第79話 オランダスの建国記念日(8568年4月8日)



 4月8日は、帝竜国の建国記念日だ。

 激動の分裂期を経て、第一大陸が再び統一国家となった日。

 竜界に生じた亀裂が全て修復されて、防衛網が構築し直された日。

 そして、何度も滅亡しかけた竜眼族が、生存競争に打ち勝った日とも言える。

 

 初代内帝は、栄マーヤの孫のラーヤ一世。

 初代外帝が、命テ・ジンの曾孫のイ・ジン一世。

 お二方は母子であったため、当初は、内帝が外帝よりも上位だったが、その後、帝家内の順位は、即位順となった。


 儀礼上の順位はあっても、内外で担う役割は違う。

 内帝は、内政と防衛、外帝が、外交と遊撃。

 内帝の下、八内王家は、地王竜の力を結集して、竜界防衛網を張り巡らせ、外帝の命で、八外王家が、侵攻を食い止めるため、機動力を発揮して飛び回る。


 この役割分担は、実に8568年もの長きに渡り継承されている。

 ここ数百年は、魔人や魔物の出現が間遠となり、危機感が多少薄らいでいたのだが、帝家の有する絶対権力は、いささかもそこなわれてはいない。

 尊崇そんすうに値する重責を担われていると、臣民が皆、理解しているからだ。

 

 8歳になると、王族の中でも、とりわけ竜気量が多く、交感力が強い男女だけが選抜され、12歳まで最難度の教育と訓練を施されて、帝王試験を課せられる。

 それに合格した上、然るべき配偶竜を持てた推薦者だけが、帝家へ志願できるのだが、そうして帝女候補や帝子候補になってからも、八割以上が脱落すると言う。


 まさしく、狭き門。

 四姓を継ぐ王族の血統、帝王に相応しい知性、配偶竜に望まれるほどの竜気。

 これだけの資質が備わっていなければ、志願すらできない。

 そして、志願するには、重責を担う覚悟、不退転の決意が必要とされる。


 もっとも、王族の教育は、幼年科に入寮したとき、既に始まっている。

 通常であれば、帝家への忠誠心を育み、帝位を目指すよう導かれていく。

 しかし、幼少期に、魔物の襲撃を受け、ただ一人生き延びた場合は?

 何の覚悟もないまま、敵前で孤立する実戦を味わった方はどうなるか?

 

 ほとんどの方は、心を病み、立ち直れないだろう。

 強い方であれば、恐れに打ち勝とうと努めるかもしれない。

 賢い者だと、帝位には夢も希望もないのだと悟られてしまうようだ。

 栄誉など糞くらえ。貧乏籤など引いてたまるか、と。

 

 無論、ショコラ様が、そのようなお言葉を使われたわけではない。

 感情波を言語化するなら、これが一番近い表現になるというだけで。

 何分にも竜気が桁外れに強い方なので、ご不興になられると、悪態や罵倒に等しい鉄拳竜気が放出されるのだ。滅多打ちとしか言いようがない剣幕で。


 ニキータ教授の退任劇は、その悪例として歴史に残るレベルであった。

 さすが心理学者、あそこまで、よく持ちこたえたと褒めてやるべきか。

 信頼を築くどころか、あそこまで、よくも関係をこじらせたと責めるべきか。


 何れにしても、あの一件で、ショコラ様のご意向は明らかにされた。

 帝女になるつもりは微塵もないと。

 帝女にさせようとする敵には容赦しないと。


 全身が総毛立つ、圧倒的な覇気だった。

 この方が帝女にならずして、一体、誰がなるのだと思わせるほど。


 舌鋒ぜっぽうの鋭さも、その裏付けとなる英知も卓越たくえつしていた。

 今すぐにでも、帝女が務まるのではないかと思えてしまうほど。

 

 だが、第二大陸へ派兵され、実戦経験を積んだオランダスは知っている。

 魔物の持つ破壊力と、その襲撃を受けたときの恐ろしさを。


 更に、去年の7月、第七王寮の襲撃現場の惨状も、自分の目で見た。

 幼い子供から屈強な護衛まで、総なめ387名に上る遺骸を含めて。


 竜界は、竜気が網の目のように繋がって、異界との境界をなす防衛網だ。

 均衡を保っている状態でも、隙間から、多少の魔素は入り込むもの。

 だが、それは、竜気にさらされているうちに消失する幽体ゆうたいに過ぎない。

 警戒情報としては重要だが、実害はないとされている。

 

 対処が必要なのは、亀裂が生じて、大きな裂け目となったとき。

 そこを塞ぐことができず、広がったり増えたりすれば、魔素が濃くなる。

 濃密な魔素は、時として、人や動物の体内に入り込み、魔石として固着される。

 こうして魔素に毒され変異した個体のことを、魔人や魔物と呼ぶ。


 竜気を宿す人や竜には、魔素に対する耐性がある。

 だから、竜眼族が魔人になることはないし、竜が魔物になることもない。

 これは、竜界の外縁部にあたる宮国群や第二大陸でも同様だ。

 但し、竜眼族や竜の比率が低い土地ほど、魔人や魔物の出現率は高くなるが。


 何れにせよ、魔力をまとうことになった魔人や魔物を元に戻す術はない。

 それどころか、放っておくと、変異し続ける。それも、短時間で。

 より強く、より素早く、より大きく成長していくのだ。

 更に魔力が飽和すると、分裂して増殖し始め、群れとなることすらある。


 つまり、最も始末しやすいのは、出現直後。

 時が経つほど、討伐する難易度が跳ね上がっていくわけだから、被害を最小限に抑えるためには、迅速に迎撃部隊を派遣しなければならない。

 だが、竜気が弱く戦闘能力が低い者では、逆に殺され餌にされてしまう。

 

 わかりやすく言えば、魔力は火、竜気は水のようなもの。

 弱い魔力ならば、一度に沢山の竜気を浴びせれば消せるが、少しばかりの竜気をかけても全くの無駄。魔力の勢いが増す分、状況はむしろ悪化する。

 要は、魔力を一気に殲滅せんめつできるだけの竜気量がなければ勝てないということだ。


 たとえば、番竜ほどの大きさの魔物ならば、臣民の小隊八人でも倒せる。

 これが走竜クラスになると、中隊規模での出動が必要となってくる。

 闘竜ほどの大物になれば、大隊を率いる王族でも討伐に時間がかかるだろう。

 まして、群れを相手取るのであれば、予備役まで動員しての総力戦しかない。


 そして、昨年生じた裂け目は、非常に長く、広範囲なものだった。

 魔物が七カ所へ同時多発的に出現したせいで、情報は錯綜さくそうし、現場は混乱した。

 対応が遅れた二か所は群れとなって分散し、非常事態宣言まで発令された。

 七百年ぶりの危機。そう恐れられるほど多大な被害をもたらしたのである。


 あの日、オランダスは、たまたま第七王寮の近くにいた。

 春に退役したばかりで、『とむら巡礼じゅんれい』の途中だったのだ。

 『弔い巡礼』とは、戦友の遺髪を故郷へ埋葬しながら、巡礼すること。

 各地の命神殿を泊まり歩きながら、来し方行く末を思い、心の整理をする旅。

 

 正直言って、第二大陸から生きて帰れるとは思っていなかった。

 現実に、前線に送られて、戻って来られる将兵などほとんどいない。

 いても、大怪我をして名誉除隊となった再起不能の負傷者ばかり。

 兵役を四倍務め上げる職業軍人には、四肢欠損ししけっそんとて珍しくないのだから。


 しかし、オランダスには、「ヤバい」ときがわかる危険察知力が備わっていた。

 予知力のように、未来の一場面が視えるわけではなく、竜眼の裏あたりがチクチクして、危険信号を発してくるだけの予感に過ぎないが。

 何が起きるのかまではわからなくても、何か起きることだけは確かなのだ。

 

 その点では百発百中の的中率を誇っていたため、士官学校時代にはすでに、『予感屋オランダス』の通り名で知られるまでになっていた。

 そして、この特殊能力のせいで、外帝軍遊撃隊への配属が決まってしまった。

 竜好きのオランダスは、幼い頃から、帝竜軍翔竜隊を目指していたというのに。


 とにかく、あの日も、昼頃から、強い予感はあった。

 これまで生きてきた中でも、最大級に「ヤバい」何かが起きそうだ、と。

 旅先では、あいにくと『予感屋』の実績を買ってくれる上官がいない。

 退役将校というだけでは、信用されるわけがなく、発言力があるわけもない。


 そこで、オランダスは、まず最寄もよりの恵神殿へ向かった。

 瞬動便で、遊撃隊本部に、軍用緊急警戒報告を送るために。


 幸いにも、その恵神殿の神殿長は心話力者で、オランダスの警告が嘘やかたりではないと察知して、最優先扱いでの転送を認めてくれた。

 更には、恵神殿の連絡網も使って情報を集め、命神殿との連携も取り始めた。

 予感の信憑性については、半信半疑でありながらも。


 結果として、周辺の安全確保は上手くいき、被害はほとんど出なかった。

 魔物出現を意味する第一級警報発令後も、オランダスが前線帰りと知った地元の命信徒たちが指示に従ってくれたので、避難誘導での混乱は抑えられた。

 最悪の状況でも、女性と子供たちは守りきれる。そう思っていた。


 その見通しが、楽観的過ぎたと思い知らされたのは、深夜頃。

 遊撃隊本部から、オランダス宛てに、特別指令が届いたときのこと。


 第七王寮より、魔物の襲撃を受けていると救難要請あり。

 幼年科2名、初等科32名の王族貴族含む388名在住。

 帝竜軍及び命竜団による援軍到着は、夜明け以降となる予定。

 可及的速かきゅうてきすみやかに出動し、現場の情報を送られたし。


 未成年とはいえ王族が4名。

 貴族の側仕えも含めれば、王寮全体の竜気量は、かなりのもののはず。

 そこを敢えて狙ってくるとは、それ以上の魔力を持つ魔物ということだ。

 地元の民兵を総動員したところで、太刀打ちできるレベルではない。


 オランダスは、壮年の猟師を一人だけ連れて行くことにした。

 王寮までの案内役。そして、情報を持ち帰る連絡係として。

 外帝軍におけるオランダスの職分は情報官で、斥候や潜入は得意分野である。

 ただ、周辺地理には暗く、夜間に最短で辿り着くには案内が不可欠だったのだ。


 王族のお住まいは、温暖な気候に恵まれた高山地帯や海岸部が多い。

 ガルチュア山の山頂近くにある第七王寮も、夏でも涼しい森の中にあった。

 密林や草原地帯に比べれば、野生竜自体が少なく、魔物を感知できる大型竜も近くにいないせいで、襲撃されるまで発見されなかったらしい。

 

 オランダスがいた恵神殿は、そのガルチュア山の中腹にあり、第七王寮に至る近道は、急坂の続く険しい獣道で、視界はかなり悪かった。

 行軍に慣れた足なら二時間程度の距離だが、肩に頭光竜をまらせた猟師のザシュレンが先導してくれなければ、到底、辿り着けなかっただろう。


 黙々と歩き続けていたザシュレンが、『停止』の合図を出したのは、四分の三ほどは進んだかと思われたときだった。

 森の木々がまばらになってきており、足元の傾斜も緩やかなものとなっていた。


 突然、前方が白く光った。何かが爆発したかのように。

 かなり明るくまぶしい。だが、目がくらむことはない。

 そして、衝撃音も一切聞こえない。一方、気脈には衝撃が走っていた。

 

「オランダス様、今の白い光は何です?」 

「攻撃波だ」

「あれが……。始めて見ました。竜気が光るところなど……」

「魔力を相殺するときは、竜気量が少ない者でも、白く見えるんだ。竜眼ならば」

「竜眼を持たない者には見えないんですか」

「そうらしい」

「あっ、また光った」

「まずいな」

「なぜです?」

「立て続けに攻撃しているということは、魔物が強すぎて倒しきれないのか、標的が複数いるのか――何れにせよ、味方の劣勢を意味している」

「止めを刺したって可能性は?」

「非常に低い。二度目の方が弱かっただろう?」

「はい、かなり」

「勢いが弱くなるのは、竜気量が減っているときなんだ」

「消耗していると?」

「恐らく。もし今ので討伐できていなければ、次は玉砕攻撃しかなくなる」

「玉砕って……」

「相打ち覚悟の総攻撃だ。そこにいる全員で竜気を循環させ、全力を振り絞って攻撃波を放つ。4の4乗を尽くして」

「まさか。王寮あちらには、幼い王族方までいらっしゃるのに」

「無論、最終手段ではある。竜気量が少ない者から竜気が枯渇こかつして、竜界へ還ることになるからな」

「それでも、一かバチか、やるしかない場合もあると?」

「どうせ全滅するのであれば、せめて道連れにしてやりたくなるものなんだ。さもないと、後続の戦友たちに、より危険な魔物を残していく羽目になる。来るぞ」

「え?」

「目を閉じて伏せろ!」

「はっ」

「――もう、いい。大丈夫か?」

「おかげさまで、何とか……」

「顔を上げてみろ。目は普通に見えるか」

「ちょっと霞んではいますが、大丈夫です」

「そうか。良かった。君はここから引き返してくれ」

「オランダス様は?」

「現場へ状況確認に行く。それが任務だ」

「それでしたら、最後までご案内しますよ」

「いや。危険は去っていない。この先は、私一人で行く」

討滅とうめつできなかったってことですか。あの最後の攻撃でも……」

「一頭は間違いなく討滅できたはずだ。それでも、辺りに魔素が残っているのを感じる。恐らく、こいつらは群れなんだろう。あと何頭残ってるのかわからんが」

「魔物の群れだと……それじゃ、町まで襲われるじゃないか。糞ったれめ!」

「落ち着け、ザシュレン」

「――すみません」

「気持ちはわかるが、おまえには報告に戻ってもらわないと困るんだ」

「そうでしたね。攻撃波を三度見たと報告すればいいんですか?」

「あぁ。それと、帰る途中、耳も澄ましていてくれ。状況が掴めたら、空に信号弾を打ち上げる。今のペースで進むとして、どのくらいで王寮へ着けると思う?」

「この先は、ほぼ直線で行けるので、門までは、20分強。正面玄関までなら、更に10分ってところです」

「ならば、40分から60分までの間に打つようにする。一発から四発の間で」

「打ち上げ数を聞き取るんですね?」

「そうだ。一発だけなら、魔物を確認。復唱!」

「一発、魔物を確認」

「二発は、群れを確認」

「二発、群れを確認」

「三発は、魔物の位置不明。警戒は継続せよ」

「三発、位置不明。警戒継続」

「四発ならば、魔物の討滅確認。避難は中止せよ」

「四発、討滅確認。避難中止」 

「よし。お互い、4の4乗を目指そう」

「はっ。命テ・ジンの恩寵おんちょうたまわりますように」


 ザシュレンと別れてすぐに、森が途切れ、視界が一気に開けた。

 そして、遠目に、王寮の境界らしき、高い壁が広がっているのが見えた。

 壁の一部分が壊され、闘竜が体当たりしたような穴が開いているのも。

 

 その穴まで辿り着くまでに、走竜と警備兵らしき死骸をいくつも見た。

 つまりは、緒戦しょせんは外だったが、寮内への侵入は防げなかったということだ。

 これだけでも、かなりの大物だということが推測できる。できてしまう。


 穴の側で、敷地の中をうかがいながら、魔力の気配を探るが、特に反応はない。

 だが、まだ「ヤバい」信号は出続けている。どんどん強まりながら。

 本能が「逃げろ」とささやき、思わず身に震えが走った。

 その時だった。

 

 いきなり、竜気がすっぽ抜けるのを感じた。

 そうとしか言いようがない、奇妙な感覚だった。

 気が遠くなるのを意識し、竜界へ還るのはこういうことかと覚悟した。

 だが、数瞬後に、竜気が戻されて来た。怒涛どとうの勢いで。

 

 そこで初めて、竜気の増幅が起きているのだとわかった。

 貴族のオランダスに耐えられるレベル以上の竜気量が動いているのだと。

 今から思えば、循環に直接巻き込こまれたわけでなく、ただ気脈をかすめられただけだったから、気絶せず、座り込むくらいですんだのだろうが。

 

 あの瞬間、これだけは確信できた。

 王族の生存者がいて、まだ闘い続けている。

 恐らくは、王寮生が。

 12歳にも満たない子供の身でありながら。

 竜気の増幅など、年若としわかで訓練すらしたことがないだろうに。

 降って湧いたような初陣で、ぶっつけ本番の実戦に挑んでいるのか。

 しかも、おくさず、ひるまず、あきらめず、不撓不屈ふとうふくつ覇気はきまで込めて。

 今まさに、死力を振り絞ろうとしている。

 4の4乗を尽くすまで。


 たいした人物だと感服した。

 この方にお仕えしたいものだとも思った。

 もし、今日という試練を乗り越えることができたなら。

 そして、お互いに生き延びることができるのであれば。

 

 そう願った直後、王寮の方から、強く白い光が、放射状に打ち出された。

 普通の攻撃波とは違って直線的に進むのではなく、四方八方へと広がりながら。

 次いで、面状の光がはじけて無数に分裂し、霧状になって空へ昇って行く。

 辺り一面が、濃霧に覆われたが、やがては、それも、徐々に薄まっていった。


 オランダスが立ち上がれるようになったときには、王寮周辺の霧は消えていた。

 同時に、「ヤバい」信号も消えていた。ぷっつりと。

 圧倒的な竜気で魔力が霧散し、魔物が全て討滅されたのだろう。


 だが、危機察知力だけでは、討滅を確認できた証明にはならない。

 少なくとも、魔石という物的証拠が必要だ。

 情報精度を上げるには、実際に討滅した人の証言もある方がいい。

 

 と言っても、王寮は静まり返っていた。不吉なほどに。

 歓声も勝鬨かちどきも、安否あんぴを確かめ合う叫び声も聞こえてこなかった。

 その上、竜気の動きすら、一切感じられなかった。

 400名近い竜眼族がいるのに、これほど気配がないなどあり得ない。


 生存者が皆、気絶しているだけなのか。

 あるいは、全員が竜界へ還り、全滅してしまったのか。


 最悪の事態を覚悟しながら、オランダスは、幼年科の建物から捜索を始めた。

 倒れている人や竜の息が絶えていることを確認しつつ、救助すべき生存者がどこかにいないか、特に、隠されている幼い王族がいないか探し回る。


 玄関前のホールや廊下には、殊更ことさら多くの人が、倒れ伏し事切こときれていた。

 戦いの痕跡を辿るようにして進み、一階の遊戯室と思われる奥の方で、魔石らしき塊りを発見した。


 いや、それは、魔石というより、竜石と呼ぶべきなのであろう。

 魔物特有の粘液と肉片にまみれていても、赤黒い溶岩のような毒々しい物ではなく、金剛石のように白く光り輝いていたのだから。


 オランダスも、知識としては知っていた。

 普通に魔物を討滅すれば、魔素の塊りである魔石が残る。

 その魔石に竜気を送り込み続ければ、竜石へと昇華されるものだと。


 しかし、戦場で、竜石まで変わったところを見たことなど一度もない。

 兵士にとって、残った魔石は帝家へ献上すべきもの、という程度の認識だった。


 竜界を維持するために、魔石が利用されるとは聞いていたが、それは帝家が果たすべき責務であり、一介の貴族の力量ではどうにもならない次元の話。

 魔石を竜石に変えるまで竜気を注げるのは、王族の中でも選ばれた方だけだ。

 ショコラ様のように。


 そう。くだんの竜石の側には、ショコラ様が横たわっていらした。

 小型の翅光竜しこうりゅうを胸に抱き寄せ、身体を丸めるようにして。

 そのお姿を目の当たりにしたときの衝撃は、筆舌ひつぜつくしがたかった。


 あまりにも幼く小さい。

 貴族なら、4歳にも満たないほどの未熟な幼児体型だ。

 成長走度の遅い王族でも、せいぜい5~6歳に過ぎないだろう。

 

 この子が――いや、この方が、魔物に対峙たいじしたのか? 

 この小さなお身体で、あれだけの竜気を放ったというのか?

 しかも、たったお一人で?


 広い遊戯室の中を見回せば、他に七名の遺体があったが、倒れている位置は離れ過ぎていて、幼い主人の背後やお側について守っていたとは考えられない。

 間違いなく、ここにいる側仕えたちは、先に竜気を使い果たしている。

 もったとしても、三度目の玉砕攻撃までだったろう。


 この方だけは、竜気量が多く、最後まで生き残ったのかもしれない。

 だとしても、先ほどの竜気循環には、絶対に同調者がいたはずだ。

 あれは、単独では不可能なほど強力な増幅で、広範囲に及ぶ勢いがあった。

 

 もしかしたら、内帝陛下が、遠距離から竜気を送り込まれたのか?

 現場に残された、この幼い王族の竜眼を出力門として使って?


 それならば、あの怒涛の如き増幅にも、一応の説明がつく。

 たとえ説明はついても、承服できるものではないが。


 竜眼族の掟では、女性と未成年者は守られるべき対象だ。

 まして、何の訓練もされてない幼子おさなごを危険にさらすとは。

 誰が苦渋の決断を下したにしても、非情極ひじょうきわまりない掟破おきてやぶりではないか。


 その時点では、王寮内にいた者は全滅したものとオランダスは思っていた。

 誰も助けられなかったことに対する不甲斐ふがいなさと、守るべき幼子まで犠牲にして自分だけ助かってしまったという後ろめたさで、気分が重く沈み込んでいく。

 

 それでも念のため、脈を確認しようと近づいたとき、幼子の竜気を感じた。

 この方は、生きている。生きていてくれた。

 あの時の感動は、喜びというよりは、畏敬いけいの念に近いものだった。


 通常であれば、竜界へ還るはずの命が、人界へ止め置かれている。

 力場が破裂することなく。出血も骨折もない奇跡的な健康状態で。

 それは、竜神リ・ジンの恩寵の賜物としか思われなかった。


 その後、オランダスは、信号弾を四発打ち上げた。

 白い霧が完全に晴れ、日の出前で闇も薄らいでいる空へと。

 ザシュレンとの打合せ通り、『討滅確認』の連絡するために。

 四発打てるという僥倖ぎょうこうを得られたことに、感慨無量になりながら。



 

 建国記念日の朝も、オランダスは、空を見上げていた。

 祝砲が響く中、翔竜隊がパレード飛行を繰り広げている明るい空を。

 第十七王寮の屋上にある物見台ものみだいに立ち、監視番を務めながら。

 あの危機を乗り越えて、この祝祭を迎えられた恩寵に感謝の祈りを捧げていた。


 そこへ、階下から登ってくる人の気配が感じられ、振り返ったところに、同僚の聞き慣れた声がかけられた。

 

「ここは交代する、オランダス」

「カズウェルが? 予定変更か?」

「警備長のご指示だ。おまえは、すぐに竜車の準備をしろと」

「何があった?」

「ショコラ様が外出なさることになったんだ。30分後に」

「どちらへ?」

「テリーの竜舎までだが。護衛はおまえが務めた方がいいというご判断だろう」

「他の配置はどうなる?」

「正門には、エリオット。通用門は、モースティン。グレイソンが正面玄関前。番竜組には、警戒巡回させる。一班が中庭、二班が外周りで」

「随伴者は、マルガネッタか?」

「いや。サトシ様とサツキ。御者がルーカスだ」

「サトシ様がご一緒だと?」

「そうだが……何か問題でも?」

「――嫌な予感がする」

「またか、『予感屋』。今度の危険度は何級だ?」

「四級か、三級か。一概には判断できん。俺の身に直接的な危険がない場合や、失神者が出ない程度だと、信号はさほど強くならないからな」

「たしか、ニキータ教授が退任した日も、四級だったか」

「栄ハンニエルが訪問された日だって、四級だ」

「三級は……、サトシ様と出会う直前に感じたと言っていたな。あとは、ショコラ様が番竜組と対決された日も」

「誕生請願でご加護を賜った朝も、三級に過ぎなかった」

「命神殿前で、あれだけ失神者が続出したのに? あの後、ロムナン様が仕掛けた竜気戦で、俺たちまで気絶したじゃないか」

「誕生会は別口だ。あの直前には、二級に上がっていた。ついでに言えば、サルトーロ様と出会った日も二級だ。あの時の気絶者は、俺を含めて四名だが」

「あれでも、二級だったのか。それじゃ、一級となると……」

「サルトーロ様が失踪なさった日とサエモンジョー公使が訪問された日だな」

「なるほど。確かに、あれは、どちらも大事件だった」

「あぁ。園の外では全く噂になっていないが。知る人ぞ知る大事件と言える」

「今更だが、この短期間で、よくもここまで立て続けに事件が起きたものだ」

「この先も、事件は起き続けることだろう。多かれ少なかれ」

「違いない。まぁ、取り敢えずは、今日の事件を無事に乗り切らなくてはな」

「警備長には、俺から報告しておく。お互いに、4の4乗を目指そう」

「了解。命テ・ジンの恩寵を賜りますように」


 あの運命的ではあるが、一方的でしかない出会いの後、オランダスは、外帝府に出頭を命じられて、しつこいほどの事情聴取を受けた。

 同時に、そこで、ショコラ様の四系や、生い立ちを知る機会も得られた。

 外帝陛下の孫であることや、母君のテレサ様が暗殺されたことも含めて。


 それでも、ショコラ様にお仕えしたいという気持ちは変わらず、護衛に志願した。

 元情報官では専門外で、要人警護は任せられないと却下されるかと思っていたが、幸いなことに、お許しを得られた。

 想定外にも、外帝陛下直々の面接を受けたあとのことだったが。


 もっとも、外帝陛下がご下問になったのは、定型句の一文だけ。

 オランダスも、それに合わせた返答をしただけだ。


「ショコラのために、4の4乗を尽くすと誓うか?」

「誓タウリの御名にかけてお誓いします」


 短い定型文のやり取りであろうと、外帝陛下の竜気には、オランダスの覚悟のほどを見定めようとする鋭さと厳しさが籠められていた。


<ショコラを守るのは並大抵の任務ではないぞ。その覚悟はあるのか?>

<ございます>


 オランダス自身、護衛としてどこまで務まるか不安に感じることもある。

 だが、ショコラ様をお守りしたいという思いは、誰より強いと自負している。

 

 ショコラ様の盾となって、竜気を尽くすことこそ本望で、後悔などしない。

 たとえ、今日これから、竜界へ還ることになろうとも。

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