている物だけだ」


 怒りを通り越したのか、親父の視線は呆れに変わり淡々と事実を突きつける様に言ったが、それを聞いたジェイマン枢機卿は歓談をしているかのように陽気に笑い出した。

 温度差があり過ぎているのに己を崩さない。ある意味怖い光景だ。


「ほっほっほ。そうかそうか。そうした思い違いがあった故のすれ違いか。

 貴殿らは知らぬだろうが、神はお隠れになったのではないぞ。

 ベルファストを捨て、ベルクードへと居をお移しになったのだ。

 我らはちゃんと神から教えを賜りそれを記しておるよ。

 まあ確かに歴史の中には私利私欲で書き換えようとした愚か者も居たには居たがな?」


 それを知らねばベルファストが勘違いしても致し方ない、と彼は笑う。


「それが今作ったばかりの与太話で無いのであれば、そうしたやり取りがあったと互いの歴史書に記されてる筈だが?」

「それは神が伝える事を禁じたからである。些事で明かす様な事は許さぬとな。

 しかし、今は人類史の趨勢の時と言っても過言ではあるまい。故に明かした。それだけよ」

「到底信じられぬな。原本とそちらの聖典では書いてあることが違い過ぎる。

 全能の神が言葉を覆したとでも言うつもりか?」

「ふはは、そう考えてしまうものよな? だから我らは人なのだよ。

 正解は時代によって移り変わる。よって神はその時代に必要な修正が必要だと仰った」


 そこで親父は永遠に続きそうな話を「無駄な問答だな。明確な証拠が無ければ受け入れられんよ」と話を切った。


「真摯に伝えても聞き入れぬのであれば致し方あるまい。

 ベルファスト王を異端認定させて貰おうか」

「ああ、構わんぜ。俺はもう腹をくくった。

 神の教えを覆し、悪用する北方教会を邪教徒認定するとな」

「な……に……? 我ら北方教会と戦うと申したか?」

「まあ、必要があればな。

 お前らもやるだろ。聖典に見合わぬ事をした輩を討伐するのは。

 原本はうちにある。であればうちの民がどちらを信じるかは明白だ。

 お前らのが本物だと言いたいのであれば、先ずは明確な証拠を持ってこい」


 彼ら二人は心底驚いたという顔で動きを止めた。

 その様に強い違和感を感じた。

 まるで、自分たちが本当に神の教えを受けているものと信じているが故、の様な反応だった。


「であれば、もう話は無いな。神に弓を引く輩と取引などできぬ」

「然り。これは大事だ。よもやこのような惡徒が王位に就いていたなど。なんと悲劇か」


 二人は呆然と席を立ち勝手に退室していった。


「親父、俺聞いてないんだけど、本気?」

「ああ、結局衝突は避けられぬと話が着いてな。

 元々目の上の瘤だ。北の国境を封鎖できる今がチャンスでもあるんだよ」


 今まではミルドラドが北方教会を入れない様に手を打っていたそうで、これを機に入ってくる可能性は高いと危惧していた様だ。

 親父は下手に仲良くしてこちらで布教活動などを行われてしまってからでは民と衝突する可能性すら出てくると眉を顰めた。


「しかし、光魔法を寄越せとは最後まで口にしなかったな……」と親父が呟くと予想外の所から声が返る。


「は、ははは、私も驚きました。来る途中口うるさく言っていたんですがね。

 では……場が落ち着いた所で改めまして、彼らの非礼をお詫び申し上げます」


 と、いつの間にか忘れられていたシェン君が頭を下げ存在感を発揮した。


「いや、こちらこそ失礼した。教会の連中には余り要望を話させたく無かったのでな。

 ふむ。しかしイグナート侯爵は聞いていた通り話が出来そうな御仁だな」

「そう仰って頂けて心底安堵しております。

 して、先ほどの続きですが……当然これでご納得頂けるとは思っておりません。

 そちらからの条件提示をお願いしたい」


 それを聞かずには帰るに帰れませんから、と彼は苦く笑う。


「そうだな……最初に言ったレスタールとの話が纏まればの話だが、先ずは賠償は提示金の十倍。停戦では無く終戦。国境線の完全封鎖。不可侵の締結ってところか」

「なるほど。その、期間の方は如何ほどで……?」

「そうさなぁ……金は当然即金。

 他の期間は三十年くらいは欲しい所だ。それだけ経てばある程度は一新されるだろう」


「どうだ。通りそうか?」とシェン君に挑戦的な視線を向ける親父。


「十倍は厳しいかと。三万程度であれば一度持ち帰れるレベルの条件ではあります」

「ふむ。いいだろう。貴殿の家の先代は敵でありながら良い騎士であった。それに免じよう」


「ありがとうございます。兄も喜ぶことでしょう」と彼は安堵の顔を見せ脱力した。


 まだちょっと早いよとこちらも口元が緩むが、結局言葉は交わさずに終了した。

 そして彼が部屋を出ると同時に皆してざわざわとしゃべりだす。


「陛下! 煽り過ぎですぞ! 確かに腹立たしい輩ではありますが、あれではこちらから戦争を吹っ掛けた様なものです!」

「いや、しかしな。あれらの標的がルイに向かったらと考えてみろ。

 あの手この手で言質を取ろうとひっかけ問題を出し始めるぞ!?」

「お待ち下さい。それらはもう終わった事。これからが重要です。

 それに陛下が敵対を決めた時の反応、いささかおかしくありませんでしたか?」


 話させたくないって俺とか。じゃあ最初から出なくていいじゃない……

 しかしアーベイン侯爵が疑問に思った件は俺も思ったな。


 と、どうなのと言わんばかりにお爺ちゃんに視線を向ける。


「うむ。そこにはわしも違和感を覚えたが、自分たちには逆らえぬと心底信じていたが故かもしれん。それにしても少し違和感はあったがのう」

「まあ、考えてもわからん問題だ。

 収集した情報を見る時に頭の片隅に置いておくくらいしかないだろ?

 何にせよこれから奴らにこの地を踏ませない。敵意を向けるなら徹底抗戦。ってのが決まってりゃ簡単だ」

「確かに完全に封鎖してしまえば簡単ですが、そもそも停戦は一時と考えて置くべきですぞ」


 親父たちの話が一段落を見せた所を見計らって、俺は聞いてみた。

 本当に俺が言質を取られるのが不安だからあんな対応をしたの、と。


「はは、それだけな筈ないだろ。最初からその予定だったんだよ。

 下手に言葉を交わせば、光魔法を勝手に使用したと糾弾してくるのは間違いない。ミルドラドの民度を上げる為にうちの教会の復活を計画しているのもある。 

 でもまあ、こちら側に根を張ろうとされるのが一番困るから決別したかったってのが一番の理由だな」


 ああ、なるほど。

 あいつらをシャットアウトしたいから敵対することが目的の一つだったのか。 


「じゃあ、イグナート侯爵が話を持ち帰って纏められればこれで戦争は終わりってこと?」

「いや、流石にまだ纏まらんだろ」

「そうですな。本気ならば五千などと言う数字は出てきませんから」


 親父とアーベイン侯がやるせない顔で今回の話は流れるだろうと口にする。


「まあ、帝国にとって三万枚程度は労せず出せる金額。切羽の詰まり具合ではわかりませぬが、約束が完遂される事はほぼ間違い無いでしょうな」


 ファストール公曰く、それほどに現皇帝は軽く戦を仕掛ける人間なのだそうだ。

 確かに向こう側でも戦争しているのにこちら側にも全ての国に手を出したのだものな。


「でも帝国は何故、世界征服なんてものを……?」


 愚かな国でもそこまでするには愚か者なりの理由がある。

 こちらがそれを理解できるかは別として。


「さあな。どうなんだ、女泣かせの騎士よ」


 親父から話を振られたイグナートは兜を取らぬまま一礼して口を開く。


「正確な所は私にもわかりません。ですが、現皇帝即位時の事件はご存じで?」

「一応は知っている。当時皇太子であった父親を殺して皇子が成ったというくらいだが……」


 親父の言葉に一つ頷き彼は話を続ける。


「事件後本人が調査を打ち切らせたのでほぼ間違いないとされていますが、恐らく裏に教会が居たと思われます。そこから急激に帝国は変わっていきました――――――――」


 特に優秀と囁かれていたわけでもない皇帝は即位後すぐに色々な制度の改革を行った。

 そしてそれは結果として帝国を大きく成長させただけでなく、力を付け過ぎた民の制御までこなして見せた。

 当時十代半ばの皇帝がそれを成したのだから一躍名声は跳ね上がり地位が盤石となる。

 その直後、停戦中だった北との戦争を再開させ方々に工作員を送る様になったのだとか。


「あれ、教会の話は?」

「はい。皇帝が即位後、宰相の座を無理やり教皇の息子ハイドに渡しました。

 恐らくは、あの日から主に彼が帝国の舵取りをしているのかと」


 どうやら最初は力が無かった皇帝を支えたのも北方教会らしい。

 聖堂騎士を使い、従わぬ者には陰ながら粛清を行っていたそうだ。


「ですので、もしかしたら戦禍の拡大には教会が絡んでいるのかもしれません。

 あくまで私の推論ですが……」


 イグナートはナタリアさんの治療で教会と関わる事が多く、調査を入れていたのでその推論に至ったのだとか。

 親父たちはその話に頭を抱えながらも「決裂させて尚の事正解だったな」と息を吐いた。


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