第五章
第五章
「あ、もうすぐ電車がやってくるから、かえらなきゃ。」
不意に、玄関に飾られている時計を見て、蘭は言った。
「あ、そうですね。そろそろ失礼しましょうか。たしかに電車は、一時間に一本しかないですもんね。」
と、マークもそういってくれた。やっと、そういう日本の事情を理解してくれたか、と、蘭はやっと安心する。
「それでは行きますかね。このまま旭川に逆戻りか。ここには大掛かりな観光名所もないし、すぐに旭川にもどって、ホテルでゆっくり過ごすかな。」
蘭は、やれやれと頭をかじった。
「あ、そうだ、蘭さん。ちょっと行きたいところがあるんですがね。そこへ寄ってくれませんか。」
不意にマークがそういう事を言い出した。
「何処だ?旭川の動物園でも行くつもりか?」
「そんな所じゃありませんよ。なんだか、この東風連駅の二つ前くらいかな?究極の秘境駅があったので、そこへ行ってみたいんですよ。」
「究極の秘境駅?そんなところにいって何をするつもりだ?」
蘭は、思わずでかい声で、素っ頓狂に言うが、
「ああ、あの駅ですか、東風連駅の二つ前って言うと、瑞穂駅の事ですね。あそこは、確かに日本全国の秘境駅の中でも有名な秘境駅ですよ。もう、駅というより、ただ電車が止まっているところとしか言いようがない場所ですが、それになんだか癒しを求めてくるのかしらねエ。その駅で降りたいっていうお客さんが結構いるんですよ。ついこないだまで、乗る人も降りる人も誰もいない、ただの場所って感じの所だったけどね。」
と、勝代もそういうほど、その駅は、名物になっているらしい。
「いいじゃないですか、そのままの形でいてくれた方が、そうやって人を呼ぶ効果があるんだったら。かえって、田舎ぶりを残してくれた方が、安心できる人もいますよ。とりあえず、そこへ行って、一時間ほどぼけっとしてから、旭川のうるさい市街地に帰りましょうか。」
全く、西洋人は、思っていることを本当に何でもかんでも口にして、困ったものだと蘭は大きなため息をついた。
「瑞穂駅に行くんだったら、あたし駅の近くまで車で送りますよ。あそこはもう売り土地ばっかりで、住んでいる人もほとんどいない駅ですから、すぐにわかりますわ。」
勝代が折衷案を出してくれたところが、まだ救いだった。
「あ、いいんですか?それならお言葉に甘えようかな。」
「ええ、かまいませんよ。どうせ今日は来るお客さんもいませんから。一時間に一本しかない電車に乗るより、日本人は、クルマで急いでいく方が適してますもんねえ。私、こう見えてもワゴン車を持っていますから気にしないでのってください。是非、お願いしますよ。」
勝代は蘭をからかうように言った。
「其れでは、行きますか。じゃ、その究極の秘境駅まで、乗せて行ってください。」
マークは蘭の話を無視して、勝代に言う。
「はい、わかりました。」
何だか、マークさんと勝代がすっかりお友達になっている。蘭はなんだか取り残されてしまったような気がした。
「いやあ、それにしてもこっちはいいですね。のんびりしていて、東京何て行くと、ほとんどの建物はみんな同じ形だし、もう、画一的すぎちゃって、よくあんなところで暮らしていけるなと驚いていますよ。何だか、どこの町もみんな同じってのは、どうも個性的さがなくて、息が詰まる。其れよりも、こっちのように、広い農場があって、のんびりした電車があって、名物の駅がある方が、よっぽどいいなあ。」
「あら、フランスでは、もっと都市化しているんじゃありませんの?」
「いや、どうですかね。最近は、発展しすぎたのを後悔しているのか、余り高層ビルは作らないで、其れより事業主の想いに合わせた形の建物ばかり作っているんです。何だか思いっきり発展しすぎると、みんなおかしくなってしまうのに、気が付いたんですかね。人間はやっぱり自然の中にいないと、おかしくなっちゃうんですよ。だから、そうしようとおもいなおして、みんな退化することを始めているんじゃないかなあ。」
そういえば、ヨーロッパでは、精神疾患が深刻な社会問題になっていることを、蘭は師匠から聞いたことがあった。その患者さんがあまりにも多すぎて、労働力が足りなくなり、国力が低下してしまった
という国家もあるという。なので、その対策として、退化することを選んだのだろう。
「退化するねえ。結局は原始時代が一番よかったってことですかね。」
蘭は、そうからかうように言うと、
「嫌ねえ蘭さん。便利になるのはいいのかもしれないけど、余りにも便利すぎると、面白くなくなっちゃうのよ。今は一人でも機械があれば生きていけると誤解できちゃう時代でしょ。そうできない人も少なからずいるってことを、だんだん許せなくなってきちゃうでしょうが。其れじゃ、いけないという事を伝えたいのよマークさんは。」
勝代は、にこやかに言った。やっぱりこの二人、気持ちが通じあってしまっているらしい。
「もう、変な口論はやめて帰ろう。じゃ、その何とか駅という、古ぼけた駅に連れて行ってください。」
蘭は、苦笑いしてそういい、勝代はそうねと言って、クルマを出しにそとへ行った。
「しかし蘭さん、そう硬くならなくてもいいんじゃありませんかね。」
マークにそういわれて、蘭は、
「だ、だって電車が一時間に一本しかないんでしょう!」
と答えた。
「一本あればそれでいいじゃありませんか。それに合わせてこっちが動けばいいでしょう。電車が来るのを待つのではなくて、電車が来るまでの間に、なにか見に行ったりすればいいことじゃありませんか。」
もう、どうして西洋人はこういう風にのんびりしているんだ!と蘭は困ってしまった。一時間に一本しかない電車を逃した時のショックというのは、かなり大きなはずなのに!と思ったが、西洋人は、そう思わないようなのだ。本当にだらしないというか、なんというか、、、。時間を守らないなあ。
「蘭さん、ちょっと後ろの席に乗っていただけます?どういうシートアレンジをすればいいのか、わからなくなってしまったの。」
玄関先で、勝代がそういっているのが聞こえる。マークさんに促されて蘭は、急いで玄関先に行った。勝代の玄関先に停車していたワゴン車は、日本の車ではあるが、結構な高級車であり、多彩なシートアレンジができるようになっていた。蘭は、サードシートを撤去してもらって、そこに車いすごと乗り込むから大丈夫と言ったが、一緒に乗ってきたマークが、蘭をひょいと持ち上げて、セカンドシートに座らせ、シートベルトを締める。ちなみに蘭の乗っていた車いすは、折りたたんでトランクにしまってもいいものであったから、車いすはマークに折りたたまれて。蘭のとなりに乗った。
「よし、じゃ、行きますよ。えーと、瑞穂駅でよろしいんですね。」
勝代は運転席に乗り込んで、マークはお願いしますと言って助手席にのった。しずかな音を立てて、走り出すワゴン車。
「しばらく風連の町を見物していってください。合併して名寄になったばかりですが、まだまだ風連独自の町は残っていますから。」
そうか。利用者がそんなことを言っていたっけ。風連と名寄は昔は独立していたが、今は合併して名寄市と名乗っているんだ。ワゴン車は、東風連駅を通り過ぎた。この駅もホームと待合室しかない駅だが、その周りにまだ数軒民家があるので、さびれた駅という感じはしない。少し道路を走ると、ちょっとした商店街のようなものが連なっているところに来た。と言っても富士の商店街のような、活気のあるところではなく、のんびりと、暇な時間をすごすような小さな店ばかりだ。当然の事ながら、観光客を持てなす飲食店は何もない。マークはケーキでも売っているところはありませんかね、と聞いたが、この商店街には、ケーキ屋さんは一軒も立っていなかった。ケーキなんて、旭川に行かないとないのではないかと、勝代は言った。蘭は、これを聞いて、本当に西洋人は思っていることをなんでも言うんだなと思った。
暫く走っていると、風連駅の前を通り過ぎた。無人駅とはいう物の、ちゃんと、駅舎はあって、待合室もあって、ホームもしっかりあって、やっぱり旧風連町の中心駅であるという、面影があった。その周りには、ちょっとした、駅前広場もある。蘭はやっと人が住んでいるところに来れたと、ほっとしたが、そのほっとしたのもつかの間の事。すぐに町はなくなってまた田舎風景になってしまう。もっと行くと、田園が広がり、稲村がたって、という風景どころか、売り土地と書かれた看板が設置された、草ぼうぼうの土地が連なり、周りに民家など全くないところに来てしまった。
「はい、瑞穂駅はこちらですよ。もうここから先は行き止まりで、クルマは通れませんから、あとはごめんなさいね。」
と、勝代は、にこやかに言って車を止めた。
「この道を、歩いて行った先に駅がありますからね。」
「ありがとうございます。」
マークが、助手席から降りて、車いすを手早く組み立て、蘭をそれに座らせる。この道と言ったって、ススキ野原に挟まれた、獣道のような道で、一応舗装されはいるが、クルマはぜったい通れないような道であった。
「じゃあ、ありがとうございました。今日は本当にたのしかったです。」
マークはにこやかに言うが、蘭は、とんでもないところに来てしまったという不安ばかり感じてしまい、それでは、とだけしか言うことができなかった。
其れよりも、こんなところに来てしまって、マークさんは何を考えているのだろうか。そればかり考えて不安になってしまうのだった。
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