第二章
第二章
パソコンの前で蘭は落ち込んでいた。
「どうしたの蘭。何をそんなに落ち込んでいるのよ。」
アリスが、落ち込んでいる蘭に向けてそういうと、
「落ち込まずにはいられないよ、、、。」
と、キーボードに顔をつけて、がっかりと落ち込んでいる蘭。
「どうしたのよ。キーボード、壊れちゃうわよ。そんなことして。」
「そういう事じゃなくて、、、。」
「バカなこと言わないで。キーボードが壊れたら、買い替えなきゃいけないでしょ。節約節約ってうるさい癖に。全く、男のくせに、そういうところはうるさいんだからあ。」
アリスに言われて蘭は、がっかりした声でいった。
「なんでも、マークさんの話では、北海道の名寄市にある風連というところで、ある女性刺青師の個展が開かれるらしく、、、。」
「だから、其れはさっききいた。其れからその先を話してちょうだい。」
「だから、いっしょに行ってくれないかとマークさんからメールがあって。羽田空港までは一人で来るから、そこから先の新千歳空港から先、ふうれんまで一緒にいってくれないかと、、、。」
「はあ、そう。其れならそれでいいわよ。北海道か。あたしも行ってみたいなあ。できればついていきたいけど、それは無理ね。あたしは、助産師の仕事があるの。水戸島の妊婦さんで、予定日が近い人がいるから、放っておくわけにはいかないわ。じゃあ、楽しんで行ってきて頂戴ね。あたしは、ほかの妊婦さんたちと楽しくやりますから!」
「あのね。」
アリスが、お茶らけた感じでそういうのが蘭は気にくわなかった。
「お前な。」
何だかバカにされた様な感じで、蘭は、思わず強く言う。
次の文句を言いかけたその時、インターフォンが五回鳴った。
「おーい蘭。帰ってきたぞ。明日の食品買いに買いもの行こう。」
「あ、杉ちゃんだ。ちょっと待ってて今開けるわ。」
アリスが、すぐに玄関のドアを開ける。
「返事ないけどどうしたの?」
杉ちゃんがそういっている声が聞こえる。
「あのね。何だかよくわからないけど怒っているのよ。なんでも、北海道の名寄という所に行かなきゃならないんだって。」
本当によくしゃべる女だな、と蘭は思う。
「へえ、僕が北海道に行ったら、次は蘭の番だったのか。よし、それではぜひ楽しんで行ってきてって、蘭に伝えて。」
もうばれてしまったか、、、。
「一体誰といくの?」
なんて杉ちゃんは言っている。
「あの、フランス人のマークさんと行くんだって。なんでも、刺青師さんの展示会があるらしいのよ。それで名寄まで行くんだって。」
「あ、其れ、僕も聞いているよ。蘭から電話貰って、聞いたんだ。しかしそれが怒っていて、何も嬉しそうじゃないと。」
「そうなのよ。変でしょう。全くねえ。何か知らないけど、一人でぷりぷり怒ってる。」
「はあ、何なんだろうねエ。とにかくよ、買い物行くから、一緒に来てくれと、呼び出してくれ。頼むよ。」
杉三とアリスがそんな話をしているのを聞いて、蘭は、もういい加減にしてくれと、部屋を出て玄関先に行ってしまう。
「杉ちゃんもアリスもいい加減にしてくれ!北海道へ行くとしても、少なくとも三日位は家を留守にするんだぞ!その間もし、なにかあったらどうしようか、心配だから、悩んでいるじゃないかよ!」
「悩んでるって何に?」
とアリスが聞いた。
「だからあ、気にしないで行けばいいでしょうが。何かあったらって、その気になればすぐに帰ってこれるでしょ。別に外国へ行くわけではないし。たまには環境を変えるのも、いい気持ちになって、のんびりできるもんだね。」
その話に杉三が口をはさむ。
「だけど僕には、そんなことをしている暇はないんだよ。其れよりも、今は水穂の事を一番に気にかけてやらなくちゃ。そういう訳だから、のんびり二三日北海道に行くなんて事はしてはいけないんだよ!」
「暇がないなんて、バカなこというもんでない。どうせ製鉄所には出入りできないでいつも僕に余分なもんばっかりもっていかせる癖に。僕からしてみれば、いつも水穂さんの看病の邪魔ばっかりしている蘭が、二三日どっかへ行ってくれるなんて、うれしい限りだよな。気にしないで北海道行ってきて頂戴ね。」
杉三は、にこやかに笑った。そんなこと言われて、うれしいなんていう気になるやつはどこにもいない筈である。勿論蘭もそうだった。
「何だって?僕が水穂に対して邪魔をしているというのかい?だって僕は、水穂にできる限りのことをしてきたつもりだよ。其れなのに?」
「当り前じゃい。これまでにもおせっかいやきの顔の派手な女を五人連れて来て、関係を持たせたり、挙句の果てには道鏡か、ラスプーチン見たいな女を連れてきて、水穂さんの事をひどい目にあわせてくれたな。そういう事が、看病の邪魔になるというこっちゃ。だから、お前さんのやることは、いい迷惑だという事なんだよ、わかるだろ!」
「だったら、だったらどうすればよかったの!僕は、確かに製鉄所には出入りできないじゃないか。だからこそできる事を探そうと思っていたのに。とにかくできる事探さなきゃいけないと思って一生懸命やってたのに。」
杉三にそういわれて、蘭は、同じことを二回も言って反論したが、余り説得力のある言葉ではなかった。
「そういう時には花より団子。変なラスプーチンみたいな女を連れて来て何とかさせるよちも、食べ物を持ってきて、奴に食わせろ。」
「そうか。食べ物を持って行けばいいんだな。よし。それでは、何をもっていけばいいんだ。あいつには、肉魚一切抜きだったよな。だから、貴重なたんぱく源と言えば、何だろう。えーとえーと。」
と、蘭は一生懸命考えるが、すぐには思いつかなかった。
「あいつには、パンもご飯も、何も通らない。体を動かすのにひつようなモノは、たんぱく質と脂質だ。それを何とかしないと、しまいには立つことすらできなくなってしまうぞ。」
そういう蘭であるが、日頃から料理をしないので、どの食材にどの料理をさせたらいいのか、まったくわからず、栄養のある食品なんて、全く分からないのだった。
「おい、杉ちゃん。何か栄養の高い食品というものはないだろうかなあ。」
しまいにはそうきいてしまう始末。
「ほら見ろ。お前さんはやっぱり、料理の事はてんでダメなんだよ。だから、こういう時は、潔く、北海道へ行ってきな。それに、食べ物をもって来られても、はっきり言ってそれもいい迷惑だよ。だって、この頃食べているのは、たくあん一切れと、おかゆさんくらいなもんだろう。それでは、栄養価のある食品くれても食べる何て絶対にしないよ。肉も魚も凶器だよ。それではいかんのだ。詰まるところ、お前さんはもう遅いってこと。わかるか。」
杉三にそういわれて、蘭はもう遅いという事を知った。
「だから遅いものは遅いんだ。もう、あきらめて、水穂さんのほうからいさぎよくてを引いた方がいいよ。」
「そうよ、蘭。蘭がなにかできるようになる時もまたあるわよ。その時を蘭はしっかり待っていればそれでいいのよ。それで。だから、蘭は、マークさんと一緒に北海道に行って。」
アリスまで終いにはそういうことを言い出した。蘭は又がっかりと落ち込む。
「ほら落ち込まないでよ。すぐにマークさんに返事をして、日程を決めたら、羽田空港に問い合わせて、すぐに飛行機の予約を取らなくちゃ。あと、名寄にホテルがあるかどうかも調べて、すぐに宿泊の予約を取る事もしないと。後は、必要があればレンタカーも。ほらあ、はやくしなさい。」
こういう時は、男より、女の方がきびきび動けるようになるらしい。アリスは、蘭の尻を叩いて、すぐに支度をするように促した。蘭は、落ち込む気持ちをこらえながら、何とかパソコンのほうを向く。そして、例のひらがなばかりのマークさんの文章に、返答を打ち始めた。
数日後。蘭は新富士駅にいた。
「じゃあ、行ってくるからね。」
ホームにて、蘭はアリスに言う。
「はいはい。忘れ物ない?今一度確認して。」
アリスは、蘭の言いたいことに反して、そういう女らしい事を言った。そう言われて蘭は、一寸がっかりしてしまったが、今回は駅員が近くまで来たので、返答は返せなかった。
「まもなく、一番線に、こだま658号、東京行きが到着いたします。危ないですから、黄色い線の内側まで、下がってお待ちください。」
という駅のアナウンスが流れる。蘭の後ろにやってきた駅員が、車いすを新幹線の方向に向けてしまったので、それ以上蘭はアリスとしゃべることはなかった。
すぐに、こだま号がやってきた。駅員が、蘭をグリーン車のドアの前に動かしていく。蘭は、もう一度後ろを振り向くが、
「蘭、もういいにしなさいよ。駅員さんに迷惑かけないでよ。マークさんにもよろしくお願いね。」
何て明るい顔をしてアリスは言っている。これだけ明かるい女なら、ある程度は大丈夫だろうと蘭は確信し、駅員さんに車いすを押してもらって、新幹線に乗り込む。
間もなく、発車ベルが鳴って、新幹線は走り出した。久しぶりに富士を離れてどこかに行くなんて、蘭は、不安もあるけれど、うれしいような気もしてきた。
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