第七章

一応、駅ノートに記入したのはよいものの、蘭はそれ以外特にすることもなく、退屈でどうしようもないのだった。その傍らでマークは、駅舎の写真を撮ったりして、とても楽しそうに過ごしている。あーあ、全く、こんな駅の写真を撮ったりして何になるんだろうか。

「その同じなまえの親友って誰の事だ?」

もう一回聞いたけど、マークはすぐわかるじゃないですか、としか言ってくれなかった。

「いやあ、すごい閑散駅ですね。本によると一人も乗り降りしないそうですけれども、本当にそういう感じですね。いやあ、これはすごいなあ。そして駅前に花が植えられているというこのギャップ。」

マークさんはそんなことを言っている。何が面白いんだと彼の顔を見て、蘭は思った。

「瑞穂駅ですか。いったいこれはどういう意味なんですかねえ。こんな田園風景にぽつんと立って、なんだかあの水穂さんとそっくりな駅ですね。」

「そっくり?それはどういう意味だ?」

マークがそんな発言をしたので、蘭は思わず聞いた。

「いやあ僕、日本の歴史なんて詳しくありませんから、よくわからないんですけどねえ。水穂さんも、ずっと一人ぼっちで生きてきたのかなと思うんですよ。こういう閑散的な場所で、ぽつんと暮らしていたのかなって。ほら、人種差別のようなものがあったんでしょう?こっちでいうところのワルシャワゲットーに近いような。そういう場所から来た人は、二度と日のある所には出られないって、杉ちゃんたちが言っていましたね。」

なるほど、そういうことか。

「だから、水穂さんの名前を冠した駅があると聞いて、驚きましたよ。僕も調べてみたら、ものすごい寂しい駅だとは聞いていたんですけど。」

「こんな変な駅だったとは思わなかった、でしょ。」

と、蘭は言った。蘭にしてみれば、何もない不便で粗末な場所にすぎないのだった。単なる電車が止まるところ、としか、見ることができない。

「そうですねえ。単に電車が止まるだけで、人が誰も乗り降りしない駅なんて、本当寂しい駅ですよ。降りる人も乗る人も誰もいない。御客さんはほかの駅に取られてしまう。自分の欲しいものはてに入らないで、ただ立っているだけでしょう。この駅はそれをどう思っているんですかねえ。それでは、人並みに生活していくことも難しいんじゃないですか。僕はなんだか、この古ぼけた駅が、水穂さんの寂しい人生を象徴するようで、結構好きなんですよね。」

マークは、ちょっとしんみりしたセリフを言った。このセリフには、なんだか蘭も共感することもあったが、でも蘭はそういうことは口にしたくなかった。代わりにこういった。

「いや、違う。あいつを、こんな駅と一緒にはしないでくれ。」

マークはちょっと意外そうに蘭を見た。

「奴は、こんなさびしい駅とは違うさ。杉ちゃんもいるし、由紀子さんだっているだろう。ほかにも利用者さんたちが、水穂さん、水穂さんと慕っている。そんな奴が、こんな寂しい駅と一緒にしてもらいたくない。あいつは、そんな寂しい男なんかじゃないよ。」

と、蘭は最後の語尾を強調してそういったのであるが、マークは次のように言った。

「でもなんだか。僕、この駅が水穂さんの人生観といいますか、なんといいますか、そういう寂しさって言いますか、それがにじみ出ているような気がしてならないんですよ。水穂さんも一生寂しいままで終わらなきゃいけないでしょ。きっと日本にいる限りは、一人ぼっちで寂しい終わり方しかできないんじゃないかって、妹のトラーも言っていましたよ。僕はできれば、フランスにとどまってほしかったなあ。どうも日本は歴史てきな事情に凝り固まってしまって、いつまでたってもそういうところは進歩しないじゃないですか。もうそうなっちゃうんだったら、日本は捨てて、もっと安全なところで、療養しようっていう考えにはどうしていたらないんですかね?」

マークはマークで、水穂さんのことを心配してそういっているのだ。でもそれは蘭にとっては、怒りを招く、嫌なおせっかいにすぎない。

「だから僕、本当は、こっちへきてもらいたいんですよ。杉ちゃんから聞きましたよ。水穂さんのような人は、病院に行っても、看護師から邪険に扱われたり、同室の患者さんから、嫌がられてトラブルを起こしたりするそうですね。それは日本にいる限り、どこへ行っても、解決できないそうじゃありませんか。それだったら、酷いことをされるよりも、安全なところによこしたほうが、いいんじゃありませんか。」

「マークさん僕は、そんなことはしたくありません。やっぱり、奴が生まれたところは日本なんだから、そこで最期を迎えさせてやりたい。それはいけないというのかい?」

「いけないというか。事実そうでしょう?同じ患者なのに、そうやって邪険に扱われたり、ほかの患者に馬鹿にされたりしていたら、安心して療養もできないんじゃないかと言っているんです。ベーカー先生は、もうての施しようがないとおっしゃっておられましたよ。ですから、最期の最期まで、人種差別に苦しむよりも、ゆっくりと安らかに過ごさせるべきなんじゃありませんかね?それはいけないんですか?さっきの言葉、そのままお返ししますよ、蘭さん。」

「き、君は、もしかしたら、水穂をフランスに連れて帰るつもりだったのか!」

蘭は思わずそういうことを言った。

「まあ言ってみればそういうことなんですよ。蘭さんの発言は、水穂さんにとって何もよいことはありませんし、日本という環境は、水穂さんの療養には向いていない。言葉の心配なら、水穂さんは流暢にしゃべれますから、全然心配はいりませんよ。もう一回いいますが、日本では、水穂さんは、どうせ一人ぼっち何でしょう?周りのひとも存在するようで、彼の事を嫌っているのであれば、いるようでいないじゃありませんか。それが、水穂さんにとって、一番かわいそうなことでもあるんですよ。周りの人が味方のように見えて、実は敵であるなんて、こんなにかわいそうなことはありますか。よく考えてくださいよ、蘭さん。」

「な、な、なんで、、、。」

そういわれて蘭は、マークさんが日本にやってきた本当の目的はこれだったんだなと悟り、この駅へ連れてきたのはその為の演出だったということもわかって、ちょっと憎たらしくなった。

「でも、僕がいる。僕は奴を汚い男とか、嫌な男とか、そういう風に思ったことは一度もない。もし周りが敵ばかりであっても、たった一人だけ味方がいれば、生きていけるんじゃないか!人生ってそういうものじゃないのかい?ほら、よくあるじゃないかよ。あなたがそこにいたから、生きてこられたという。」

「そうですけどねえ、蘭さん。そんな言葉はフィクションの世界だけで、現実問題やっていくことは出来ませんよ。西洋ですとあり得るかもしれないですけど、日本では、個人でいくら決断したって、周りの人がそれを止めちゃうでしょ。だからたった一人の味方なんてありえない話なんですよ。それはもう、蘭さん、ちゃんと現実を見てしっかり考えてください。水穂さんが少しでも楽になってもらうには、日本から出るしかないのではありませんか!」

全体の意思に対して、一人の意志というものは、あまりにも小さすぎる。そして一人が全体と戦って勝利を収めるには、豊臣秀吉みたいな能力がない限り、できるはずがない。

「蘭さん、もう方法はこれしかないんです。水穂さんに安らかに逝ってもらうには、こうするしかないんですよ。蘭さん、もう感情的になるのはやめて、しっかり考えて下さい。それでは、水穂さんだって、いい迷惑じゃないですか。単に感情をぶつけられても、水穂さんには、通じることはないんですよ。具体的な方法を、言葉にして伝えなきゃ。」

「だけど。」

と、蘭は言った。

「僕は水穂の事を誰よりも気にかけているし、水穂だってそれをわかっていると思う。それはきっと知っていると思う。」

「そうですかねえ。」

マークは一つため息をついた。

丁度その時、電車が到着することを報告する、警報音が鳴っている音がする。

「あ、もう電車が来ましたよ。逃したら、四時間以上待つことになりますから、すぐに乗りましょうね。」

マークは、蘭の車いすを押して、待合室からホームへ連れて行った。

「間もなく、各駅停車、旭川行きが到着いたします。」

数分後、一両しかない小さな電車が、くたびれた顔をして、ホームへやってくる。本当に小さな小さな電車で、乗客は誰も乗っていなかった。二人が運転手に手伝ってもらいながら乗り込むと、こんな駅で二人も人が乗って来るなんて、実に珍しいなあなんて、運転手がつぶやいていた。

「蘭さんは、こうして助けてもらっているからいいけれど、水穂さんはそれができないんですよ。そこをちゃんと理解しないと。」

マークは、静かに言った。



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