第48話 お姉さまとお呼び、リピート。
小学生の頃、類が、モコモコ毛の子犬を拾ってきたことがあったのよ。
弟には甘い因業爺も、即座に駄目だと突っぱねて、
ケーキ作りに、髪の毛は厳禁だもんね。
ましてや、犬の毛は始末に負えないし。
類だって、そんなことは百も承知。
それでも、子犬を抱きしめて放さなかった。
うるうるべそべそ泣き続けて、反則技の根気勝負を仕掛けてきたわけ。
仕方なく、わたしは、類の手をひいて(子犬込みで)、近所を練り歩いたのさ。
どなたか、この子犬を飼ってくれませんかぁ、ってね。
動物好きそうなお客さんや、庭付き一戸建ての家を尋ね回りながら。
やっとのことで、飼い主になってくれる人を見つけたのは、夜の9時過ぎ。
いつでも様子を見においでと言われた類は、満足して一件落着となったけど。
真っ暗になっても帰らず、
くたくたになるほど頑張ったのに、なんたる
でも、姉の役回りなんて、いつだってそんなものなんだな。
「パメリーナ。ロムナンは、戻ってきたのかしら?」
資料を持ったマルガネッタが、ソフィーヌ寮長のところへ向かった後、わたしは、パメリーナの方に向き直って尋ねた。
左目一回ウインクを一瞬で、『肯定』と解読できたなと思ったら、じわじわと嬉しさが盛り上がってきた。
九九を完全に覚えると、『
瞬きコミュニケーションは、完全に習得できたじゃないの。
偉いぞ、わたし。頑張ったね。
「先程、オランダスに送られて、お帰りになられました。ただ今、カズウェルが、お風呂にお入れしているところです」
カズウェルというのは、ロムナンを引き取ったときに、側付きとして雇った護衛兼従僕のこと。
護衛とは名ばかりなんだけどね。ロムナンは、一人でほっつき歩くのが好きだから、ついて行かなくてもいいよって契約になってるの。
だったら、どうして、護衛として雇ったかと言えば、その方がお給料が高くて、優秀な人材が来てくれるというからよ。
実際、カズウェルは、退役軍人のオランダスの紹介だし、護衛としての腕は確からしい。
それに、竜気がかなり強い貴族でないと、わたしやロムナンの近くで生活できないしさ。
お風呂に入れるのだって、時として、命がけになるほどなの。危険手当と障害補償をつける必要がある過酷な職場なんだよね。
「そう。あの子、今日は、おとなしく入ったの?」
最初の頃は、わたしが、つきっきりでお風呂に入れていたのよ。
家出するまで、世話していた使用人は、ロムナンの信頼を失くしてしまっていたから、全員お払い箱にして、新しく雇い入れなきゃならなかったんだけど、それが大変でさ。
最初に来た二人は、ロムナンが、どうしても馴染めなかったし、三人目は、ギブアップして、自分から辞めちゃったの。
四人目のカズウェルは、今日で、三週間くらいになるのかな。これ、今までで最高記録だね。できれば、このまま、記録を更新し続けて欲しい。
頼むぞ、カズウェル。フレーフレー、カズウェル。
ソラが、わたしの侍女や秘書官探しに苦労したって言うのが、よくわかったよ。
竜気が強い貴族で、王族の側仕えが務まるだけの教養と経験があるというだけでも、候補者はかなり絞られるわけ。
その上、攻撃波を食らう覚悟を持っていて、好き嫌いの激しい幼児(わたしも、ロムナンと同列に見られてるらしい)を扱える人という条件がつくと、ほとんどいないの。
こうして並べてみると、いる方が不思議に思えてくるくらいだわ。
「カズウェルには、ロムナン様も、随分慣れてきたようございますよ。触られても、抵抗されなくなりましたので」
パメリーナが、微笑みながら、飴の入った容器を差し出してくる。仕方なく、一個摘み上げながら、わたしは、更なる感慨に浸った。
口を開いて、吸血鬼の如く、牙をちらつかせられても、微笑みに見えるようになったんだなぁ。でも、どうせなら、この飴が美味しく思えるようにもなって欲しかったよなぁ。
「良かったわ。それなら、わたしが、様子を見に行かなくても、大丈夫かしら?」
パメリーナが、もう一度、左目一回ウインクをした。
「何かありましたら、お呼びいたしますので、ショコラ様は、お夕食の時刻まで、お休みになっていてくださいませ。お疲れになられているのでしょう」
体調管理をしてくれるパメリーナに勧められて、わたしは、ロムナンと共用の居間に移動して、休憩することにした。
確かに、疲れてるよ。転生しても、頭脳労働は、わたしの性に合わなくてさ。
クッキーでも作らせてくれないかな。簡単なプレーンでいいから。
ままならぬ生活を嘆きつつ、わたしは、ローソファでゴロゴロしていた。
こういうだらしない恰好が許されるのは、王寮にいる間だけらしいのよね。
ソフィーヌ寮長は、『はしたない』と言いつつ、わたしを早いとこ
この居間は、ロムナンと共用している遊び部屋の扱いだから、大目に見てちょうだいな。
あの子に行儀を教え込むまでには、気が遠くなりそうな、長く険しい道のりがあるんだって。一気にダッシュしようとしたところで、すぐコケるのがオチだもん。ステップ・バイ・ステップで行くつもりよ。
しばらくして、風呂上がりのロムナンが、姿を見せたので、わたしは、ソファから起き上がって座り直した。
隣の空いたところをポンポンと叩いてから、手をひらひらと振ると、とことこ歩いてきて、わたしの隣にストンと腰を降ろす。
びくびくして、なかなか近づこうとしなかった最初の頃を思えば、これだけでも感動ものだわ。
欲を言えば、声にも反応するようになって欲しいものだけど。
まぁ、手ぶり言語が有効なことがわかっただけでもマシか。帝竜国語はからきしでも、動きは理解できるからね。
耳も聞こえてはいるけど、音が意味に繋がらなくてさ。言葉を教える試みは、これまで全部失敗してるの。やっぱり、素人のやることには、限界があるよ。
ロムナンにも、サリバン先生をつけてあげたいんだけどなぁ。二か月以上たつのに、候補者すら、見つからないんだよ。
<綺麗になったわね、ロムナン。それに、いい匂い>
ロムナンから石鹸の香りが漂ってきて、思わずうっとりしてしまう。今日は、髪の毛もちゃんと洗ってもらったみたいね。
今のところ、綺麗な服を着て、清潔なロムナンを見られるのは、三日に一度くらい。それも、ほとんど、
とは言え、泥だらけに比べれば、格段の進歩と言えるけどさ。
<いいにおい……?>
<そうよ。鼻をくんくんしてみなさい。どう? わかる?>
わたしが、大げさに鼻を鳴らしてみせると、ロムナンも素直に真似をする。
<いつもと、ちがう……?>
<うん、うん。いつもは、臭いの。こっちは、いい匂い。でしょ?>
<そう?>
臭覚も発達してないのか、ロムナンは、『わからない』と、二回瞬きをした。
よしよし。瞬きコミュニケーションも修得しつつあるね。物覚えはいい子なんだよ。
<そうなの。これが、いい匂い>
<おねえさま、これ、すき……?>
実際は、『おねえさま』と呼んでるわけじゃなくて、わたしのことを指す固有名詞の思念なんだけどさ。マリカでもあり、ショコラでもある。
ただ、ソラと違って、『
<好きよ。こっちの方が大好き。人は、みんな、いい匂いが好きなの。臭いのは嫌い。覚えておいてね>
<――うん>
ロムナンは、ソファの上に、ころんと横たわって、わたしの膝の上に、頭を乗せた。これが、リラックスしたときの定位置なの。
スケ婆に抱きつくように、体重をかけられたら、わたしが潰れるから、この体勢で妥協するように説得したのよ。何しろ、身長は、わたしより頭ひとつ分高いし、体重が戻った今は、わたしより重くなってるんだから。
姉の威厳がない? ふん。中一の類にも、身長を追い抜かれていたわたしは、弟から見下ろされる屈辱には慣れているのさ。
<いい子ね、ロムナン。いい子のロムナンは、赤毛の男の子、覚えてる?>
落ちついたようなので、サルトーロの話を持ち出してみた。
でも、全く通じていないな。色の違いは教えたんだけど、竜気が、『困惑』で揺れているね。
<あかげ……?>
<ロムナンの
ロムナンの髪の毛を触りながら言うと、やっと通じたみたいだった。
<テリーのとこに、きてたこ?>
<そうそう。ロムナンを怪我させた子よ。ロムナンは、あの子のこと、嫌い?>
<ううん>
<ほんとに?>
<うん。かわいそう。テリー、いった。あのこ、ロムナンとおなじ。ひもじい>
<え? あの子も、お腹をすかせてたの?>
ひもじい? ちょっと待ってよ。
まさか、まさか、借金生活だからって、食料まで節約してるわけ?
何やってるの、ユーレカ。餓死したら、どうすんのよ!
<うん。でも、たまご、たべない。あげたら、おこった>
あぁ、糖卵竜の卵ね。
テリーやあんたは好きでも、あれをそのまま
<まぁ。卵を上げようとしたの? ほんとに優しい子ね、ロムナンは。でも、人は、卵の殻は食べないのよ。お菓子の方が、おいしいでしょ?>
ロムナンだって、お菓子があるなら、わざわざ卵は食べない。テリーがおすそ分けしてくれたら、断らないってだけで。
<うん。おかし、おいしい>
<ロムナン、あの子と、友だちになれるかな?>
どうやら、ロムナンの方は、友好的な第一歩を踏み出していたらしいので、期待しつつ聞いてみる。
結果的に、報われなかったにしても、波長が合わなければ、視線があった瞬間に、決裂していたはずだから、相性は悪くないはず、だよね?
<あのこ、人。竜じゃない>
でも、ロムナンに、きっぱり否定されてしまった。
あ、そうか。思い出したわ。この子にとって、『友だち』は、竜限定の概念なんだっけ。
<そうね。でも、仲良くできる人もいるでしょ? ほら、カズウェルみたいに>
<かずえる……?>
<ロムナンをいい匂いにしてくれた人。側にいても、嫌じゃないよね?>
<――うん……>
<あの子が側にいたら、嫌な感じする?>
<ううん。でも、あのこ、ロムナン、きらい>
かなり傷ついてるな、これ。
そりゃ、好意を踏みにじられたら、ショックを受けるもんだよねぇ。
なんとか、慰めてあげないと……。
<嫌いじゃないと思うよ。ただ……、えっと、ロムナンは、テリー好きでしょ>
<すき>
<それじゃ、ロムナンは、初めて、お姉さまと会ったとき、テリーの側にいるお姉さまを見て、どう思った? 嫌いになった?>
ロムナンは、ぴくっとした。当たりである。
ただ、『うん』と言ったら、わたしが怒るんじゃないかと警戒してるのね。
こういう、姉のご機嫌を伺う様子は、とっても類に似ている。類と違って、向けてくるのは、視線じゃなくて竜気だけど。
<――ちょっと、だけ……>
<うん、うん。このあたりが、ちょっと痛くて、さびしかったんじゃない?>
ロムナンの胸を軽く突いてみると、かなり
<うん>
<あの子も、テリーが好きなの。それで、テリーと仲良くしてるロムナンを見て、寂しくなっちゃったのよ。それは、やきもち。嫌いとはちがうの>
<やきもち……?>
<そうよ。ロムナンが羨ましかったの。わかる?>
<――うん>
まだ、ちょっとあやふやな感じだけど、『やきもち』の概念は、単純な好き嫌いより高度だから仕方ないね。
竜気的に上向いたから、まぁ、いいとしよう。
<あのとき、ロムナンは、偉かったね。【攻撃波】を出さなかったもんね>
もう何度も言った台詞だけど、これは、何度でも繰り返す。
良き行動は、とにかく褒める。上げて、おだてて、褒めまくる。
ロムナンは、ネガティブな傾向があるから、そのくらいでちょうどいい。
お気楽な類は、叱りまくってもへらっとしてたけど、臆病で傷つきやすいロムナンを叱り過ぎると、『拒絶』されたと解釈して、逃げ出してしまうのよ。
試行錯誤の苦労の中で、わたしも学習したのさ。
<おねえさま、いった。こうげきは、だめ。がまんする>
うんうん。【攻撃波】を人に向けたら駄目だってことだけは、叩き込んだからね。どうして駄目なのかまでは、理解してないけど、『約束』の概念は、竜の間にもあるみたいで、すんなり受け入れたの。
実際に、怒りを感じたときに、我慢できるかどうかってのは、別問題で、そのへんがまだ心配ではあるんだけど。
<そうよ、その通り。約束したもんね。よく、我慢できたよね>
全力で褒めてあげたのに、ロムナンの竜気は、また下降してしまった。
あれ? こんな反応は初めてだなと思ったとき、初耳の情報が飛び出してきた。
<テリー、いった。けんか、だめ。あのこ、いった。とまらない>
<止まらない? 止めようとしたのに、止められなかったってこと?>
え? なに?
それじゃ、【念動】を使うつもりじゃなくて、勝手に発動しちゃうって言うの?
自分では、制御できなくて?
やだ、わたし、
<うん。あのこ、りゅうき、いっぱい。こわい。あつい。たすけて>
怖い。熱い。
きっと、竜気が
うわぁ、あの子、かなり、ヤバい状態じゃない?
もしかして、わたしと同じ力場破裂症とかさ。いや、よくわからないけど、絶対に、専門家に診てもらう必要はあるよね。
専門家って、この場合、お医者さん? それとも、神通力者になるのかな。
取り敢えず、ソラに相談だ。ソラに聞いてみれば、打つ手もわかるはず。
<助けて? あの子が、そう言ったの?>
<うん。こわい。いたい。こわい。たすけて。ぐるぐる。なんども>
ロムナンは、身体を丸めて、身震いし始めた。
そうか。サルトーロの強烈な感情波を浴びて、恐怖や混乱を共有しちゃったのかも。だから、心身ともに傷つけられたのに、敵意を持たなかったんだ。
共感して、同情して、心配してる。
<――そうだったの。そんなに怖がっていたの>
あぁ、そう言えば、マルガネッタが言ってたじゃないの。
サルトーロは、竜気の制御方法すら学んでいないって。
放置していたら、周囲だけでなく、本人も、危険なんだって。
わたし、『危険』の意味を全然理解してなかった。
その重さを。その痛みを。その恐怖も。
ただ、他人事だって、軽く聞き流していただけ。ポルターガイストを管理するのは面倒くさいから、できれば関わりたくないなと思いながら……。
<おねえさま、あのこ、たすける? ロムナン、おなじ>
ぶるぶる震えるロムナンの手を擦ってあげていると、ロムナンが、ぎゅっとわたしの指を握りしめてきた。竜気が皮膚を伝わって、ぴりぴり痛いくらいに。
自分と同じ、か。
ひもじくて、痛くて、熱くて、怖い――同じ思いを知ってるってことかな。
もしかしたら、周りから、問題児扱いされていて、同じように、孤立してることも、ロムナンには、感じとれるのかもしれないな。
何れにしても、願いはひとつ。助けてあげたい。これは、『
お姉さま、助けてあげて。僕と同じ可哀想な子なんだよ、って。
<よし。わかった。助けるよ。何としてでも、あの子を助けてあげようね>
あぁ、もう、しょうがない。
この際だ。姉弟まとめて、丸ごと面倒みるしかないね。
教官を探すとか、名目をどうするとか、チンタラ検討してられる状況じゃなかったよ。餓死したり、自爆したりしかねないって知っちゃったのに、放っておけるわけがないじゃないのさ。
ええい。扶養家族が、一人から三人に増えても、たいして変わらない。と、思うことにしよう。
ユーレカは、あんまり『妹』って感じがしないけど、サルトーロは、『弟』二号でいい。あいつには、『お姉さま』と呼ばせてやるぞ。
わたくしが、ユーレカだけでなく、弟のサルトーロも丸抱えする覚悟を決めたのは、この日の夕食前のことでございました。
そして、ソラに早く相談しようと気の
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