第34話 竜語症のターザン少年。


 わたしには、語学コンプレックスがあったの。育った環境のせいで。

 因業爺は、フランス語と英語ができる。日常会話なんて河童かっぱだってさ。

 フランス人のお祖母ちゃんは、日本語の他に、英語とイタリア語もペラペラ。

 ママは、英語とフランス語と中国語が堪能。外国人客が来てもビビらない。


 パパも、接客できる程度の英語はこなすけど、決して得意じゃない。

 わたしは、父方こっちの血をひいた。外見だけじゃなくて、語学の才までも。

 弟は、母方あっちの血をひいた。すでに、4カ国語を話せるのよ。まだ中学生なのに。 

 天は二物を与えずなんて、大嘘だね。四歳年上の姉の立つ瀬がないじゃないさ。


 でも、帝竜国に来て、そんなの贅沢な悩みだったんだと思い知らされたよ。 

 日本語が通じる――それだけでも、なんて有難いことだったのかって。

 周りの話が理解できない不安や、自分の思いを言葉にできないもどかしさ。

 そこを乗り越えて、帝竜国語がわかり始めた――それが、今はとても嬉しいの。



「今日は、糖卵竜とうらんりゅうの卵を持ってきましたよ、テリー。そなたは、これが好きだと聞いたのです」

 わたしは、テリーの鼻先に、てのひらサイズの卵を差し出しながら言った。

 これは、スピーキングの自主トレである。片言から、幼児語まで進化したけど、『です』『ます』口調には、慣れていない。まだ、舌がよく回らないのよ。


 ソラとの会話は、【翻訳】から、【交感】に切り替わりつつある今も、声には出さないよう気をつけてる。聞かれるとまずい話ばかりしてるからね。これは、今後も変わらないと思う。ペットに話しかける人は、いっぱいいるだろうけどさ。「斥候竜の主食って何? あんた、テリーの好物知ってる? 知らなかったら、ちょっと調べてきてよ」なんて話す飼い主は、普通いないでしょ。あれ? 帝竜国ここには、いるのかな? 一般的な竜のペットって、どの程度の能力があるものなんだろう。今夜、ソラに聞いてみなくちゃ。


 それはともかく、テリーに話しかける分には、何の問題もない。ソラから、命令を口頭で下すために、声を聞かせ慣らすようにも言われているし。この子テリーは、帝竜国語は理解してないけど、気綱を通して、感情波のやり取りをしてるから、意思疎通ができているんだけどね。ほら、飼い犬に、『お預け』とか、『お座り』とか命じれば、言う通りにするし(しつけをちゃんとしてればね。テリーは、躾しなくても言うことを聞いてくれるんだよ)、『お散歩、行く?』とか『食べたい?』とか聞くと、尻尾をぶん回して喜び跳ねるのと同じ。

 

 幸いにして、斥候竜は、感情にまかせて、飛び跳ねるような真似はしない。竜気がウキウキ踊るだけだ。この巨体で、喜びのあまり突進されたら、わたしだけでなく、オランダスまでつぶれる。確実に。更に言うなら、ぶっとくて長い尻尾は、ゆらゆら動くだけでも危険極まりない。何しろ、敵をかっ飛ばしたり、魔物を突き刺したり、獲物を絞め殺したりできる破壊力があるんだから。想像してみてよ。全長2メートルの槍と剣と鞭が合体した武器を。斥候竜って、全地形対応型の優良種だって話だけど、偵察なんかより、切り込み隊の方が合ってるんじゃないの?


 どっちにしても、わたしは、可愛いテリーに、危ない軍の仕事をさせる気はないけどね。そうなの。褒めて。わたし、遂に、テリーをゲットすることに成功したのよ。あの因業……じゃなくて、いと尊き外帝陛下から、お許しを得てね。

 お値段、竜貨160枚也。167,772,160銭。一億七千万近かったよ。闘竜の最高値が、だいたい竜貨2枚くらいだっていうから、その80倍。オランダスの読みは、正しかったわけ。この後、毎日の餌代と竜舎の賃貸料の支払いがある。更に、調教師と下働きの厩務員きゅうむいんを雇う必要もあるとか。

 でも、わたしは、躊躇ためらわずサインをした。テリーには、それだけの価値があるし。うーん、金銭感覚が完全に麻痺してるな、わたし。お小遣いで、一本二千円の口紅を買うのも諦めたことがあるっていうのに。とにかく、適当に80頭買うより、テリー一頭飼う方がいいのは確か。これで、お詫び料のノルマは果たしたし、一挙両得じゃない。


 昨日、最初の『経理』のお勉強で、硬貨の説明の次に習ったのが、売買契約書のサインの仕方だった。内容は、まだ全然読めないの。ひらがなしか習っていないのに、漢字がずらっと並んでいるのを見るのと同じ感覚だね。うげっ、何これ、難しそう。お手上げだぁ。だから、眺めながら読んでもらって、一通り説明してもらって、最後にサインをした

 『だけ』と言いつつ、このサインが、また大変なんだよ。長々しいフルネームを全部書かなくちゃならないの。これだよ、これ。


 ショコラ七十七世 マーヤ=テ・ジン=ラーラ=ヴォノン 王籍 8560/11/11

 

 最後の『王籍』っていうのは、王族専用の戸籍のこと。数字は、生年月日。

 帝国歴8560年11月11日が、ショコラの誕生日だったらしい。初めて知ったよ。

これから、サインの度に書かなきゃならないんだって。暗証番号みたいなものね。11月11日は、ゾロ目だから、さすがに忘れない。年は、『ヤゴロー』で覚えたわ。


「ショコラ様。ベールを被り直して下さい。どうか、お早く」

 オランダスの声に、わたしは、慌ててベールを下した。テリーと交感するために、邪魔なベールを上げていたんだけど、人前では、外すなと命じられてる。オランダスの前じゃないかって? ずっと後ろにいるから大丈夫。一応、竜眼の死角にいる限りは、安全なんだって。パメリーナに着替えさせてもらうときや、お風呂に入るときは、できるだけ目を閉じるようにしてる。食事するときは、つけたまま。成長すれば、晩餐会やお茶会にも出席しなきゃならないし、今から練習を積んでおかなきゃならないの。すばやく、且つ、優雅に、ベールをひるがえして、飲食するコツを掴むために。目標は、花嫁ウエディングベールを麗しくも鮮やかにさばいていた外帝陛下。あの名人芸に到達するのは、どのくらいかかるかなぁ。もしかして、数十年レベル?


「誰か来たの?」

 ベールをきちんと被ってから振り返ったわたしは、オランダスの視線を追った。でも、人の姿は見あたらない。道がある方向ではないし、竜車が来るはずもない。

 だいたい、今日から、この竜舎は、わたしの貸し切りとなったので、買取客や見学者は来ないことになっている。園内の住人は、尚更近づかない。上は園長先生から、下働きに至るまで。わたしは、伝染病患者なみに避けられているのだよ。威張いばれた話じゃないけど、わたしが出没する予定の危険区域に、わざわざやってくる物好きがいないのは事実。静かでいいけどね。寂しくなんかないもんね。

 あ、もしかして、野生竜かな。竜育園は、サファリパークみたいな広い草原や森林もあって、飼育している竜以外にも、生息している竜種があるの。一度、八脚竜はちあしりゅうの群れとかち合って、その姿がムカデを軽自動車サイズにした強烈なものだから、あまりの気色悪さに、攻撃波を放っちゃったことがあってさ。ベール越しだったんだけど、群れが逃げまどって、またしても暴走事件に発展したのよね。建築物の被害だけだったら、まだ良かったんだけど、興奮した八脚竜に遭遇した不運な人が、噛まれて解毒が大変だったんだって。これは、治療費を払えばすむという問題ではないもの。落ち込んだわよ、損害賠償請求に慣れつつある、このわたしでも。ソラが、「ベールをしてたから、これくらいですんだのよ」って慰めてくれたけど、全然慰めになってなかったよ、相棒。でも、とにかく、その一件で、わたしは、ひとつ学んだ。竜の前でも、ベールは外せないってことを。


「はい。危険はありませんので、決して、攻撃はしないで下さい。驚かれるかもしれませんが、できれば、そのまま動かず、竜気も抑えていただきたいのです」

「どんな竜なの?」

「竜ではありません。お子様なのです。ショコラ様より、二歳ほど年上ですが」

 二歳年上ってことは、8歳? 小柄だから、草の陰に隠れて、見えないのかもしれない。そう思って、目を凝らしたけど、やっぱり、わからなかった。

「どこにいるの? わたしには、見えないけど……」

「一番手前にある木の上です。右手の枝の上に座って

 ? 敬語だ。貴族のオランダスが、敬語を使う『お子様』ならば、王族ってことよね。竜眼族の王族は、木登りまでするのか。なんて、活動的。いいのか、それで? だったら、わたしが、お作法の手を抜いても許されるかな。そんな能天気なことを考えていられたのは、その姿をとらえるまでのことだった。


 ターザン少年――枝に座り、幹に半ば身を隠して、こちらを伺っている男の子は、そうとしか言いようがない。やせ細ってガリガリの身体に、ぼろぼろの服をまとって、ぎらつく竜眼で、こちらを見つめていた。とうてい、王族には見えないよ。竜気は、確かに強いけど。鋭く固く、ツンツン尖って、突き刺してくる。

<おなか、すいた……たべもの……あれ、いいにおい……>

 ふいに、その意味が解けた。でも、これは、【翻訳】じゃない。【心話】でもないと思う。言葉というより、竜気そのものの感情波。テリーとの【交感】に近い気がする。おかしいな。確か、【交感】って、人と竜の間の意思疎通方法じゃなかったっけ? 人同士でも、通じることってあるの? まぁ、あるんだろうね。こうして、理解ができるわけだし。


<あれって、何? 何が食べたいの?>

 わたしが、そっと疑問の竜気を送ると、ターザン少年の竜気が、一瞬、驚きに弾けた。それから、大いなる熱意のこもった希望が伝わってきた。

<――それ、ほしい。それ。その、あまいの……>

<甘いの……?>

 わたしは、周りを見回す。お菓子類は、持ってきてないぞ。何だろう、甘いのって。甘い香りがするものかな……。わたしが、焦りつつ、きょろきょろしていると、テリーが頭を下げて、地面に置いてある糖卵竜の卵が入った籠を鼻で押した。

<――これ、あげて>

 テリーから憐れみに満ちた感情波が届いて、わたしは、びっくりした。

<え、この卵? 甘いのって、これのこと……?>

 糖卵竜の卵は、甘味料の原材料になるらしいけど、このままだと、たいして甘くないし、生臭くて、人が食べるものでもないはず。

<あのこ、これ、すき>

<あの子、知ってるの?>

<ときどき、くる>

<もしかして、いつも、これをあげてるの?>

<くるとき、あげる。ときどき>

<これ、テリーも、好きなんでしょ。あげちゃっていいの?>

<テリー、すき。あのこ、あげる>

<好きだけど、分けてあげるってことね?>

<あのこ、ほしい>

<そうね。とても、欲しがってるものね。わかった。テリーには、また明日持ってくるから、これは、あげようか>

 うちのテリーは、なんて、優しくていい子なのかしら。これ、飼い馬鹿じゃないよね。好物を分けてあげるなんて、人の子供にだって、そうそういないって。


「オランダス、これ、あの子にあげて来て」

 テリーの博愛心に感動したわたしだけど、あいにくと、卵が山盛りになった籠を運べる力はない。依存心丸出しで、オランダスに頼んだのに、反応が悪い。

 三回、瞬きをしただけ。あ、か。もう一度言ってくれってことね。

「これ、籠ごと、あの子に持って行ってあげて」

「――よろしいのですか?」

 オランダスが、チラッとテリーを伺いながら、再度確認をしてくる。どうやら、好物を取り上げられたテリーが、怒って暴れないか心配してるみたいね。

「テリーが、あの子にあげてって言ったの。お腹すかせてるから、可哀想だって。だから、大丈夫よ。ほら、早く行ってちょうだい」

「――はっ。かしこまりました」

 籠を持ったオランダスが、足早に歩くのを、ターザン少年は、緊張して見守っている。近づくにつれて、少年の竜気が、また尖り始める。人を嫌っているのか、それとも、恐れているのか。オランダスにも、それがわかったみたい。木の近く3メートルほどのところで、足を止めて地面に籠を置くと、こちらへ戻って来た。

 ふたりで、一分くらい見ていたけど、ターザン少年は、木から降りようとしない。わたしたちが、ここにいる限り、動かない気がする。どんなに、お腹がすいていても。たぶん、わたしも、そこまでは、信用されてないのね。

「オランダス、今日は、もう帰りましょう。また来ますね、テリー」

 

 竜車に乗ってから、わたしが、ターザン少年の素性を聞くと、前の御者席にいるオランダスは、困ったように、口をにごした。

竜語症りゅうごしょうの方で、野生の竜に混じって、生きていらっしゃるのです。私が存じ上げているのは、それくらいなのですが」

「竜語症というのは、どんな病気なの?」

 わたしが、更に突っ込んで聞くと、オランダスの竜気が、暗く重く沈んだ。

「生まれつき交感力に優れているのですが、人の言葉を解せないため、人よりも竜に近いと言われる障害です。王族の方には、ごく稀に、お生まれになると聞いております」

 これ以上、聞くのはよそう。あとは、ソラに教えてもらえばいい。

 わたしは、オランダスを問い詰めるのはやめて、後ろを振り返った。ちょうど道がカーブしかけているところで、すぐに、テリーの姿も見えなくなった。でも、木の上から、ターザン少年が消えているのだけは、確かめることができた。

 籠の側に座り込んで、卵に噛りついている幻影が見える気がする。汚れた素手で、がつがつと食べる欠食児童の姿が。それは、とても哀しくて、胸の痛む光景だった。お菓子がまずいとか、味つけが甘すぎるとか、ほざいている日頃の自分を蹴飛ばしてやりたくなるくらいに。



 わたくしにとって、最初の友人となる少年とのつきあいは、この日、心優しいテリーを仲介に、糖卵竜の卵を手土産として始まったのでございました。

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