第36話 お姉さまとお呼び。


 弟のルイは、3歳くらいまで、わたしのことをマリちゃんと呼んでいた。

 でも、わたしが小学生になってから、「お姉さまとお呼び」と教育したの。

 あの頃は、舌がよく回らず、「おねちゃま」で妥協することになったけど。

 これが、常連客には、大好評だった。小さな貴公子みたいで、可愛いって。

 わたしの方は、「あれが、お姉ちゃまってツラかよ」的な失笑を買ったのにさ。


 それにしても、慣れというのは恐ろしい。これが、すっかり定着してしまった。

 まぁ、類の方は、さすがに小三くらいになると、気恥ずかしくなったようね。

 普段は、「マリ姉」に呼びになったけど、「お姉さま」と言うときもあるのよ。

 わたしを怒らせたときや、頼み事があるとき。下手に出てこびを売るときには。

 こいつが、可愛く思えてくるから腹がたつ。何てあざといやつなんだって。


 

「テリー、お座り」

 わたしが命じると、賢いテリーは、両脚を折り曲げて下半身を地面に降ろした。前脚の方が短いから、『座る』というより、『腕立て伏せ』っぽい体勢だけど。


「よし。伏せ」

 関節の向きが違うので、犬みたいに、前脚を伸ばすというわけにはいかない。器用に折りたたんで、腹ばいになる。斥候竜と呼ばれるだけあって、大きな身体のくせに、敏捷な動きをするし、あまり音もたてないんだよね。関節も柔らかいのか、首や尻尾を縮めて丸くなったり、一動作で跳ね起きたりすることもできる。


「よし。立て」

 テリーは、すっくと、四つ脚で立ち上がる。かなり土ぼこりがひどいけど、これはしょうがない。気配を殺せば、スピードが落ちる。「立て」の命令は、素早さが要求されてると、きっちり理解しての動きだ。


「よし。チンチン」

 斥候竜は、カンガルーと同じで、後脚二本で走れる。実際は、跳躍するんだけど、それがものすごく速いの。目の前で、その脚力を発揮されてぶつかったら、はね飛ばされて内臓破裂か全身打撲。だから、ここで命じたのは、後脚二本で立てという意味。犬の「チンチン」とは違って、バランス良く、ぴしっと静止ができる。


「よし。休め」

 テリーは、四つ脚に戻ってから、ごろりと横たわった。本当に眠るときは、腹ばいになるんだけど、リラックスしてるときには、この体勢になる。怪我の手当をするときや、ブラッシングするときにも有効なの。

 わたしは、テリーに近づいて、首元を撫で撫でしてあげた。なるべく力を入れて。こうすると気持ちが良いらしいんだけど、「休め」の体勢のときしか、わたしには手が届かないんだよね。今は、『よくできました』のご褒美も込めている。


「よし。待て」

 立ち上がりながら命じると、わたしが十分離れたのを確認してから、テリーは、身を起こした。今度は、「伏せ」の体勢に近いけど、首は上げて、周りを観察しつつ、いつでも動ける待機状態だ。


「今のが、基本的な動作になります、カモミール。どうですか?」

 わたしが話しかけた相手は、チャイルドシートを制作するために呼んだ技術者。匠族しょうぞくの中年女性で、本来、王族が直接やりとりするような身分ではないのだけど、わたしは、とても気に入った。最初のうちは、竜気も態度も、ゴチゴチに硬くて、気の毒なことをしちゃったかなと後悔しかけたほどだったけど、専門的な話になったら、ノリノリになってきて、テリーを見せた今は、ウキウキのワクワク。


 竜眼族にしては、背が低くて、肌のキメが荒くて、薄っすらと毛も生えてる。しかも、六本指なの。匠族というのは、平民よりは、一ランク上だけど、異種族の血が相当入っているらしい。でも、その分、器用で、美的センスに優れた人が多く、技術者や芸術家を輩出はいしゅつしている階級なんだって。まさに今、わたしが必要としている能力じゃないの。当たりよ、今度は。ほんと、妥協しなくて良かったわ。


 最初に来た宝族ほうぞくは、ただのブローカーで、次に連れてきた豪族は、営業マンタイプ。二人とも、技術的な知識は、ほとんどなくて、話にもならないド素人だったのよ。わたしは、既製品の説明を聞きたいわけじゃない。実際に試作品を作る現場の技術者だけ来させろ。自分でデザイン画が描けて、材料にも詳しい鞍の専門家を。さもなきゃ、他をあたると言って、追い返した。これは、三度目の正直。


「なんて素晴らしい動きなのでしょう。本当に、感激です。このように近くで、斥候竜を拝見できるなんて。その上、竜鞍りゅうぐらまで作らせていただけるなんて、職人冥利みょうりに尽きますわ。我が匠舎しょうしゃの総力を挙げて、ショコラ様に安心して使っていただける特注品を開発させていただきたいと存じます。

 どうやら、カモミールは、マニアックな竜好きで、絶滅危惧種の斥候竜を見られるというだけで、釣られて来たらしい。貴族や豪族には、わたしが課した条件に適う人は見つけられなくて、匠族の技術者に片っ端から声をかけて行ったけど、他の人たちは、みんな二の足を踏んだみたいね。王族に依頼を受けるのは歓迎だけど、直接、王族と対面して、打合せしなきゃならないのは怖いっていうわけで。

 

「もう一度、動きを見ますか?」

是非ぜひとも、お願いいたします、ショコラ様。今度は、スケッチさせていただいてもよろしいでしょうか」

「えぇ。それでは、テリーに、もっとゆっくり動くように命じますね」

「まぁ! そのようなことまで、おできになるのですか」

「もちろん。テリーは、とても賢い竜なんですもの」

 これは、飼い馬鹿ではないのだよ。テリーが、この一連の動きを習得するまで、半日もかからなかったんだからね。犬に芸を仕込むのとは訳が違う。テリーは、条件反射的に動いているわけじゃないの。竜気から、主人の意図を理解して、適切な行動を取ることができるのよ。すごいでしょ。もっと褒めてくれてもいいのよ。


 ペット自慢で気を良くしたわたしは、カモミールとばっちり意気投合して、無事に、テリーの採寸まで終わらせた。胴回りや脚の長さから、尻尾の太さまで細かく記録したカモミールは、次回までに、最初の試作品を作ってくると約束して、やる気満々で帰って行った。この分なら、合格を出すまで、途中で諦めず、トライしてくれそう。手間賃は弾むから、どうか頑張って欲しい。


 貴重な人材をゲットできて、わたしは、ほっとした。竜気差も、身分差も、ついでに年齢差まであるのに、話が普通にできる相手もいるんだね。カモミールって、ちょっとお祖母ちゃんに似てる気がする。幼い孫にも、保護者目線でなく、対等に接してくれる友達感覚とか、好きなものに対して、脇目もふらない情熱的な性格とか、「ケ・セラ・セラ」と世渡りして行けるプラス思考とか。


 はぁ。この楽天的な竜気を少しでも分けてやりたいな、ロムナンにも。

 あれは、警戒心が強いっていうより、恐怖に囚われているんだと思う。悪夢を見たまま、抜け出せなくなった感じかな。ホラー映画を見てると、何てことのないはずの日常風景でも、不気味で恐ろしく感じるでしょ。「やだやだ、絶対に何かいるよ。殺されちゃう。早く逃げなくっちゃ」っていう、あの息づまる緊迫感。

 ロムナンから放たれている竜気は、あれに近い。他に移動されそうになって、家出したとか、眠り薬を飲まされたくなくて、差し入れを拒んでいるとか。ソラに聞いた話から、8歳児にしては知恵が回るのだとばかり思い込んでいたんだけど、どうも違うみたいなんだよね。そんな判断力はなくて、本能に流されてるだけの気がする。ただ怖い。とにかく怖い。だから、逃げる。必死で隠れる。その繰り返し。

 

 弟認定はしたものの、接近遭遇した日から、今日で8日、たいして進展しているとは言えないのよね。最初の3日間は、姿すら見かけなかったくらいで。もともとテリーのところへ、どのくらいの頻度ひんどで来ていたかもわからないし、わたしを避けているかどうかも知りようがなかった。もう、どこかで、野垂のたにしてしまったんじゃないかと気が気じゃなかったわ。

 竜育園ここは、敷地が広大過ぎて、隠れる場所はたくさんあるのよ。ロムナンに、決まったテリトリーがあるのか、あちこち転々としてるのかもわからなくてさ。とにかく、向こうから、こっちに来てもらわないことには、どうにもならないわけ。いい加減、焦りを感じていた4か目に現れたロムナンを見て、わたしは、ほっとするより先に、かっときた。姉としては、この反応は当然でしょ。

 

<この馬鹿、さんざん心配させやがって。一体どこにいたのよ?!>

 でも、ロムナンに、姉の情は通じなかった。叱られ慣れてるルイなら、すかさず、「ごめんなさい、お姉さま」と媚を売るところだけど。まぁ、あいつとは一緒にはならないか。こっちが、一方的に、弟認定しただけなんだから。いきなり、怒られたとしか思えないよね。追い払われたと勘違いされても仕方なかったな。

 ロムナンは、身をひるがえして逃げようとした。ここで、逃がしたら、二度と、ここには来ないかも知れない。少なくとも、わたしには近づこうとしなくなっちゃう。

 パニクったわたしは、ロムナンに、バンバン竜気を投げつけちゃった。


<ごめん。悪かった、いきなり怒ったりして。逃げないで。話を聞いて。あぁ、もう! そんなに怯えないでよ。わたしは、怖い人じゃないの。心配してただけなんだってば。顔見て、安心したら、腹がたっちゃって……いやいや、怒ってないわ。ほんとにほんとよ。嘘ついてないのは、わかるよね? わかってよ、お願いだから。ねぇねぇ、優しくて、頼りになるお姉さん、欲しくない? 甘いのも、美味しいのも、食べ放題になるよ。お腹すいてるんでしょ? ほらほら、これ、みんな、あげるから。おいで、おいで。こっちに、戻っておいで>

 我ながら、混乱の極みで、『謝罪』と『懇願』と『弁解』と『提案』のミックス感情波の垂れ流し。竜気の制御も説得もあったもんじゃなかった。ロムナンを余計に怯えさせただけ。あぁ、ほんとに、わたしって馬鹿。馬鹿なのは、わたしの方。だから、そのままだったら、逃げられておしまいだったと思う。

 でも、わたしはひとりじゃなかった。近くに、テリーがいた。賢くて、心優しいテリーの竜気が、流れ込んでくると、パニックが収まってきた。


<だいじょうぶ。こわくない。こわくない>

 おまじないのように繰り返す穏やかな竜気になだめられて、わたしは、落ち着くことができた。ロムナンも足を止めた。まだ、びくびくしてはいるけど、振り返って、こっちを見てくれた。


 あぁ、あんたってば、なんて、頼りになるの、テリー。わたし、祖父運にも、弟運にも恵まれなかったけど、竜運は、めちゃくちゃ良かったんだわ。ソラに引き続いて、こんなに賢くて頼りになる竜と気綱を結べたなんて。まさしく感動ものよ!

<ありがとう、テリー。助けてくれて>

<テリー、しもべ。マリカ、助ける>

 『しもべ』だってさ。何て、心地よい響きかしら。でも、浸っていられる暇なんかないわよね。『弟』の方を説得しなくちゃならないんだから。

 

<ロムナン、わたしは、友達。わかる?>

 わたしは、ゆっくりと竜気を送り込んだ。できるだけ、単純に、わかりやすく。

<ともだち、いない。ロムナン、竜だけ>

<竜は、友達よね? テリーも、友達でしょ?>

<テリー、やさしい>

<うんうん、優しいでしょ。わたしは、テリーの友達。ロムナンも、テリーの友達。だから、ロムナンとわたしも友達なの。わかる?>

<ともだち、竜だけ>

 うーん、これは、人間は信じられないってこと? それとも、『友達』って思念が、竜にしか適用されてないってこと?

<それじゃ、姉でいいわ。わたしは、あなたのお姉さまよ、ロムナン>

<おねえさま、なに?>

<甘いものをくれる人。食べるものを持ってくる人。お腹がすいたら、会いに行く人。ロムナンを守ってくれる人よ。どこか痛かったら、話して。困ったことがあっても、話して。お姉さまは、頼りにしていいの。これなら、わかる?>

<ロムナン、かえらない>

<あぁ。竜たちと一緒にいたいのね。いいわよ、それで。ロムナンは、好きなところにいる。ただ、毎日、テリー会いに来る。ここには、食べものがあるから>

<たべもの。あまいもの……?>

<甘いものもあるわよ。ほら、ここに。これは、ロムナンのもの。取りに来て。好きなときに。いつでも、帰っていいから。新しいのは、毎日、お昼過ぎに、持ってくるわ。わかる? お昼。お日様が、真上に来る頃よ>

 わたしが、太陽を指さすと、ロムナンも見上げた。

<おひる……>

<そう、あれは、お日様。お日様が、上にあるころ。それが、お昼。いいわね?>

 ロムナンから、返事は返って来なかった。理解しきれないのか、それとも、やっぱり、信用できないのかな。

 わたしは、用意してあった籠の蓋を開けて、中から、容器を取り出しながら、つまみ食いをして見せた。マフィンみたいな焼き菓子で、やたらと甘い。残りを容器ごと地面に置き、次の容器を取り出す。今度のは、肉たっぷりのシチュー。フォークスプーンで一口だけ食べて、それも、マフィンの隣に置く。最後のは、ハンバーガー。四角いけど、ひき肉料理。四つあったので、一つだけ取って、残りは、下に置く。ロムナンは、こちらをじっと見ているだけ。飢えてるのは、間違いないのに、近づいては来ない。毒見をしてみせたけど、それでも、駄目なのかな。

<…………>

<食べて。わたしは、帰るから>

 仕方なく、わたしは、踵を返した。テリーに挨拶をしてから、帰ろう。これで、食べてくれなかったら、どうしようもない。やれるだけはやったと思う。

<それ、ほしい>

 そう言ったのは、残念ながら、ロムナンではなかった。テリーだ。斥候竜は、雑食性らしくて、何でも食べる。犬猫と違って、食べさせない方がいいものは、特にないから楽ね。欲しがるものは、何でもあげることにしているの。ただし、訓練つきで。


<テリー、お座り>

 テリーが座ると、その鼻先の地面に、ハンバーガーを置く。お皿に乗せるようなことはしない。一度、それをやって、お皿ごと食べられちゃって、焦ったのよね。

<よし。お預け>

 てのひらをテリーに向けると、テリーは、微動だにせず、こちらを見る。

<よし。お食べ>

 口の大きさからすると、一口にもならない小さなハンバーガーをぱくりと食べたテリーから、満足そうな竜気が返って来た。

<おいしい>

<そう、良かったわね。今度は、もっと大きなのを作ってもらってくるから。また、明日ね、テリー>

<あした、やくそく>

<うん。やくそく。あんたもよ、ロムナン。また、明日ね。あぁ、もし、それ食べないなら、テリーにあげて。気に入ったみたいだから>

 それから、わたしは、後ろを振り返らず、帰ったけど、監視役は、ちゃんと残してあった。かなり離れた木の上で、午後の間、ずっと待機していてくれたのだよ。


<ソラ、どう? 食べてる?>

<シチューだけね。マフィンとハンバーガーは、持って帰ったわ>

<よし。餌付け、成功だ。やったね!>



 やっとのことで、食べてもらうことはできたものの、それから5日、わたしがいる間、ロムナンは、近づいて来ようとしませんでした。


 一応、毎日、取りに来てはいるようなので、飢え死の心配だけはなくなりましたが、餌付けの先の『弟』とするための道のりは、まだまだ長いと感じさせられる今日この頃でございます。


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