第56話 竜神の御加護エフェクトは美麗だった。

 

 わたしは、綺麗なものが好き。

 面食いなのも、綺麗な人が好きなわけだし。

 当然、光りモノも好きよ。お小遣いでは、安物しか買えなかったけど。

 

 宝石を貢がれるなんて、夢でも見たことないし、期待もできなかったしねぇ。

 もちろん、結婚指輪くらいは、欲しいと思っていたよ。乙女としては。


 ショコラになってから、宝飾品にも慣れて、有難みがなくなっちゃってさ。

 それでも、神器じんきの首飾りは、そりゃ強烈なインパクトを秘めていたんだわ。



「ショコラ様、参りましょう」


 マルガネッタが、わたしの視界を遮るように動いて、竜車を降りるように促してきた。

 阿鼻叫喚あびきょうかんがいきなり出現したことに、驚き固まっていたわたしは、のろのろとマルガネッタを見上げる。

 思考もノロノロしているようで、どうしたらいいかわからない。ただ、あのまま、酔っ払いたちを放っておいてはいけないと思う。


「――でも、マルガネッタ、わたくし……」


 わたしが、まだ何も言っていないのに、マルガネッタは、『反意』の右目二回ウインクをして、言葉も遮ってきた。同時に、『説得』の竜気を注いでくる。


「あの者たちは、恐らく平民でございましょう。王族に不敬を働いたとがにつきましては、既に、身を持って償ったことと存じます。竜気の乏しき者たちを哀れにおぼしであれば、どうか、これ以上、視線をお向けにならないでくださいませ」


 平民か。言われてみれば、そうだよね。喋り方からして、ガラッパチだもん。

 遅まきながら、その事実に気づかされたわたしは、蒼白になった。

 訂正。蒼白には、ならなかったわ。今のまっきっきの肌色じゃ、薄レモン色になるくらいのもんだよな。ともかく、血の気はひいたはず。

 だって、やばいよ。どうしよう……。


 前に、ソラに注意されたことがあるじゃない。

 わたしの竜気は強くて、平民だったら、面と向かっただけで、倒れてしまうって。怒りにまかせて叱責なんてしようものなら、その場で、竜界に還ってしまいかねないから、近づいては駄目だとも。

 それなのに、今、『苛立ち』竜気を放っちゃったよ。誰か、死んじゃったかもしれないよね。もしかして、わたし、同族殺しになっちゃったの? 


「り、竜界に還った者はいない、マルガネッタ? わたしのせいで、誰か、怪我をしたり、何か、後遺症が残ったりしたら……」

「大丈夫でございます。ショコラ様が放たれたのは、ごく微量の竜気。叱責程度の軽さで、害になるほどのものではございませんでした。万が一、あの者たちが、竜界へ帰したところで、不敬罪を犯したのですから、自業自得と申せましょう」


 マルガネッタは、クールに、『自業自得』と言い切ったけど、だからって、決して冷たい人なわけじゃない。帝竜国の常識から言えば、そうなるってだけのこと。

 確かに、あの酔っ払い連中は、わたしが王族と知った上で、『降伏礼こうふくれい』も取らず、突っ立ったままで、お喋りをしていた。

 それだけでも、立派な不敬罪になっちゃうわけで、わたしが、竜気で『無礼討ぶれいうち』をしても許される状況だったみたいね。


 例えるならば、王族は、マシンガンを持っていて、平民は、丸腰だってことなのよ。無差別攻撃を受ける危険を回避するためには、とにもかくにも、逃げるのが鉄則。もし、逃げる暇がなければ、身を縮めて、やり過ごすこと。

 実際には、土下座に似た体勢で、頭を下げて、両手で菱形を作るのだけど、この『降伏礼』は、「逆らわないので、殺さないでください」と両手を上げるようなものね。


 つまり、マシンガンを向けられたのに、逃げ隠れもせず、『降伏礼』も取らず、無事ですむと思うほうがおかしいと、マルガネッタは、言ってるわけよ。

 わたしが幼女だから、危機感が薄かったのか、酔っぱらっていて、気が大きくなっていただけか。

 どっちにしても、目の前で、噂話をすることだって、失礼千万だよね。見方によっては、「撃ってみろよ、やーい」的な挑発行為と言えなくもないし。


 自分の良心をなだめすかしているところに、低くて渋い声がかけられた。


「大変僭越せんえつながら、愚命ぐめいサウルフルに発言をお許しいただけませんでしょうか、ショコラ様」


 わたしは、くるりと向きを変え、オランダスの隣に立っている、初老の男性と顔を合わせた。

 伏し目がちのまま、『羞恥』と『謝罪』の竜気を送ってきている。


 この人が、サウルフル正命神官せいめいしんかんなんだろうね。

 修道服に似た紺一色のくるぶし丈の命神官服を着て、同色のとんがり三角帽を被っている。

 更に、その頭を軽く下げて、両手で、『三角印さんかくいん』を作ってもいる。二本の親指で底辺をつくり、残りの指で山形をつくるのは、命神殿で挨拶するときに使う印なのだ。


 因みに、命神官が、自分のことを『愚命』と言うのは、お坊さんが、『愚僧ぐそう』と言うのと同じ。誓神官も、『愚誓ぐせい』と言うらしいけど、女性の神官は、『愚栄ぐえい』とか、『愚恵ぐけい』とは言わないみたいね。

 信徒の方が、聖職者に呼びかけるときは、『閣下』と似た感じで、『命下めいか』や『誓下せいか』の敬称を使う。

 名前を知っているときは、神殿名の『命』や『誓』を接頭語としてくっつけるの。こんな風に。


「伺いましょう、めいサウルフル」 


「恐れ入ります。あの民兵たちは、確かに、救いがたく愚かな礼儀知らずではございますが、身分も地位も低く、王族の方々に慣れていないだけなのでございます。ショコラ様に、多大なる敬意を抱いているのではございますが、惜しむらくは、それを竜気や言動で上手く表すことができない、哀れな者たちでございまして。無論、不敬罪を犯したことに相違ございませんので、然るべき罰をお望みとあらば、愚命より、基地の司令官に、その旨をお伝えいたしますが、できましたら、恵セルシャの御心に添ってご寛恕かんじょいただけますよう、平にお願い申し上げます」


「恵セルシャの御心に叶うよう努めましょう。わたくしとて、命テ・ジンの恩寵おんりょうを賜り、日々を健やかに過ごさせていただいておりますもの。ただ、わたくしが、あのような噂話を好まないということだけは、命サウルフルより、皆さまに、お伝えいただきたいと存じます」


「心より感謝の念を捧げるとともに、ショコラ様の思し召しを周知徹底させることに、全力を尽くすとお約束いたします」


 命サウルフルは、深々と一礼をしてから、『感謝』の竜気を放ちながら、初めて、視線を合わせてきた。と、思ったら、すぐにらしてしまったよ。

 それを取り繕うように、「こちらへ、どうぞ」と言いながら、戸口の方へ歩き出した。 


 わたしは、『全然、気にしてないよ』竜気を振りまきながら、命サウルフルの後を追って、薄暗い命神殿に足を踏み入れた。

 そして、建物の中をざっと見回して、なるほどと思った。

 これが、マルガネッタが言った『質実剛健』の実態か。


 簡単に言えば、がらんとしていて殺風景。イメージとしては、学校の体育館に近いね。だだっ広くて、椅子ひとつ置いてない。

 床は板張りだけど、泥だらけで汚いし、漆喰しっくいらしき壁は、あちこち松明たいまつが灯されているせいか、すすだらけだ。天井は二階部分まで、吹き抜け。

 ただし、四方の壁まわりだけは、二階が回廊ギャラリーになっていて、小窓がずらりと並んでいる。礼拝のときは、あそこまで上がる信者もいるのか、しっかりと手摺りや柵がついてるけど、やっぱり椅子はない。


 前方正面に、目を転じると、舞台みたいに高くなっている部分があって、そちらの壁に、黄金竜を描いたタペストリーが吊るされている。

 これが、竜神リ・ジンなのね。

 日本昔話に出てくる龍神様とは、似ても似つかないや。ドラゴンをもっと太らせて、神々しくした感じ。翼は体長と同じくらい長くて、昔の複葉機みたいに、四枚もついているし、尻尾の先も、四つに分かれてるよ。


 舞台の中央には、四天王っぽい、大きな象が置いてある。

 こっちが、竜帥テ・ジンだろうな。

 剣と槍を持っている姿は、躍動感溢やくどうかんあふれているし、形相も怖くて、いかにも強そうではある。けど、ブロンズ一色のせいか、カラフルな竜神の前に置かれていると、シンプルすぎて、明らかに、迫力負けしている。

 それにしても、これが、竜神様の息子だって? 

 逆立ちしたって、親子には見えないよねぇ。


 舞台には、博物館の展示みたいな感じで、所どころに古びた武器や防具も並べられているけど、花とか供物らしきものは何も置いてない。

 ただ、一番手前に、神社の賽銭箱さいせんばこみたいな細長い箱が、横一杯に並べられている。

 その手前の床に、演台があって、その左右に、二つずつ三角柱の奉納台が置かれている。ここに、寄進する金品を載せればいいんだよね。


「マルガネッタ、奉納を」


 わたしが、声をかけると、王貨の入った大きめの祝儀袋を持ったマルガネッタが前に出て、奉納台に載せる。

 命サウルフルが恭しく四礼よんれいしてから(一礼ではなく、四回礼をするのよ。東西南北を向いて)、その場で、中身を確認し始めた。

 葬儀の受付で、香典の中身をあらためるみたいなものね。寄進する方とされる方で、金額を確かめた上で、領収書をもらうことになるのは違うけど。


 この領収書は、四半期ごとに、帝都にある四神殿の本殿に送るんだって。奉納品は、寄進を受けた支殿が、まるごと貰えるけど、現金は、本殿に何割か上納しなければならないので、支殿がちょろまかしてないかどうか、本部で確認するためのものなの。それでも、抜け道はあるんだよ。寄進する側が便宜べんぎを図ってあげればね。


「ショコラ様は、今回、領収書は必要ないと仰せでございます、命サウルフル」

「それは……しかし……、よろしいのでしょうか」


 命サウルフルが、驚き戸惑ったように、わたしの方を見下ろしてきた。


「わたくし、竜育園こちらに参りましてから、帝竜軍や自警団などの命信徒の方々に、いろいろとご迷惑をおかけしておりますので、せめてものお詫びとして、お納めいただければと存じますの」


「お詫び、と申されますと……?」


 命サウルフルが、困惑したままで、『わかりません』と二回瞬きをする。

 何が、わからないのかな。神殿に、直接被害が出てなかったと言っても、間接的には、迷惑をかけたみたいだから、そのお詫び料のつもりなんだけど。

 どうせ、命神殿の本殿は、栄信徒ショコラの『誕生祝儀』があると期待していなかっただろうから、上納金を収める必要もないでしょ。その分を、好きなように使ってよ。


「お怪我された方、装備を失った方、不利益をこうむった方々が、多くいらっしゃったと伺っております。出来る限りの保証はしたつもりではございますが、見逃していることもありましょう。命神殿こちらで、更に支援を必要としている方のためにお役立ていただくか、皆様で会食でもするのに使っていただければと存じます」


 そう説明すると、やっと納得したようで、命サウルフルが、また『三角印』を作りながら、深々と頭を下げた。


「栄マーヤの恩寵を賜り、恐悦至極に存じます」

「恵セルシャの祝福が、溢れ満ちる世となりますように」


 わたしが、型通りの挨拶を返すと、王貨は、再び祝儀袋に収められた。


「それでは、御参拝いただきましょう」


 恭しく祝儀袋を掲げた命サウルフルの後について、わたしは、四段の階段を上がり、舞台の上に立つ。

 マルガネッタは下に残った。この舞台に上がれるのは、参拝するために奉納した本人だけなのだ。

 命テ・ジンの象の前にも、奉納台があって、命サウルフルは、祝儀袋をそこに置くと、一歩下がった。


「我らが王祖おうそ、命テ・ジン、願わくば、幾久いくひさしく、我と我が血脈を護りたまえ」


 わたしが、命テ・ジンの像の前で、『三角印』を作りながら祈ると、命サウスフルが、わたしの指に、『竜水りゅうすい』を振りかけた。

 『竜水』というのは、文字通り、竜気を含んだ水で、こうすることによって、竜界へ祈りが通りやすくなるんだって。


「命テ・ジンも、汝が竜気を召され、けだ嘉納かのうされることでございましょう」


 命テ・ジンへの奉納はこれで無事に終わり、お次は、竜神様への参拝となる。

 そのための神器じんきが、ここで貸与されるんだけど、奉納した金額によって、グレードが変わるらしいの。

 当然、高額奉納者のわたしには、最高級グレードの神器が渡されると言われていたのに、差し出されたのは、がらくたにしか見えない首飾りだった。

 白濁した石英みたいな石がはめ込まれた台座は、複雑な意匠で芸術的と言えなくもないよ。でも、金メッキがげたように見えるし、組み紐も色あせ擦り切れているせいで、骨董品としても、価値は低いような気がする。

 

「こちらは、当神殿で、唯一、栄マーヤにえにしある御物でございます。第二次竜魔大戦当時、栄マーヤが、ジェイコブズ将軍に下賜かしされたものとされておりまして、この首飾りを首にかけた将軍は、押し寄せる魔物と四昼夜闘い続けても、竜気が枯渇こかつしなかったと言い伝えられております。残念ながら、いにしえ御業みわざは失われてしまいましたが、この竜石の竜気を通しやすい性質は変わりませんので、栄マーヤの一姓を継がれたショコラ様に、是非とも、お使いいただきたいと存じます」

 

 どうやら、栄信徒だからと、わざわざ、マーヤ関連の神器を引っ張り出して来てくれたみたい。まぁ、わたしは、眉唾まゆつばだと思うけどね。栄マーヤが下賜しただの、将軍が四日も闘い続けただのとさ。

 だいたい、第二次竜魔対戦って、何千年前よ。本物だとすれば、骨董品というより、もはや、遺跡発掘品レベルじゃない。

 でも、得意そうな命神官の竜気からすると、本気で信じているみたいだよなぁ。聖職者らしいっちゃ、らしいけど。この熱意には、ちょっと、ついていけそうもないや。


「そのように貴重な御物をお貸しいただけるとは、痛み入ります、命サウルフル」


 わたしは、何とか『感激』してるっぽい竜気を絞り出して、当たり障りのない感謝を述べた。聖職者相手の礼儀作法は、焼刃やきばで習ってきたけど、社交辞令を使いこなせるほどではないのよ。

 もっと長々しくお礼をいうべき場面なのかもしれないけど、勘弁して。


 わたしは、そそくさと、命テ・ジン像の側を離れて、竜神リ・ジンのタペストリーの前に移動した。タペストリーと言っても、普通の織物とは違っている。

 近くでよくよく見ると、平面じゃなく、ところどころが、立体的に盛り上がっていて、正面を向いた顔の部分は、完全に立体的なお面がついてる。

 あまりにも生々しくて、かっと見開かれた竜眼から、今にも、ピーっと白い竜気が放出されそう。


 竜神教の参拝は、基本的には、立ったままで行う。

 竜界は、そこら中に張り巡らされているから、ただ、両手を前に伸ばして、左の掌を上に、右は甲を上にするだけだ。

 今回は、借りた首飾りの本体を左の掌に載せ、右手で紐の部分を握っている。

 本体の竜石部分が、結構大きくて重いから、片手で持つのはしんどいけど。


 それでも、ひざまずいたり、正座をしたりする必要がないから、体勢としては楽だね。

 ただし、竜神に祈るときは、その竜眼を見つめなければならないのよ。

 幼児のわたしは、壁からできるだけ距離をとっても、見上げる形になってしまう。

 逆に言えば、竜神に見下ろされる角度になるわけで、威圧感がものすごい。

 これが、神威しんいというものかも。

 自然と、畏怖いふの念を覚えてしまうの。無神論者のわたしでも。


「我らが主神、竜神リ・ジン。この一年、御身おんみが竜界にお護りいただいこと、我が竜気を捧げて感謝し奉ります。願わくば、次なる一年も、ご加護を賜りますよう、我が祈りを捧げ奉ります。我が祖、マーヤ=テ・ジン=ラーラ=ヴォノンの名にかけて、我らが血を繋ぎ、我らが敵を滅ぼし、我らが悲願を果たすときまで、我が竜気を尽くすと誓い奉ります。しかして、我が身がたおれ、我が命が絶え、我が竜気が抜けるとき、我が同胞の一助として、竜界へ迎え入れられんことを願い奉ります」


 わたしは、『誕生請願たんじょうせいがん』と呼ばれる祈りの言葉を紡ぐ。

 やたらと長いし、言い回しが難しいし、暗記するのが大変だったけど、何とか、つっかえずに言い終えることができてほっとした。

 その瞬間だった。


 いきなり光がさした。

 左手に持った首飾りから。シュバッっと。

 呆気に取られて、至近距離で見つめてしまったけど、全然まぶしくないところを見ると、普通の光じゃないよね。

 これ、竜気なのかな。だとしても見たことない種類。

 だって、竜界の白いバリアの糸とは違うし、赤くて、なんとなく液体っぽいんだよ。水面が揺らいで、光を反射しているような感じで、キラキラ鮮やかに輝いてる。

 

 うわぁ。さすがに神器だね。いや、神器が何かも知らないから、さすがと言っていいかどうかわからないけどさ。

 とにかく、ただの宝飾品でないってことはわかったよ。がらくたとか、骨董品とか、馬鹿にしてしまって、ごめんなさい。

 白濁していた石は、でっかいルビーに塗り変わっちゃったし、剥げているように見えていた台座も、金ピカの輝きを取り戻しているし、擦り切れた紐まで、伸び縮みする特殊素材に変貌してるんだよ。


 何だろう、これ、弾力性があるとかいう次元じゃないぞ。

 端を引っ張ると、1メートル以上の長さになるし、放すと、シュルルルと短くなって、取っ手部分以外は台座に収納されちゃうの。

 ちょっと、メジャーに似ているかも。メジャーと違って、一本じゃなくて、輪になった状態で出し入れできるんだけどさ。

 すごいなぁ。この材質、コピーできればいいのに。ショコラシートに使いたいよねぇ。

 

 しばらく紐を出し入れして、感触を確かめていたけど、借りた物は、返さなくてはならない。

 残念に思いながらも、物欲しそうに見えると困るので、感情波として漏れないように気をつけながら、『感謝』の竜気を押し出す。今度は、『感動』を籠めるのも楽だった。

 すっごく華やかで美麗なエフェクトを見られたもんね。これが、ゲームだったら、バックミュージックも、さぞかし派手だっただろうな。


「素晴らしい御物をお貸し下さいまして、ありがとうございました、命サウルフル。あら……?」


 わたしは、命サウルフルがいた方向に顔を仰向あおむけ、そこに、いないことに気づいて、きょろきょろとあたりを見回した。

 そして、命テ・ジン像の陰で、床に両膝をついて、頭を深々と下げているのに、やっと気づく。

 あれれ? 参拝のときに、命神官が、こんな姿勢を取るなんて、聞いていなかったと思うんだけどな。


 マニュアル外の事態に対応できないわたしは、助けを求めて、舞台の下で待機しているマルガネッタを探した。

 そしたら、マルガネッタも、同じ格好をしてるじゃないの。

 やだ、なんで? オランダスもだよ。

 まじまじ三人を見てみると、両の掌を上向きに、腕を斜め前に伸ばして、揃えた指先が床に触れるように、頭を下げている。これは、いつか習ったっけ。えーと、たしか、正式座礼せいしきざれいってやつだ。


 嫌な予感がひしひしとしてくる。もしかして、美麗なエフェクトを見られて、得したーなんて喜んでる場合じゃないんじゃないの。

 そりゃ、そうだよね。古ぼけた神器が、参拝でリニューアルするのが日常茶飯事だったら、そのへんに並んでる歯のかけた剣とか、ボロボロの防具なんかも、新品状態で飾られてるはずだもん。


<ソラ、どうしよう?!> 


 困ったときの相棒頼みで、わたしは、ソラに呼びかけた。【交感】が繋がるまで、ちょっと時間がかかった。

 どうやら、エフェクトの一件も、わたしの緊張感も、ソラには伝わっていなかったみたいで、返ってきたのは、怪訝けげんそうな反応だ。


<マリカ? 何かあった?>

<参拝に借りた神器が、リニューアルしちゃったのよ>

<え? 神器がなに? リニューアル?>

<古ぼけた首飾りが、赤い光を放って、新品に変わっちゃったんだってば>

<赤い光……。それって、参拝の最中に?>

<正確には、『誕生請願』を唱えたあとよ>


 かなり間をあけたあと、ソラが、心配そうに尋ねてくる。


<それで、マリカの身体は、何ともないの?>

<うん。別に、竜気を放出したわけじゃないしさ。増幅したり、循環したりしたわけでもないし。異変があれば、あんただって、気づいたはずでしょ?>

<そうね。となると、答えは、ひとつ。マリカが、竜神リ・ジンのご加護を賜ったってことよ。本物の>


 事も無げにソラは言うけど、さらっと流せることではないよ。嫌な予感は、確信に変わりつつある。こいつは、絶対に、頭の痛い問題が発生してくるぞ。


<あのさ。本物のご加護を賜るのって、珍しいの?>

<千年ぶりくらいじゃないのかな。ソラも、よく知らないけど。ごめんね。人の歴史は苦手なの。すぐに調べてみるから、待ってて>

<ちょっと待った。それより先に、教えて。みんなが、正式座礼したまま、動かないんだけど、これ、どうすりゃいいの? こういう場合、何て、声をかけるものなわけ?>


 わたしは、慌てて、質問を畳みかけた。今、必要なのは、ソラの調査能力じゃないのよ。目の前に展開している事態への対応マニュアルが知りたいの。


<えっと、「どうぞ、皆様、お直り下さい」って言ってみたら、どうかな>

<そのあとは?>

<これと言ったマニュアルはないと思うの。あったとしても、千年も昔のマニュアルなんて、誰も覚えてはいないし、マリカがやりたいようにやればいいのよ。ソフィーヌ寮長だって、文句の言いようがないでしょ。難しく考えなくても大丈夫>


 どこが、大丈夫なんだよ! 

 ソラは、相変わらずの楽天的思考で、軽く言ってくれちゃってるけど、問題だらけじゃないのさ。

 だいたい、千年ぶりのご加護っていうだけで、奇跡っぽくて、ニュースネタになっちゃうでしょうが。これ以上、目立ちたくないってのに。よけいに、帝女候補の圧力がかかってきそうで怖いぞ。

 それに、命神官はともかく、マルガネッタやオランダスから、『畏敬』の竜気を向けられるなんて、居心地悪いんだよ。

 わたしは、小心な一般庶民なんだからなーっ。


 

 わたくしの危惧は的中し、このときのエフェクトは、命神殿〈3―789〉の奇跡として、語り継がれていき、後年、竜育園の仮神殿は聖地との認証を受け、立派な命神殿が建立されることになったのでございました。



 そうして、悲しむべきことに、7歳の誕生日を境に、わたくしの帝女候補としての知名度は、一挙に上がることになってしまったのでございます。

 

 

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