第81話 マイケル師とショコラシート(8568年6月32日)



 マイケルは、珍しく調教場に来ていた。

 瞬動力者には、固有の移動手段があるので、普通は走竜に乗る必要がない。

 もちろん、軍人には必須技能だから、訓練は受けたし、騎乗することはできる。

 が、一応は乗れるという程度のもの。

 特に上手いわけでも、竜が好きなわけでもない。


 まして、調教については、何の知識もなく、興味も持てない中性だ。

 警備責任者として、定期的に見回りはしていたが、こうして腰を落ち着けて、走竜が走り回るのを見ていることなど、今までにはなかった。


 と言っても、暇つぶしをしてるわけではない。

 これは、神通力教官としての業務の一環である。

 まぁ、同僚の指導教官の方は、ひたすら楽しんでいるようにしか見えないが。


 事の起こりは、数日前。

 サルトーロが、自分も走竜に乗りたいと言い出したことにある。

 いや、以前から乗りたがってはいた。飛翔竜には。

 通常ならば、ありがちな夢だと片付けて、一考することさえなかっただろう。


 ところが、ここ十七王寮には、6歳から騎乗し始めたという前例がある。

 そう、既に斥候竜を乗り回しているショコラ様という前例が。

 そのため、6歳のサルトーロにも、「幼すぎる」という理由づけはできない。


 サルトーロは、飛翔竜のぬいぐるみを抱きしめて寝るような竜好きだ。

 禁止されても、斥候竜の竜舎に通いつめたような一途いちずさもある。

 さすがに、ショコラ様の眷属竜が欲しいなどという我儘は言わなくなったが、大きくなったら飛翔隊に入りたいという希望は捨てていない。

 瞬動力者が入隊できるのは、特技隊だけだと言っても、納得してくれないのだ。

 

 可哀想だが、中性が様々なハンディを負っているのは、シビアな現実。

 この人界は不条理なことばかりで、努力だけではどうにもならないことが多い。

 誓神殿に引き渡されなかっただけでも、恵まれていると感謝すべきだろう。


 まだ幼いとは言え、空疎くうそな期待を持たせたりしたら、後でより深く傷つく。

 マイケルは、そう考えて、現実に即した指導をすることにしている。

 自らの経験を基にして。軍の規律にも馴染めるようにと。


 ところが、ショコラ様は、サルトーロを甘やかそうとなさる。

 甘い一方というわけではないが、良い影響を与えているとは言い難い。

 何しろご自身が破天荒はてんこうなご気性で、常識を踏みつぶして行く方なのだから。


 その主人から惜しみない恩恵を与えられているサルトーロに、中性武官として上手く立ち回れるだけの社会性を身につけさせることができるのだろうか。

 そんな危機感を抱いている折りに、成人向けショコラシートの試作品が完成し、調教師たちや男性護衛陣には使用が許可された。使い心地の評価を行うために。


 そして、少年向けの開発に協力するという名目で、サトシ様まで、走竜の騎乗訓練を始めたのである。まだ12歳になっていないというのに。

 サトシ様は、かなり竜気が強い上に、三ノ宮国で乗馬の訓練はしていたそうで、熟達するのが異様に早く、いとも簡単に乗りこなせるようになった。

 兄貴分の鮮やかなる雄姿に、幼いサルトーロが、「かっこいい!」と感銘を受け、「僕も乗りたい!」と発奮はっぷんするのは、必然だったと言えよう。

 

 当然のことながら、マイケルは反対した。

 七門系の神通力を使う中性は、艮門系とは竜気の扱い方が違う。

 竜との気綱を結ぶのは交感力で、瞬動力とは真逆にあたる出力門。

 双方を使い分けるのは難しく、混乱しやすく、発達が遅れることになる。

 まずは基礎となる専門を優先して習得するのが、神通力訓練の基本だ。


 サルトーロは、瞬動力が発現しかけている段階で、訓練を始めたばかり。

 竜気の制御も甘く、感情波で念動が暴発するほど未熟な初心者レベルだ。

 そんな状態で、下手に交感力を使えば、瞬動の発動でも失敗する確率が高い。

 要は、前回同様に大怪我を負ったり、即死する可能性があるのだ。


 そう説明していさめようとしたのだが、サルトーロはあきらめなかった。

 ショコラ様に愁訴しゅうそして、味方につけてしまったのである。

 保護者が賛成に回ったのでは、頭ごなしに反対するわけにもいかなかった。

 相手は大学教授をやり込めるほどべんが立つ方なのだから、が悪い。


「本人が学ぶ気になっているようですし、騎乗訓練させても良いのではありませんか? 命ジョンに伺いましたけど、走竜は平民にでも扱えるくらいで、交感力はほとんど使わないそうですね。もちろん、危険があることは否定しません。でも、それを言うならば、瞬動すること自体、常に危険が伴っているわけです。何れにせよ危険なのであれば、どのような技能を習うかは、本人に選択させたいと思います。これは将来の進路に関わってくる問題ですもの。リスクについては、サルトーロもきちんと理解していますし。瞬動に失敗したときの激痛や恐怖を忘れたわけではないのですから、幼児と言えど覚悟はできているのです。あの子だって、飛竜渓谷で実戦を経験したようなものですよ、マイケル師。そして、今は、魔族の襲撃が、いつ何時起きるかわからない不穏な状況ではありませんか。いざという時に、走竜に乗れないと困ることだってあるでしょう? 万一また怪我をしたとしても、それで命が助かるかもしれないし、瞬動以外の移動手段を持つことは無駄ではないはずです」


 お説ごもっとも。

 ここまで言われては、マイケルに反論はできなかった。


 実戦を経験した者が自ら望むならば、身分、職業、年齢、性別を問わず、戦闘訓練を受けさせるべし――これは、帝竜国の法ではなく、竜眼族としての掟である。

 女性や老人、子供に至るまで、闘う気概がある者全てが戦闘要員であったという神竜国時代から、連綿と受け継がれている絶対的な掟なのだ。


 確かに、野生竜に囲まれて死にかけるというのは、実戦に準じる経験だろう。

 サルトーロは、死の恐怖を知って尚、それに屈しないだけの気概を持っている。

 負けず嫌いな努力家だから、抑えつけるとじ曲がってしまうかもしれない。


 それに、出血や骨折をしていたら、瞬動で逃げられなくなるのは事実だ。

 たとえ自分は無傷でも、怪我した仲間や幼い子供は転送することができない。

 前線との連絡任務についていたとき、マイケルが実際に体験したことだった。


「心配しなくても大丈夫ですよ、姫。サルトーロには、マイケル師や命ジョンがついていて下さいます。たとえ怪我したとしても、ヒールが治してくれますもの」


 弟に過保護なユーレカ姫も、自信ありげに断言されて、簡単に懐柔かいじゅうされた。

 まぁ、この姫は、ショコラ様を盲信している嫌いがあるので、不思議ではない。

 予想外だったのは、命ジョンまで賛成派に回ったことである。


「ショコラシートも改良を重ねて、かなり使い心地が良くなっているのですよ。よろしければ、ご自身で試乗して、安全性を確かめてみていただけますか、命ジョン。それで問題がないようでしたら、走竜用の幼児タイプを作らせますので」


 この餌にあっさり引っかかった命ジョンは、その場で承諾してしまった。

 ショコラシートの開発当初から興味津々だったのだから、「試乗」という賄賂に飛びつくことは予想して然るべきだったのかもしれないが。

 

 そもそも、命ジョンを王寮に送り込んできた命神殿もどうかしていると思う。

 恵ヘレンに対抗するにしても、もっとマシな人選ができなかったものか。

 いくら、サルトーロより竜気量が多い王族でなければ抑えられないとは言え、よりによって、帝竜軍の元『特攻隊』隊長を、幼児の指導教官に推薦するとは。

 

 『特攻隊』というのは、早駆竜を駆り、先陣を切って敵に突っ込んでいく機動部隊の俗称だが、命ジョンは、その頭として60年以上君臨していた。

 王族故に、形式上は、走竜隊司令官という役職についていたが、事務仕事は副官に丸投げして、最前線で走り回るのを生きがいにしていた戦闘狂なのだ。


 良く言えば、豪胆無敵な英雄。

 悪く言えば、考えなしの命知らず。

 要は、戦況を知略で読み取るのではなく、野生の勘で動く脳筋タイプ。

 部下を叱咤激励しったげきれいするのは得意でも、教育に関しては、ずぶの素人と言える。


 マイケルの方も、幼児を相手にするのは初めてで、まるで自信はなかった。

 それでも、神通力教官の資格は持っており、多少の経験もある。

 今までの生徒は、帝立武寮の中等科や士官学校の少年ばかりで、瞬動や念動がどういうものかをざっくり教える臨時講師であったとしても。

 

 同じ中性と師弟関係を結んで、竜気の扱い方から叩き込むのは、全くの別物の苦労があり、試行錯誤の連続となっていた。

 せめてもの救いが、指導教官である命ジョンが、「わしには、幼児の教育などわからん。ましては、瞬動力者ではな。指導計画はマイケルが決めてくれ。わしは、それを全面的に支持する」と協力を約束してくれたことだったのに。


 そうして立てた指導計画には、当然、騎乗訓練など入っていなかった。

 騎乗よりも優先的に訓練しておくべきことはいくらでもあるのに、全くもって困った事態である。

 

 しかし、満面の笑みを浮かべて近づいて来る命ジョンを責めても仕方がない。

 この人には、マイケルを裏切ったという自覚はなく、ただ、ショコラシートを餌にされ、丸め込まれただけなのだから。

 90歳の命大神官が、7歳児に丸め込まれたなど、外帝陛下に報告するのを躊躇ためらってしまうほど情けない話であるが。



「これは良い! 実に良いぞ、マイケル」


 走竜からひらりと飛び降りた命ジョンは、大声を張り上げた。

 耳をふさぎたくなるのをこらえながら、マイケルは無難ぶなんな台詞を返す。

 

「お疲れ様でした、命ジョン」

「ちっとも疲れてなどおらん」

「それでも、喉は乾いたでしょう」

「うむ!」


 マイケルが用意されていた飲み物を勧めると、命ジョンは、隣りの椅子にどしんと腰を降ろして、ジョッキに注がれたジュースを豪快に飲み干した。


「おう、うまいな。こいつは、ナツキの新作か?」

「いえ。弟子の一人が作った習作なので、感想を聞かせて欲しいそうです」

「苦味がなくて、まろやかな甘味がする。これも、砂糖入りなんだろうな?」

「レシピは公開されておりませんが、恐らく」


 ナツキには、甘味職人の弟子が4人いて、互いに腕を競い合っている。

 次々と生まれる新作は、王寮内で試食されるため、こうして使用人がおこぼれにあずかる機会も多く、皆が砂糖の味に慣れ、もはや竜糖では満足できなくなっている。


 当初は、砂糖を贅沢品と断じていた命ジョンでさえ、なし崩し的に毒されて、今では、[砂糖派]に鞍替えしたと言ってもいい有様だ。

 ショコラ様の[竜糖派]撲滅作戦は、着実に進行しているように思われる。

 

「ジュースには満足されたようですが、ショコラシートの方は如何いかがでした? 安全性に問題はありませんか?」

「全くない。凄いぞ、これは。クッション部分が振動をうまく吸収してくれるようで、抜群に安定感が良い」

「そのための特殊な材質を開発したそうですから」


 ショコラシートには、新しい材料がいろいろ使われているらしい。

 走竜用は、量産を踏まえて開発されたようで、斥候竜用の特注品の廉価版れんかばんとなっているが、既に流通している既製品に比べれば、かなり高額になると言う話だ。


「ほう。こいつは帝竜軍に導入すべきだな。まずは、第二大陸の前線基地から配備してやりたい。そうすれば、死傷率が下がるだろう」

 

 軍人というものは、退役すると、原隊げんたいに対する思い入れがより一層深くなり、事あるごとに引き合いに出すものである。

 特に、極限状態を共に耐え忍んだ前線帰りの連帯感は強いので、新しい装備を優先的に配備してやりたいという心情は、マイケルにも理解できた。

 ただ、死傷率に影響してくるほど優れた代物なのか、という疑問は残った。


「それほど性能が良いのですか?」

「そうとも。これならば、落竜らくりゅうの危険性が低くなり、速度をもっと出せる。長時間またがっていても、ケツが痛くならないし、股もれないですむ。走竜にかかる負担も減る。その分、機動力や持久力も上がる。実に画期的な竜鞍だ。できれば、命神殿にも欲しい。情報が流れれば、内帝軍や外帝軍も欲しがるに決まっとる。当然、八王軍だってな。量産はもう始めているのか?」


 命ジョンの口角泡を飛ばす勢いに、マイケルは呆気に取られた。

 これはもう、指導教官として、サルトーロのための安全評価するのではなく、軍需物質を調達確保するという司令官の視点へと、切り替わってしまっている。


「いえ、まだ、工場の選定に入ったばかりのようです」

「急がせろ。いや、むしろ、帝家がこいつの製法を買い取った方が得策か。一つや二つの工場と契約したくらいでは、たいした数は供給できんだろう。早いところ需要を満たすには、帝家主導で生産体制を敷いて、配分した方が良い。さもないと、こいつの獲得競争が始まるからな。王家や軍部が入り乱れて、利権を求め出したら収拾がつけられん。今の内に手を打つよう、わしは上申書を書く。それを外帝陛下にお届けしてくれ、マイケル。出来るだけ早急に頼む」


 脳筋ではあっても、軍の内情に精通した元司令官の要請である。

 マイケルには、これを拒否することはできなかった。

 もちろん、軽視することも。


 そのため、夕食後に時間を作って、外帝陛下のおられる天竜島へ跳んだ。

 8日おきの定期報告とは違って予定外なので、取り敢えず、命ジョンの上申書だけ置いてくるつもりだったが、1時間も待たされずに謁見できることになった。


 ショコラ様付きになってから、報告する際の優先順位が高くなった気がする。

 遊撃隊の連絡将校を務めていた頃よりも、頻繁にお目通りしているという事実からして、ショコラ様に対する外帝陛下の関心の高さが伺えるというものだ。


 もっとも、それは、可愛い孫娘に抱く愛情の類ではない。

 元のショコラ様は、6歳にして命を失い、竜界へ還られた。

 そう。ちょうど一年前、魔物の襲撃を受けた際に。

 しくも、今日6月32日は、ショコラ様の命日であった。


 現在、ショコラ様の身と名を継いでいる方は、異界からの転生者なのだ。

 それも、竜界こちらで半ば強制的に召喚したのだと言う。当人の意志に反して。

 だが、その事実を知る者は、ほとんどいない。

 国家機密よりも更に上の『帝家秘匿ひとく情報』とされているために。


 マイケルが、この情報を知らされたのも、王寮の警備責任者に任じられた後のことである。

 他の側仕え達や管財人達も、誰一人知らされてはいない。

 というより、知られないようにすることが、マイケルの役回りと言える。


 マイケルは、ショコラ様の監視役というわけではない。

 ショコラ様の周囲にいる者たちの方を監視しているのである。

 転生者と疑いを持つ者がいないか見極め、秘密が漏れることがないように。


 何故、ショコラ様が転生者であることを秘匿する必要があるのかと言えば、マーヤ家系の相続人として認められない可能性が出てくるからである。

 それは、非常にまずい。

 ただでさえ、魔物の襲撃で、国内が動揺しているというのに、更なる混乱を招き、経済危機に発展しかねないのでは。


 現実問題として、ショコラ様の身に転生していただけたのは僥倖ぎょうこうであった。

 外帝陛下ご自身は、さぞかし複雑な思いをされておられるだろうが。

 祖父としての哀惜を封じ込め、帝家の責務を果たさなければならないのだから。


 それでも、ショコラ様を憎んだり嫌ったりしてはおられないように感じる。

 可愛がるとまではいかなくても、目をかけているのは間違いない。

 それが、転生者の持つ知識に関する興味なのか、竜界へ呼び込んでしまったことに対する負い目なのかは、定かではないにしても。


 ともかく、お二方の波長が合っているのは、衆目しゅうもくの一致するところである。

 外帝陛下も、帝子時代から様々な改革を行い、物議ぶつぎかもしている方だ。

 発想が凡人と違うという点で、相通あいつうじるものがあるのかもしれない。


 幸か不幸か、ショコラ様は、英邁えいまいで、意志強固な方だった。

 実年齢が7歳ではなく、17歳だという事実を差し引いても。

 帝女にしたがる者が多いのもむべなるかなと思えるほどに。


 秘密を知るマイケルは、ショコラ様が反発されるのは当然だと同情している。

 外帝陛下も、無理強いするおつもりはなく、静観しておられる。

 愛国心が欠片もない転生者に、国を背負わせられるわけもないのだ。


 それでも、かすかな期待はある。

 気綱が広がっていった暁には、帝女になって下さるのではないかと。

 一旦守ると決めた相手は、全力で守りぬく気概をお持ちの方だからこそ。




「王寮で、何かあったのか?」


 マイケルが挨拶の口上を述べる前に、外帝陛下より、『皮肉』竜気まじりのご下問があった。

 本日の拝謁は、帝家の居住区にある居間で行われ、最初から人払いされている。

 好都合ではあるが、望ましくない騒動が起きたと確信されているようで、居心地は良ろしくない。


 前回、予定外の報告に上がったのは、建国記念日のこと。

 そのときは、王寮に無断侵入しようとした王族とそのお供連中が、ショコラ様の制裁を受けた一件を説明し、どう処理をするか指示を仰ぎに来たのである。

 

「今回は緊急とまでは申せませんが、喫緊きっきんの問題ではあるかと存じます。命ジョンより、ショコラシートに関しての上申書をお預かりして参りました」

「ほう。あやつがペンを取るとは、余程のことだな。これへ」


 お渡しした上申書に目を通すと、外帝陛下は、ふうっと大きな溜息をつかれた。

 これは、かなり珍しい。

 冷静沈着な外帝陛下が、動揺を表に出されるなど、滅多にないことだ。

 部隊が敗走した報告をしたときでも、感情波に揺るぎがなかった方なのに。

 

「製法を買い取れなど……簡単に言ってくれるな」


 愚痴とも否定とも取れるお言葉をマイケルは、黙って聞き流した。

 だが、次のご下問に答えないわけにはいかなかった。


「そなたも同意見なのか、マイケル?」

「はい、陛下。私には竜鞍の良し悪しはわかりませんが、命ジョンが感銘を受けるほどの性能であれば、利権を巡って内紛が生じるのは間違いないと存じます。そうした事態を回避するためには、帝家が権利を取得しておく必要がございましょう」


 ショコラシートは、その名の通り、ショコラ様のために作られた竜鞍シートである。

 発案したのも、資金を出しているのも、特許権を持っているのも、ショコラ様だ。

 ついでに言えば、材料の開発を含めて製作に携わっている匠舎は、全て専属契約と秘密保持契約を結んでいるので、販売権もショコラ様のものである。


「確かに権利は欲しいが、買い取るのに一体いくらかかると思う? 竜気を通すと強化されるゴム材やクッション材となれば、羽衣に匹敵する価値があると聞いておる。その情報料だけで、数年分の国家予算を請求されかねないのでは、取引などできぬ。今でさえ、マーヤ家系には多額の負債があって、返済する見込みがたたない状況なのだ。更に借財を重ねることは、内帝府が猛反対するであろうよ」


 国家予算を組むのは内帝府であり、内帝府に勅命を下せるのは内帝陛下だけだ。

 その内帝陛下が御病気で執務が滞り、補佐となるべき帝女殿下や帝子殿下も不在であるため、現在、帝家の力は、本来の四分の一まで力がぎ落とされている。

 外帝陛下は鋭敏なお方なので、何とかお一人で切り回しておられるが、負担と重圧がかかりすぎているのが現状だ。

 この上、内帝府と面倒な折衝せっしょうを重ねる余力などないということだろう。


 ましてや、昨年は、魔物の襲撃を受けたばかり。

 内帝府は、その復興のための費用を捻出ねんしゅつするのにも苦労しており、軍備の増強を求める外帝府と喧々諤々けんけんがくがくの大論争を繰り広げている。

 こんな状況で、緊急性の低い案件に、多額の予算を回せるわけがないと言われれば、それまでの話である。


 命ジョンも、その程度のことは理解している。

 それでも、敢えて上申したということは、外帝陛下とてご承知のはず。

 あとは、何を優先するかという政治判断が必要になるだけだ。

 武官のマイケルなどが、意見を述べられる立場にはない。

 しかし、王寮の警備責任者として、危険を見過ごすわけにもいかなかった。


「ショコラシートにつきましては、既に何度も盗難騒ぎが起きております。このまま放置しておいて、獲得競争が過熱すれば、ショコラ様ご自身にも危険が及びかねません。11月の誕生月を迎えられて、初等科へ移られたら、男性の護衛がお側におつきすることができなくなりますし、誘拐や暗殺の危険も増します。この状況をご説明すれば、ショコラ様にも、ご協力いただけるのではないかと愚考いたします」


 マイケルの進言を吟味しているような間があく。

 外帝陛下は、おもむろに姿勢を変えてから、再び口を開いた。


「協力とは? 如何いかなる条件で?」

「王寮の周辺警備を帝竜軍に請け負っていただくとか、王寮に瞬動房を設置する認可を与えられるとか、ショコラ様が初等科へ上がられても通いを認めるとか、金銭以外の対価を条件とするのです」


 命ジョンが上申書を書き上げるまでの時間を有効活用して、マイケルは、ショコラ様と面会し、先に話を通しておいた。

 そもそも、ショコラ様にショコラシートを売って下さる気がないのであれば、外帝陛下へ上申したところで意味がないからだ。


「随分と具体的だな。ショコラには、そなたが既に説明したのではないか」

「まだ概略だけでございます。陛下へご報告に上がるのを優先させていただきましたので」


 これは事実である。

 マイケルは、ショコラ様に打診しただけ。

 ショコラ様の意向を踏まえて、帝家と交渉するのは、管財人の仕事となる。

 

「クラウディングには報告していないと?」

「はい、明朝、マルガネッタの報告書を持って、跳ぶ予定でおります」

「手回しが良いな」

「ショコラ様のご指示でございます」


 そこで、外帝陛下の竜気が、すっと引き締まった。

 皮肉まじりに面白がっているだけでなく、真剣に検討を始められたようである。


「ふむ。つまり、ショコラは、乗り気だと言うことか」

「そのように推察いたします」

「意外だな。アレは、相続税をできるだけ払わなくてすむよう、成人するまでに、個人資産を増やすと勢い込んでいたのであろう?」

「さようなこともございました」


 数字に強いショコラ様は、個人資産の期末決算書に必ず目を通される。

 特に、成人したときに支払うことになる相続税の多寡たかを気にしておられるので、それについては、陛下にも報告してあった。

 時折、「因業陛下め」と呟かれるが、これは聞かなかったことにしておく。


「それならば、大金を得る機会をみすみす逃すとは思えぬのだが?」

「ショコラ様にとりましては、ショコラシートも開発商品の一つに過ぎません。他にも続々と試作品が生み出されているので、それらを商品化すれば、十二分に利益が上がるとお考えのようです」

「そう言えば、ゴム材を生活用品に転用するという話もあったな。どのような試作品ができたのだ?」

「私が実際に見せていただいたのは、騎乗着や帽子ですが、女性用下着や寝具、宝飾品なども改良されて、試用段階に入っております」


 ベール越しに、『驚愕』竜気が漏れてきた。

 この外帝陛下を驚かせたショコラ様は、偉業を成し遂げたと言えるのではあるまいか。

 

「一体、何種類あるのだ?」

「今の所、40種類ほどかと。ショコラ様は、竜女会の女性技術者たちを十数名後援されているので、色々な商品が、同時進行で開発されているのです」

「それで、利益が見込めそうなのか」

「マルガネッタは、莫大な利益になると申しております」


 命ジョンがショコラシートを画期的な竜鞍だと絶賛したように、マルガネッタも女性用下着に感動して、「これは絶対に売れます!」と力説していた。

 もちろん、マイケルが直接聞いたわけではない。

 パメリーナや他の側仕えたちと声高に話しているのを小耳にはさんだだけだ。

 

「ショコラが我が国を救ってくれることになるやも知れぬな。帝家に入ることはなくとも、低迷した経済を活性化するという形で。マイケル、そなたの責任は増したぞ。絶対にアレを失うわけにはいかぬ。何としても守り切れ」

「仰せのままに。4の4乗を尽くすとお誓いいたします」


 この日、マイケルは、外帝陛下の御内意を受けて、ショコラ様に生涯仕える終身護衛官となった。

 しかし、その事実をショコラ様が知るのは、はるか先のことである。

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