第35話 新しい弟と思うことにする。
ターザンの両親は、イギリス貴族という設定だったと思う。
アフリカで両親が亡くなり、残されたターザンは、チンパンジーに育てられる。
それで、雄叫びをあげる野生児になったけど、ジェーンに出会って変わった。
ちゃんと言葉を覚えて、文明社会に復帰できて、ヒロインと結ばれたもんね。
原作では、アフリカに戻って行った覚えがあるけど、それは、まぁ、いいや。
とにかく、言葉を覚える――この点が、重要。
ここが、ターニングポイント。
ヘレンケラーだって、『水』を理解するまでは、野生児みたいなものだったし。
でも、
人の言葉が解せない障害かぁ。
たとえ、サリバン先生はいなくても、衣食住の世話くらいはできるはずだよね。
いくらなんでも、ほったらかして飢えさせるなんて、幼児虐待じゃないのさ。
「ショコラ様。ロムナン様にお会いになるのは、もうおやめくださいませ」
あのターザン少年は、ロムナン五十八世という名前らしいね。四姓も教えられたけど、もう覚えてない。最初から、覚える気もないし。
「なぜですか」
今は、『作法』のお時間。四日に半日だけ、ソフィーヌ寮長と顔を合わせる日。
いつもは、前回の復習から始めるんだけど、今日は、いきなり、交際禁止令が発令された。わたしが、瞬きを四回ばかりしてからが尋ねると、初老の寮長先生は、厳めしい顔よりも、更に厳めしい竜気を放ちながら答えた。
「ショコラ様に
何だよ、不良の子とつきあっちゃいけませんってやつかよ。そう思いつつ、わたしは、お嬢様らしい言葉遣いで応対する。
なんて成長したの、わたしってば。
竜気には、『反感』が満ち溢れているはずだけど、そこまでは、知ったこっちゃないのよ。態度に出さなきゃ、礼儀はずれにはならないんだから、かまわないのさ。
「どこが、相応しくないのですか」
「きちんとお作法を習っていない方だからでございます」
「それでは、ソフィーヌ先生が、お作法を教えてあげてください。そうすれば、相応しくなれますね」
「あの方は、御病気なのでございます。大変残念なのですけれど、わたくしには、お教えする力などないのですよ」
「教える力のある先生は、どこにいますか。その人を連れてきてください」
「――ショコラ様……」
子供のわがまま許すまじという竜気を、叩き切りながら、わたしは言い放った。
「わたくしが、雇います。だから、探してきてください」
「どうして、ショコラ様が、そこまで、お気にかけるのでございましょう?」
大人の言うことをおとなしく聞けと言わんばかりの竜気を払いのけてやる。
「テリーとお友達だからです」
「は? テリーと申しますと、先日お買いになった斥候竜でございますか」
ソフィーヌ寮長の気脈が、驚きに縮まる。
チャンス。わたしは、自分の竜気で強く押し返すようにしながら、説得の言葉を重ねていく。
「テリーは、あの子が来るたびに、好物を分けてあげていました。お腹をすかせていて、可哀想だから、と。わたくしも、可哀想だと思いました。お菓子をあげたいのです。糖卵竜の卵ではなくて、もっと、甘いものや、おいしいものを。それがいけないと言うなら、誰かが、お食事の世話をしてあげてください。ソフィーナ先生にはできないというなら、できる人を探してきてください。このままお腹をすかせていると、あの子は、竜界へ還ってしまいます。そうしたら、きっと、テリーが悲しみます。わたくしも、とても悲しいです。先生は、悲しいとは思いませんか?」
どうだ。これで、否定できたら、あんたに、教育者の資格なんかないぞ。
「――そう、それは、大変悲しく思うことでございましょう」
もう一押しだな。わたしは、おねだりポーズを取りながら、『同情』『心痛』『焦り』のミックス竜気を、寮長先生に向かってパタパタと送った。
ここは、強く吹きつけてはいけない。それでは、押しつけがましくなってしまう。もっと、こうよい香りが立ち
そう、
「侍女でも、先生でも、誰でもいいのです。何人でもいいのです。わたくしが雇います。あの子に、お世話する人をつけてあげてください。お願いします」
わたしの懸命な訴え(迫真の演技力プラス竜気の制御力)に、ソフィーヌ先生の竜気は屈した。その場では、買ってくれなかったけど、一応は、勝利したとみていいと思う。
ただし、口にした台詞は、パメリーナと同じ、これであった。
「外帝陛下に、ご相談してみましょう」
<マリカも、演技が上手くなったのねぇ>
その晩、結果報告すると、ソラが、象の鼻の先っぽを横に振ってみせた。久しぶりに、「ピッピッ」と効果音付で。
<それ、褒めてるの、ソラ? まさか、非難してるわけじゃないよね?>
<感心してるの。竜気でわからない?>
<感情波が複雑すぎて、わからなかったよ>
<うん。確かに、複雑な気分だったかも。最初のうち、マリカは、演技力が乏しいって不安がっていたでしょ。ショコラが王族だって知ったときは、興奮して大騒ぎになっちゃったくらいだし……>
<あ、あれは、あんたが、いきなり気絶ぶりっ子なんかするからだってば>
<まぁ、あの頃は、いろいろストレスが重なっていたものね>
<今だって、ストレスは、かかっているさ。何よ、あの寮長先生。相応しいお相手ではないから、お会いになるのはやめろってのは。わたしが、婚約者候補を物色しているとでも思っていたのかね。まったく。失礼しちゃうと思わない?>
<物色してるとは思っていないだろうけど、マリカに、余計な虫をつけたくないとは思ってるかな>
<余計な虫? なんで? あの子、あれでも一応、王族なんでしょ。条件的には、何の問題もないじゃない。わたしの方は、ジェーンになる気なんかないけど>
ソラの象の鼻が、にょろんと持ち上がった。クエスチョンマーク形に。
<ジェーン?>
<ターザンのお相手のヒロインの名前よ>
<あぁ、結婚する気はないってことね。でもね。竜眼族にとって、幼い頃の関係って、かなり重要なものなのよ。ちょうど、神通力が発現して伸び盛りに入った頃――今くらいのマリカの時期の出会いは、気綱が太くなりがちだから。それで、同性の場合は、親友になるのだけど、異性の場合は、初恋に変わることが多いの>
<幼なじみカップルってやつか。うーん、前は、憧れがあったけど、こっちではなぁ。精神年齢が、あまりに違いすぎるし、わたしに、
ショタコンでも、さすがに、8歳児は対象外じゃないの?
常連客の中にひとり危ないオバさんがいて、中一の弟を見る目つきが、すごくヤバかったけど、小学生の頃は、まだ、それほどでもなかったと思う。せいぜい愛猫家が子猫をなでくり回したがる程度で。
いや、それはそれで、問題だったかな。どっちにしても、わたしは、ちゃんと守りきってやったからね。
はるかなる故国にいる
<マリカの方は、ただの同情で、軽い気持ちなのかもしれない。でも、相手がどう感じるかはわからないでしょ。ロムナンの方は、違うかもしれない。竜語症で、生まれてから、親しく交われたのは竜たちだけだったのに、初めて、自分と【交感】してくれる人と出会ったのよ。嬉しくて、放したくなくて、
寮長先生を言い負かしてやった勝利感が、ソラの話を聞くうちに、ぶすぶすと消えて行った。焚火に水をザバザバかけられたみたいに。
<一生……か。それは、重いね>
<うん。普通の男の子だったら、ソラも反対はしないんだけどね。竜語症っていうのは、すごく厄介だから……>
ソラの象の鼻が、ゆらゆら揺れている。一緒になって、感情波も揺らいでいる。
<どう厄介なの? そもそも、竜語症って、何が、どうなって、そうなるわけ?>
<簡単に言うとね、ロムナンは、竜眼族の身体で生まれてきちゃった高等竜だってこと。人の器官は持っているけど、それをうまく使いこなすことができない――その本能が備わってないのよ。たとえば、竜の口では、鳴くことはできても、話すことはできないでしょ。そこが、人として生きていく上で、一番障害になる問題だから、竜語症って呼ばれてるの。竜の言葉しかわからないって意味でね>
<でも、【交感】は可能なんだよね? そしたら、意思疎通できる人はいるんじゃないの。わたしだけじゃなくて、他にも>
<そうね。いるにはいるでしょうね。でも、条件の
そうか。説明されればわかる。サリバン先生を見つけるのがどんなに大変なのか。ただ、それで納得しちゃったら、現状を変えることはできないわよね。
<でも、だからって、飢えてるのに、放置しているのはひどいんじゃない?>
<そう。教官が見つからないのと、それは別の問題なの。半年前までは、ロムナンもちゃんと世話をされていたのよ。でも、8歳になると、幼年科から初等科に上がるのものだから、
うーん。攻撃波は、ヤバい。わたしと同じくらいの問題児かもしれないな。
<食べられる物を用意してあげることもできないの? オランダスがやったみたいに、近くに置いておけば、飢えずにすむんじゃない?>
象の鼻が、うにゅっと太めのマカロニになった。その先っぽから、「ぷっぷっぷーっ」と効果音が出てくる。
<それが、駄目なの。捕まえようとしていたときに、眠り薬を入れたことがあってね。すっかり警戒されちゃっているのよ。最近は、盗むことはあっても、誰からも貰うことはなくなっているのですって。だから、マリカがあげた卵を食べたのには、みんな、びっくりしたようよ>
<テリーには、貰っていたみたいよ。これまでも。わたしは、テリーと気綱で繋がっているから、その延長で、近づいて来たのかもね>
<そう……。それじゃ、これからも、テリーのところに来るかもしれないわね。マリカが、毎日通っていれば、当然、会う機会も増えるだろうし……。どうする?>
一生つきあう覚悟があるかと問われれば、そんなものはないと答えるしかない。
でもさ。このまま、あの子を放っておけると思う?
竜眼族は、食べなきゃ、すぐに飢え死にしちゃうんだよ。竜気を使いすぎたら、二、三日で、あっさりと。
わたしよりガリガリのロムナンは、もう限界が近い気がする。わたしには、見捨てるという選択肢はないね。手がかかりそうだけど、しょうがない。腹をくくろう。
<よし、決めた。ロムナンは、新しい弟と思うことにする。元の弟は、手を離れたところだし、いいや。こっちでも、一人くらいなら、面倒みてやるさ>
わたしが、決断してきっぱり言うと、マカロニ嘴がスパゲティなみに伸びて、上向きにくるんと丸まった。これは、何だろう。『驚愕』かな。『唖然』かな。
<お、弟?!>
<うん、そう。あのね、ソラ。弟っていうのは、ある日突然、降りかかってくる
わたしの力説に、スパゲティ嘴は、伸びたり丸まったりしながら、高速瞬きをしていた。
ふうん。竜も、驚くと、
<――マリカの世界では、弟って、そういう意味なの?>
<世界を代弁する気はないけど、わたしにとっては、そういう存在だったわよ>
<た、大変だったのね>
<まったくよ。真実、本当に、12年分の苦悩と困難に満ち満ちた、語るも涙、聞くも涙の、連続長編小説劇場版だったわね。あの外見天使の天然ドジは、ちょっと目を放しただけで、濡れ縁から落っこちるわ、洗濯機に入り込むわ、飴を喉に詰まらせるわ、車にひかれかかるわ、所かまわず迷子になるわ、懲りずに何度も誘拐されそうになるわで、毎週のように、
わたしが、握りこぶしを振り上げると、ソラが、ちょんちょんと後ずさりした。
<そ、そうだったの……>
<そうともさ。思えば、
<えっと、猫とか犬とかは、見たことがなくて、わからないんだけど……、餌付けっていうのは、食べ物を用意するって意味でいいのかな……?>
<うん。他の人からの差し入れは食べないっていうなら、わたしが、用意してあげるしかないじゃない。まぁ、これからも、テリーの竜舎には、現れるだろうから、そっちに、専用の餌箱みたいのを設置してさ。好きなときに取り出せるようにするとか。それじゃ、駄目かな?>
<やってみたら? マリカに任せるわ>
今度は、象の鼻になって、わたしの手をポンポン叩いてくる。
<え? いいの?>
<うん。ソラは、マリカが、そんなに保護者としての経験を積んでいるって知らなかったから、余計な心配をしちゃったみたい。ほら、マリカ、さっき、
<――あぁ、そっか。子供好きでないのは確かだし、弟のことも、好きではなかったのよ。
嘴が、うにゅっと変形して、『にぱっ』型の半円形になった。この『笑顔』を見るのは、久しぶりだな。愛嬌があって、ほんわかした気分になってくる。
<マリカなら、いいお母さんになれそうね>
<そうかな。じゃ、その予行演習ってことで、がんばるか。協力してよ、相棒>
<了解、相棒>
ソラは、スパゲティ嘴を伸ばして、わたしの頬に、ぽわんぽわんと軽く触れてきた。「チュッチュッ」という効果音付で。
翌日、ソフィーヌ寮長に勝利したおかげか、ソラの進言が利いたのか、わたくしは、外帝陛下より、ロムナンの食事係を拝命することができたのでございます。
けれど、『姉』としての権威を確立するための
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