第55話 ショコラ7歳の誕生日。
わたし、信仰に関しては、ファジー感覚を持った日本人なの。
初詣や合格祈願には、そのときの気分で、適当な神社に行って参拝する。
葬儀や法事は、仏式だけど、結婚式を挙げるなら、教会がいいなと憧れていた。
誰が、どんな信仰を持っていようと気にしない。勧誘してこない限りは。
でも、竜眼族は、イコール竜神教徒で、四神殿、何れかの信徒になるもの。
信仰が、生活に密着してるだけでなく、生き死に直結してくることさえある。
魔族との闘いは、生存競争だけど、異種族との戦いは、宗教戦争だからね。
ショコラは、表向き栄信徒とは言え、
「お誕生日おめでとうございます、ショコラ様」
「ありがとう、オランダス。これからの一年も、よろしくね」
わたしは、オランダスに、小さな祝儀袋を手渡しながら、挨拶をする。
これは、『
パメリーナとマルガネッタとソフィーヌ寮長に続く、
「栄マーヤの
「恵セルシャの祝福が、溢れ満ちる世となりますように」
栄マーヤの
これが、男性なら、命テ・ジンの御名が使われる。
恵セルシャの御名を出した返答の方は、「どういたしまして」的な慣用表現で、性別を問わず使えるので便利。
誓タウリは、公正中立を
「ショコラ様、こちらにお手を。どうぞ足元にお気をつけくださいませ」
「ありがとう、マルガネッタ」
わたしが、マルガネッタに手を貸してもらい、竜車に乗り込むと、オランダスが、足台を持って御者席に上がる。
時をおかず、竜車は、滑るように走りだした。
今日は、11月11日。ショコラ7歳の誕生日。
昨日は、ユーレカとサルトーロと正式に雇用契約を結んで、引っ越しの打合せをしなければならなかったし、救出作戦の疲れも残っている。
できれば、ゆっくり休んでいたいところだけど、朝から、羽衣で正装させられた(ただし、略式の膝丈で、宝飾品も少ない)わたしは、マルガネッタをお供に連れて、これから、命神殿に参拝へ行かなければならないのよ。
なぜ、秘書官が一緒かと言えば、
ショコラは
わたしは、別に、どこだっていいんだけどね。本音をぶっちゃけて言えば、どこにも行かないですむ方が嬉しい。でも、そういうわけにはいかないんだってさ。ソラに理由を説明してもらったけど、歴史まで加わって、やたらと長かった。
ともかく、それをまとめると、こういうことなわけ。
竜眼族が信仰しているのは、竜神教と言って、主神は、竜神。
つまり、竜の神様ね。
その竜神は、変異を司る神でもあって、天女トーワとの間に、四人の子供(これが、
竜眼族は、起源からして、竜と人の混血ってことになっているのね。人が竜の卵を産むのが不思議でも何でもないはずだよ。
その後の第一次竜魔対戦で、四神竜は竜界に帰した。
王祖四子を含め、竜眼族は、なんとか生き残ったけど、神竜国は崩壊して、分裂期に入る。
この時代に、意見の合わなかった誓タウリと恵セルシャは、西と東に分かれて海を渡り、島国を建国した。
それが、
栄マーヤと命テ・ジンは、逆に仲が良かった。
この姉弟は、第一大陸に留まり、力を合わせて、異種族を再び支配して行った。
その途中で、第二次竜魔対戦があって、最終的に、勝利はするものの、王祖四子も、竜界に帰してしまう。
戦後、第一大陸全土を統合して、帝竜国を建国したのが、栄マーヤの孫のラーヤ一世と命テ・ジンの曾孫のイ・ジン一世。この二人が、初代の内帝と外帝というわけね。
更に、時代が下って、第三次竜魔大戦に勝利した後、複数の予知力者が、それぞれの信者を率いて、海外の島々に移住していく拡散期が来る。
この頃に、建国されたのが、二ノ宮国から、八ノ宮国で、星ノ宮国を含めて、ひとまとめに、宮国群とか、セルシャ系八国とか呼ばれたりしてる。
ユーレカやサルトーロの母国である三ノ宮国も、ここに属しているの。
拡散期には、第二大陸も発見されて、
現在は、植民を勧めながら、領土の拡大を図っているんだって。今この瞬間も、戦争は継続中なのよ。
帝竜国からも、軍を出しているという話だから、無関係ではないけど、前線は、別の大陸にあるから、危機感は薄いらしい。
第二次世界大戦のアメリカみたいな立場かな。
でも、今年、帝竜国内が魔物の攻撃を受けたわけだし、竜眼族が優勢で侵攻中だというけど、実際のところはどうなのか、疑わしい気がする。
まぁ、今は、戦争は置いておくとして、信仰の話に戻ろう。
竜神教は、分裂期に、四神殿として、宗派が分かれた。
そして、国によって、信徒の比率が違っている。
誓神教国は、誓神殿しかなくて、星ノ宮国には、恵神殿しかない。
ユーレカの話では、三ノ宮国には、恵神殿と命神殿があるけど、そこに、誓神殿が入り込もうと、あの手この手を出してきているらしい。
つまり、同じ竜神教と言っても、四神殿の間には、
帝竜国では、栄神殿の格式が最も高く、女性の王族や貴族、議員に文官などは、栄信徒となる。
五本指の宝族、豪族、匠族と、技官や楽師などは、
誓神殿は、帝竜国にある神殿の数も少なくて、商人とか、船乗りとか、限られた職種の
その条件から言えば、わたしが、栄信徒になるのは当然だよね。四本指の女性王族だし、そもそも、第一姓がマーヤがなんだから、他の信徒になりようがないさ。
だから、8歳とか、4の倍数の誕生月には、栄神殿に参拝に行く必要があるの。誕生日当日は都合が悪くても、できるだけ、月内には行きなさいってことね。
今年は、7歳だから、他の神殿で間に合わせてもいいけど、とにかく、主神の竜神様に参拝はしなくちゃならないんだって。
竜眼族にとって、誕生日は、一年生きてこられたことを感謝しつつ、次の一年の加護をお願いする大事な儀式。ちょっと、初詣に似ているかもね。いや、もっと真剣味があるから、必勝祈願の方かな。
とにかく、そんなわけで、
そこで、代理人を立てて、栄神殿にも、寄進するのよ。これこれこういう事情で、今回はそちらへ行けませんというお詫び状を添えて。
うげー、面倒くさーっ!
「ショコラ様は、命神殿に行かれるのは、初めてでございましょう?」
「よく覚えていないけど……、たぶん」
マルガネッタの質問に、わたしは、
ショコラ時代のことは、全然わからないし、魔物に襲われたショックで、それ以前のことは忘れたことにしているけど、知っているべきことがわからないのって、居心地が悪くて不安になるよ。
「命神殿は、
マルガネッタが、表現に困ったように言葉尻を濁すと、御者席からオランダスが、助け船を出してきた。
「帝都や王都などの由緒ある命神殿は、栄神殿と同様の規模でございますし、歴史的な
「あの……間借りって……? 命神殿は、帝竜軍の中にあるの?」
「そう言ってもよろしいかと。もちろん、街や村に建てられた命神殿の方が多いのですが、こちらのように、軍の施設に置かれた仮神殿も、珍しくはございません。歴史的に、軍と命神殿は、
そうか。命神官って、従軍牧師と衛生兵と兼ね備えたような役回りなんだ。
軍人にとっては、心身ともに頼りとする、ありがたい聖職者なんだろうな。
命神殿が、勇気や勝利を象徴していると聞いただけじゃ、ピンと来なかったけど、そういうことなら、男性のほとんどが、命信徒になっても当然だよね。徴兵制度があって、男性には
「オランダスは、退役軍人だったわよね。何年ぐらい、軍にいたの?」
「32年でございます。
知らなかった。オランダスは、52歳なのか。日本人的な感覚からすると、30歳そこそこに見えるけど、貴族だし、老化が遅い方なんだろうね。
「4倍ですと、
マルガネッタが、羨まし気に言ったけど、わたしには、耳慣れない言葉で、話が見えない。
成人義務の方は、あれだ。結婚して、子供を作れってやつ。
「え? 兵役相殺って、なに?」
「男性は、兵役を延長して、長く務めると、その分、税金や義務が減免される制度があるのです。オランダスは、貴族ですから、本来でしたら、四回結婚して、八人以上の子供を作り育てなければならないわけですけれど、兵役を4倍務めた功労により、その
「あぁ、そう言えば、マルガネッタも、減免されたって言っていたわね」
「わたくしの場合は、猶予期間を与えられたというだけのことでございます。残念ながら、女性が、成人義務を免除されることはありませんので。唯一、例外と申せるのは、若くして、帝女や王女となられる方でしょうか」
「帝女になれば、結婚しなくていいってことなの?」
興味が湧いて聞いたんだけど、『否定』の左目二回ウインクが返ってきた。
「正確には、結婚する意味がなくなるのでございます。帝家や王家に入られると、配偶竜との結びつきが強固となり、神通力が増大になるそうで、老化が遅くなるだけでなく、その……、子供もできぬ身体になられると伺っております」
なーんだ。期待して損した。
わたしは、結婚を強制されたり、子供の数を決められたりするのが嫌なだけ。
好きな人ができたら、結婚したいと思うし、子供だって欲しいもん。不妊症になるなんて、冗談じゃないよ。いくら老化が遅くなったって、ごめんだわ。
こりゃ、帝女になりたくない理由が、ますます増えたな。
「ショコラ様、命神殿が見えて参りました。あちらの門前の右手にある建物でございます」
オランダスの声に、顔を上げると、竜車は、大きなカーブを曲がって、緩やかな上り坂にさしかかっていた。
その突き当りには、確かに、門らしきものが、二本立っている。でも、壁がないよ、と思ったら、有刺鉄線タイプの境界線で、見えにくかっただけだった。
それにしても、簡素すぎない? これが、帝竜軍なの?
もっと物々しい、米軍基地みたいな施設を想像していたわたしは、ちょっと拍子抜けしちゃった。
でも、すぐに、門や壁に手間をかけない理由がわかった。その必要がないんだってことに。
左右の門の内側と外側に、それぞれ、番竜が繋がれている。ちょうど、神社の入り口を守るような感じで。一対じゃなくて、四頭だけど。
更に、有刺鉄線の向こう側は、牧場みたいになっていて、走竜がたくさん放し飼いにされてる。これだけ竜がいるんじゃ、不審者が入り込めるはずがないよね。
門の手前には、道をはさんで右と左に、ファミリーレストランくらいの大きさの二階建て(たぶん、地下二階含む四階建てだと思うけど)が、向かい合って建っている。両方とも、三角屋根だけど、右の方は明るい青で、左の方は紺色。どっちも、色あせているし、石造りの壁は、苔かなんかが生えてるよ。どっしりとして頑丈そうでも、築百年とか経っているんじゃないの、これ?
「えっと、あの青い屋根が、命神殿なのね? 紺色の方は、何かしら?」
オランダスが、珍しく言葉につまった後、非常に言いにくそうに答えた。
「宿屋を兼ねた酒場でございます。非番の兵士たちが利用するもので、
はぁ? 帝竜軍の門前に、酒場があるの?
しかも、神殿のド真ん前に?
「ショコラ様、命神殿をご覧くださいませ。戸口でお待ちの方が、サウルフル
マルガネッタが、強引に口をはさんできた。慌てて話題を変えようとしている。まだ、命神殿には距離があるんだから、出迎えの神官がいるからって、そんなに急ぐ必要はないのに。
まぁ、この件について、追及して欲しくないということは、伝わってきたけどね。どうせ、
「お会いしたことがあるの、マルガネッタ?」
わたしが、マルガネッタの話題転換に乗ってあげると、オランダスから、『安堵』の竜気が、ふっと漏れてきた。
マルガネッタも、緊張を解いて微笑む。
「こちらへ赴任してきたときに、一度、参拝方々ご挨拶に参りましたので」
「マルガネッタも、栄信徒よね? 命神殿にも、参拝に来るの?」
マルガネッタは、左目一回ウインクをしたが、その後、少し目を泳がせた。
気恥ずかし気な竜気とともに、言い訳するような説明がされる。
「お恥ずかしいことに、わたくしは、地方の出身なのでございます。母の屋敷の近くには、栄神殿がなかったもので、命神殿や恵神殿の神官さま方には、幼いころ、何かとお世話になりましたし、馴染み深いとでも申しましょうか」
ふうん。そうなんだ、と相槌を打とうとしたとき、「ウゥウオーウゥウー」という聞き覚えのある鳴き声が始まった。
何、これ、番竜組の
ぎょっとして鳴き声の方を見ると、門を守ってる番竜たちが、合唱をしていた。
良かった、ちがう。あの4頭は、番竜組の5頭でも、負傷して引き取った7頭でもない。
ん? もしかしてもしかすると、ロムナンにくっついて行ったお仲間かぁ?
そうだよ、竜気に、そこはかとなく覚えがある。飛竜渓谷では、薄暗かったし、ちらっと見ただけで、外見の区別はつかないけど、あのときの気綱が残ってるよ。
わたしが、呆然としている間に、竜車は、命神殿の前に横づけされて止まった。
でも、番竜たちの鳴き声は、止まらない。おまけに、門の向こう側で、放し飼いにされてる番竜たちまで、集まってきたじゃないの。
何よ、あんたたち。何だって言うの?
いや、歓迎してくれてるのは、わかるよ。歓声あげてるようなものだもんね。
それは、まぁ、嬉しいけどさ。わたしに、どうしろって言うのよ?
「オランダス、これ、どうしたらいいの?」
困惑マックスのわたしの問いに、足台を置いた側に跪いているオランダスが、苦笑気味に答えた。
「静まれと命じられれば、よろしいかと存じますが」
主人でもないのに、わたしの命令を聞くのかな。
まぁ、ロムナンに、同調したくらいだから、わたしにもできるか。
<静まれ!>
試しに、竜気を放射状に放ってみると、番竜たちが、ぴたりと鳴き止んだ。
ついでに、動きも止まった。尻尾の先まで、ぴしっと。
おー、さすがに、帝竜軍所属なだけある。よく訓練されてるなぁ。うちの番竜組じゃ、こうは行かないもんね。
<よし。番竜組。解散!>
ここで言う、番竜組は、全員という意味である。
竜気は、ちゃんと通じたらしく、放し飼い組は、どこかに散って行き、門番の四頭は、元の『待て』の体勢に戻った。こっちをガン見してるけど、静かになったし、良しとしよう。
「すげー」
別の方角から、野太いかすれ声がして、振り返ったわたしは、ガン見しているのが、竜だけでなかったことに、初めて気がついた。
うげー。いつの間にか、酒場から、兵士らしき男性がいっぱい出て来てるよ。ジョッキやコップを掴んだまま、ふらついてる酔っ払いまでいる。
うーん。確かに、粗野な感じで、むさ苦しいね。
「おい、あれ、まさか、例の……」
「やめろ、馬鹿。指で指すんじゃねぇ」
「けど、今の【交感波】ってやつだろ?」
「すげかったな。声も出さずに、番竜どもを
「今更だろうがよ。飛竜渓谷の話、聞いてねぇのか」
「あんなもなぁ、いつものホラ話だと思ってたんだよ」
「竜の死骸があれだけあったんだぞ。ホラなもんかい」
「それによ、闘竜の群れも、一瞬で、ぶっ飛ばしちまったっていうだろ」
「ほんじゃ、ほんまもんかよ」
「おらぁ、ロムナン様も、家来にしちまったって聞いたぜ」
「ロムナン様たぁ、誰だぁ?」
「竜語症の王族だよ。ほれ、野番竜の群れを連れてた雷さま」
「番竜隊を根こそぎかっ攫っていった、あの餓鬼、王族だったのかよぉ」
「ド強えかったもんな。雷さまを家来にするなんざ、どんだけ強えんだ」
「そりゃ、
「なんつったって、栄マーヤの再来ってんだからな」
ちょっと、あんたら、聞こえてるぞ。噂話をするなら、本人のいないところでやってくれ。一応、声を潜めているつもりらしいけど、酔っ払い特有の大声じゃ、ひそひそ話ができるわけもなくて、筒抜けなんだよ。
だいたい、帝女候補だの、栄マーヤの再来だの、勝手に持ち上げるんじゃない。
わたしは、嫌なんだから。帝女になるなんて、承諾しちゃいなんだから。
押しつけようとしたって、徹底抗戦してやるんだからね。
誰が何と言おうと、絶対に、負けないぞーっ!
わたしは、拳を握りしめて、お喋りな酔っ払いどもをキッと睨みつけた。胸を触ろうとしてくる酔っ払いの手をピシッと払いのけるくらいの気分で。ほんの軽く。
まぁ、『苛立ち』は、ちょっぴり込めたけど、お仕置きしてやろうとか、社会的に抹殺してやろうとか、本気で怒ってるわけじゃないしさ。竜気的には弱かったんだよ、ほんとに。うちの番竜組に向けたら、鼻であしらわれる程度だったんだって。
それでも、酔っ払いどもには、耐えられないレベルだったらしい。「ぎえー」だの、「うぐわぁ」だの、「ゲボゲボ」だのと、叫び声や、呻き声や、吐く声が充満して、酒場周辺は、
うそー。なんで? こんなつもりじゃなかったのに。兵隊のくせして、なんて弱っちい連中なの!
このとき、わたくしは、そうとは知らぬまま、平民たちと接近遭遇していたのでありました。
そして、その
わたくしの願いむなしく、この一件のせいで、
自業自得とは申せ、
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