第20話 天竜島と天の浮き橋。


 日本の神話の中で、あまはしというのが出てくるでしょ。

 天と地の間に架かっていた橋。神々が地に降りるのに使ったという橋が。

 

 この世界にも、天の浮き橋と呼ばれるものが存在したのよ。

 まぁ、わたしのイメージに一番近いから、そう【翻訳】されただけだろうけど。



「ショコラ様、あちらをご覧下さいませ。そろそろ伸びて参りますよ」


 わたしは、興味深々で、パメリーナの指し示す方を見つめた。

 何が伸びてくるかというと、これが、天の浮き橋だと言うのである。


 ちなみに、わたしが今いるのは、空港ラウンジみたいなところ。それも、グレードが高い個室(もちろん、そんなところを利用したことはないけど)。


 外帝との謁見は、天竜島てんりゅうとうという城塞で行われることになり、わたしは、ここで迎えが来るのを待っているのだ。

 正確な到着時間はわからないので、今日は、朝早くに正装をさせられ、自室から移動して来たというわけ。


 それから、一時間以上が過ぎた。この部屋には、高級そうな置時計があるので間違いない。

 わたしは、子供用の座面が高い椅子(前面に、階段状の足台がついていて、足をぷらぷらさせなくてすむし、自分で乗り降りできる優れモノ)に座り、ジュースを飲んだり、軽食をつまみながら、大きな窓の外を眺めていた。

 部屋の隅には、お昼寝もできるように、衝立や長椅子が用意され、寒いと思えば、すぐにショールが肩にかけてもらえる。まさに至れり尽くせりのビップ待遇を満喫中。


 窓の外には、ひつじ雲が浮かんでる。今日は、ちらほら見えるくらいで、最初のときより晴れてるね。その分、陽ざしが強くて眩しい。

 ここは、山の頂上らしいけど、前にいた会議室と高度的には、そう変わらないと思う。あっちは、事務的でシンプル。こっちは、来客用で豪華。ただ用途が違うっていうだけで。


 近くにいるソラは、同時通訳をお休みして、今は静かだ。

 光竜というのは、もともと夜光性なので、昼間は、竜籠りゅうかごに覆いをかけて眠らせてあげるものなんだって。ソラは、昼間でも活動的だし、光ったり消したりも自由自在だけど、あくまで、特殊な例ってことらしい。

 まぁ、ソラは、秘密兵器だし、いろいろと規格外なんだろうね。こいつを普通だと思い基準にしてはいけない。いくら普通ぶりっ子が上手くとも。


「キュルルン! キュルル、キュルル、キュルルン!」


 いきなり、ソラが、甲高い声で鳴き出した。人形遣いに襲われたときほど、興奮してはいないけど、いつもの癒し系と全く違う警戒音だ。

 何事かと、ソラの方を振り返ったわたしに、パメリーナがおっとりと笑った。


「ご心配には及びませんよ、ショコラ様。あれは、ただの注意報でございます。天竜島が接岸するので、念のために、竜たちが知らせてくれているだけなのです」


 言われてみれば、鳴いているのは、ソラだけではなかった。

 部屋の外でも、屋内屋外問わず、竜たちの合唱が響いている。重低音から、トランペットのような高らかな声まで。何種類、何十頭と、鳴いているようなのだけど、騒いでいる感じはしない。まるで、オーケストラが、交響曲を奏でているみたいに調和している。

 それが、ぴたりと一斉に鳴きやんだせいで、統制がとれていると、はっきりわかったよ。


「天の浮き橋も、固定されたようでございますね。そろそろ参りましょう」


 うわっ、ミスった。竜のハーモニーに気を取られてるうちに、肝心なイベントを見逃してしまった。天の浮き橋が、伸びて行くところを見たかったのにさ。


 パメリーナに促されて立ち上がったわたしは、窓の外に、いつの間にか出現している光景にびっくりして、足台の階段から、転げ落ちそうになった。幸い、パメリーナが抱き留めてくれて、事なきを得たけど。

 わたしのお騒がせぶりに慣れ親しんだ侍女は、まったく慌てることがなかった。すでに、ドジっ子用の対応マニュアルを作成してあるのかもしれないね。足を踏み外すと想定されていたのが、ちょっと悔しかったけど、驚きの方が大きくて、そんなことはどうでも良くなった。


 一言で言えば、扇状に延ばされた四本の指。その超特大版。

 ジャンボジェット機でも乗るくらい。太くてごつい橋が四本、水平に突き出ている。どこから出ているかは見えないけど、わたしがいる頂上より、かなり低い位置なのは確か。


 これが、天の浮き橋?

 わたしのイメージとは、全然違うんだけど。もっとこうはかなげで今にも消えそうな、幻想的なものを想像してたんだけど。こういう頑丈極がんじょうきわまりないクレーンみたいな機械装置じゃなくてさ。でも、それも、まぁいい。


 今、注目すべきは、ぐんぐん近づいてくる白い光。最初は、ピカっとした反射光に見えたそれが、球状になり、どんどん大きくなりながら、こちらへ迫ってくる。

 それなのに、わたしを抱き上げたパメリーナは、足早に、外へ出て行こうとしている。ソラが何も言わないし、扉を開けてくれた兵士も落ち着いているから、危険はないってことはわかる。わかっていても、怖いんだよ、机の下に隠れたくなるくらいね。だって、隕石が降ってきたような迫力なんだから。


 光球に陽光が遮られて、あたりが薄暗くなったと思うや、今度は、影がだんだん広がっていく。頭上を見上げると、白い光を通して、翼を広げた鳥の形が見えた。

 それが、みるみるうちに大きくなって、ゴウゴウと音をとどろかせ始める。

 強風も吹きつけ、砂利が舞い上がり、目を開けていられなくなった。ヘリコプターが着陸するとき、真下にいて受ける風圧のようなものかも知れない。


「もう目を開けても大丈夫でございますよ、ショコラ様。さぁ、こちらにお立ち下さいませ」


 パメリーナに言われて目を開けたわたしは、度肝どぎもを抜かれて硬直した。

 真正面に、巨大で恐ろし気な竜の顔がある。細長い両翼があって、尻尾も鞭みたいに長くて、嘴が長く突き出してるタイプ。

 その鋭い嘴の先が、わたしの足元から、5メートルも離れていない地面に乗っているのよ。これが、驚かずにいられるかっての。

 

 たぶん、生きてはいない。竜眼があるはずの部分に、何かがはめ込まれているのだ。義眼みたいに。でも、完全な人工物というには、形がいびつ過ぎると思う。剥製はくせいに近いものかもしれない。中をくり抜いて、外見だけ似せているって意味で。

 

「これが、天竜島――上空から、竜界を支える城塞でございます。初めてご覧になった方は、皆さま、驚かれますけれど、ご心配されることは何ひとつありませんよ。帝竜軍もおりますし、地上よりも、安全な場所でございますからね」


 パメリーナが、なだめようと言葉を重ねてくるけど、わたしは、ぱっくり口を開いたまま、目をみはることしかできなかった。間違いなく、今、この瞬間、わたしの竜眼は、極限まで見開かれていることだろうよ。鏡は絶対に見たくないね。


 あのさ。わたしは、天竜島というのは、島だと思い込んでいたの。

 海に浮かぶ、ごく普通の島だとね。迎えに来る人は、ここから、わたしを運んで、島まで行くものだとも。

 まさか、本物の天竜をかたどった、空飛ぶ島そのものが、ここまでやって来るなんて思うはずないでしょ。こんな異常事態、想像できなくても、わたしは悪くない。悪いのは、ちゃんと説明してくれなかった、ソラとパメリーナだ。


 残念ながら、追加説明のないまま、異常事態は続いていく。

 天竜の嘴が、不気味な轟音ごうおんを立てながら、ゆっくり開き始めた。上顎と下顎の両方の端が、のこぎりの歯のように見える。ところどころには、柱の如くそびえ立つ牙も生えているじゃないの。


 わたしは、思わず一歩下がり、パメリーナの脚にぶつかった。

 よろめき慌てて、スカートにしがみ付き、そのまま顔をうずめる。

 竜が口を開けたところなんて、見たくないって。ソラの『かぱっ』なら可愛いもんだけど、こっちのは、象どころか鉄筋三階建ての家だって丸かじりにできそうな『ぐぅおぅおぅおぅ』なんだぞ。


「お迎えの方が参りましたよ。さぁ、ショコラ様。お習いになった通りに、ご挨拶なさって下さいませ」


 パメリーナに前を向かされたわたしは、しぶしぶ目を開けた。

 今や、天竜の嘴は全開だ。その口の奥から、駱駝らくだっぽい竜をいた四人組が現れた。

 その姿を見た瞬間、わたしは、恐怖とともに悟った。


 この嘴は、連絡通路なんだ。建物と建物を上の階で結ぶやつと同じ。

 こいつは、山の頂上と、空飛ぶ天竜を臨時に繋いでいる。

 つまり、天竜島へ行くってことは、この嘴の中に入って行くってことじゃないの。のこぎり歯と牙に囲まれた口の中へと。


 巨大な竜にがぶりと飲み込まれる己の姿を思い浮かべたわたしは、弱虫な幼女よろしく悲鳴をあげて逃げ出そうとした。

 パメリーナも、そこまでは、想定していたらしく、はしっと、わたしの肩をつかむ。

 だけど、恐慌状態にあったわたしは、パレリーナの手を竜気で払いのけ、がむしゃらに走り出した。パメリーナがいるのとは逆方向へ。迎えが来る方向も、兵士がいる方向も避けて。

 逃げた先が、断崖絶壁になっていると気がつくことなく、必死で走ったのだ。


「ショコラ様!」

<マリカ、危ない!>


 パメリーナの叫び声とソラの思念が、シンクロして届いたとき、勢いがつき過ぎていたわたしは、止まるに止まれず、そのまま宙に飛び出していた。


 なんてこった。今度は、バンジージャンプときた。それも、命綱もつけないで。

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