第1話

 「おーい、開けてくれぇー」


7月下旬の23時頃。夏の暑さがうざったく思えるような今日このごろ。クーラーや扇風機などの冷風を作ってくれる優しい機械などないこの家に暑さを増幅させるような男の大声が玄関先から鳴り響いた。

 私には友達が今のところできていないし、このアパートの人間とも交流がない。町中で誰かと知り合った事もなければ、新設でおばあさんを助けたこともない。だから、誰か私の部屋の扉を叩きつけながら大声で開けてくれと叫ばれるはずがないのだ。

 では、なぜ叫ばれているのか?

 一瞬は父親が何故かわからないけれども私の家までやってきて、何故かはわからないけれども扉を叩きつけながら叫んでいると考えたが、私の父は世間の評判を病的までに気にするたちであり、たとえ酒の席であっても自らの評判を下げるような発言を自ら話してしまいそうになったときは舌。を噛みちぎりそうになるぐらい舌を神田という話もあるぐらいだから、まず父親という線はないだろう。小中校の同級生という線も一瞬は考えられたが、ここ最近連絡をとっていないし、今住んでいる住所も教えていないのでそもそも来れるはずがない。

 となると、考えられることはただ一つ。こいつはただの酔っ払いである、ということである。

 そうすると中々合点がいくものであり、部屋の前で叫んでいるというのも、どこかと間違えているということで解決がいくのだ。

 

 しかし、なぜ部屋の前で叫んでいるのかを解決したところで、この事象を解決しなければ私の安眠どころか、どこからか苦情が来てしまうかもしれない。最悪の場合大学に連絡が行き停学処分なんか喰らおうものなら、学費のことはどうでもいいとしても、今現在行っている最低限の学生の暮らしすら出来なくなってしまう。私はそうなった場合どうなるのだろうか? 部屋の中で一週間布団に寝たっきり? なんだったら一ヶ月お風呂はいらない選手権でも開催しようか? いやいや、もはや人間をやめる未来しか見えない。


 「まーだー? はーやーくーあーけーてーよー!」


 一々一文字一文字を伸ばしていくところがさらに私をアツくさせる。このアツさは情熱的や怒りに満ち溢れたものではなく、ただの焦りである。

 私がちょっとした力自慢であれば玄関の扉を勢いよく開けて、拳と「だまれ」の一言で全てが片付くが、私は病弱ではないがひ弱なガラス細工のような存在。そんな私がこんなに叫んでいる相手と対峙できるわけがない。


 私はそう考えると無性に怖くなった。もちろん、苦情とか停学とか未来に起きる恐怖というのは当たり前に怖い。だけれどもそれを避けるためになにか行動するというのは更に怖い。なんだったら、今すぐにベランダの窓を開けて部屋をほっぽって逃げたいぐらいだ。ただ、それをする度胸も私にはなかった。

 私は急に寂しくなった。こんなにも夏の熱気と湿度で暑いのに。こんなにもテンポのいいノックと叫ぶ声があるのに。私には何も無かったのだ。


 あぐらを組み、スマートフォンを取り出して1000円ぐらいの有線イヤホンを接続して音楽プレーヤーを起動。聞くのは80年台~90年台の音楽。ミックスにして、歌詞の意味なんか、音楽の意味なんか気にせずに空っぽの頭に流し続ける。

 ふと画面に目をやると、なぜだから液漏れをしていた。それも外部から外部に漏れているのである。私はスマートフォンを手に持っていたのでその私の太ももに落ちた。その液はゆっくりと太ももを伝って床へと進んでいった。

 それを見届けた後、私は布団も何も敷いてない畳の上に横になり目を閉じた。

 一つだけ希望があった。次に目が開いたときにはすべて元通りになっている。

 そんな気がした。


 目を閉じていたらあることを私は思い出した。あのときはまだ一人称が僕だった。私の

母の出身は青森で最近は全く行っていないが小学六年の夏休みまではよく弘前へ遊びに行っていた。母の両親は農家で今でも毎年米を郵送してくれている。

 ただ、青森よりかは都会の子供からすれば母の実家にはあまり楽しいものはなく、これが実家の周りが森とかだったらまだ面白いのだが、周りは住宅街で全く面白みがなかったのだ。だから小学四年の頃までは母の「弘前に行くよ」というのは拷問の始まりを告げるファンファーレとかしていたのだ。だから私はやることもないので、そのファンファーレと共にカバンに夏休みの宿題を全て詰め、弘前で課題を終わらすというのを毎回のルーティンとしていた。何もすることがないので、宿題が楽しく感じるのだ。これが弘前マジックだ。

 それでも宿題のほうが早く終わってしまい、最後の方は弘前の実家にある数少ない古びて茶色くカサカサになった漫画を毎年呼んでいた。流石に毎年読んでいたので内容も全て覚えてしまっており、何が楽しいかというと漫画を読むという行動をしていることが面白くなってきていたのだ。

 私の母及び両親は私を構うことなく農作業に向かっていた。なら、そっちについていけばいいじゃないかと思うかもしれないが。仕事をしているときは彼らは仕事人の目つきをして子供がいたずらをしていても気づかないぐらいの集中力を発揮するので、そっちに行っても楽しくはなかった。どちらも楽しくはないのでそれであれば冷房の効いている実家の方が時間を潰すには軍配が上がったのである


そんなつまらない夏休みが突如として変革を迎えたのは小学四年の冬休みのことだった。母の実家は冬のときも違う仕事をしていて、母もそれを手伝っていたので、私は夏休みとさほどやることは変わらない。しかし、弘前に帰ってきてから三日目母がこんなことを私に命じたのだ。


 「お隣さんが引っ越してきたから、今日はお母さんお隣さんの手伝いに行ってくるから、あんたも手伝いなさい。異論はないわね?」

 「えー」

 「やるわね?」

 「……はい」


 弘前はご存知の通り東北地方の一地域である。故に雪が降る。豪雪だ。

 私は自分の倍はありそうな冬服に着替えて、母とともに外に出た。すると道路は薄く雪が舞った後があったが、積もってはいなかった。外の気温も寒いけれども、正直冬服を大量にきているので暑いくらいだった。

 

 目の前には多分隣の家の人が運転してきたのであろうレンタカーのトラックがエンジンをオンを立てながら停車してしていた。

 

 「いい? お隣さんが来たらちゃんと挨拶するのよ?」

 「分かってるって」

 「あんたそう言って挨拶しない時があるから困るのよ」

 「今日はするよ」

 「絶対だからね?」

「うん、絶対」


 トラックのエンジン音が止まり、運転席側の扉が開くと男性が降りてきて、こちらに近づいてきた。


 「いやー、ありがとうございます!」

 「いえいえいえ、ただの近所付き合いですからお気になさらないでください!」

 

 男性が挨拶を始め母がいつもは出さないワントーン高い声で話をし始める。すると、母は私の背中をコツンと叩いてきた。


 「あっ! 息子さんですか?」 

 「そうなんですぅ~。ほら、挨拶して?」

 

 私は、優しく笑顔に振る舞う母に隠された恐怖にした以外、この上ない丁寧な挨拶をした。


 「ありがとう。僕は隣に引っ越してきた横井っていいます。よろしくね」

 

 挨拶も早々に私は新しい隣の家に荷物を運んでいった。

ダンボールダンボールダンボールダンボール……どんどんと運んでいった。引越し業者の苦労を小学生のうちに学んだということに関してはよい経験だったと思う。


一通り荷物を運び終えて横井さんは「いやーありがとうございました」と頭を下げてくれた。


「もうすぐ家族も到着すると思いますので、今日はどうか夕飯でも食べていってください」

「いいんですか?」

 「はい!」

 子供ながらに大人の会話というものは面倒だと思った。


横井さんは寿司の出前をとってくれて、到着時刻は19時。今の時間は16時だった。

私は作業も終わったから、19時まで実家で待機するのかと思っていたが、母は横井さんと大人の会話を始めてしまった。

僕はどうしようもなくなくなったので、母の隣の席でうたた寝をすることにした。

 


 辺りが騒がしくなり目をさますと、僕は横になっていた。目の前には私の祖父母がいて「よーねとったな」と言ってきた。


 「ぼく、おはよう」

 「おはようございます?」

 横井さんにおはようと言われたので、疑問形で返す。

 眠い目をこすりながらあたりを見渡すと、さっきまでダンボールだらけだった部屋は最低限のものが置かれた状況に変化していた。

 横井さんと私の祖父はお酒を酌み交わしており和気あいあいとして。

 そんな姿をボーッと眺めていると、家のチャイムが鳴った。


 「おっ! ようやく家族が到着したみたいでふ」


 滑舌が悪くなった横井さんは、玄関へ走って向かい扉を開けると「会いたかったよぉ~」という声がリビングまで聞こえた。ふと玄関の方に目をやるとしゃがみこんで何かを抱きしめている横井さんとそれを変なものを見る目で見ている横井さんの奥さんが見えた。


 「あなた。飲んだの?」

 「うん」

 「なーんで、私達が来るまで我慢できなかったの?」

 「いや、お隣のお父さんに飲んでもらいたくて、流石に一人で飲んでもらうの気が引けてしまうと思って、お相手を……」

 「お隣さんに失礼でしょうが!」

 「はい……すみませんでした」


 横井さんは抱きしめたものをなでながら奥さんの説教に謝っていた。


 「今日は本当に引っ越しを手伝っていただきましてありがとうございました」

 「いえいえ、遠くからの移動お疲れ様でした」

 「夫の醜態を見せてしまい、本当に申し訳ありません……」

 「お気になさらないで下さい。素敵な旦那様ですね」

 「いえ……お恥ずかしいかぎりです」


 そう横井さんの奥さんが顔を真赤にすると、拳を握りしめ横井さんの頭を小突いた。


 「いてっ」


 横井さんは小さく悲鳴をあげた。


 「あなた、早く立ってしっかりして」

 「うん……分かった」


 横井さんは立ち上がりリビングの方に向かい「いやーお恥ずかしい姿を見せてしまいました」と一言母たちに謝罪した。


 「いえ、面白いお話を聞けてよかったですよ」 と母、

 「横井さんは少しお酒に弱いみたいね」 と祖母、

 「横井くんはすばらひいね」 と祖父がかえした。


 「いやーありがとうございます」

 「あなた、褒められてないのよ?」 奥さんは冷静に横井さんにつっこまれていた。


 奥さんもリビングに向かい、正式に横井さんは紹介を始めた。


 「改めまして、僕の妻です」

 「よろしくおねがいします」

 「あと、私達の娘です。少し小さいですが、これでも小学五年になります」

 「パパ! 私は小さくないって! まだ成長期が始まってないだけ!」

 「はいはい」

 

 家族紹介が終わり、今度は横井さんの奥さんも混ざって大人の話が始まった。そして、僕とこの子だけが話に取り残されることになった。


 「ねぇ」

 「……」

 「ねぇってば!」

 「……なに?」

 「あんたいくつ?」

 「10」

 「なら、私のほうが年上ね! 私11歳だし!」

 

 ふと、偉そうな態度に僕はムカついたんだろう。


 「小さいくせに……」

 「小さくないもん! あんたは年下なんだから今日から私の弟! 以上!」


 つぶやくように言ったら、それが彼女の耳に届いてしまったらしく大きな声で怒られた。そして、なーぜか弟にされてしまった。ちなみに身長は僕のほうが大きい。


 「どうしたー? 喧嘩しちゃだめぞー」

 「パパ! この子私の弟になった」

「弟? いいねー」 横井さんは笑顔に言う。

「あらいいですねぇー。良かったじゃない」 と母も言う。何が良いのだろうか?


 「横井さん、もしよければなんですが私達が静岡に帰るまで息子を横井さんのお宅にいさせたいんですが……私達の家は日中誰もいなくなってしまうので息子も退屈してまして」

 「いいですよ! ただ、私達も明後日までは家におりますが、基本的には共働きになりますので、娘しかいなくなってしまいますがそれでもよろしいですか?」

「えぇ、横井さんがよろしければお願いしたいです」

「もちろんですよ! 良いよね?」

「はい、大丈夫ですよ」 

 

 大人たちの会話は白熱していき、事態は思わぬ方向に進んでいった。


 「あんたも、これからは私の弟なんだからしっかりしなさいよね」

 「……」

 「返事は?」

 「はい」


 小さな母親が増えたみたいだった。


 リビングの大人たちは私達の話で盛り上がり、私とちっこいのはちっこいのの話を無理やり聞かせられる状況が続いた。


 「こんばんはー、紅寿しです! 大変お待たせいたしましたぁ!」


 配達予定時刻から一時間過ぎた20時。私達は、それまで出前のことなど忘れて、話をし続けていた。



 小鳥の声が聞こえる。

 目を開けると、そこは7月下旬の朝だった。

 頬が濡れて、湿っていた。


 「腹が減ったな」

 

 ケトルに水を入れお湯を沸かして、カップ麺の蓋を開ける。かやくなどを取り出して、お湯が湧くのを待つ。そして、ふと思い出す。


 「そういえば、昨日の酔っぱらいはどうなったんだろうか?」


 今は平穏ないつもの朝。静かだ。昨夜の喧騒は嘘の様だ。


 確認のため玄関に行く。当たり前だがノックの音なんて聞こえない。

 扉を開けて外を真っ直ぐ見つめる。あぁ、なんて素敵な朝なのだろうか。 

 この町の平和と、私の平和が守られたことを確認して扉をゆっくりと閉めようとすると、なぜだか締め切らなかった。

 なぜだろうと思い、左下を見るとそこには人間の腕があった。手をパーにして指を波状に動かしていた。

 心停止しそうになったが、なんとか踏みとどまった。

 

 「…………」


 ゆっくりと扉を開いて左下を見るとそこにはアパートの廊下で横たわっている男の姿があった。


 「……水を…………くれ、たのむ」


 これが、藤隆とのファーストコンタクトになった。

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