第3話

 さて、翻ってくだんの《入苑式》の会場であるが、いつまでも現れない主賓にやきもきしているかと思えば、ぞんがい和気藹々とした雰囲気に包まれていた。

 入苑式といえどもそれほど堅苦しいものではない。それぞれの生徒が座る席はゆったりとして往来もしやすい。それゆえに式がなかなか始まる気配がないと知るや、各々気ままに親密なもの同士集り、たわいない話に花を咲かせ、用意された飲み物やオードブルに群がり、「式」と言うには幾分ルーズな空気に包まれている。

 そもそもこの学校の生徒のほとんどは祖国でいわゆる上流階級に属していた存在で、この式も半分はパーティーの延長線上といった空気。

 もちろん、この式にかこつけてたらふく楽しみ、代わり映えのしないいつまでも続くように思われるこの学生生活の中に刹那を見いだしたい輩も少なくない。だが、それ以上に……

 この式は新入生の饗応と、それを入り口にしたへの引き込みを目的としたものなのだ。

 だから一見安穏とした雰囲気に見えても、腹のうちでは「まだか、まだか」という気持ちが煮えたぎっているに違いない。しかしそんなギラついた気持ちをおくびにも出さず、水が樋に引き込まれるように自然に振る舞うことこそ学苑で生きる者の美徳なのだ。

 そんなこんなで、笑顔の裏で無数の鞘当てを繰り返しながら主賓を心待ちにしていた彼らも……

 突然、ぼろ切れの同然の服を身にまとい、かかとを履きつぶされた靴を引きずり、水飲み鳥のように身体を前傾させたバティスト・メセンスが壇上に一人で現れたときにはもう……

 それは気持ち穏やかならず、マネキンのような真顔に戻らざるを得なかった。

 理由はいくつかある。彼のみすぼらしい格好はもとより、そもそも学苑には肌の黒い生徒そのものが少数派だったこともある。しかしなにより……

 入苑式で祝福されるべき新入生が、男性であるはずがなかったのだ。

 困惑しているのは運営も同様のようで、司会の女子生徒はマイクを切ってはいるものの、

「え、なに代理? このまま渡せって? え、どゆこと??」

 と、普段のウグイス声とはほど遠い地声をさらしていた。

 まるでウナギでもつかむように彼女が持て余しているマイク。それをバティストはぶっきらぼうにコードを引っ張って釣り上げた。そしてそのままそれをまじまじと見つめ、慣れない風に顎の下で構えると、傍らに座っている運営やステージの直下に居並ぶお偉方――とはいっても、いわゆる重鎮めいた人物は2・3人ほどしかなく、他は新入生のバティストと変わらないか、むしろ若く見える者も多いのだが――に目配せした。

 司会は冷や汗をかきながら、その来賓に向かってちぱちぱとアイコンタクトを取ると、

「そ、それでは、新入生のシルヴェット・アルブレイツベルジェルの名代の方から、ご挨拶がある、そうです……」と言った。


《学苑》の校則――それはすなわちこの都市の憲法でもあるのだが――にはこうある。

・第34条第1項:本学の正規会員である《方女》(アーク)は、本則第22条に基づく特殊契約者たる《預言者》(ノア)を名代とし、自身を無欠に表象する代理人として権力を代行させることができる。


 バティストは司会の震えた声を聞き届けると、マイクの中からずおっと水でも吸い上げるように大きく息を吸い込んだ。

「気に入らない……」

 コーヒーミルでも挽くようなざらついた声。

「そろいも揃って、ぼんぼんベケみたいな気取ったツラしやがって……」

 にわかに講堂に困惑のざわめきが満ちていく。

「お前等、俺のことを、なんだ……だと思ってるだろ。それかもしくは、可哀想な奴か……」

 そう言って目の前であっけに取られた顔をしている生徒を一人づつ目配せする。

「そうだ、そんな目だ。他人が行儀よく自分にすり寄ってくるのを待っているような……だが、逆に俺にはそれが餌を座って待ちかまえるパグかブルドックみたいに見えるね。んで、それはあながち間違っちゃいない……」

 そう言って、びしりと指を目の前の生徒たちに向けた。その腕を一番後ろの席からすらわかるほどがくがくと震わせながら。

 それは興奮か、それとも単なる緊張か。

、お前等……!」

 彼は言い放った。錆び付いた声帯を精一杯引き絞りながら。

「お前等、何か新しいカモがこの学苑に迷い込んできたみたいに思ってるかもしれないが、とんだ勘違い……天動説級の勘違いだ、このカモども! 今日からはお前等はシルヴィーのすごさに地に額を擦りつけるんだ、ミミズみたいにな! シルヴィーは、シルヴィーはな……!」

 がくがくと震えは大きくなり、まるで壊れた洗濯機が踊っているようだ。

! 強くて、たおやかで、大きくて……そう、でっかいんだ、太陽のように! お前等なんか、ウイスキーみたいな甘い生活に浸ったボンボンのお前等なんか、一口で飲み込まれてしまうくらいにな! けど、だ、お前ら! 何度でも言うぞ。いくら! いまさら! シルヴィーの仲間になろうとしたって、シルヴィのノアはだ。俺が最初で、俺だけなんだ、ずっと、ずっと、未来永劫…………」

 何度も繰り返す声は息が切れるとともにだんだん小さくなって、バティストはまた大きく息をマイクの中から吸い込んだ。

「覚悟しろお前ら、シルヴィーはこの学苑を――世界一狂ったこの場所を壊すために来た! 決してお前等の口車に乗せられただとか、まして無理矢理連れてこられただとかいうことはないんだ! こんな陰気くさい場所すぐにぶっ壊して、俺はシルヴィーと一緒に元の世界に帰る! ! ! ーっ!」

 バティストは眼球に血をばちばちと迸しらせ、最後はのどを砂漠のように枯らしていた。あたりがしんと静まりかえったのを確認すると、バティストは駆けるようにステージを降りた。ステージだけではない。そのまま走り出し、ステージの裏にある勝手口から身を踊りだして、凝り固まった空気だけを残して忽然とその場から姿を消した。

 そのままステージに残された司会者の当惑と心労足るや察するに余りあるだろう。

 しかし、あれだけ汚い言葉をかけられた生徒たちはというと、何か彼が来る前よりもむしろ少しくつろいだ様子で各々談笑に入っていた。

 彼らの心中を代弁するなら、こうだ・・・・・・


 そもそも、この学苑に招かれる時点で、ロクな人生を送ってきてない人間ばかり。あれくらいわかりやすいの人間なら、むしろまだ扱いやすいほうだ。なにせ、馬鹿とお調子者ほど無害なものはこの学苑においてはいないのだから・・・・・・


 と。


 その上で、さて、これからどう本丸――彼が心酔するシルヴェットとかいうアークとコンタクトを取ったものか、ゆったり思案に入っている。

 ごく一部の例外をのぞいて……


 たとえばその例外の一人。

 ルネ・アンリは一人イスに腰掛け、足を組みながらひくつく笑いを堪えていた。

「これはまた、えらい奴が来たもんだなぁ……サクラがここにいないのが残念だ! 居たらこう伝えてやるのにさ、『皆ったら、奴を道化か何かだと思ってるみたいだが、もしかしたら、とんでもない毒が学苑に迷い込んできたかもしれないな』って――それよか、からかいがてら言ってやろうか、『案外お前にお似合いなのはあぁいう「似たもの同士」かもしれないな』って……あぁ、惜しい! サクラ、どこに行ったんだ?」

 そう言ってルネはネズミ捕りのようにびんと音を立てて立ち上がると、タップダンスのように軽やかな足取り、鼻先に調子外れの歌を引っ提げながら講堂を飛び出していった。


 そして、例えばもう一人。

 講堂の最高尾、ルネが風のように駆け抜けていったその傍らで、仁王立ちになってわなわなと拳を握りしめている小柄な男子生徒がいた。本当に小柄だ。150センチあるかないか。その体躯にとても似つかわしい、天使のような丸い顔とミルク色の髪を、目をぐわっと風船のように見開いた鬼の形相が台無しにしている。

「ぶ、ブノア様……?」

 使用人らしき周囲の女子がおろおろと様子を見守るのにも気づかない。顔を酸漿ほおずきのように真っ赤に膨らませ、ステージの真ん中を凝視したまま、あの黒人の残像をいつまでもにらみつけている。

「何なんだ、あいつは……! ……!」

 彼の後ろでむくむくと情念が沸き起こり、今にも悲劇的な音楽を背負って流しだしそうに見える。

「彼女の名誉を汚すあの乱暴狼藉……あまつさえ彼女をまるで自分のもののように……許さない、許せるわけが……!」

 そう胃を捻るように声を絞り出した後、意を決したように傍らに立てかけていたレイピアを取り上げた。

「決闘だ! 僕は、ブノワ・アンテノールは、あの恥知らずのカリブ人に決闘を申し込む!」

 周囲は「お、おぉっ」という少しなま暖かい歓声に包まれる。

 まばらな拍手の中で、ブノワは目の前の切っ先を凝視しながら、陶酔するようにとびっきりの見栄を切って見せた。

 

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