第四章

第四章

マークは、何の迷いもなく、その家のインターフォンを押した。家の表札には「木田」と書いてあったから、つまるところのこの家の主は木田さんという人らしい。

「はい、どちら様でしょうか。」

若い女の人の声だった。

「あ、はい。僕たちフェイスブックに書いてあった、個展のお知らせを偶然見つけたのですが。」

マークが、とりあえず用件を言うと、

「ああ、どうもありがとうございます。お入りください。」

と、ぎいとドアが開いて、一人の着物姿の女性が現れた。結構お化粧が上手な人のようで、顔のしわなど一生懸命隠しているが、多分中年の女性だなと蘭は思った。着物の袖の先から、ちらちら色が見えるので、刺青師さんとわかった。

しかし、刺青師さんと言うと、大体の人は職人気質の気難しい感じの人が多いのだが、彼女は其れとは全くかけ離れた、優しそうな中年の伯母さんという感じがする。

「名刺、お渡ししますね。」

と言って、彼女は、二人にそれぞれ名刺を渡した。

「あれれ、刺青師彫かつ、アートセラピスト渡辺勝代、、、。ちょっと待って、このお宅は木田さんでは無いのですか?」

と、蘭は聞いてしまう。まあ最近では二世帯住宅もよくあるが、まだまだなじみが薄い。

「ええ、戸籍上は木田勝代ですが、芸名として、旧姓の渡辺勝代で活動しているんです。苗字が変わった事を、お客さまに知らせるのが面倒で。」

という彼女だが、本当はご主人のご理解が得られていないのではないかと、蘭は思った。

「あ、そうですか。わかりました。僕は、伊能蘭で、こっちは、友人のマークさんです。それでは、作品拝見したいんですが。」

と、蘭は手っ取り早く言う。とにかく蘭としては、早く用事を済ませてしまいたいという気持ちが強かったのだが、勝代はお茶でもどうぞと言って、二人を中へ招き入れた。

中へ入ると、広いスペースがあって、十数枚の写真が飾られている。多分これが展示物として飾られているのだろう。はやくすませたかった蘭であるが、同業者として、ちょっと写真を拝見させてもらうことにした。なるほど、刺青師としての技術はちゃんとあるようで、しっかり額彫りも毛彫りもできている。ただのもの好きでやっているという訳ではなさそうだ。

「ずいぶんお上手じゃないですか。これみんな、勝代さんが彫ったんですか。」

蘭が聞くと、勝代は照れくさそうに頷いた。

「多分きっと、和彫りに精通している方から見たら、まだまだ下手かもしれないですけど。」

「そんなことないですよ。ちゃんと細かいところまでしっかり彫れているじゃありませんか。僕は、和彫りを中心に、20年近くやってきていますが、最近はみんな機械に頼っちゃうから、しっかり色が入らなくて、どうも半端彫りをしている様にしか見えんのです。それじゃあこまるでしょ。日本の伝統刺青が粗末になってきたって、外国人のお客さんに言われたこともあって、、、。」

さすがに蘭も、職人としての血が騒いだのか、そういう事を話し始めた。

「蘭さんはやっぱり職人なんですね。フランスでは、手彫りなんてほとんどしないから、日本の手彫りはすごいと思うんですけどね。」

マークが、そっと呟く。

「あの写真に映っている刺青は全部手彫りで彫ったんですか?」

「はい、私が、手彫りで彫りました。」

勝代はまた照れくさそうに答える。

「でも、モデルさんたちはみんな女性ですね。女の人が手彫りすると、すごい激痛でみんな嫌がるんじゃないですか?」

たしかに、手彫りで彫ると、激痛を伴うという事はよく知られている。暴力団などでは、其れに耐えることが、一種のステイタスの様になっている。時に、痛みのせいで歯並びがおかしくなったという話もある。

「それに、モデルさんたちは、みんな極道関係の女性なんでしょうか?写真を見る限り、そうとは見えませんね。」

マークがそう聞くと、勝代はちょっと恥ずかしそうに、こういうのだった。

「いいえ、暴力団関係とか、そういう人への施術は私、していないんです。モデルになってくれた人たちは、みんな、普通の主婦の方だったり、会社に勤めていたり普通の方たちですよ。私も、手彫りで本当にいいのか確認したりするけれど、皆さん彫り終わって、旦那さんから殴られた時のほうがよほどいたかったと口をそろえて言いますよ。」

「あ、なるほどね。いわゆるドメスティックバイオレンスというやつですか。」

「ええ、まあ私はカタカナ語が苦手なので、よく理解できないんですが、そういう事になるのかしら。一般に、そういう被害にあえば、離婚すれば良いってすぐ言われるけれど、すぐにハイハイと答えられる人はいないんですよ。そんなに沢山はね。だから、その対策として、刺青を使ってくれればいいかなって思って。」

「そうですか。たしかに日本では対策が遅れていると言いますからね。そういう訳で、動物柄が多いのか。女性というと、花柄ばかりを僕は連想してしまいますが、ここは鬼とか龍とか、大蛇とか、そういう柄が多いですねえ。なんでかと思っていたら、そういうわけだったのか。もうちょっと日本では、対策をしっかり立てておかないといけないですねえ。」

マークは、一寸考えこむしぐさをした。たしかに、写真に写っている女性たちは、日本伝統刺青の代表的なものを入れている人が多い。あるいは、不動明王などの宗教的なものを入れている女性もいる。きっと神様が守ってくれているという意味で、入れたのだろうと思われた。夫の暴力だけではないのかもしれない。姑の嫁いびりだったり、子どもからバカにされたり。女性として生きることは、非常に負担の大きいことだから。彼女たちは、其れを、刺青をすることで耐えようとしているのだ。

「時折、刺青の施術目的じゃなくても、お客さんが、ここへ来るときがあるんですよ。誰も相談する人がいないから、先生、聞いてくれませんかって。私は、主人と結婚したと言っても、子どもがいるわけではないので、役に立っているかどうかはわかりませんが、皆さんお茶を飲んでここに来るのがとても楽しいみたい。時には、お客さんと、一緒にスケッチに行くこともあるんです。幸い、この地域は、自然が沢山ありますから、のんびりしていて、命の洗濯ができるとよく言っています。北海道の人ばかりじゃありません。東京や大阪から飛行機で来る人もいるんです。」

なるほど、そういう事か。それでアートセラピストと名乗っているのだ。

「そうですか。たしかに日本では多いですもんね。フランスでもたまに話題になるんですよ。日本の人権問題は遅れていると。でもこうして対策に乗りだそうという人がいらっしゃるのでしたら、まだ何とかなるかなあという気がしてきましたよ。」

マークは、先日水穂さんがこっちへやってきた時、杉ちゃんから聞かされた、歴史てきな事情というのを思い出しながら言った。

「僕の知り合った日本の友達も、やはり辛い事情があって、それを一生取れないままでいるという、非常に苦痛な生き方を強いられているのですが、彼もこうしてやればいいのかなと思いました。」

「まあ、もし、役に立つのなら、あたしもできる限り、解放されるためのお手伝いはしますから。」

勝代はそう言ったが、でもこういうモノに頼らないと、虐待されている人を救えないという悲しみも、その顔からよみ取ることは出来た。そうではなくて、ただ、身を守るための武器なんだ、くらいに考えてほしかったが、日本では刺青と言うとそうはいかないのかなと、マークは思った。

一方そのころ、蘭は、その勝代さんの彫った作品を、先輩格として一生懸命観察していた。

「もう少し、この羽彫りを大胆にやってみてください。そのほうがより龍が生き生きしてくるんじゃないかと思います。あと、筋彫りの輪郭は、もう少し色が濃くてもいい。そのほうが、ほかの色が生えてくるから。今回個展を開いたのは初めてですかね。まだ、そういう域があるんですよ。なんだか龍も鯉も委縮している様に見えるから。もっと回数を重ねて、より生ものに近い龍を彫ってください。期待してますよ。」

「やっぱりさすが蘭さんですね。そういうことになると、すぐにジャッジが入るんだから。悪いところを指摘するばっかりじゃなくて、一寸よい所をほめてやったらどうですか?」

マークは、日本人ってどうして悪いところばっかり見るんだろうと思いながら言った。

「あ、ああ、すまん。だって、僕のところに来るお客さんも似たようなところがあったので、僕は、その場合、龍が生き生きするように彫ることを心がけているもんですから。」

「あら、今までの話、聞いていたんですか。」

「聞いていたというか、聞こえてましたよ。僕も似たような感じです。もっとも僕は、リストカットなどの傷跡を消すために彫っていますけどね。まあ、これからも、というか必然的に、日本では刺青の取り締まりが厳しくなるでしょうね。だから、今のうちに、良い使いかたを考えておかなきゃいけませんね。」

蘭は、日本の刺青師が抱えている悩みをいった。

「そういう分けで、うちの師匠は、あの彫菊師匠ですが、海外に行くことを選んだけれど、僕たちは、そういうことは出来ませんから、こっちでうまくいく方法を考えなくちゃ。そうなると、必然的に弱い者の味方をすることになるんです。まあ、いいんじゃないですか。そうなればそうなったで、またその人の社会的な印象も変わってくると思いますよ。」

「蘭さんって偉いですね。私、そんなこと考えたこと一度もないわ。ただ、目の前にやってくるお客さんの背中を預かったという責任感しか考えてないわよ。」

勝代は、蘭のその発言に感動したのか、そう発言したのだが、

「いや、僕も年を取ったという事ですかねえ。そんな発言するなんて、、、。」

と、蘭は苦笑いした。

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