第51話 ヒロキ君はこれで満足ですか?



 オルダムにて、少年の声が響き渡っていた。

 そこはハンター学院男子寮、表札にはヒロキの名が入っている。


「何しに来たんだよ母ちゃん!

 てかお前は案内終えたんだからさっさと出てけっての!」


 ふぅ、やっと落ち着ける、と母と呼ばれた女性が腰を下ろす。

 案内してきた母と同年齢の男性が、当然の様に隣に座ったことに憤る少年。


「こら! なんてこと言うの!

 あんたたちはオーウェンのお金で育ってるんだからね!?」


 えっ、とヒロキの言葉が止まる。アミはそれを知っていたのか苦笑していた。


「ま、まさか!? てめぇ母ちゃんを金で……」と泣きそうな顔でオーウェンを睨み付ける。

 だが、そこに待ったを掛けたのは彼の母親だった。


「馬鹿言ってんじゃないの!!

 ああもう、あんたはそんなことばかり気にして!

 もういいわ! 教えてあげる!

 オーウェンを誘惑して押し倒したのはお母さん! 脱いだのも脱がせたのもお母さん!

 ヒロキ君はこれで満足ですか!?」


 あまりにあんまりな言葉にガーンと音が聞こえそうな程にショックを受けるヒロキ。

 アミとオーウェンは頭痛がするのか二人して額を押さえていた。

 そんな面々にお構いもせず彼女は用向きを話そうと声を上げた。


「そんな事より今日はね、私の事で皆に大切なお話があるの」


 自室を占領されたことに不快感を示しながらもヒロキは母親へと視線を向けた。

 彼は何の話をされるかは凡そ当たりが付いていた。

 どうせ再婚の話だろ、と。

 今までその話を切り出そうとしてきたことは何度もあったが、全て聞きたくないと無視してきたが、ルイの助言を聞き彼から師事を得始めてしまった昨今、話も聞かずに突っぱねることが難しくなってきていた。

 複雑な心境で彼は母親を見据える。


「それで、話ってなんだよ……」

「あのね……昨日私のお父さんが家に来たの。助けて貰えないかって……」


 予想外の切り出しにオーウェンすらも『なんの話だ』と驚いた視線を彼女に向けた。


「その話ね、受けようと思うの。

 だからオーウェン、ごめんなさい!! 貴方との結婚、出来ないかも……」

「――――なっ! どうしてそうな……っ!

 待て、サユリの親父さんってラズベルの兵士だったよな……お前まさか……」


 婚約を破棄されそうな状況に思わずバタンと椅子を倒して立ち上がったオーウェンだが、話の流れを思い出し言葉を止める。

 ヒロキは少しニヤっとした顔を見せたが、続く話の不穏さにアミと顔を見合わせた。


「そうよ。ラズベルに戻って治療師として従軍してくれないかって言われたの」


 あはは、と軽く言うサユリの声に場が凍りつくが「お父さんに初めて土下座されちゃったわ」と彼女は空気を読まずに続けた。


「な、何言ってんだ「駄目だぁぁ!!!」っ!?」


 ヒロキの声に被せてオーウェンが突如叫び声を上げ、驚いたアミが身を縮ませる。


「サユリ!! お前、今ラズベルがどういう状況かわかって言っているのか!?」


 初めて見せるオーウェンの激昂した姿にヒロキすらも少し体を引いて姿勢を正したが、サユリは意に介さず鋭い視線を返した。


「状況は全て聞いているわ。お父さん、ずっと謝ってたもの。わかってるつもり。

 それでも私は大切な家族の力になるって決めたの。

 心配は嬉しいけど反対しても無駄よ」

「ヒロキとアミはどうするつもりだ!」

「勝手で申し訳ないとは思うけどヒロキが居れば大丈夫」


「卒業確定したんでしょ?」と彼女はオーウェンの顔を覗き見る。


「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、ちょぉぉぉぉ!!

 待てよ! 母ちゃんが戦場に行くなんて許せる訳ねぇだろ!?」

「当然だ! ヒロキ、なんとしても引き止めるぞ!」

「おう!」

「あら、いつの間にか仲良くなって……でも何を言っても意見は曲げません!」


 二人が暫く説得を続けた。

 だが、サユリが意見を曲げる事は何一つとして無かった。


 ムスッとしたまま腕を組むオーウェン。「もう知るかぁ」と匙を投げるヒロキ。

 二人の声が収まったころ、アミがサユリの裾を引いた。


「お母さん、従軍治療師ってどこで何をするの。前線で戦ったりしないよね?」

「勿論よ。ラズベルの領軍詰め所の治療室で毎日回復魔法を掛けてあげるだけなの」


「だから大丈夫よ」とアミに笑い掛け、その声に「本当か!?」と返したヒロキの視線はオーウェンへと向いていた。


「基本的にはだが、従軍治療師が行う仕事というのであれば間違ってはいない。

 特に今回は防衛戦で砦も近いから戦えない治療師は出さんだろう。

 だが、そうじゃないんだ……恐らく、今回の戦争でラズベルは落ちる。

 親父さんを助けたいなら無理にでもこっちに連れてくるべきだ」

「はっ!? ラズベルが落ちるって、なんでだよ!?

 ミルドラドよりレスタールの方が強いだろ!?」


 一応授業でも聞いていた。

 戦争の拡大を防ぐために援軍を送ることを控えている状態だと。

 その時は何となくで聞いて居たが、母親が巻き込まれるとなっては聞かずには居られない。

 オーウェンはヒロキからの問いかけをサユリに向けて答える。


「今回の戦争は帝国が絡んでいる。

 ラズベルに兵を送れば全軍を上げてレスタール全土に攻め込むと宣言され、王から参戦は許さぬと勅命が出た。

 だから俺も理由が出来ても迂闊に参戦はできない」


 名の通った者にラズベルから参戦されては困る為、貴族にはそのことを知らせる通知が回っていた。


「それ、ユリとルイには伝えたのかよ……」

「いや、言っていない。

 文を受け取ったのが先日というのもあるがその前に軍事機密だ。

 口に出していい話でない」


 二人の事がよぎって思わず問いかけたがオーウェンは気まずそうに視線を逸らす。

 しかしその事で母親を本気で守りたいと思っている事を彼に知らせた。

 ヒロキは「そうかよ……」と呟いて俯く。


「今はルイ君たちよりお母さんでしょ!? そんなに危ないなら駄目だよ!」

「アミちゃん、ごめんねぇ。

 母さんが勝手して寂しくさせたお父さんにはせめて最後の親孝行をしたいの」


 ウルウルと涙目で母親を見上げるアミをサユリは謝りながら抱きしめた。


「なぁ……いつ、行くんだ?」

「明後日発の獣車に予約を取ったわ」

「んだよ……勝手に決めやがって……」


 彼は立ち上がると「ちくしょぉぉ」と叫び眠気を覚ますかのように頬を二度叩く。


「言っても聞かねぇなら俺も行く……

 先生! 母ちゃんを守る為に力を貸してくれ!」

「当たり前だ! いや、俺に任せろ。お前たちには学校がある」

「そんなことを言ってる次元じゃねぇっての!

 資格を取るだけならあっちの学校に編入でもすればいいだけだろ!

 んなことより本当に母ちゃんは戦場に出ねぇんだよな?

 いざって時にあんたの力で町の外に強引に逃げるのは可能か?」


 彼の声にオーウェンはハッとして考え込み、すぐに口端を上げた。

 そう、戦場に出ずに身内を守り退避する分には国王からの勅令に触れないからだ。

 従軍治療師の立場であれば強引に動けば成せると。

 見えた活路に彼はいつもの余裕を取り戻す。


「三人を守りながらか……危険はあるが何とかしよう」

「何言ってるの! ヒロキとアミちゃんは駄目よ! お留守番してなさい!」

「「母ちゃん(サユリ)は黙ってろ!」」

「はぁぁ? ヒロキまで! あんた、悪いところばかりユー君に似て!!」


 死んだ父親、ユウダイを思い出してオーウェンは思わず吹き出す。


「ぶふっ、確かに似ている……だが悪いところばかりでもないさ。

 そうだ。守りたい者は己の力で守ればいい。

 サユリ、俺は何があっても絶対にお前を守り切るからな」


 オーウェンに真剣な瞳を向けられ「ちょっと……今ヒロキに怒ってるんだから」と少し赤い顔でモジモジするサユリ。

 それを空かさず茶化しに入るアミ。そんな彼女に思わぬ声が飛ぶ。


「アミ、お前は残れ。母ちゃんは俺たちで守るからよ」

「へっ? 嫌だよ。こんな時に一人待ってるなんて……」

「馬鹿! 戦争なんだぞ。カールスの時の比じゃねぇぞ?」


 ヒロキは悲痛な顔で「恐怖で動けなくなる奴は死んじまう所なんだよ」と彼女の両肩を掴んだ。


「わかってるよ。でも今回はちゃんとする。

 大丈夫。属性魔法だって覚えたんだもん!」

「えっ、回復魔法を端から諦めたアミちゃんがどうやってそんなもの覚えたの?

 魔力制御も下手なのに……」

「私はそんなに下手じゃないし!

 ヒロキが火で私は水を習得したんだよ。

 えへへ、凄いでしょ。ルイ君が毎日見せてくれたの」


「あらやだ。後でお礼を言わなきゃ」と相変わらずマイペースな二人に男二人は嘆息する。


 しかしやることは決まった、と彼らは早速動き出す。

 そう、教職員が突如姿を消す訳にも行かないので理由を作って急ぎ引継ぎをしなければならない。

 ヒロキに至ってもパーティーメンバーであるナオミとアキトには事情を話して置かなければならない。

 サユリが明後日などと決めてしまった為大忙しだ。


 二人して部屋を出ようとした時、ヒロキはオーウェンを呼び止めた。


「なぁ……俺、あんたを親父として認めることにした。

 だからってのも図々しいけど、ラズベルに行ったら本気で鍛えてくれないか?」

「ほう、そりゃ面白そうだ。

 才能とやる気がある奴を鍛えるのは嫌いじゃない」

「じゃあ……その……頼んだ。親父」

「あ、ああ……」


 お互いシドロモドロした空気を漂わせたものの、その場を去った後の顔は晴れたものだった。







 その後、アキトとナオミを呼んで話し合いの場を設けたヒロキ。

 母親の現状を説明し、ラズベルへと移ることになったと二人に説明した。


「そう。それは仕方ないわね……」

「あれれ……ルイ君の時とは全然違うね。止められるかと思った」

「馬鹿ね。事情も事情だし戦場に出ずに連れ帰るのが目的なら何も言わないわよ」


 茶化す声に鋭い視線で返したナオミだが頬がわずかに赤く染まっている事に気がつき「ふーん」と厭らしい笑みを浮かべるアミ。


「だけど……そっかぁ……これからどうしようか?」


 困った顔をナオミに向けるアキト。

 流石に二人では今までの階層は周れない。


「どうするって行ける所で二人でやるしかないでしょ。

 ランドールさんにヒロキたちが抜けるから代わりに固定メンバーに入ってなんて言えないでしょ」


 ルイは戦争に参戦すると宣言しているのだから論外。キョウコも彼の監視役だから不可能。だからと言って侯爵令嬢を誘うなんてこともできない。

 その他の面子は言葉もろくに交わしたことがない者ばかりだ。

 必然的にペアでやっていくしかない状況だった。


「悪いな。戻って来られたら声掛けるからさ」

「理由がそれなら仕方ないよ。

 それに僕はさ、今のこの現状を作ってくれた皆には本当に感謝してるんだ」

「ん? この現状って……?」


 彼はヒロキたちの話を聞いた流れか、アミの声に応え自分の身の上を語った。

 彼の家も母子家庭。

 母親は一般人だが亡き父親はハンターだった。

 だが、ヒロキたちの家と違い、オーウェンの様な支援者は居なかった。

 その日の糧にもありつけない時があるほど本物の貧困層の住人。


 剣術は領主の私兵の訓練場まで足を運び動きを真似た。

 そうして通い詰めて居れば面倒見の良い騎士に偶に相手をして貰えた。

 彼にとっては町を守る領主の騎士は紛うことなく英雄。その気紛れの手解きが彼にやる気を与え続けた。


 身体能力強化は領主の騎士に頼み込み、見せて貰う度に犯罪を承知で秘密裏に書き記して覚えた。

 問題は教本だったが、それは母親が何とか捻出してくれた。

 そうして必死に訓練と勉強に明け暮れ、特待生であるAクラス入りできた事で見事入学を果たしたのだ。


 なんとしても二年で卒業し一刻も早く家に仕送りをと考えていた彼だが、仲間に恵まれ周囲とは一線を画す成長を遂げられたお陰で、学生の身分でありながら家に仕送りが出来る程の稼ぎを上げられている。


 偶に家に帰ればもうヒーロー扱い。

 その現状を作り上げたパーティーメンバーに彼は深く感謝を示していた。


 アキトは改めて「ありがとう」と頭を下げる。


「そりゃ、ユリとルイのお陰だろ」

「まあ、危険もあったけどねぇ?」

「そうね。トラブルメイカーもいいところな二人ね」

「それは言ってあげないでよ。二人に非は無いんだから……」


 いつもの様にブレーキ役を務めた彼だが、何時も通り会話がずれていくことに苦笑する。


「まあ、目指す場所は人それぞれだけどよ、俺はもっと先に行くぜ。

 絶対にルイと肩を並べ、いつか追い越す。追い抜かれたままじゃ嫌だからな」


 ヒロキの宣言に女性陣二人はそれはどうでもいいと返したが、アキトは彼に困惑の視線を向けた。既に学年では突出しているだろうと。


「もっと、先に……?」

「ああ。俺はあいつ……先生みたく最強の一角に入る。それが目標だ。

 アキトも俺と肩を並べてるんだからお前だって十分目指せる筈だぜ?」


 アキトにはなんの根拠も無い大それた願いに思えた。

 彼にとっての英雄である領主の騎士たちを飛び越えると言っているのだから。

 だが、真っ直ぐとそれを言ってのける彼がアキトの目には眩しく映る。


「はぁ、なんで男ってこうなのかしら。身が守れて生活できればいいじゃない……」

「まあいいじゃん。男が強くなれば女にお金が入ってくるんだし」


 あんまりな言葉に「お前なぁ」とアミにジト目を向けるヒロキだが、三人の声はアキトの耳には入らなかった。

 本来であれば『流石に無理だよ』と流すところだが、ルイの存在がそれを否定する。


「僕が、英雄を目指せる……?」


 小さな彼の呟きは姦しく話す三人には届かなかったが、彼の心には深く染み込んでいった。

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