第五話 「血の祝福」

 乱戦は好きだった。

 自分がどこまで斬り込もうが止める者はいないからだ。そしてそうしたければ敵将に接近することもできる。

 アッシュの突き出した槍が敵将を馬から突き落とす。

 アッシュは素早くとどめの突きをくれたが、敵は瞬時に身を転がせて攻撃から逃れた。

「ぐっ、おのれ! かくなる上はこの私自らが、運命を、道を切り開いて見せる! 神よ我に御加護を!」

 壮年の敵将が槍を手にアッシュに襲い掛かってくる。

 アッシュは持っていた槍を投げ捨てた。

 今日はまだ三本目の剣までしか血を吸っていない。彼は血塗られた剣を一瞥し敵に向き合った。

 突きを避け、大薙ぎの一撃を彼は剣で受け止めた。

 そのままアッシュは剣で払いのけた。

 敵将の手から槍が離れる。だが、すぐさま剣を抜いて斬りかかって来た。

 鉄と鉄がぶつかり合う。

 五合、競り合った末、敵将は両腕を寸断された。

 悲鳴を上げる相手を前にアッシュの剣が右から左へ振るわれる。首が吹き飛び、大量の血が飛散する。アッシュの鎧は新鮮な朱色に染められた。

 目の前で戦いを見守っていた敵軍の兵達が瞠目していた。

 その間抜け面を見てアッシュは不敵に笑った。そして斬り込んでいった。

 彼の剣が風を巻き上げる度、肉片が血流が空を染め大地を染めた。

 悲鳴が、断末魔の声が上がる。それは刃と刃がぶつかり合う音と同じで、戦場に流れる曲の一部に過ぎない。アッシュは己の剣で絶え間ない曲を奏で続けた。



 日は進み、剣の消耗も最後の五本目になった。

 アッシュは乱戦の中、七人の敵将を討ち取っといた。殺した雑兵は数知れず、気付けば彼の周囲には、死屍累々、幾つもの血の池が合わさり版図を広げていた。

 肩で息をし、しばし休息するアッシュの左右を、こちらの傭兵と正規兵達が追い抜いて行き、新たな敵陣にぶつかってゆく。

 アッシュは最後の剣を見詰めた。磨かれた刀身に反射する己の顔と、刃にこびり付いた生乾きの血が合わさり、一匹の鬼の様な男を映し出した。

 そうだ。鬼になれ。もっともっと戦士共の血を浴びて完全なる悪鬼になれ。

 アッシュが顔を上げた時だった。

 こちらの傭兵と正規兵達が吹き飛ばされていった。

 そこに現れたのは鉄の棍棒を持った巨漢だった。

「あれはもしや荒れ狂う者ザクセンか……」

 アッシュの側にいた一人の傭兵がそう呟いた。

 名のある相手か。

 アッシュが見詰めていると、巨漢はこちらを武器で指して言った。

「お前の働き遠くから見ていたぞ。たった一人で無数の兵を圧倒し、多くの将を討ち取った。敵ながら見事な奴。だが、この荒れ狂う者に睨まれたのが運の尽きだったな。我が一撃がお前の脳髄を打ち砕き、その亡骸を死んでいった我らが将兵達の供物としてくれようぞ」

 荒れ狂う者は、悠々とアッシュ目指して歩んでくる。

 武功に目が眩んだ傭兵や雑兵が向かってゆくが、二薙ぎで道は開かれてしまった。

 アッシュは五本目の剣を構えた。

 荒れ狂う者は圧倒的な巨漢だった。

「行くぞ!」

 敵が鉄棍を振り下ろす。アッシュが避けると、彼が今までいた場所が俄かに陥没し、大地に複数の亀裂が走っていた。

 なるほど力だけはある。

 鉄棍が暴風を巻き上げ襲い掛かってくる。

 アッシュは剣で受け止めた。

 凄まじい一撃に、彼の全身の関節が軋みを上げるのを聴いた。

「我が一撃を受け止めるとは敵ながら見事! 我が名は荒れ狂う者にして、南の守護者ザクセン。久々に良き敵に出会えたわ!」

 荒れ狂う者は初老の男だった。白い毛の混じったヤギ髭が垂れている。兜の端から覗く髪も白い物だった。

 鉄棍がその重さを感じさせぬほど幾度も振り下ろされた。アッシュは受け止め続けた。途端に五本目の剣が怪しい音を上げた。

 剣が持たない。

 アッシュが下がると、ザクセンはすぐさま追い縋ってくる。鉄棍が唸りを上げてアッシュを捕らえようとする。

 不意にアッシュの足が何かを踏んだ。兵の亡骸だった。体勢が崩れたところを敵の一撃は逃しはしなかった。

 強烈な突きが胸にぶつかり、アッシュの身体は吹き飛んだ。

 そのまま地面にぶつかると、アッシュは弾かれたように剣を薙いだ。

 止めを刺そうと素早く動いていた敵の必殺の一撃をアッシュはどうにか受け止めた。

 しかし、剣は耐えきれなかった。まだまだ新しく、これからもアッシュと共に多くの血を吸うはずだった五本目の剣が刀身から圧し折れた。

 だが武器に未練はない。所詮は消耗品だ。アッシュは腰の鞘から剣を抜き放った。もはや血で一色に染まり、刃はなまくらに成り果てようとしていた。その剣を素早く薙ぎ、敵の狙いすました一撃を受け止める。

「その程度の剣など、また圧し折ってくれるわ!」

 ザクセンの咆哮と共に再び一撃が振り下ろされる。

 アッシュは剣で受け止めた。

 敵の腕力、膂力は、アッシュが幼少の折りから対峙してきたどの敵兵にも勝っていた。アッシュを沈めようと敵の全力がのしかかってくるが、アッシュも全身全霊を剣に、身体中に込め、敵の力に押されながらもゆっくりと立ち上がった。

「何と!?」

 ザクセンが驚きの声を上げる。

 アッシュはザクセンを押し返した。

 そして相手に向かって雷光の如く素早い一撃を連打した。

 ザクセンが、その一撃、一撃を受け止めるが、アッシュは自分の方に風が向いていると素早く悟るとその隙を逃さなかった。

 彼は乱打の最中、不意に片腕だけに剣を持ち替え、もう片方の手を素早く腰に伸ばして、既になまくらに成り果てた新たな剣を抜き放った。

 その力任せの一撃は敵の太い片腕を断ち切った。

「おのれ!」

 敵は苦痛と怒りに燃えた一撃を振り下ろしてきた。

 アッシュは素早く左手の剣を捨て、再び両手で右手の剣を握り締めた。

 もはや片腕だけとなった一撃を物ともせず押し返しながら、深々と敵の懐に飛び込んだ。

 一瞬、老将と目が合ったが、次の瞬間にはその首に刃が食い込んでいた。

 血が吹き上がる。

 敵がまだ動く。アッシュは剣から手を放し、新たな剣を引き抜いた。

 だが、敵は死を悟りながらも一撃でも与えんと暴れ回った。

 アッシュはその一撃一撃を受け止めた。

 次第に老将の動きが鈍くなり、そして糸が切れたようによろめき、片膝をついた。

 そこに最後の策など弄するほどの気力も無いだろう。

 アッシュは近付いて行くと、荒れ狂う者の首に一太刀入れた。血が吹き上がりアッシュの顔を汚していく。だが、なまくらになってしまった刃では骨までは斬れなかった。

 アッシュは片足を上げると剣に向かって振り下ろした。

 敵の首が落ち、大量の鮮血が空へ舞い上がった。

 老将の熱い血が雨となりアッシュの身体を朱に染めた。

 アッシュは刃を見下ろした。そこには完全なる地獄の赤鬼がいたのだった。

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