第80話 ミロノフとバンバンエル(8568年4月17日)


「オランダスから連絡書が来たぞ、バンバンエル」

「予感屋から? 緊急連絡か?」

「いや。警備の強化策についてだ。読んでみろよ」

「今は手が離せない。読み上げてくれ」


 ミロノフが声をかけたとき、バンバエルは、竜専用の井戸端で、走竜を水洗いしているところだった。

 本来であれば、調教師がやるような仕事ではないが、厩務員きゅうむいんを一人辞めさせて人手が足りないため、自分たちで穴を埋めるしかないのが現状だった。


「結構長いぞ。数字もずらずら並んでいる」

「細かい数字はいらん」

「だろうな。取り敢えず、項目別で、要点だけにしておく」

「あぁ。それでいい」


 バンバエルは、雑用は苦にしないが、書類仕事からは逃げようとする。

 調教師を志すような男は、たいてい感覚派であり、頭脳労働は苦手なものだ。

 ミロノフの方は、職業軍人としては、まだしも数字に強い方であった。

 というより、バンバエルと長年コンビを組んでいたせいで、押しつけられるのに慣れて、嫌でも事務能力が上がったのだと言える。

 

「その1。周辺の土地を買い取って、私有地を広げる。今の倍くらいまで」

「倍……豪勢な話だな」

「豪勢な話は、更に続く。その2。広げた土地に、客用の新棟を増築する」

「謁見ドームとは別にか?」

「別だ。ドームには、招待客だけ通す。約束のない者は、新棟の受付で、手紙だけ預かって追い返すものとする。王族が来ようと、高位の神官が来ようと」

「なるほど、先週の一件の対応策なのか」


 建国記念日に、ショコラ様に会おうと押しかけてきた王族がいた。

 その自信過剰で傍若無人な16歳の少年は、走竜に乗ったまま強引に門を押し通り、王寮の門番に大怪我を負わせ、側に居合わせた2名を気絶させた。

 

 その時、たまたまテリーに騎乗していたショコラ様は、異変に気付くや現場に突撃して行かれ、不法侵入者に4倍返しの報復をなさった。

 正確に言えば、竜気戦であっけなく負けた王族の少年が走竜から落ち、骨折と打撲と内臓損傷の大怪我を負うとともに、プライドが粉々に打ち砕かれたのだが。

 仲人の誓神官を含めたお供の総勢8名も気絶させられるというおまけ付きで。

 

「あの時は、お止めする間もなかったな」

「全く。何かが起きると、オランダスに警告されていたっていうのに」


 あの日、ショコラ様には、外出予定はなかった。

 朝になって、ロムナン様が怪我した野生竜の仔を保護して騒がれたため、連絡をしたところ、様子を見に来られることになったのだ。

 テリーに騎乗して、第四号型ショコラシートの使い心地を調べていたのは、来たついでと言うか、成り行きに過ぎなかったのである。


 護衛についていたオランダスが、竜舎へ来る前から、ピリピリと殺気だっていたので、ミロノフとバンバエルも、それなりに警戒体制を敷いてはいた。

 それでも、竜たちの連絡網の迅速さには、全くもって敵わなかった。

 主人を乗せたまま、いきなり走り出した斥候竜の姿にも動じず、走竜に飛び乗って、ぴったり後を追って行けたオランダスは、護衛のかがみだと言えよう。


「あれで、今の外門の警備では、強襲に耐えられないと知られたわけだろう?」

外門アレは、見掛け倒しの木製だしな」


 王寮を囲む内壁の玄関前には、竜車の乗り入れができる広い正門。

 各棟のホール前にある四つの門は、内門と呼ばれている。

 内壁より外で、外壁より内に位置する謁見ドームの正面にあるのが、外門。

 そして、外壁の通用口にあたるのが、裏門となる。


「そこで、その3。外門を二重にして、その上に警備用の見張り塔を作る」

「とすると、警備の人員も増やすんだろうな」

「あぁ、その4。見張り塔より外の敷地を警備する士族を中仕えとして増員する」

「士族限定で?」

「王族を直接警護するわけじゃなく、巡回や見張りが主任務となるから、身体能力の高い士族がちょうどいいっていう判断じゃないのか」


 異種族の血が入っている士族には、長身でがっしりした体型の男が多い。

 竜気量は少なく、せいぜい走竜に乗れるくらいの程度だが、身体強化術に長けているし、武術や格闘術を磨いているので、保安係や警邏員には向いているのだ。


「巡回には、番竜を増やした方がいいと思うがな」

「心配するな。番竜だって増やせるぞ。その5。警備に必要な竜を購入する。オランダスが希望リストを作るので、お勧めの竜種があるなら教えてくれ、と」

「そりゃ、お勧めしたい竜種なら盛沢山あるが、肝心の予算はどうなんだ?」


 バンバンエルの問いに、ミロノフは数枚ある連絡書の最後まで、ざっと目を通してから答えた。


「――予算については、特に書いてない」

「凄いな。限度額なしかよ」

「まぁ、斥候竜をポンと買うようなお方だからな」

「あぁ。おかげで、俺たちまで、出向してくることになったわけだ」


 ミロノフとバンバンエルは、帝竜軍所属の調教師である。

 もともと斥候竜の担当だった二人は、テリーの所有権が、ショコラ様に移った時点で、自動的に出向しゅっこうさせられる羽目はめになった。


 帝竜軍で、出向と言えば、左遷させんを意味する。普通ならば。

 だが、斥候竜が軍の外へ売りに出されること自体が、普通ではあり得ない。

 それもこれも、王族とは言え、わずか6歳の幼女が、出会ったその日に、すんなり気綱を結び、主人と認識されてしまったせいなのだが。


 とにかく、希少な軍用竜を担当できるのは、選りすぐりのエリートだけである。

 並みの調教師では務まらないのは明々白々なので、二人が引き続き担当することに相成ったわけだが、当然のことながら、喜んで受け入れたのではなかった。


 別に、昇進が遅れたり、待遇が変わるのが嫌だったわけではない。

 事情を知らない調教師連中ライバルどもから嘲笑されることだって気にならない。

 ただ、斥候竜の価値も知らない幼女になど、仕えたくなかったのだ。


 頭の良いテリーが愛玩竜あいがんりゅう扱いされ、本領を発揮できないまま、飼い殺し状態になると思うと、忌々しくて、腹立たしくて、気脈が尖りまくった。

 いつもだったたら、どちらかが怒りに駆られても、相方あいかたなだめ役に回るのだが、今回は二人の感情波は同調して高まり、抑え込むのに必死でえらく消耗した。


「最初の頃は、おまえの怒りを散らすのに苦労したもんだ」

「俺よりも、おまえのイライラの方が酷かっただろうが」

「まぁ、それも一月くらいのものだったがな」 

「あぁ。カモミールが出入りし始めた頃からか。現実が見えてきたのは」


 竜装具を作る匠舎の跡取り娘カモミールは、マニアックな竜好きである。

 帝竜軍には、竜が好きでない男は入隊しないし、オタクタイプもゴロゴロいるが、あそこまで感動と興奮を撒き散らすほど重度の奴はいないと断言できる。


 カモミールが女で、帝竜軍に入隊できなかったせいで、鬱憤うっぷんを溜め込んでいた反動もあるのだろうが、竜に対する情熱は紛れもなく、知識も豊富な技術者だった。

 斥候竜の能力と特徴をすぐに把握し、既存の竜鞍の改良ができるレベルで。


 しかし、それよりも驚かされたのは、ショコラ様の方だ。

 本気でテリーに騎乗するつもりだと知ったときにも度肝どぎもを抜かれたが、そのために幼児用の竜鞍を作らせようとする過程プロセス驚愕きょうがくの連続であった。


 最初に商談に来た竜具専門宝館の宝族と、次に連れて来られた仲買人の豪族は、技術的な話ができない素人しろうとに用はないと追い返された。

 そう、と言われたのである。 

 社会的地位が高い中年男性に対して、6歳児が下す評価がこれか?


 だが、カモミールとは、実際に技術的な打ち合わせをされている。

 ご自分で考案されたデザインを提示され、事細かい変更希望を出せるほど数字にも強く、材料の開発まで指示されるようになられた。

 側近くで聞いていても、自分の耳を疑いたくなるような専門用語を使って。


 あまりにも異常過ぎる。

 それは、優秀とか有能という次元をはるかに超えていた。

 一芸に秀でた天才児というより、むしろ、異端児か反逆児にあたる気がする。

 自らの意思を貫き、常識や慣習など簡単に突き破っていくという点で。


 かと言って、高慢で意地悪なお姫様というわけではない。

 周囲の進言は、きちんと聞き入れるし、我儘放題に振る舞うこともない。

 ただ、意に沿わぬ言動に対しては、苛烈な反応を示されるというだけで。

 敵とみなした相手を容赦をせず叩きのめす実行力は、お見事の一言に尽きる。


 なるほど、これだけ勇猛果断ゆうもうかだんなご気性ならば、斥候竜に相応ふさわしかろう。

 ショコラシートの試作第一号ができてすぐ、ロムナン様と野番竜の捕獲作戦を決行するくらい豪胆だし、闘竜の群れを制圧できるほどの攻撃波も放てる。

 更に、事故が起きて振り落とされようと、身を守れるだけの防御波も出せる。

 身体は未熟で体力も筋力もないのに、それを補って余りある竜気量の王族だ。


 調教についても、説明しないうちから、基本を理解されていた。

 いくら竜気が強くとも、[共生竜]を意のままに動かすのは難しい。

 知能の高い[眷属竜]よりも、群れをまとめて従える方が手間がかかるもの。

 ショコラ様の協力がなければ、番竜組(一班)を調教するのは、もっと手こずり、4倍は時間がかかったに違いない。


 女性が竜に騎乗するのは危険だ、とか。

 12歳未満の児童は、単独で騎乗させてはならない、とか。

 軍用竜は、然るべき訓練を受けた軍人しか騎乗できない、とか。

 諸々もろもろの慣習はあるにせよ、帝竜国法や四祖律法しそりっぽうに反するわけでもない。

 

 当然、保守的な者たちは猛反対するに違いないが、名実ともにテリーの主人となり、既に乗り回しているのだから、今更止めようもないだろう。

 第一、保護者たる外帝陛下が禁止されていないのだ。

 『実戦を経験した者が自ら望むならば、身分、職業、年齢、、性別を問わず、戦闘訓練を受けさせるべし』という竜眼族の掟に従えとの勅命で。


「魔物の襲撃を生き延びられた方だと知ったのも、あの頃だったか」

「いくら実戦を経験したって、そうそう開眼かいがんするものじゃなかろう?」

「そりゃ、死線を越えてから、戻って来た者だけに与えられる恩寵だからさ」

「ほとんどは、人界へ戻れず、そのまま竜界へ還るんだろうな」


 開眼というのは、竜眼の奥にある第四の瞼が開くこと。

 生死の境に立って、竜界をた者だけに与えられる竜神リ・ジンの恩寵おんちょう

 そうして開眼した竜眼族は、劇的な変貌へんぼうげると言われている。

 竜気量の増大、肉体の強化、精神力の向上――と目覚めざめ方はそれぞれ違うが。


 神話や歴史を読めば、開眼を遂げた偉人の話が、飽きるほど出てくる。

 だが、現実に現れたと聞いたことなど、これまで一度もなかった。

 戦場の噂や逸話が飛び交う帝竜軍に30年近くいる二人でも。

 こうしてショコラ様という実例に出会うまでは。


「なぁ、どうする、バンバンエル?」

「契約更新の件か」

「あぁ。こっちに出向する時点での契約は一年だった。8月に帝竜軍に戻るつもりなら、そろそろ移動願いを出さないと」

「俺は残りたい。おまえだってそうだろ、ミロノフ?」 


 確かに、ミロノフも契約を延長したいと考えていた。

 テリーの調教がしょいたばかりなのに、中途半端に辞めたくないという職業意識もあるが、それ以上に、ここにいたいと感じているのだ。

 多分、これが、竜眼族に備わる本能――強い群れの中にいると安らぐ帰属意識というやつなのだろう。


「まぁな。だが、残るにしても、選択肢がいくつかある」

「契約を更新する以外で?」

「まず、普通に一年更新にするか、三年で申請するか、だな」

「三年? あぁ、除隊までってことか」


 ミロノフとバンバンエルは、竜官学校の同期で、共に今年49歳。

 貴族として兵役義務を4倍務め上げるまでは、あと3年近く残っている。


「あとは、契約切れと同時に退役して、ショコラ様に仕えるという選択もある」

「それだと、兵役相殺が半端になるだろう?」

「そうだな。3倍は務めたから、無税にはなるが、成人義務は相殺しきれない。四分の一残る。結婚を1回して、子供は2人作らないとならないってことだな」

「――おまえ、もしかして、息子が欲しくなったのか?」


 兵役義務を3倍務めて退役するのは、家を継ぐ士族や商売を始める豪族に多い。

 何れにも共通しているのは、跡継ぎの息子を欲しがる連中だと言うことだ。


「いや。ただ、おまえは、どうなのかと思ってな」

「俺だって、息子なんかいらん。うちのような貧乏貴族の家系に生まれたって、苦労させるだけだ。だいたい、調教師なんかと結婚してくれる女性がいるかよ」

「カモミールの竜好きなお仲間には、物好きもいるかもしれないぞ」

「竜女会か。いや、ないな。あの手の女性と話すのは面白いが、結婚は無理だ」


 臣族階級の男には、大別すると、四種類のタイプがいる。


 第一に、【成人義務】を果たそうと婚活に血道を上げるタイプ。

 恵まれた家系の生まれで、それなりに優秀な貴族や豪族の保守層はこれだ。

 名誉欲が高く、結婚相手も損得尽そんとくづくで選ぶので、竜眼族の女性しか眼中にない。

 それも、できるだけ良い家系で、私有財産が多いほど価値が高いとみなすのだ。


 第二は、特定の相手と気綱を結んで、とことん入れ込むタイプ。

 駆け落ちして、【赤の結婚】する身分違いのカップルは、この典型と言える。

 女性と出会う機会がない軍では、男同士で【白の結婚】を結ぶ比率も高い。

 また、愛玩竜を実の子供以上に可愛がる竜狂りゅうぐるいなども、この範疇カテゴリーに入る。


 第三は、波長の良し悪しよりも、性的な魅力を重んじるタイプ。

 一口に竜眼族と言っても、様々な嗜好しこうを持つ者がおり、女性より同性に魅かれたり、複数の妾を侍らして悦に入る豪族もいる。

 異民の血を引き、竜気が弱い士族や匠族には、見た目の美しさに拘る傾向が強く、平民に至っては、両性の異種族を偏愛することもあるらしい。

 

 第四は、その逆で、竜気が強く、竜の血が濃いとされる先祖返りタイプ。

 竜語症の王族などは、この極端な例にあたるが、臣族階級では、血筋の良い貴族よりも、生産系の豪族や技術畑の匠族に散見されるのが不思議だ。

 こうしたオタク連中は、人としての欲望や能力が乏しいのが特徴で、結婚にも権力にも興味を示さず、趣味や仕事に打ち込む変人奇人ぞろいである。

 

 ミロノフとバンバンエルはと言えば、第三タイプのカップルだ。

 女性に気を遣うより、対等な男同士の方が気楽で良いという消去法に近く、息子を望める環境にいたら、普通に婚活していたかもしれない。

 ただし、その場合、調教師にはなれなかっただろう。


 一般に、調教師と言うと、第二の竜狂いタイプか、第四のオタクタイプと思われがちだが、それは大きな誤解だ。

 確かに、調教師は、竜が好きで、その育成を楽しむ男でなければならない。

 しかし、竜を溺愛して、独占欲を感じるような男では、調教師になれない。

 調教というのは、竜を手放すことを前提とした仕事なのだから、竜に傾倒し引きずられる依存型の男には、務まるわけがないのだ。


 ただでさえ、竜の仔はあどけなくて可愛い。

 あの闘竜だって、小さいうちは愛らしく感じるくらいである。

 一対一で接していて、懐かれ情が深まれば、どうしても気綱が強まってしまう。

 それでは調教師が主人になってしまうので、気脈のバランスを維持するために、中型竜の場合は二人組で、大型竜の場合は四人組で、調教するのが基本となる。


 そして、【白の結婚】をしている二人組の方が、独り者の寄せ集めより、竜とほど良い関係が結べて、調教が上手くいくというのも常識だ。

 だから、調教師は同性愛者ばかりで、師弟関係や養子縁組は、念友ねんゆうを意味する。

 女性と結婚する男が異端と見なされる、かなり特殊な社会なのである。

 

「まぁ、結婚すると、調教師としての信用は落ちるしな」

「運よく息子ができたとしても、育てる自信だってないぞ、俺には」

「それじゃ、契約については三年更新にするとして、その後は、どうする? 俺たちが希望すれば、退役後も調教師として、ここで雇ってもらえそうだが?」

「おぉ、本当か?」


 退役後の話は、以前にも出たことがあったが、二人の意見は割れていた。

 ミロノフは、軍属の教官になり、後進の指導をしないかと言い、バンバンエルは、独立して、卵から孵化させた走竜を調教して売る商売をしたいと言っていた。

 このまま平行線が続けば、退役と同時に【白の結婚】を解消して、それぞれ別の道に分かれて行くということになっただろう。


「あぁ。連絡書には、まだ続きがあるんだ。その6。警備用の竜を自給自足できる体制を作るため、必要な専門職を増員する。この候補に、俺たちも入っている」

「そりゃ良かった。厩務員も増やしてくれそうか」

「それどころか、見張竜や伝書竜用の調教師まで増やす予定らしい」

「おいおい、そこまで規模を広げるなら、竜医もいるぞ」


 調教師には、それぞれ得意とする竜種がある。

 ミロノフは、闘竜などの肉食竜を制御するのが上手く、バンバンエルは、走竜や番竜などの群れを扱うのが好きだ。

 しかし、羽類うるいと呼ぶ見張竜や伝書竜に関しては、二人とも詳しくない。

 もちろん、竜の怪我や病気を治療する竜医学となれば、完全な専門外となる。

 

「確かに、竜医も必要だな。オランダスは、その辺の事情にも通じているから、俺たちの意見も入れてくれるはずだ」

「だったら、ついでに、孵化師ふかしも雇うように進言しないか?」

「卵から育てるのは、いくら何でも無理だろう。あれは経費がかかり過ぎる」

「だけど、絶対に無駄にはならないぞ。ここには、保育竜ほいくりゅうが二頭もいるんだから。ロムナン様にも、そのがあるしな」


 保育竜というのは、傷ついた幼体を見逃せない竜の俗称だ。

 竜は卵を産みっぱなしが基本で、益竜えきりゅうの卵を温めて孵すのは、竜眼族の役回りなのだが、知恵があり同情心を持つ竜の中には、雛を拾って育てる個体もいる。

 姉御肌あねごはだのスケバンもそうだし、共感力の高いテリーは、人の子供にまで優しい。


 そして、その二頭に助けられたロムナン様も、世話好き気質を引き継いでいた。

 建国記念日には、怪我をした竜を拾って来たが、その前にも、死にかけた雛や野生竜の卵を持ち帰ったことが何度もある。

 傷は聖竜様に治してもらうこともできるとはいえ、卵の世話は素人の手に負えるものではなく、一度も孵化できたためしはなかった。


「ふむ。ロムナン様のためにと言えば、費用を出して下さるかもしれないな」

「そうとも。ショコラ様だって、保育竜タイプのお方だ。ロムナン様には甘い」

「わかった。取り敢えず、意見をまとめて、要望書を提出してみよう」

「意見は出すが、書くのは任せるぞ。よし、こいつは洗い終わった」


 バンバンエルは、泥が落ちた走竜を、井戸端から竜舎の近くに繋ぎ直して、今度は丁寧に身体をふき始めた。

 ミロノフは、多少の距離を保ちながら、その後をついて行った。


「こっちは、まだ続きが残ってる。その7。ショコラ様が新しい事業をいくつも始めるのにあたり、今度購入した土地に、開発や研究の拠点となる村を作る」

「村か。そういや、カモミールも、王寮こちらに移ってくると言ってたな」

「あぁ。匠舎あちらにも、盗人ぬすっとが入り込もうとしたんで、安全を考えて、移転させることにしたようだ」

「狙われてるのは、竜舎うちだけじゃなかったか」


 盗みの目的は、言わずと知れたショコラシートである。

 建国記念日には、物見高い参拝者たちが、ショコラ様がお住まいの王寮見物に集まり、外門前は結構の人だかりになっていた。

 そこで、王族同士の竜気戦が起きたのだから、これが噂にならないわけがない。


 なにしろ、見たこともない中型竜で駆けつけて来た幼女が、偉そうな少年を、横暴な取り巻きもろともに、一瞬で倒してみせたのだ。

 その姿が見物人に与えたインパクトは、さぞかし強烈なものであったろう。

 降伏礼を取っていても、攻撃波の余波を食らった者が多かったせいで余計に。


 当然、そこに居合わせた数十人が、あちこちで体験談を語ることになる。

 ショコラ様のお姿を拝見できたという自慢から、竜気戦の恐怖に至るまで。

 そこから、あの竜は何だ、知らない竜種だぞ、という話も出てくるわけだ。

 あんなに小さな身体で、どうやって乗りこなしていたのかという疑問とともに。


 斥候竜については、竜育園に駐留している帝竜軍では知られた話である。

 ショコラ様が買い取ってすぐに、その驚きの噂は園内を駆け巡っていたのだ。

 それに勝る衝撃をもたらしたのが、サルトーロ様救出成功の報せだった。


 わずか7歳の幼女が、単身で斥候竜に騎乗して、飛竜渓谷へ向かった。

 これだけでも、十二分に信じがたい大ニュースと言えよう。

 更に、野生竜と死闘を繰り広げて、無事に助け出すなど、どれほどの奇跡なのか。

 しかも、猛竜62頭を退治、17頭を捕獲するという大戦果まで上げて。


 あの後しばらくは、誰に会っても質問攻めにあうものだから、竜舎に勤める者たちは、酒場に行くことさえ自粛じしゅくしていた。

 ショコラ様に関しては、帝家より箝口令かんこうれいが敷かれているのに、酔いに任せて、下手に情報を漏らすことを恐れたからである。


 今回の一件後も、同様に、厳重注意すべきだった。

 ところが、まずいことに、あの日は、祝日の建国記念日。

 朝から屋台が連なり、酒が出回るお祭り騒ぎで、厩務員のガンジェイは、既にほろ酔い加減でいたところを取り囲まれ、べらべらと喋ってしまったのである。


「ガンジェイから、カモミールの情報も漏れたんだろうな」

「糞っ、あの馬鹿が!」 

「これは、俺たちの責任でもある。酒好きのあいつが、おごりに弱いことは知っていたんだから、もっとしっかり監督すべきだった」

「――はぁ。そりゃ、そうなんだよな」


 奢り酒には弱くても、根が真面目なガンジェイは、素面に戻った翌日には後悔して、情報漏洩してしまったことを自己申告してきた。

 その報告を受けた警備長のマイケル師が、早急に調査を開始し、憲兵隊も動いて、情報の流れは突き止めたらしいが、拡散した噂までは消しようがない。


 そうして、ショコラシートの性能を聞きつけた競合相手の宝族が、現物を入手しようと盗みのプロを雇ったのである。

 幸い、竜舎に潜り込もうとした奴はテリーが(尻尾で絞めつけて)捕獲し、カモミールの匠舎を襲ったグループは、内帝府から派遣された護衛が撃退したそうだ。

 命令を出した宝族も逮捕され、ガンジェイがクビになって、一件は落着した。

 

「済んだことを悔やんでも仕方ないさ。ただ、今後の教訓として生かさないと」

「人員を増やすとなれば、間諜が紛れ込んでくる可能性も高くなるだろう。これからは、よっぽど信頼できる奴じゃないと、推薦もできないぞ」

「あぁ、それで、最後のその8。今後、増員する場合は、下働きに至るまで全員と、秘密保持契約を結ぶとする」


 秘密保持契約は、本来、商取引や技術提携に際して結ぶもので、雇用契約としては一般的でない。

 しかし、ショコラ様は、何かと噂になりやすいお方だし、[砂糖派]であると公言もされている。

 母君を暗殺され、ご自身も暗殺者を送り込まれたこともあるのだから、最大限の警戒をしないわけにはいかないのだろう。

 

「俺は結んでもいい。秘密保持契約だろうと、永続主従契約だろうと。そんなもの結ばなくたって、ショコラ様を裏切るような真似をするつもりはないがな」

「それじゃ、このままずっとショコラ様にお仕えしたいと回答しておく」

「あぁ、書くのは任せる。これからも頼りにしているぞ、ミロノフ」

「おまえは、いつもそれだな、バンバンエル。わかっているさ」


 この日、4月17日に、ミロノフとバンバンエルは、ショコラに生涯仕えていくことを決めた。

 そして、お互いの気持ちを確かめ合い、退役後も共に暮らすと決めたのも、同じこの日であった。

 

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