第14話
「どういう、つもりだ……?」
ブノアはがっちりと下ろされた鎧の隙間からバティストを睨んでみせる。
「……何がだ? 靴のことか?」
バティストは引きずるような声を出す。至極面倒くさい、という風に。
「ちょっくら動いてたら壊れた。タカスギの野郎……パリでシルヴィーに選んでもらったお気に入りの靴だってのに。新しい靴を買う暇なんてなかった、借りた靴よりか裸足のほうがずっといいってもんだ、それだけ」
「そういうことじゃない!」
ブノアは声を張り上げた。
「この神聖な誓いによる戦いの場に、おまえはなんて格好をしてる! そんな気の抜けた姿で君は僕に勝とうってのか! 笑わせる!」
「笑えよ」
バティストの無感情な言い方が、ブノアの神経を逆撫でした。
「何だって……」
「ノアの戦いに見た目も防備も関係ない。創世力をどう使うか、それだけだろ。おまえこそ大丈夫か? そんな指定外の重装備付けたままだと、俺の記憶が正しければ即失格だと思うが」
「そんなことわかっている!」
ブノアは分厚い胸の鉄板をガンガンと手甲で叩いてみせる。
「これはブノア家に伝わる相伝の鎧! かの百年戦争にも馳せ参じた我が血筋の象徴にして、フランス国家のプライドと伝統の化身でもある! それを決闘前に身につけるということがどういう意味が、君でもわかるだろう!」
「正直よくわからん」
バティストの返しに、ブノアがくっと息を押し殺して怒りを抑えているのがわかった。バティストは多少の両親の呵責を感じながらも、自分のぼろぼろのスーツの右胸を指で指し示した。
「俺に取っちゃ、これで十分だ」
ブノアの目の色が変わった。金色の瞳が、一瞬かっと真っ赤に燃え上がったように見えた。
彼は鼻息をならしながら、自分の鎧にがっしと手をかけた。
「何だ? ブノアの坊ちゃんいきなり脱皮しはじめたぞ」
ルネはにやけながら前かがみになって状況を見守った。いずれ脱がないといけないことはわかっていたが、バティストがなにか挑発をしていたのは会話が聞こえなくてもわかる。
ブノアは侍女の手も借りながら明らかに焦った様子でもたもたと鎧を脱ぎ捨てていく。そしてついに学苑指定の戦闘着だけに身を軽くした後、バティストがさっきしたように――もっとも、彼よりももっと力強く、どうだと言わんばかりに自分の右胸を指し示してみせる。
「あぁ……そゆこと」
ルネがサクラを見やると、彼女はこくりと一つだけうなずいてみせる。
「ブノアにとって国家は……フランス人であるということは個人的な名声を超えた誉れだ。その国に生まれ、国に守られている人間としては当然の態度だ」
ブノアの胸にはでかでかとフランスの国を象徴するエンブレムが刺繍されていた。どかぁんと効果音が聞こえてきそうなほどに目立っている。それに対して、バティストの胸にはそれよりもだいたい直径にして3分の1ほどの小さいフランス国章が慎ましやかに張り付けてある。
「メセンス君がさっき指してたのはあの国章だったのね」
ナナがオペラグラスをのぞき込みながら納得する。
「なら、アンテノール君にとっては挑発以外の何者でもないわ。メセンス君、決闘が始まる前に心理的攻撃をかけるつもりかしら」
ナナの口調には「そううまくはいくはずもないけど」というニュアンスが含まれていた。確かに、常識的に考えて、創世力の扱いに関しては熟練したブノアが少し動揺したところで、決斗における経験の差は埋めようがない。
「けど、アンテノール君もどうしてメセンス君をあれほど目の敵にするのかしらね。彼がフランス人を名乗るのがそれほどイヤなのかしら」
本来なら――
この場で胸に国旗や国章を付けるなどほとんど意味を成さないことだ。
この学苑の普通科の生徒は、ほとんどがこの学苑を学苑たらしめるためにカナダから派遣されてきたいわばスタッフだ。彼らは一見学苑の本来の目的たる学業を主とした生徒に見えるが、早めのチャイムが鳴った後は、ほとんどがこの都市のインフラを維持する為の公務員、もしくは経済活動を支えるための商売人として活動している。
それだけではなく、彼らはノアやアークたちの集まりが少数による閉鎖的なサロンと化してしまうのを防ぐ役割も持っている。
まぁ、本音を言えば、創世力を生身で扱える殿上人の退屈しのぎのためというのも大きい。そんな品のないこと誰も口にすることはないが。
そしてその貴族たちといえば北半球に偏っているとはいえ様々な出身地を持つ。しかしいったん学苑に入ってしまえば、そこで重視されるのは一にも二にも派閥である。ここでは出身地も、ともすると家族関係までも二の次に成らざるを得ない。
創世力がアークやノアに与えるのは力だけではない。
それを扱う者の明確な目的意識――野望を沸き立たせる。
結局、地縁も血縁も、個人の目標を定義することはできない。
自分の希望を満たすには、学苑でひとりでいるのは無謀だ。
彼らは派閥に入る。そして自分を再定義する。
逆説的な話だが、すべては自分が自分であるためにそうせざるをえないのだ。
そんなサバンナのごとき野獣の群れのはざまで、あえて国旗を身につけると言うこと。
そのことでブノアはこのように表明したかったのだろう。
ブノア・アンテノールの野望は。
ブノアの、愛は。
ただ一つ。
自分が生まれ、
自分が所属し、
自分が愛情を注ぐ、
そんな存在はただ一つ、博愛の国フランスであると。
そう断言できるのが、彼の誇りなのだ……
そんな彼が――
バティストの胸にただ一つーー小さく、慎ましやかながらも同じフランスの徴が光っているのを見て、何を思っただろう。
「ブノアの奴……相当カリブの奴らが嫌いみたいだな」
ルネが指摘すると、サクラが少し憤った声を出した。
「酷い話だ。元々先住民族を殺してアフリカから奴隷を引っ張ってきたのはフランス人じゃないか。今現在のフランス社会にその咎があるとは言わないが、それにしてもあの態度……白人も含めた他のフランス人も貶めているのと同じだ。今のフランスは白人も黒人もアジア人も含めてみなフランス人と聞いたが?」
「うん、サクラがフランス人でなくてよかったよ」
「どういう意味だ」
「いや、外からそう見えているのならよかったってだけだよ。気にするな」
肌の色が違ってもみんなフランス人。それを目指したいと意気込むのならまだわかるが、それが国是でほとんど既成事実のように思いこむ人間をルネは同じフランス人として認めたくはなかった(実際はとうの昔にフランス国籍は捨てて今は善良なるケベック人に身をやつしているのだが)
「ただ、フランス本国とグアドループは離れすぎている、そこに手厚い補助金となると、ひとつのフランスのなかに別の国がある、そう思う人間が出てくるのは残念ながら予想できることだ。それがいいか悪いかは別にして……なんだ、不満そうな顔をして」
サクラが少しむくれた感じに口を閉じているので、ルネはその膨らんだ頬をつつこうとする。その指をサクラはぐっと手のひらで握って押し戻した。
「ルネはロマンチストのふりをしてときおりそんなことを言う。世界を真横から見て達観して、アクアリウムの水槽でも眺めるみたいに……」
「そりゃぁ、伊達に長いことこの世を渡ってきてませんから?」
ルネはウインクしてみせるが、サクラはまたどぎまぎした表情で目線を元に戻す。ルネの言う「長いこと」というのはいったいどれだけの時間か。サクラにとっては大きな謎かけが目の前でにたにた笑っているようなもので、目を背けたくなるのもむべなるかな。ルネは少し意地悪だったかな、と思う。
「しかし、どういう風の吹き回しだ? バティストの奴、人をいちいち怒らせてみせるなんて億劫なことやるタイプじゃないだろ? むろんタカスギだって……」
「あぁ」
サクラは即座に答える。
「あいつは、タカスギは目的のためなら手段は選ばない風に振る舞っているが、その実勝ち方にはひどくこだわる奴だ。挑発混じりの心理戦などたとえ教え子がしたことでも奴の良心が許さないだろう。それがあいつの日本人としてのプライドだ」
「なんだ……面白くなってきたじゃないか」
悠久の時を生きるノアにとって、新しく出会う未知ほどの垂涎を催させるものはない。ルネは思わず口元の髭の剃り残りをじゅるりと舐めあげた。
「おまえみたいなフランスの、いや、この世界に巣くう寄生虫のような人間に、その
ブノアはバティストを指さし、きっぱり言い切ってみせた。まるでこの舞台のために一年間みっちり練習を積み重ねてきて舞台俳優のように決まっている。
それに対してバティストははぐらかすように言った。
「あぁ、あまり深くは考えないでくれ。フランス出身といっても、今の俺はグアドループにも大陸フランスにも籍を置いていない。かといってほかの国に帰化したわけでもない。便宜上、これしか付けるものがない。どこの派閥にもまだお招きいただいてないからな。それだけだ」
「国章はそんなに軽々しく扱っていいものじゃない」
ブノアは静かに返すが、その裏でいまにも爆ぜそうなほど感情が熱しているのがわかる。
「どこまで君は僕のことをおちょくれば気が済むんだ。その徴は、ただ僕の誇りであるだけじゃない。それは、僕とシルヴェットの……」
そのとき、彼方でわっと声が上がった。観客の視線が二人から離れ、フィールドの正面、客席のど真ん中にひときわ目立つVIP席に注がれた。通常は来賓か学苑幹部しか座ることを許されないその場所に一般生徒が招かれる唯一の例外――それは、その生徒が外部から隔たった完全中立の状態におかれる必要がある場合のみである。
バティストは一目見た後何か安心したように一つ息を吐いて、裸の足で二回ほど無意味に床を掃いた。ブノアはぎっと鷹のような視線を向けると細い腕にびりびりと何度も武者震いを送り込んだ。
司会の女生徒も焦りで息混じりになった声をあげる。
「な、なんとこれは……失礼、彼女はもしかしなくても、この決闘のもう一人の当事者、シルヴェット・アルブライツバーガー!?」
思わず英語読みで吐き出してしまう。
「昨日の入苑式に欠席したことから、今日の決闘にも姿を現さないのではないかと思われていましたが……」
ブノアは遠目から見てもわかった。あのまばゆい髪の輝き。最初に会ったときと全く変わらない、子供びたぴょこぴょことした歩き方。そして何より、この距離でも正確に、レーザーのようにこちらを射抜く、野生動物のような瞳。
あの視線にもう一度捉えられたいその一心で、彼はずっとこの学苑で待ち続けてきたのだ。久遠のような自分の生でも、とても我慢できなくなるような退屈な時間を。
「あっ、そしてなんと彼女、学苑指定の決闘用衣服を身につけています! 今回は公平を期すために彼女自身の創世力の行使は認められていませんが、それでも自分の心は常時同じ戦場に在るという意思表明でしょう! そしてその胸には……」
シルヴェットは何も言わず、表情もほんの少しの笑みが見て取れるだけで動かさず、観客に手を振ることもせずただ直立でVIP席の最前まで進み出た。なのでその胸元に静かに、はっきりとフランスの国章が見える。
「どうやら彼女もフランス国籍! この決闘、彼女ひとりというより、この学苑のなかで、フランスという一国の誇りを争う、そんな戦いになりそうです!」
ナナは大きな胸をセーターの上から片腕で抱え込んで思案した。
「彼女、フランス人だったのね。ラストネームだけ見るとどう見てもドイツの名だけれど」
「司会の彼女はドイツ系アメリカ人と思ったみたいだ。でも……」
サクラもまた考え込む。昨日彼女は、確かに自分のことを「エストニア人」だと言ったはずだが……
「真実はともかく、アオリを入れるにはもってこいの構図だな。こりゃぁ実況席もシメたと思ってるだろ。こうなると、国籍なんてなにかギミックのように思えてくるな。プロレスだよ、まったく……」
ルネが言うとおり、司会はさらにヒートアップして、ルネの古びた耳にはもはや何を言っているのかすらわからない有様だ。
「ルネ、始まるぞ」
サクラの声でルネは少し我に返った。見ると、二人とも学苑指定の決闘用チョーカーを首に巻いたところだった。あの薄手のシンプルな見た目からは想像もできないが、あそこから無数の繊毛のような触手が首から神経に進入し、学苑の共有創世力を直接体内に流し続ける。
「ルネ」
もう一度サクラにたしなめられて、ルネは初めて自分が大きく舌打ちをしていたことに気づいた。
「……すまん」
サクラは何も言わずに少し目を伏せる。それが彼女にとって「別にいいんだ」というサインの代わりだと言うことを知っているので、ルネは心からの感謝を心の中だけにしまって、ひとり反省する。
(いかんいかん。あれを見ただけで顔に出てるようじゃ、いつか足下すくわれるぞ。おまえがここに来た目的を忘れるな……けして……決してだぞ)
そんな雑念もまた顔に出てしまいそうで、ルネは思考を振り払うようにまた対峙する二人を眺める。そして気づく。
「バティストの奴……」
首にチョーカーを巻かれ、今彼の首筋は創世力と同期する瞬間特有の猛烈な痒みにおそわれているはずだ。しかし、バティストの表情も姿勢もさっきと同じく緩慢なままで、血抜きの跡を隠したこれから捌かれるのを待つ家畜のように見える。
(これと言った覇気もないし、これから戦うような緊張感もぜんぜん見えねぇな……どういうつもりだ?)
(どうした……また僕を怒らせようとしている……?)
不信感は、ブノアも感じていた。観客席の照明が落ち、開始まで10秒を切ったシグナルも点灯しているのに、いっこうにバティストは構えを取る仕草も見せない。あれと比べればまだクラゲの足のほうが力強く見えるくらいだ。
(一撃で決めるか? それとも罠を警戒するか。いや……)
ブノアは拳を握りなおした。
(こんな奴、できるなら一瞬でぶちのめさなければ。勝つのは僕に決まっているんだ。こんな腑抜けが相手ならなおさら……勝ち方にこだわならくちゃいけない。この向上心こそが、僕とフランスの誇りだ)
そう決意を固めた、その出鼻に、
「ブノア」
バティストは笑って見せた。
「そうだよ。大事なのは、勝ち方なんだ」
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