第六章

第六章

「こんなところでなにをするんだよ。バスもなければ、タクシーもない。歩いている人もいないじゃないか。こんなおかしなところで何をするつもりなんだ?」

蘭はマークに車いすを押してもらいながら、そう文句を言った。そのススキ野原の間

の道は、けものみちというよりも、街灯も何もなくて、なんだか怖い道のように見えたからである。

「えーと、この道をずっと行くんですね。その先に駅があるそうです。」

マークは、蘭の発言を無視して、道を進んでいく。

とにかく周りに民家は一軒もなく、田園と売り土地が連なっており、そしてその周り

にあるのは、森、森、森ばかりだったのである。キタキツネとか、狸とかでてきそう

なくらいだ。ところどころ、道路にはひびが入っていて、何も手入れされていない。文字通り、過疎の町、山の中の秘境駅だ。

勿論、車は一台も通らないし、バスも走っていないし、タクシーも走っていないし、

本当に人がいない。

それでは、と、マークが車いすを止めた。

「よし、ここだ。この駅だ。宗谷本線瑞穂駅。水穂さんの名を冠した駅ですね。」

「え、之が駅?」

目の前にあるのは小さなプレハブ小屋に、「みずほ」とひらがなで書いてある、木の

看板が、一枚貼られているだけの建物であった。相当、古い時代に建てられたらしく、もう今にもつぶれてしまいそうな、ぼろぼろな建物である。

「なかなか良い駅じゃないですか。こんなのんびりした駅、ヨーロッパにはなかなか

ありませんよ。いやあ、之はすごいですねえ。日本にはこんな駅があるとは。」

マークは、この駅が大変気に入った様で、駅の周りを楽しそうに歩き始めた。蘭はこ

んな駅のどこがいいんだとつぶやく。周りは森ばかりだし、スロープは設置されているものの、ホームは木製で板を並べてあるだけのようで、今にも壊れそうだし、何も良いものがないじゃないか!といいかけたそのとき。

「あらあ、駅前のこんなところに花が植えられていますね。定期的に手入れしてある

のかあな。上手に咲いていますよ。地元の人たちがやっているのかなあ。人がいないように見えて、けっこうこの駅、みんなに愛されているんじゃありませんか?」

マークが言うとおり、駅の駅舎とホームのあいだには、小さな花壇があって花が植え

られていた。こんなに人が来ない駅で、何のために花がうえてあるんだか、と蘭は思った。

「とりあえず待合室で待たせてもらいますか。」

マークがそんなことを言って、二人はそのおんぼろの駅舎の中へ入った。

「あ、あと一時間程度で電車が来るようです。」

マークは、壁に貼られている時刻表を眺めてそういう。こんな駅で一時間も待つなん

て、気が遠くなると思った蘭は、大きなため息を着いた。しかも電車は一日四本しか

こないので、この電車を逃したら、夜まで待っていなければならないということにな

る。

「あら、何ですかね。之は。」

マークが待合室の椅子の上においてあった、一冊のノートをとった。広げてみると、

綺麗な字で浩かいてあった。利用者が記念に書いていった物だろう。

「やっとこの駅にくることができました。90歳になる祖母が倒れたというので来さ

せてもらいました。何もない駅ですが、おばあちゃんとの思い出が、ふつふつとよみ

がえってくる、だいすきな駅です。また何かあったら、おばあちゃんのことを思い出

すためにこっちへこさせてもらいたいです。もし、辛いことがあったら、おばあちゃ

んのことを思い出して、また元気を取り戻すために、この駅に来たいなと思っていま

す。だから是非、廃線にはしないで下さい。」

文字は、女のてで書かれていた。半年以上前の日付だ。このときまで遡らないと、利

用者がいないということだろうか。利用者を記録するために駅ノートを置いてあるの

だろう。まさしく、誰も乗り降りしない伝説の駅に相応しい、駅ノートだった。蘭は

こんなもの何にやくにたつのかと笑ったが、マークは面白がって流暢なアルファベッ

トで何か書き始めた。廃線にはしないでくれと書かれているが、北海道の電車は、利用者が少なすぎて、平成になってから次々と電車が廃線になっている。それではいけないという人もいるけれど、みんなが当たり前のように車を持っているので、必要ないことになってしまっている。でも、こんな言葉を残していくのだから、相当、思い入れのある人もいるんだなと蘭は思った。しかし、蘭は、この駅に対して、どうしても好きになれなかった。

理由はただ一つ、人がいないからだ。周りは田園と森ばかりで、通行人も誰もいない。それが理由だった。なぜか蘭は、周りに人がいないと、怖くて怖くてたまらない。人間の利用者よりも、鳥たちがやってくるほうが多い。実際、ホームには、よくからすがやってきて、颯爽と板づくりのホームを歩いていくのだった。

「ようし、かけましたよ。まあ、下手糞な文書ですが、誰かに読んでもらえるでしょ

うかね。」

と、マークはボールペンをカバンのなかにいれた。

「何を書いたんだ?」

と、蘭が聞くと、

「まあこういうことです。はじめて日本に来ましたが、こんな素敵な駅にこさせても

らってとてもうれしいです。日本の駅はどれもつくりが同じで、つまらないなと思っ

ていましたが、こういう自然豊かな駅がまだあって、よかったと思います。そしてこ

の駅と、偶然同じ名前の、日本人の親友がいます。彼はずっと重い病気で寝ているの

ですが、彼にも早くよくなってほしいなと思います。」

と、マークは文書を翻訳した。そういうことなら、せめてしっかり日本語で書いて貰いたいと蘭はおもったが、

「ちょっとまて。同じ名前の親友って誰の事?」

と、聞いたのであった。


一方、同じころ、製鉄所では。

天童先生に体を支えてもらって、水穂が咳き込んでいた。天童先生は、水穂の背を静

かになでてやる。

「あーあ、全くよ。結局天童先生のシャクティパットに頼らないとだめってことかあ。」

「杉ちゃん、だから霊気とシャクティパットは違うのよ。」

杉三と由紀子が、枕元でそういいあっていた。

「はいはい。もうちょっと落ち着こうね。静かに落ち着いてゆっくり呼吸して。」

なんて天童先生はそういうのだが、水穂は咳き込んだままである。

「天童先生、来てくださってありがとうございました。すみません、急に呼び出した

りして。」

由紀子が、お礼なのかわからない挨拶をすると、天童先生はにこやかにわらった。

「そんな事気にしないでちょうだい。具合のわるい時は誰でもあるわよ。由紀子さん

が知らせてくれてよかったわ。」

「それはそうなんですが、教えてくれたのは杉ちゃんの方で、あたしは何もしていま

せん。ただ、連絡をしに言っただけですよ。」

「そうだけど、迅速に判断してくれて、こっちも助かったわ。」

天童先生は、そういった。

「い、いやあ、僕らは、ただ、水穂さんにご飯をくれようとしただけであって、その

ときに苦しそうに咳き込んでいるのが見えたから、それでいっそいで先生を呼びに行

っただけだよ。」

杉三がそういうと、

「本当は、痰とり機を使うのがいやだったからでしょう、杉ちゃん。」

由紀子は、本当のことを話してしまった。

「あ、ねたばれか。ばれちゃったな。」

杉三がでかい声で笑うと、水穂が三度強く咳き込んだ。之によって、やっと出るべき

吐瀉物が、口に当てた白いハンカチにかかったのである。白いハンカチは、真っ赤に

そまってしまった。

「よしよし、上手く行ったわ。之で大成功。」

天童先生がにこやかにわらった。

「由紀子さん手伝ってくれる?」

由紀子は、天童先生の指示で、よいしょと水穂を布団の上に寝かせた。之でやっとら

くになって、完全に力が抜けてしまった様で、うとうと眠りだしてしまった。

「ありがとうございました。」

由紀子は丁寧に座例をした。

「よかった、痰とり機のお世話になる事もなく出すもんが出たよ。アレをすると、

本当にくるしいだろうからな。」

杉三は頭をかじった。

「だけどねえ、今日はもう一問あるのよ。とにかくご飯を食べて貰わないと。今朝だ

ってたくあん一切れを何とか食べてくれたけどさあ、飲み込めずに咳き込んではいちまって。どうしたらご飯を食べてくれるようになるもんかねえ。」

「そうねえ、、、。」

天童先生は杉三を困った顔で見る。

「先生。水穂さんにご飯を食べてもらうにはどうしたらいいのでしょうか。もう、三日以上たくあんしか食べてくれないんです。」

由紀子が、そう天童先生に質問する。かなり逼迫したその表情から、ほとんど何も食べてないのだろう。

「食べないと、体力もつかないし、いつまでたっても回復しないと思うんです。それなのに、水穂さんときたら、、、。」

「そうねえ由紀子さん。とりあえず霊気で体の調子を全体的によくして、結果として、食欲が出てくれることはあるけど。それでは、ちょっと追いつかないというか、賄いきれないんじゃないかしら。ここまで弱っている人にはどうかな。」

「水穂さん。」

由紀子はそっと声を掛けてみたが、水穂さんは、静かに眠ったままだった。

その静かな寝息というものが、返って由紀子を不安にさせるのであった。


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