さびしい駅

増田朋美

第一章

さびしい駅

第一章

朝からよく晴れた。こんないい天気でのんびりしていて、小さな子どもさんのいるような家庭であれば、一寸寒いけど、ピクニックでも行けそうだなあ、と、言いたくなるような天気である。

その日は、刺青の依頼客が来るのは午後からであったため、蘭は、午前中はのんびりしているか、何て考えていた。ただ、居間でテレビを見ていると、アリスに、掃除の邪魔になるから、そこどいて、なんていわれるので、蘭は、仕事場に行って、本を読むことにした。今までは、刺青の解説本ばかり読んでいたが、最近はそうでもなくなっている。最近の愛読書は、谷崎潤一郎と、太宰治にひかれている。あの二人の出す、独特な、悲しくてどこか寂しい感じのするストーリーが、蘭は大好きなのだ。杉ちゃんはテレビが大嫌いだと言っていたが、最近は蘭もテレビよりも、こっちのほうが、いいじゃないかと思うようになってきている。それはもしかしたら、年をとったという事だろうか。

蘭が昨日読みかけていた谷崎潤一郎の本を読み進めていると、仕事場のドアをガンガンとたたく音がした。あれ、まだお客さんが来るのは早い時間なのだが、と思ったが、

「蘭、あなたにエアーメールが来てるわよ。」

不意にアリスさんの声がした。つまるところの国際郵便だ。

「誰から?」

と、蘭が聞くと、

「マークさん。」

と、返答が返ってきたので、蘭は本をテーブルの上に置いて、居間へ戻っていった。エアーメールは、電話台の横に置かれていた。

「早く返事が欲しいみたいだから、すぐに返事を返してやった方がいいわよ。あとこないだ杉ちゃんが行った時と同様に、空港にも問い合わせたほうがいいかもしれないわね。」

掃除をしながらそんなことをいうアリスに、蘭は、もう内容を見てしまったのか。と、嫌な顔をする。本当になんで他人あての手紙を勝手に見てしまうのだろうか。いくら家族とは言え、そういうところは、気を付けてもらいたいと思うのだが、、、。無理そうだった。すでに封は切られていた。

たしかに差出人欄には、流ちょうなアルファベットとへたくそなひらがなが併用されて書かれていたので、これはマークさんからの手紙だなとすぐにわかる。蘭は、いそいで中身を出して読んでみた。

「らんさんへ。こんにちは。さむひですが、すこしづづはるめいてきましたね。」

へたくそな平仮名であるが、ちゃんと時候の挨拶を入れたりして、頑張って日本の手紙の書き方を勉強しているようである。

「こんかいおてかみをさしだしましたのは、ちょっとみにいきたいてんぢかいがあったからです。にほんのほつかいどうのふうれんというところで、わかてのしせいしさんのてんぢかいがあるそうです。ちょっといったことがないちいきなので、らんさんにごあんなひをお願いしたいです。ようがなければ、ごれんらくくださひませ。それではよろしくです。かしこ。まーく。」

蘭は声に出して読んだが、中身を理解するのに、数分かかった。とにかくこのへたくそな字と、間違った仮名遣いのせいで、内容が頭にはいってこないのだ。

「しかし待ってくれ。北海道にふうれんなんていう町はあっただろうか。」

「調べてみればいいでしょう。」

まあ、単純に考えればそういう事だ。急いで蘭は、タブレットを出して、ふうれんと検索欄に入れてみた。

「あれれ、おかしいなあ。何処にも出てこないけど、、、。」

北海道地図を開いて見てもふうれんという市町村はどこにも出てこなかった。まさか隣にいるアリスが知っているはずもないと思ったので、これでは誰かに聞いてみるしかなさそうだと思った。

「しかし、どうしてそんな遠いところにあるイベントを見に行きたいと思ったんだろうね。北海道がここから遠いことを知らないのかよ。そこへ行くんだったら、もっと近隣の人に頼めばいいのに。少なくとも日本人同士なら、他人に迷惑をかけないと考えて、誰かを巻き込むことはしないんだけどなあ。」

「バカねエ蘭は。」

と、アリスは言った。

「本当に人の気持ちがわからないんだから。そんなんだから日本人は冷たいって言われちゃうのよ。いい、まず、日本の伝統刺青は、日本でなければ見られないでしょ。」

「だったら東京とかそういうところにいけばいいじゃないか。」

「だからあ、そういうところは、取り締まりがうるさくて、なかなか刺青師が店を構えるのが難しくなってるって、蘭の師匠さんが言っていたんでしょ?」

まあ確かにそうである。海外では、世界的な芸術として大人気である日本伝統刺青は、日本国内ではやくざの一部として、結構取り締まりを受けており、都内などの大都市では、活動しにくいという欠点があった。蘭も、静岡より都内のほうが便利でいいなあと思っていたが、刺青に比較的寛大と言われていた、浅草の三社祭でさえも、刺青をしたものは参加できないなどのルールが設けられてしまっているので、都内での活動を諦めたという経緯がある。それでも刺青の愛好者は外国人を中心に少なからずいるから、蘭たちはこういう僻地に追いやられてインターネットを頼りに活動しているのだ。何だか放浪者の様に数年ごとに活動拠点を移動させている刺青師も少なくない。

そういう分けで、結構有能な刺青師が、僻地の過疎地域で細々と生活したり、展示会を開いたりする例は結構多いのだ。

「まあ、そうだけどさ。そういう田舎町でやっている人なんだろうが、ふうれんという町がどこにあるんだかわからないんだよ。だって地図をだしても出てこないよ。これはどういう事なんだろうか。」

「もう、ご連絡くださいと書いてあるんだから、ちょっとメールしてみたらどうなの?手紙はそういうところは手間がかかるけど、メールではすぐに行けるでしょ。そういうところを使い分けるのよ。」

「そうだねえ。」

蘭は、タブレットのメールアプリを出して、メールを打ち始めた。先ず、マークさんは漢字を読むのが苦手なので、出来る限り平仮名で書いてやらなければならない。漢字に慣れている蘭にとって、平仮名ばかりのメールは、非常に打ちにくかった。

すると数分で返答が来た。これだけはよかったと蘭は思った。

「ああ、ああ、なるほどね。彫菊師匠には、孫弟子にあたる女性の刺青師さんか。ふうれんというところに住んでいることは確かだが、そのふうれんはどこなんだろう。」

また考え込んでしまう蘭。

さすがに日本地図にふうれんという地名が出てこないという事は、蘭はメールに打つことができなかった。おかしな理屈だが、どうも蘭は見栄っ張りらしい。地図に出てこないなんて言ったら、日本人のくせに知らないんですかと笑われそうな気がして、其れだけはどうしても蘭は避けたかったのである。

しかたなく、蘭は、スマートフォンをとって、製鉄所に電話してみることにした。

そのころ、製鉄所では。杉三たちがいつも通り、水穂の世話をしていた。

「疲れちゃったんですかねえ。こないだ留萌まで行ってきたんですから。」

「本当によく咳き込むなあ。」

と、杉三やほかの利用者たちがそういうほど、水穂はなぜか調子が悪かったのであった。杉三が水穂の額に手を当てて、

「熱がある。」

といった。ほかの利用者も、ちょっといいですか、と声をかけて、額を触り、

「微熱ですかねえ、まあちょっと、休んでいたほうがいいですね。」

とため息をついた。

「僕はご飯を食べなくなってしまうんじゃないかというのが心配だ。そこを乗り越えられないと、たいへんになっちゃうから。せめて、おかゆさんいっぱいは完食してもらわなきゃ、、、。」

「杉ちゃんの心配事はいつもご飯の事なんですね。」

という心配をしている杉三に、利用者は、なんでも口にするんですね、杉ちゃんは。と、ちょっとあきれていた。

と、その時、スマートフォンが勢いよく鳴った。

「えーと、この赤いボタンを押せば電話に出られるんだったよな。」

杉三がそういうと、そうですよ、と利用者はスマートフォンのボタンを押してやった。

「はいはいもしもし。」

「あ、すみません。あの、青柳教授居ますか。」

電話の主は蘭であった。

「あれ、なんで蘭が、僕のところに電話流してくるんだ?」

杉三が、おどけた感じでそういったため、蘭は、番号を間違えたことにすぐに気が付く。

「杉ちゃんじゃないか!あのさ、よかったら、其れ青柳教授に渡してくれる?」

「ばか。理由を話せよ。それがわからないと、僕、おわたし出来ないもん。」

まあたしかにそうだ。杉ちゃんに理由を聞かれると答えを出すまで、絶対に渡さないという事は蘭も知っていた。

「ああ、だから、北海道にふうれんという地名があるかどうか、聞いてみたいんだよ。」

と、正直に用件を蘭は言った。というか、言うしかなかった。杉ちゃんには正直に言わないと電話が切れない。

「ふうれん?ああ、風連町の事ですかね。」

と、隣に座っていた利用者が、そういった。

「あるらしいぞ、僕の隣に座っているやつが、風連町というところがあると言っているぞ。」

と、杉三が言うと、

「でも、北海道の地図を調べてもどうしてもなくて、、、。」

と、蘭は言った。

「ああ、風連町は、合併して名寄市になりました。風連に住んでいる僕の親戚が、住所変更のはがきを僕のところまで送ってきたので、知りました。」

と、利用者が、杉三に言うと、

「今の聞こえたか?なんだか合併して名寄市というところになったんだって。だから地図にはないんだよ。最近の町は、矢鱈に合併しすぎて困るねエ。」

と、杉三はカラカラと笑ったのだった。

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