第72話 撤退しない理由
オルドール砦へと防衛地点を移して五日が経った。
その間、ダールトン軍は活発な動きを見せた。
最初は死傷者の対応、逃走を試みたであろう兵の公開処刑、それと同時に帝国軍五千の兵の撤退が始まった。
メインであろう戦力が撤退するのだからこれで戦が終わるだろうと安堵したのだが、残る七千の兵士の帰る兆しは未だ見えない。
普通であればどう考えても撤退せざるを得ない損害を被っている。
だと言うのに未だに残る理由が見当たらなかった。
そこに関しては自分の知識が間違っているという様子はない。他の人たちも同じ見解だ。
オルドール砦まで一キロ程度の場所で街道を塞ぐ勢いで陣を張り、居を移していた。
おかしい。もう三日も街道にいるだけで何のアクションも起こさない。
開戦日と違い怪我人を抱え込んでいる様子も無く、退却した五千に連れて行かせたのは一目瞭然だと言うのに。
そうした考えから、全体での会議をオルドール砦で行っていた。
「あいつらが動かない理由ねぇ……
意地になってるが攻める度胸が無いってところじゃねぇか?」
ドーラ子爵の言に「それは有り得る!」「ははは、妥当ですな」と弛緩した声が響く。
フォンデール砦での戦いを終え、戦死者ゼロで万を超える兵を討ったという事実がベルファスト軍を緩ませていた。
まるでもう戦いが勝利で終わったかの様な空気だ。
「殿下が居れば怖いもの無し! 打って出ても宜しいのでは!?」
「次こそはこの私も参戦致しますぞ!」
「はっはっは、当然私もだ! 抜け駆けされては困る!」
陽気に言葉を交わすご老人たち。調子がいい人たちではない。
完全な負け戦と言われながらも、決死の覚悟で出てきた猛者たちだ。
号令さえあれば国の為と我先にと特攻するだろう。
そんなこの国を想う人たちだからこそ死なせてはならない。
此処は引き締める時だ、と将軍へと視線を向ける。
「静粛にして貰おう。これは軍議であって祝勝会ではないのだ。
提案は良いが雑談をする場ではないと心得よ」
意を酌んでくれたのだろう。将軍は静まるのを確認するとこちらに視線を戻した。
「将軍が仰った通り、気持ちの切り替えが必要です。
まず一つ。帝国軍五千が帰ったというのにダールトン軍が撤退をしなかったということ。
二つ、その五千の帝国軍がダクトへ戻り何故か急ぎ北へ向かったこと。
三つ、うちには二千の兵しか居ないが敵はまだ七千居るということ。
その点を踏まえた上で議論を重ねたいと思います。
この上ない戦果は上がりました。
ですが、ここで失策すればまだ容易く落とされる状況。
快勝を祝いたい思いは一緒です。ですが気を緩めるのはまだ先としましょう」
そう告げれば皆姿勢を正してくれた。
「殿下、撤退して北へと向かった帝国兵は今何処に?」
眉を顰めていたルーズベルト騎士団長が問う。
「普通に隊列を組んでベントへ向かって移動していきました。流石にあそこまで行ったなら帰ると思いますけど?」と返せば「えっ、ベントですか。それは変だな……おかしい」と首を傾げた。
ベントとはイスプール子爵領と隣り合わせの町だ。
地図上では国境線付近をそのまま北に行くのが帝国への最短ルートだと思うんだけど。
「帝国へ帰るなら方角はおかしくないんじゃないですか?」
そう。俺が疑問として挙げたのはまだ数倍を誇る兵力がありながら、帝国軍の一部が撤退したこと。
帝国軍の全軍が撤退するならばおかしな事じゃないが、脅威と判断しただろうに大部分を撤退させて兵を残したことがおかしいと議題に上げただけのこと。
二千の兵を残しているのだ。
諦めてはいないだろうと思えるのだが、フォンデール砦での戦果を思うとその数では攻められないと思う筈。
同盟の約定とかで残さざるをえなかった可能性もあるだろうが、本気で落とすつもりなら帰さないだろう。
そんな疑問を解消したいが為に会議を開いたまである。
だが、騎士団長はそちらに興味が行ってしまった様だ。
「いいえ。ベントは麓の町なんですよ。あそこの山は険しく魔物も強い。
もしそこから帝国へと帰るなら、一度戻って回り込むことになるんです。
レスタールを通れるなら別ですが、軍の通行を許す筈が無い」
となると行ってもレスタール軍との睨み合いになるよな……
レスタールにちょっかいでも掛ける気か?
いやいや、五千で何すんの。
現時点でそれがこの戦争に意味を成すとは思えない。
うちと仲違いさせる為に工作員を送り込むとか?
いや、それなら秘密裏に行うし本職使うだろ。五千の兵を向かわせる必要が無い。
そもそもあいつらの狙いはベルファストだ。
レスタールを同時に攻める可能性は低いと思うんだけど……
駄目だ、上手く纏まらない。
「考えられる理由はありますか?」
騎士団長のみならず、全員を見渡して問いかけた。
「もしレスタールを通れるってんなら、北からベルファストに攻めてくるって可能性もあるんだが……イスプールの隣はランドールだからなぁ……」
老人勢の若手、ドーラ子爵が呟くと他の者もちょこちょこと情報を出してくれる。
どうやらランドール侯爵軍は馬鹿強いらしい。
そして、周辺で何か問題があれば即座に駆けつけてくれると周辺貴族は挙って言うのだそうだ。
だからイスプール領に入るとランドール侯爵軍とぶつかる可能性が高く、迂闊に入れない筈だと話が纏まる。
子爵の言葉を聴いた瞬間、情勢的にちょっとありえるんじゃないかと思ったんだが、皆して無いというならそうなのだろう。
「そっかぁ。ベルクード皇帝がレスタール王にベルファストとダールトンの戦いに不干渉で居なければ攻めると脅しを掛けたそうだから、可能性はあるのかなぁ何て思ったけど……」
「「「――――っ!?」」」
それは真で、と方々から声が飛ぶ。
将軍の方を見るが「俺は兵は出せないと言われただけです」と不快そうに答えた。
そこで条約が破られることになった一連の流れを詳しく説明した。
「という訳で、レスタールも国を失ってまでは助けられないと判断したんですよ」
「ふざけやがって!」「許せぬ!」「断罪せねば!」と非難の声が止まらない。
「待って下さい!!
レスタールを敵に回してはいけません。
味方に引き込めなければベルファストに未来は無い。
ここで恨み辛みを吐くのはいいですけどそれを理解した上でお願いしますね?」
うん。皆は約束を破られた側だから暴言が出るのは当然だ。
だが戦争をふっかけられては困る。というかそんなことをされたらガチでキレる。
今の内に釘を刺していかねばと場の空気に逆らって声を上げた。
周辺国が全て敵になれば幸運に恵まれても生き残れない。
その事実を嫌でも理解しているのだから顔は顰めたが反論は出なかった。
「殿下、それよりも今は……」とストップを掛けたのはルーズベルト騎士団長。
「脅しに屈したのであれば、帝国がイスプール領へと軍を入れる可能性は十分にあります。
脅しに屈するということはギリギリまで攻撃を避けるという事。
もう入ってしまい国の端を通り出ると言ったなら見過ごさざるを得ないでしょう」
えっ……
もしかしてベントへ行ったことと噛み合わせればほぼほぼ確定って事か?
でもそれなら森抜けた方が早くね?
いくら火事の心配があるとはいえ、水の魔法もあるんだし。
「いえ、大きな谷があるんです。国境付近なので橋もありません。
そこを回り込まねばこちらには来れぬのです」
「じゃあ、ベントから回り込むのがうちらに見つからないで済む最短ルートってこと?」
そう呟けば彼は青い顔で頷く。
「ベルファスト北に砦は?」
「ありません。レスタールとは八十年前に揉めたのを抜かせば数百年規模で戦争が起きていませんから。
それ以前に向こう側は何も無い平野で砦はそれほどの意味を成しません……」
そりゃそうだよな。最近までの十五年は同じ国だもの。
何てほのぼの考えてる場合じゃねぇ!
今は兎に角打開案を打ち出さないと、と思うが周囲にはそれが伝わってない様子。
理解してもらう為にも焦った装いで声を上げながら状況を整理する。
「待て待て待て、砦も無しに軍を二つに分けて運用できる程の戦力は無いぞ!
二手に分かれて五千、七千が同時に来られたら終わる!
クソ……近場の七千を早期に潰すには兵が死にすぎる。
上手くいっても結局五千が倒せない。
どうすりゃいい……」
他からの提案を期待して大声で状況説明したものの、案と呼べるものは一つも無かった。
そりゃそうだ。どう考えても人手が足りないんだもの。
此処はいいよ。砦がある。
時間を稼ぐだけで砦からの発砲でどんどん敵が倒れていくんだから。
しかし何も無い平原で自軍より大勢を相手にした場合、それも防衛に関してはさらに不利になる。
町を守らなきゃいけないから敵を逃せない。
二千五百で兵を分け、片方を町に送られたらそれを追わなければいけないのだ。
後ろから攻撃されていようとも。
「殿下の魔道具を仕掛けられぬのですか?」
「あれはそこに集まるってわかってるから出来るんだ……
投げ入れても叩き割られたら終わりだし、相手の魔法の範囲内だから俺がやってるのを知られたら総攻撃で潰しに来る。それを凌ぐ技量は俺にはないよ」
待てよ……爆発物投げられたら普通逃げるよな?
いや、叩き返そうって奴も居るか。
けど、発動が俺の魔力操作次第なんだし一応投げる方は行けるか。
空中で爆発させるとか……
空中で、爆発?
あれ……何か忘れている気がする……
そこで魔道具職人の言葉を思い出す。
バックパック素材が無いから魔力を溜めて置けないんだという言葉を。
――――今ならあるじゃん!
それなら有線で繋げる必要が無くなるし距離の制限も無い。
落下の衝撃で爆破も可能なんじゃないのか?
であればかなり高い上空を飛んで一気に落とすことも……
それならば俺も含めて自軍への被害の心配は一切いらない。
ならば急いで戻らなきゃ!
「悪い、一つ手を思いついた。まだ足りないから会議は続行。
けど俺は職人に指示出し行って来る!」
「おお!」と声が上がる。それを無視してオルドール砦を飛び出した。
ベルファストに戻り、職人たちを全員集めて尋ねれば確かに出来ると返された。
しかし、設計にも時間を貰いたいし製作も時間が掛ると言う。
仮に出来ても最低三日。遅ければ一週間は掛ると言われた。
どれだけ危険な物かを理解している以上、確かに設計で確認に確認を重ねるのは当然だった。
しかしこれを諦める訳にも行かないと、現状を説明した。
「その北から来るってのは確認したのですか?」
「いや、まだだ。けどほぼほぼ間違い無いらしい。
ああ、当然確認にも行くけどね」
技師の纏め役である彼にそう答えたら「ふぅぅぅ」と大きく息を吐いた。
「やるしかないんですね……わかりました。やりましょう……」
「おい、あの威力にビビるのはわかる。
だがよ、それは絶縁体を貼り付けることで解決しただろ。
後はバックパック素材に魔力入れて仕込ませる。
んで絶縁体剥がすのと魔力袋を潰す衝撃の二段構えにすればいいじゃねぇか」
皮の彼が魔道具職人にそんなにビビる事かと疑問を投げる。
「甘い。考えが甘いよ。気が付かずに衝撃を与えてしまい、その後絶縁体を剥がしたらどうなる?」
大人の技師の声に「その場でドカンね……」とミズキが呟くと、皆が俯き思考に耽る。
「いや、正規の手順でなければ魔力が簡単に抜けてしまう作りにすればいいだけだ。
剥がしながら衝撃を与えるような馬鹿は死んでいいだろ?」
無茶苦茶言う皮の彼だが、安全システムとしてはそれほど悪くない。
当然、不発になるのも情報漏洩的な意味でとても困るのだが、手元で爆発する可能性や、敗戦を考えると偶に爆発しないのがある方がマシだ。
手元で爆発なんてされたら誰でも死ぬ。
「待って。その衝撃で絶縁体を剥がれる様にしたらどう?」
ミズキは「こんな感じで……」と棒が、袋と同時にシールも突き破る様を見せた。
「それは良い案だ。だが、確実性が薄い気がするな。
魔法陣がある側にミスリルの針を付け魔力を伝える方が良い。
その軸にストッパーも付ければ実用可能範囲だな。その線で詰めよう」
魔道具職人のまとめ役の男は設計図を軽くささっと描き「改善点はあるかい」と周囲に聞いて案を受け上書きしていく。
ある程度めちゃくちゃになってきたので俺がささっと新しい紙にもっと丁寧に書いた。
そうして出来上がったのは卵の様な形に大きく飛び出したボタンが付いた爆弾だった。ピンが付いていてそれを抜かなければ衝撃を与える部分を押し込めない仕組みになっている。
「此処まではいいが、このパーツの作成から依頼しなきゃならん。
それにはどうしても時間が掛る。あんたら、これ最速でどのくらいで出来る?」
魔道具職人たちに視線を向けられた鍛冶職人の二人が目を見合わせる。
「そりゃ、依頼人が雛形作ってくれりゃ夜までに二十くらいなら作ってみせるぜ。弾や内部パーツは転用だろ?」
「あ、ああ。転用はそうだが、依頼人が作るというのは?」
言われて直ぐに俺は動き出した。まずは型を取る。
従来の爆弾の最後のカバーの上から更に卵形のケースに入れる形だ。型を作り熱で溶かした鉄を流し込む。円柱の棒も作り丁度合う様に穴を開ける。後は魔力袋を支えるパーツ。
そこまで一通り作って確認を入れてもらう。
最初は皆唖然とした様子を見せたが、ハッとした後直ぐに取り掛かってくれた。
「さすがに厚過ぎる。最後のは薄くていいんだ。
爆発での弾の飛び具合は良かったんだから」
言われるがままに再度加熱してきゅっと絞った。
オッケー貰った後、さくっと部品を十セット作った。
その後鍛冶師が作れるように雛形もセットで置いておく。
「外枠は出来たけど、これでどの程度作れそう?」
「おい、せめて作業期間を言え。
まだ仕組みすら考えてないってのに、工期すら言わずに聞くんじゃねぇよ」
おっと、相当焦ってたからか、言うのを忘れていた。
「まずは明後日の朝まで。どんなに早くても北からはそれが最速の筈だから」
そう。あの時ベントに居たのだから明日丸一日は移動だろうと日数を伝える。
「それじゃ、徹夜しても出来合いを全部乗せかえるので限界だな。二十が限度って思っとけ。
俺の仕事は最悪でも二十は仕上げて見せる」
設計図を見た彼は「ここから先に皮を貼り付ける所からか」とじっくりと設計図を見た後、自分の作業台へと戻った。
狙いを定められる爆弾が二十もあればまだ可能性はある。隊列を組んでる所に上手く五つ落とせれば二千削れるのは把握してるからな。今度は一気に爆破してやれば大半が戦闘不能になってくれるだろう。
十だとかなり厳しそうだが、最悪は魔法で乗り切るしかないな。
あっ、魔法と言えば……と杖を出して杖の彼に見せた。
「悪い、一発で壊れた。けど、一撃で三百くらいの兵士を討ったぞ」
「っ!? おいおい! 三百だって!? さっそく爆弾の想定数を超えたじゃないか!!」
はしゃぐ彼はもっと聞かせろと杖を奪いつつも詳細を事細かに尋ねてきた。
なので起こった事象を伝える。
「はっ? そんな大きな魔法陣を作れるはずが無いだろ」
「いや、出来るから。ほら!」
と、作業部屋いっぱいまで光の魔法陣を待機状態で広げれば、職人たちが慌てていた。
謝罪を入れて改めて向き合う。
「キミ、ホント僕のパートナーに相応しいねっ!!
もういいよ! これも託すよっ!」
そう言って出てきたのは同じ杖だった。だが、あいつらが揃って同じ物を作るはずが無い。
「何処が改善されたんだ?」
「使用回数だよ。少し威力は落ちたけど、前回の三倍くらいは持つようになった。
今回も一発で駄目になるならお手上げだね。今すぐには無理だ……
ああ、前回と比べて威力がどうなったかをきっちり教えてくれよ!?」
彼は一撃で壊れたなら途中から杖の増幅が乗らなかった可能性が高い、と落ち着かない様子で歩き回る。
「いや、今考えても始まらないか。うん。今は何でもいいや。
とりあえず僕の仕事はこれの修繕、それと改良、それから……改良。
その連続だね。それだけの術師ならキミにとっても魔法は生命線だろ?」
彼の声に頷き「よろしく頼む」と頭を下げた。
その後、ベントを見てきてからオルドールへと戻り、まだ動いていなかったことを伝え、会議の方も進展が無かった事を報告された。
一応奥の手が一つ出来そうだと伝えて気を取り直して貰おうと思ったのだが、何やら硬い表情でこちらを見ている者が数名居る。
「殿下、やはり、我らは打って出たく……!
この砦に引き寄せる囮でも構いません!!」
「私からもお頼み申す。砦より後ろには通しませぬ。
援護があれば我らも生き残って見せます故」
息が合っているところを見ると一応会議で出たが却下された案のようだ。
どんなものかと聞いて行けば、単純明快、魔法の援護を貰い正面特攻というもの。
無謀だと却下したい所だが、将軍たちの働きを見てしまっている以上、論じる価値が無いとは言えない。
必要な奈落装備も新たに数十着出来ていた。
開戦から結構日数も経っているから当然だ。
しかし、本当に今ここで被害の出る戦いに打って出ていいのだろうか……
「皆が死ねばベルファストが落ちる。それがわかっていて言っているのだから何が何でも生き残る。その自信があるんですよね?」
「当然です。此処で声を上げた者は私が保証します。
殿下の援護とエリクサーまであって折れる程柔な者はおりませぬ」
その声に一番に応えたのは将軍だった。
それに続き、各々声を上げた。
「わかりました。では、次の策は正面突破で行きましょうか……
そこを抜けても連戦ですが此処を勝てば光は見えます」
北から来るまで明日一日は余裕がある。
その間に出来る限り潰す。
大きな賭けにはなるが、ただ無為に議論に費やすよりも勝率があると言えた。
ここまで快勝しておきながら、それほどまでに追い込まれていると言う事実に辟易するが、嘆いても仕方ないと気持ちを改めた。
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