第51話 乙女は弱し。されど、姉は強し。
それほど、天然ボケの類は、
一体、何度、こいつさえ、生まれてこなければと思ったか知れやしない。
小学生時代の「わたしのゆめ」は、「一人っ子になりたい」だったのよ。
でも、本当に、一人っ子だったとしたら、今のわたしは、いなかったと思う。
もっとこう、弱く
<マリカ、行く! テリー、急ぐ!>
テリーの思念が届いたのは、テリーの竜舎まで、あと少しというときだった。
今、乗ってる竜車は、十五頭の光竜を乗せるために、わたしの宿舎本館の正面に用意されていた帝竜軍のもので、ロムナンの棟に移動してくるまで、さほどかからなかったけど、ソフィーヌ寮長に、ある程度の説明をするまで、出発ができなかったんだよね。
竜車が出発してからは、ホウスバリー隊長の質問攻めにあって、ソラと【交感】が切れちゃって、話ができないわたしは、イライラし始めていたの。
たぶん、ロムナンとソラの【交感】は繋がったままだと思うから、ロムナンのことは、ソラが上手く誘導してくれるはずだけど、それでも、一人で突っ走ってるのが心配だし。
そこに、テリーとの【交感】が繋がったわけ。わたしが、ホウスバリー隊長の質問を途中で遮って、【交感】の方に集中することにしても当然でしょ。
<どうしたの、テリー? どこへ行くの?>
<あかげのこ、たすける。ロムナン、言った>
<ロムナンに会ったのね? あの子は、どこ? 一緒じゃないの?>
<ロムナン、むれと行く。マリカ、テリーと行く>
群れって、番竜組かぁ!
うわぁ、ロムナンのやつ、勝手に、番竜組を連れだしたのかよ。まずいぞ、そいつは、まずい。
今現在、調教中とは言え、リードもつけずに、自由行動させたら、まずもって、帰ってこないぞ、あの五頭は。
特に、ずる賢い次郎は、信頼度ゼロ。あいつは、ずっと逃げ出す
あの連中は、野番竜時代に、竜育園を荒らしまわって[有害竜]扱いされていた暴れん坊ぞろいなんだぞ。
しかも、あいつらが何かやらかせば、請求書は全部、主人のわたしのところへ来るっていうのに。
あー、どうしてくれよう。頭が痛い。胃も痛い。
竜眼族に、胃腸と呼べるものがあるのかすら知らないけど、ムカムカしてきたのは確かなんだもん。似たような消化器官はあるんだろうさ。
<テリー。赤毛の子が、どこにいるのか、わかるの?>
<ロムナン、わかる。テリー、知ってる>
ロムナンに教えてもらったってことかな。
<そこは、遠い?>
<少し。山の上。テリー、行ける>
山の上? このへんに、山なんか、あったっけ?
<そこには、竜車で行ける?>
<竜車、行けない。走竜、行けない。番竜、行ける。テリー、行ける>
<ありがとう、テリー。ちょっと、待ってね>
わたしは、テリーとの【交感】を一旦切って、ホウスバリー隊長に尋ねた。
「この方向に、竜車や走竜では行けない山がありますか?」
「山? 高くて、走竜で行けないというと、
うわぁ、飛竜だって。羽がある肉食竜だよ。
大中小いろいろいろタイプはあるけど、小さいといっても鷹より大きくて、野生のは
わたしが息を呑むと、隣に座っているユーレカが、はしっと腕を掴んできた。
「まさか、サルトーロが、そこにいるというのでは……?」
「恐らく。ロムナンが、番竜を連れて、そちらに向かったようなのです」
「あぁ、なんてこと……」
腕を掴んでいた指が、力を失って離れ、ユーレカは、ハンカチを両手で握り、そこに顔を埋めた。
ユーレカの竜気が、絶望色に染まっていく。
ユーレカの向かいに座っているレジナルド医官が、急いで目を閉じた。
でも、その前に、『断念』の竜気が漏れ出ていた。トリアージで、
ホウスバリー隊長は、それを責める竜気を飛ばしたけど、何も言わなかったところを見ると、結論は同じなんだと思う。
救出はできないと
わたしは、『諦めるのは、早い!』と二人に竜気をぶつけた。ビンタを食らわす勢いで強く。
おまえら、軍人のくせして、
ガラが悪いって?
まぁ、八つ当たり的な焼き入れだったのは認めるけど、不良化してる乙女の現実は認めたくない。闘竜組や番竜組と渡り合ってるうちに、なんだか、わたし、やけに
ちょっぴり反省していると、進行方向から、何かが近づいてくる音が聞こえてきた。ダーン、ダーンと跳ね跳ぶ独特の足音には、聞き覚えがある。斥候竜が、速度重視で、気配を殺さない場合に立てる音だ。
その後ろの方から、もっと軽やかな、タカッ、タカッという音も聞こえてきた。こっちは、たぶん、走竜だろう。
「テリーだわ。竜車を止めて。オランダス」
御者席にいるオランダスに声をかけたときには、テリーが、すぐ目の前まで来ていたので、取り敢えず、命じておく。
どうして、調教師を乗せていないの?
テリー単独で、竜舎を抜け出したことなんて、これまで一度もなかったのに。
「テリー、お座り!」
「ショコラ様!」
わたしの声に被さるように、叫び声が響いた。
今日は、やたらと名前を叫ばれる日だな。それも、責めるような、問い詰めるような感情波込みで。
今度、猛スピードで近づいて来たのは、走竜に騎乗した調教師のバンバンエルだった。
どうやら、テリーの後を必死で追ってきたらしい。わたしに気づいた時点で、絶妙な手綱さばきで、速度を落としたけど。
近くまで来ると、身軽にスタンと走竜から飛び降り、わたしの足元に膝をついて、頭を垂れた。その一連の動作は、流れるような美しさで、体操選手のフィニッシュなみに決まってる。
「ロムナンを見かけましたか、バンバエル?」
わたしが尋ねると、バンバエルから、『不安』と『緊張』の竜気が漂ってきた。
「はっ。ロムナン様は、番竜五頭を解き放った後、群れと共に、乾門方向へ向かわれました。カズウェルとミロノフが、走竜に騎乗して、その後を追っております。ロムナン様をお止めしないように、ショコラ様がご命令されたとカズウェルより聞きましたが……、その、これで問題はなかったでしょうか」
あぁ、そうかぁ。わたし、「絶対に止めないで」って、命じたもんなぁ。
連れ戻すんじゃなくて、ただ護衛してくれって意味で言ったんだけど、ロムナンのすることを邪魔するな的な解釈をされても仕方ないか。
「えぇ。良くやってくれました。この先、たとえ、問題が起きたとしても、あなた方に責任を問うようなことはしません。それより、カズウェルから、サルトーロ様を捜索しているという話は聞きましたか」
『
番竜組の法的な主人は、わたしだからね。見方によれば、ロムナンは、窃盗を働いたことになるし、それに手を貸したということで、処罰される可能性だってあるもんね。ロムナン付のカズウェルの説明だけじゃ、不安になるのもわかるよ。
「はっ。ロムナン様が、テリーに、竜鞍をセットしている間、多少時間がありましたので。帝竜軍にも、伝書竜を飛ばしましたし、自警団にも連絡を取りました。それから、自分は、テリーが
ちょっと待った。
ロムナンが、テリーに、ショコラシートをセットしたって?
松明の灯りだけで、気づかなかったけど、目を凝らして見れば、確かに、背中にショコラシートが
ロムナンってば、なんて、用意周到なの!
わたしがついて行けるように、ちゃんと考えてくれていたんだね。
いや、これは、ソラの指示かな。だとすれば、番竜組を連れて行ったのも、ソラの考えかも。
<マリカ、テリーと行く。あかげのこ、あぶない>
お座りしていたテリーが、痺れをきらしたように、「伏せ」の体勢を取った。
そうか、そうか。テリーは、わたしのお迎えに来てくれたのか。
竜車は、
唯一の不安材料は、わたしの騎乗技術。
ショコラシートは、材質も改善されて、紐が切れるようなことはないけど、騎乗訓練してる暇はなくて、草原を軽く駆け回る程度の経験しか積んでいないの。
テリー自身の調教は、相当難易度の高い段階まで、進んでいるようで、乗り手を振り落とす心配はないから、しがみ付いていれば、なんとかなるかな。
うん。テリーに任せれば、大丈夫だよね。
「シ、ショコラ様、斥候竜に乗って行くおつもりですか?!」
わたしが、テリーによじ登り始めると、ホウスバリー隊長が、辺りに響き渡る大声を出した。
一応、敬語の疑問形だけど、竜気は、『否定』と『反対』と『侮辱』のミックスで、『敬意』は
「アホか、無謀すぎるぞ、この
それに、対して、バンバエルは、黙って、ショコラシートの安全ベルトや羽衣コートを装着するのを手伝ってくれる。
バンバエルと竜気コンタクトを取ったらしいオランダスは、バンバエルが乗ってきた走竜の手綱を取って、ひらりと鞍に
ホウスバリー隊長の「おまえら、止めない気か」という『非難』の竜気を『無駄』と叩き返しているところがさすがだね。
わたしに仕えている男性諸君は、
ユーレカはどうしてるかと、竜車の中をチラッと見たら、気分が悪くなったのか、胸と口を押えて俯いたままだった。
一度、『生きてる』と期待を持たせたのに、今度は、『危険区域』にいると聞いて、余計に苦悩が増しちゃたんだろうか。
一旦上げてから、また落とされるのは、精神的に辛いものがあるよな。
ごめんね、ユーレカ。
せめて、結果オーライで笑えるように、頑張って来るからさ。
「えぇ。ここまで、送ってくださって、ありがとうございました、ホウスバリー隊長様。わたくしは、飛竜渓谷へ参りますので、ユーレカ様のこと、よろしくお願いいたしますね。それでは、ごめんあそばせ」
わたしは王族である。
幼女であっても、メチャ竜気が強いのである。
それでも、王族の決定に異を唱えることはできない。非常時に、同族を守るのは、王族の義務であり、いつどこで、自らの命と竜気を張るのかは、王族の意思に任されているからだ。
「テリー、お
わたしが命じると、テリーは、四つ脚で走り出した。後脚二本で走り跳ぶ方が速いけど、振動がすごくて、幼女の身体では、耐えられない。
それに、番竜組との対決の際に、わたしを振り落としたのが、テリーには相当ショックだったらしくて、乗り手をいかに保全するかを一番に考えてくれるようになったの。
あれは、ショコラシートの耐久性の問題で、別にテリーは悪くなかったんだけどね。
ともかく、それで、「お任せ」と言えば、その状況に即した動きをしてくれるわけ。どうせ、わたしには、細かい指示を与えることなんかできないし。
せいぜい、「止まれ」とか「ゆっくり」とか「急いで」くらいなもので。あとは、テリーの判断に任せるしかないもん。
走竜あたりじゃ、こうはいかないけどね。頭が良くて、機転がきいて、主人の
最初、ジョギングペースだった足取りは、わたしがリズムに乗り慣れてくるにつれて、どんどん速くなっていく。そのうち、道を外れて、林の中を突っ切り始めた。
辺りは、真っ暗だ。斥候竜には、暗視力があるから、問題ないけど、走竜には、きついはず。足場も、どんどん悪くなってくるので、わたしは振り返った。
オランダスがずっと
「オランダス! これ以上、ついてこなくていいわ。引き返して、帝竜軍の上層部に、援助を要請して! ホウスバリー隊長には、その気がなかったし、あの人に救助不能なんて報告をされたら、捜索自体打ち切られかねないでしょ。いざとなったら、わたしが費用を持つから、諦めないように話をつけてきて。医官も必要だし、とにかく、飛竜渓谷に人を集めろって頼んでちょうだい。さぁ、早く!」
「了解です!」
オランダスが引き返して行くのを確認してから、わたしは、ソラに呼びかけた。
これで、もう、【交感】の邪魔をする人はいなくなったし、集中ができる。
<ソラ! 今、どこにいるの?>
かなりの間があったけど、無事に、ソラとの【交感】が繋がった。
<マリカ! やっと繋がったわね。ソラは、助っ人を確保しようと交渉中よ>
<ロムナンは、一緒じゃないの?>
<うん。ロムナンは、番竜組と飛竜渓谷に入った頃よ。マリカは、テリーと合流できたの?>
<ちょっと前にね。今は、わたしたちだけで、飛竜渓谷へ向かっているの。真っ暗だし、どこをどう走ってるのか、わからないけど、たぶん>
<テリーに任せてれば、大丈夫。マリカは、とにかく、落ちないようにしてね>
わたしが、テリーの背中から吹っ飛んだのは、ソラにもトラウマになっているらしいの。心配ばかりかけて、ほんと、申し訳ない。
<何とかなるよ。ショコラシートも、かなり改良されて、乗り心地が良くなってるし。それより、今の状況を教えて。あんたは、ロムナンとまだ繋がってるの?>
<今は切れてるけど、繋がりやすくなってるから、いつでも連絡は取れるわ。でも、サルトーロの方はだめ。もう意識がなくて、どんどん弱っていってるの>
間に合うのかな……。
一瞬よぎった思いを押し殺して、頭を切り替える。
何が何でも、助けるのよ。
ロムナンと約束したでしょ。
余計なことは、考えちゃ駄目。そんなのは、無駄。
とにかく、助ける方法を考えるのよ。
<サルトーロの現在地は、わかったの?>
<うん。岩だらけの側壁だけど、それほどの高さのところではないし、テリーなら一時間もかからずに着くと思うわ。先行してる番竜組の方は、ちょっと苦戦してるみたいで、ロムナンも疲れてきてるけど、最短距離で向かっているから……、あと……そう、二十分くらいで着くかな>
ロムナンは、岩をよじ登っているのか。番竜でも苦戦するような地形を。
いくら野生児でも、大丈夫なのかな。滑り落ちて、怪我しなきゃいいけど……。
<そう言えば、なんで、番竜組を連れだしたの? あんたの指示なんでしょ?>
<うん。実は、サルトーロがいるところの近くに、小型飛竜の巣があってね。そこは、10頭程度の群れで、夜目も利かないし、朝までは心配いらないと思うのだけど、そういう巣を狙って、夜行性の中型竜が来る危険はあるの。だから、ロムナンと番竜組に、サルトーロを守ってもらおうと思ったのよ。救助の人達が辿り着くまで、時間稼ぎをするために。マリカに相談しなくて悪かったけど……>
ソラの弁解混じりの説明は理解できたけど、わたしの心配は
<それはいいよ。【交感】が切れちゃったのは、こっちのせいだし。でも、番竜組が太刀打ちできる相手なの? その夜行性のやつって……中型なんでしょ?>
<正直、断言はできないの。中型って一口に言っても、個体によって、竜気量は違うし、空腹具合によっても、行動が変わってくるから。ただ、レベルとして、闘竜より劣るのは間違いないから、ロムナンなら、充分に対抗できるはずなのよ>
闘竜より劣るということは、番竜よりはるかに強いということでもある。お腹を空かせていたら、しつこく攻撃してきて、追い払えないかもしれないよ。
<けど、あの子、闘竜を見て、気絶したんでしょうが。いくら竜気量で
<あのときとは、覚悟が違うわ。いきなり襲われるのと、守るべき者がいて、立ち向かうのとは、気構えが全然違うのよ。人って、そういうものでしょ?>
<あぁ、うん。確かに、言えてるね。それは、わかるよ>
わたしも、類の前では、強くなった。天然ボケを守るためには、強くならざるを得なかったとも言えるけど。
たとえば、自分自身が、不良にカツアゲされたのだったら、ブルって財布を差し出したかもしれない。
でも、類がカツアゲされたところを見たら、逆上して、大声を張り上げて、追い払うことができたもんね。
今のロムナンにとって、サルトーロが、保護すべき対象となっているなら、前よりも強くなってる。それは、間違いない。
誰かを守りたいと願うなら、敵に立ち向かっていくことができる。その敵が、どんなに強くても、どれほど怖くても、負けられないと踏ん張れるものなんだ。
それに、ロムナンは独りじゃない。番竜組がついてるしね。あいつら、
あれ? それじゃ、わたしなんか、必要ないんじゃない?
ロムナンが心配で、飛び出して来ちゃったけど、わたしにできることって、何かあるのかな?
でも、ソラは、テリーも招集して、わたしの送迎をさせたわけだから、それなりの理由があるよね。
うん。ソラが、無駄なことをやらせるはずがないよ。
<ロムナンと番竜組の役目はわかったけど、わたしは、何をすればいいの?>
<サルトーロのところへ着いたら、信号を上げてもらいたいの。帝竜軍に居場所がわかるように>
<信号? どうやって?>
<簡単よ。着いたら、やり方を教えるわ。それから、もうひとつ。こっちの方が大変だけど、サルトーロの容態を確認して、応急手当をする必要もあるの>
<え? 応急手当って、わたし、医術の心得なんかないよ。テリーに、救急箱が積んであるわけでもないし。そんな大任を果たす自信がないんだけど……>
思わず、及び腰になったわたしに、ソラが、『激励』の竜気を吹き込んできた。
<傷の手当じゃなくて、竜気を手当するのよ。大丈夫。マリカなら、できるって>
なんだか、不思議。ソラが、「できる」って言うと、本当にできるような気がしてくるんだよね。おばあちゃんに、笑って、「ケ・セラ・セラ」と言われているみたいな安心感があって。
<そうとも。わたしは、やるときゃやれる乙女だからね。サポート頼むよ、相棒>
<任せておいて、相棒>
よーし、やってやるぞ。
必ず助けてやるからね、サルトーロ。あんたも、頑張るんだよ。
ロムナンが着くまで。わたしも着くまで。
絶対に、死ぬんじゃないぞぉ。
その夜、飛竜渓谷に至る難路を突き進んで行くテリーの背中で、わたくしにできるのは、落ちないように、必死でしがみついていることだけでございました。
それだけで、体力の全てを使い果たしたわたくしでしたが、この日のメインイベントたるクライマックスは、その先に、待ち構えていたのでございます。
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