第50話 帝国の伯爵
ロイスと行動を共にすることを了承したユリシアは案内の元、彼らのアジトへと足を運んでいた。
「ほ、本当にここが隠れ家なんですか?」
彼女は思わずそう問いかける。
ここはただの平野で普通の村。
ラズベルにも近く隠れるのに最も適さない場所。
どんな理由で身を隠しているかは知らないが何故此処で、と彼女は首を傾げた。
「おう。俺たちが十五年掛けて作った村だ。
条約違反にされない為に俺が生きてる事はランドルフにも教えてなかったんだが、お前にはバレちまったな……」
そう言って彼はおどける。
ランドルフ・フォン・ラズベルという父親の名前が出てきたものの、一切理解出来なかった彼女が再び小首を傾げると、彼の補佐官であろう老兵がユリシアへと説明を行う。
「レスタール王国へと国を明け渡す際、ロイス陛下が二度とベルファストの地を踏まないということを条件に、戦になった場合にレスタール正規兵からベルファスト全盛期の三割以上の兵を援軍に寄越すという条約を結んだのだ。
だが、それは昨年破られた。寄って我らは国を取り戻すために動いている」
それを聞いたユリシアは恐る恐るロイスを見上げた。
「ルイのお父様ってまさか……先王、ロイス陛下……だったのですか?」
「はぁ? 気付いてなかったのかよ!?」
「だ、だってそれではルイが! ルイが王子様という事に!」
青い顔を見せるユリシアにロイスは頷く。
「ユリシア、お前が悪い訳じゃない。
あいつに良くしてくれたんだ。お前を怨んでなどいない。
礼を言いたいくらいだ」
「ち、ちがっ……私は良くして貰ってばかりで……」
「やめろ……自分を責めるな。
俺の子は優しかったのだろう? ならばルイの為にも自分を責めてやるな」
その声に彼女は俯いて更にどんよりとした空気を漂わせた。
言葉を受け入れられなかった訳ではない。
ロイスが泣きそうなほどに悲痛な表情を浮かべて居たからだ。
「ユリシア嬢、天から見守っているルイ殿下に笑った顔を見せてやれと陛下は仰っているのだ。
殿下の想いに応える為に戦場に出たそなたであれば、その程度できるであろう?」
「――――っ! はい……」
ユリシアは跳ねる様に顔を上げ、不器用ながらも口元を少し綻ばせた。
「なんだよ。ゲンゾウの言う事はすぐに聞くんだな……」
「ち、違います。ロイス陛下!?」
「ああ、いい、いい! お義父様のままでかまわねぇよ。俺も少しは気が紛れるしな……」
頭にルイのという言葉が付かない意味に気がついてボンと顔を赤くするユリシア。
「違います違います!
私の片想いで……私とは一緒になれないと言っていましたから……」
折角気を取り直したユリシアが再びズーンと沈み「あぁあぁ……」とゲンゾウが嘆く。
「待て、俺の所為か?」とロイスがゲンゾウを睨むが「陛下は昔から女性の扱いが苦手でしたからなぁ」と茶化す声が返る。
彼女を気にした言葉を吐いているが、最初よりは大分精神的に落ち着いた様子を見せているので彼らの言い合いはただの軽口。
「うるせぇ。そんなことより次の手筈だ。そろそろ叩かねぇとだろ」
「それはそうですが……この状況ですと相当巧く虚を突かない限り数千の兵を相手にすることになります。難しい所ですな……」
今までは無防備な町に潜入して仲間の家族を救出した後、できる限りダメージを与えてからこのアジトにて身を潜めたのだ。
それは防備を固めていない平時の町で行ったこと。
突発的に起きた事件にそのまま駆けつけられる兵は多くても百程度。
だが、今回は違う。
ラズベルから近ければ近いほど兵士がいつでも動ける体制を整えている。
下手に刺激すれば即座に全軍を挙げて出てくることだろう。
いくら上級騎士の集団とはいえ、そうなっては敗走は免れない。
唯でさえ少なくなってしまったベルファスト軍が更に削られてしまうだろう。
そうなるくらいであれば来たるべき日まで潜みラズベル軍と合流した方がまだマシと言えた。
「仕方がねぇ。また斥候探して潰すか……」
ロイスの一声で方針が決まり、彼らは再びダールトン方面へと移動を開始し、索敵を始める。
ユリシアはロイスたちと共に森の中の茂みで身を潜め街道の先を見据えていた。
聞こえる音は多い。数十人規模だ。
一つの獣車に数十が続く集団の音。明らかに兵士のものだと予測が付いた。
「数は丁度良さそうだな」
「ええ。五、六十と言ったところでしょうな」
当然の様に頷く兵士たち。彼らは全員聴力を強化できる事が伺えた。
その所為で彼女は少し恥ずかしさを覚えた。
誰一人身じろぐ音も早々立てないのだ。自分ばかりが音を出してしまっている。
だが同時に高揚も感じていた。
ルイの父親の役に立てるということに。
ルイ、見ていてくれていますか、と一人心の中で呟く。
そんな中、こちらに火の玉が飛んで来た。
直撃コースではないが割りと近い位置に着弾する。
「ちっ、バレてやがるな。正面からやるぞ。いいな?」
「「「はっ!!」」」
ザッと一斉に立ち上がり、一瞬で街道に整列する兵士たち。
付いて行けなかったユリシアは歩いて前に出るロイスに続き、銃を構えた。
「ああ、撃ってきたんだ。こっちもかましてやれ」
「はい!」
距離にしてざっと二百メートル。
魔力を多く込めれば届きはしても動かぬ的にすら早々当たらない。そんな距離だ。
ルイであれば通常の魔法でもこの程度の距離ならと動かない的には軽く当てるが普通は不可能な距離。
彼女は距離を鑑みて、銃を大きく作り直す。爆発の魔道具もそれに合わせて変え、再び銃を構えるとテンポ良く五発撃ち出した。
数人がばたばたと倒れる。
「おお、すげぇじゃねぇか! この距離で全部当てるかよ!?」
「いえ……一発、弾かれました。多分あの先頭の人、上級騎士です」
「ほぉ、それは好都合。強者は小出しにして貰わんとな」
そう言った直後、ロイスが纏っている専用武装から黒いオーラが立ち込めた。
これは制御の甘い上位の騎士が気勢を上げた時に出易いもの。
その直後、元とは言え一国の王とは思えぬ速度で迫りくる敵兵に突っ込んだ。
一人では危険、そうユリシアが言おうとした瞬間風が吹き抜けるように兵士が突撃する。
「あっ、援護しないと……」
急いで銃を構え直し、狙えるラインに入った敵兵を撃つ。
魔物で散々練習をしたおかげで当たるには当たる。だが動いている相手の防具の隙間を狙うのは難しく命中率は十発に三発程度だった。
気取られず背中から打てた前回とは打って変わった状況に彼女は焦りを見せる。
それでも撃ち続け、七人ほど仕留めたところで撃つのを止めた。
魔力が厳しい訳じゃない。
種が割れてからは撃っても軽く防がれてしまったからだ。
ユリシアは歯噛みして近接武器にて参戦する。
「おいおい! 何やられてんの? お前たち、俺に恥をかかせる気か?」
後ろで見ているだけだった若い男が一言告げると、生き残った二十数名程の敵兵たちが目に見えて殺気立つ。
「そうそう。それでいいの。ああ、前の二人は俺がやるから手を出すなよ」
男は宣言通り前に出て、ロイスとゲンゾウの前に立つ。
「お前ら中々やるじゃん。俺と遊んでくれよ。決闘しよう決闘!
ああ、ダメって言っても殺すけどな?」
気取って剣を構える男の前に激昂したユリシアが切りかかる。
男は彼女の剣を軽く弾き返し口端を持ち上げた。
決闘で殺すという言葉か、ルイの父親だからか、ユリシアは周りの声を無視し荒々しい殺気を放ち続けている。
「若い女かぁ。久しく切ってないが、ちゃんと俺を楽しませられるのかぁ?」
「ユリシア、戻れ! 俺がやる!」
「ざーんねん! 始まったら止まらないんだなぁ。殺し合いってさっ!」
軽口を叩きながらもユリシアに切りかかるが彼女は剣術技能、円舞にて弾き返しカウンターを叩き込む。
男はギリギリの所で避け切り、髪が数本舞う。
「へぇ、今のは危なかった。幼い外見や最初の一撃の愚かさで巧く虚を突いたね?
あはは、合格だよ。いや、甚振るにはめちゃくちゃいい塩梅だ!」
話している間に後ろに回っていたゲンゾウが音も無く突っ込み剣を振り下ろす。
「はい、バレバレー!」
後ろも見ずにガードをしてみせそのままゲンゾウに蹴りを放つ。
彼は無言で避けて高速で斬撃を走らせたことで男は一度距離を取った。
「いや、キミも中々やるけどさ……邪魔すんじゃねぇよ」
表情から気配からがらりと変わった男に警戒したゲンゾウは後ろに飛ぼうとしたが、その時には既に男がゲンゾウの懐に入っていた。
一歩間に合わず、腹部への斬撃を受けてしまう。
武装の上だ。ダメージにはなっていない。魔力も失っていはいないだろう。
「あーうん。わかれば良いんだよ。わかれば……」
再びちゃらけた顔を見せるとユリシアへと飛び込む。
その頃には彼女も激情は落ち着いたのか、氷の様な瞳を男に向けていた。
走る剣戟を難なく円舞にて弾く。
だが、ユリシアのカウンターも難なく防がれる。
男はまるで稽古をつけているかのように段々と速度を上げていく。
「あはは、わかるよ。君の身体能力だとそろそろ限界でしょ?」
「―――っ!?」
円舞にて弾く筈がギリギリの所で抜けられ、このままでは袈裟切りをまともに喰らう。
格上相手でこのミスは致命的だと冷や汗を流すがルイの様に瞬間的に強化出力を全開まで引き上げるなんて芸当が出来る訳もなく、交わす術はなかった。
だが、その剣は彼女の髪に軽く触れた所で止められた。
「息子の嫁を傷物にされちゃ困るなぁ」
ロイスはユリシアを背に隠す様に前に出た。
「あの、私が! 私がやりますから!!」
「おいおい、ルイの偉業を轟かすんだろ? ならお前のする事はなんだ?」
「――――っ!?」
彼女はその言葉を聴いて、瞬時に理解し森の中へと逃げ込んだ。
「はぁ? 何逃がしてんだよ、おっさん……」
「なんだお前、敵が言う事を聞いてくれるとでも思っているのか?」
「……あはは、切り刻まれてからでも同じ事が言えるかなぁ!?」
不自然に笑顔へと戻した男は敵をロイスと定め切りかかるが、軽く合わせられ鍔迫り合いに負けたたらを踏んだ。
「まあ、ぼちぼちだな。お前、そんなに調子に乗れるほどじゃねぇよ?」
「たった一合で何言ってんだ? おっさん……」
男は雰囲気をがらりと変え、濃厚な魔力を纏い強い殺気を向けた。
剣を真っ直ぐロイスに向けためを作り腰を落とす。
「突きね。わかってりゃたやすっ――――――――」
構えから明らかにわかっていた筈の攻撃。
だが、目を離して居ないにも関わらず気が付いた時にはもう切っ先が目の前まで来ていて、頬を掠め姿勢を崩した。
瞬時に体勢を持ち直すが、その時には既に男は次の一手に入っていた。
これは喰らう、とロイスは表情を歪めた。
その瞬間、タッーンと乾いた音が響き男の手が弾かれる。
「ちっ、最初のあれか。どんな命中精度だよ……
まあ、これで力の差を理解したかな?」
「はっは……こりゃ嬢ちゃんに助けられたな。
いや、ルイが力を貸してくれたとも言えるか……
ゲンゾウ! 確実に潰したい野郎を見つけた。こっち手伝え!」
声を掛ける前から後ろに控えていた老兵は「見極めお任せしたつもりが最初の動きはフェイクでしたか。油断は大敵ですな」とロイスの隣に並ぶ。
「ダールトン特有のサディスト気質ってやつだろ。
嬢ちゃんを騙して甚振るつもりだったんだろうよ」
「見慣れても嫌悪は止みませんな。こういったゴミを見ると……」
先ほどとは打って変わって腰を落としたいつでも切り出せる構えを取った二人だが、男は逆に殺気を解いてチャラけて見せる。
「あはは、ダールトンなんかと一緒にされるのは困るなぁ!
我らは帝国の精鋭だよ?」
「――――っ!? 帝国、だと……」
それを聞いてしまってはむやみやたらに切り掛かるのは躊躇われた。
相手の性格やもう始まってしまっている状況から和解の芽が無いことは理解していても、ダールトンと帝国を同時に相手にするということはラズベルの崩壊を意味している。
やらざるを得ないが動けない。そんな心情に追い込まれた。
「何故だ……ミルドラド王は帝国を毛嫌いしていた筈……」
「ああ、あいつらね。もう居ないよ。俺が殺っといた」
「――――っ!?」
ロイスは歯を食いしばる。
ミルドラド王族を滅するは彼の本懐だった。
だが今はそれどころでは無い。これでは国を取り戻すどころかラズベルそのものが無くなってしまう。
その事実に悲壮感が浮かぶ。
「あはははは! いいよ、その顔ぉ!
じゃあもう一つ教えようか。先日凡そ二万の大軍でここを攻めることに決まった。
その中には帝国の精鋭部隊も勿論居るよ。絶望的だねぇ?」
「に、二万だと……」
それほどの大群がベルファストに攻めて来たことなど歴史上でも一度も無かった。それほどの大群だ。
いくらこの世界が量より質と言えど、明らかなる多勢に無勢では敗北確実という図が成り立ってしまう。
その上で今回は帝国の精鋭部隊も居ると言う。
大国であるベルクード帝国が参戦するとなれば二万も不可能な数字じゃない。
この男や連れている兵士の質を見るにその言葉に信憑性が確かにあった。
帝国がダールトンに加担したのであればハッタリを入れる必要が無いのだから。
「て訳で早いか遅いかだから大人しく殲滅されてくれる?
ってあれれ……はぁ? お前ら……何やられてんの?」
自軍の状況を見て、男の表情が一気に冷めたものに変わる。
いつの間にか一人を残して殲滅されていて、なおかつ相手は十人程度の負傷で済んで居たからだ。
生き残った一人が走り寄って来て撤退を進言する。
「閣下、あいつらばたばたやられちまいやがって……流石に俺一人じゃどうにもできませんぜ! ここは一時撤退を!」
「確かにこの人数を相手にするのは少し危険もあるかなぁ……
まあいいや、先の楽しみが出来たってことで。
ツトム君、キミの忠言聞いてあげるから殿よろしく」
「へっ!? そ、そんなぁ!? って、せめて走って下さいよ閣下ぁぁぁ!!」
武装を魔力に戻し、踵を返して獣車へと歩き出す彼にツトムは全力で泣き言の声を上げたが、ロイスとゲンゾウが動くことは無かった。
彼らの頭の中はそれどころではなかったのだ。
撤退する二人を眺めたまま二人は思案に耽る。
「二万なんて数、対抗出来る戦力をどこから引っ張ってくればいい……」
「何をするにしてももう資金の方が……ここはもうベルファストを取り戻しに動いた方が」
彼らは戦時中に大きな混乱を齎すのは不味いと時を待っていた。
中枢にレスタールの監視役が多く潜んでいる筈。根回しも無しに迂闊に国を取り返しに動けば戦争に支障を来たす恐れがあった。
「いや、そっちにも金なんてねぇよ。ランドルフが限界まで手を回している筈だ。
その方向じゃ駄目なんだ……くそっ、他に何か手は……」
「……レスタール王宮に乗り込み約定を果たせと要求しに行きますか?」
負傷を負いながらも集まってきていた兵士たちはゲンゾウの声に驚愕の視線を向ける。
その言葉の裏を返せば自分たちの本懐であるベルファスト再興の大義を失うことを意味していた。
ロイスは全員を見渡した後、実際に言葉にして問いかける。
「本当にいいのか? 可能性が低い上に成功しても取り返す大儀を失うぞ」
「致し方ありません。ラズベルが落ちればベルファスト再興は完全に潰えるのですから」
彼はそれを聞いて「確かに。上手く行けば大義は失えど現状維持って訳か」と呟いた。
そこで茂みからザワリと音が立ち兵士たちに緊張が走るが出てきたのは愛らしい少女ユリシアだった。
突如そんな視線を向けられ彼女は、最初にした勝手を思い出し大きく頭を下げた。
「申し訳、ございませんでした……」
「ふっ、俺を救ってくれた恩人が何言ってんだか」
その声にユリシアはバッと頭を上げ、ロイスの顔をマジマジと見つめた。
ルイと同じ表情、同じ言葉。仕草までもが同じだった。
「ロイス様……」
彼女はふわりと表情を緩めた後、今度は絶対に間違えない、と決意を込めた目で敵軍が去って行った方向を見据えた。
その後、彼らは先ずは事実確認だと、ダールトンへと調査の兵を走らせた。
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