第三話 「花屋の娘」
異民族達の完勝を見届けず北方の国アヴィドを旅立ち、アッシュの姿は中央の国ペレサの北の玄関口、レーニにあった。
肥沃で温暖なこの恵まれた大陸には、我こそはその覇者足らんとする国が、北のアヴィド、中央のペレサ以外にも三つあった。それぞれ真ん中と東西南北に分かれていたが、これから向かう中央の国ペレサが一番小さく劣勢だった。しかしペレサは四方を敵に回しながらも、しぶとく生き延びている国でもあった。つまり戦乱の口なら幾つでもあるだろう。少ない兵力を補うために常に傭兵が求められているということだ。
そしてアッシュはペレサの傭兵として国境を侵す他国への防衛軍として幾度も出陣した。敵は北の大国アヴィドだった。
彼は実に五本の剣をボロボロにし、数え切れないほどの敵を斬り殺した。そして侵攻してきたアヴィドの軍勢を完膚なきまで叩きのめし勝利し、久々に戦場から離れて帰還した。
弱小ですぐ側で戦端が開かれているというのにレーニの町は穏やかな空気が流れていた。
そんな時、声を聴いた。
「花屋のお姉さん綺麗だよね」
それは町の少年達だった。
「ホント、うちのブス姉ちゃんと交換してくれないかなぁ」
花屋の娘か。
脳裏に栗色の髪をした年端のいかぬ少女の姿が思い起こされた。
名はソフィー。アッシュの幼馴染で花が大好きだった。
すると彼女のあどけない純真な微笑みと共に、しばらく思い出しもしなかった記憶の底が掘られてゆくのをアッシュは感じた。
アッシュの故郷は既に無かった。かつて群雄割拠の時代に、故郷、王国エンブィディアは、今は東の大国となったラッピアに攻め滅ぼされ併呑されてしまった。
雷鳴の如く轟く軍馬の嘶き、悲鳴に罵声に燃え上がる家屋。故郷を襲った敵はラッピアに雇われた傭兵団だった。
その虐殺と略奪行為の前に小さな村は無力だった。目の前で家族を失った。悲しみに暮れる間もなく必死に駆け付けたが、幼馴染のソフィーも既に躯に成り果てていた。アッシュは傭兵達に打ちかかって行ったが、足蹴にされ、気を失うまで殴られた。
その最中、己の無力さを、そして傭兵達を、守り切れなかった自国軍を、攻め寄せる敵国軍を、全ての武器持つ者をアッシュは恨みに恨んだ。
いつか全員この手で殺してやる。
それから先は一心不乱に強くなることだけを考えた。恨んでいたはずの傭兵団に入り、幾多の争いを経験しながら己の身体を痛めつけるようにして鍛えた。ただ最強を目指すために。
「お花は要りませんか?」
アッシュはその柔らかな声を聴き声の主を振り返った。その途端、アッシュは息を呑んだ。
ソフィー?
露店を広げている花屋の女性の姿をアッシュは驚きつつ凝視していた。
白い頭巾を被っているが、流れる様に艶ややかな美しい栗色の髪をした妙齢の女性だった。その姿はあのソフィーが成長を遂げた姿にしか見えなかった。
だが、違う。ソフィーは死んだ。死んだのだ。
アッシュは宿へ戻った。
翌日、アッシュは鍛冶屋へ赴き剣の修繕を頼んで町をぶらついていたが、その足は自然とある方向へと進んでいるのを自覚していた。自身の心臓の鼓動が聴こえるようだった。
「お花は要りませんか?」
その声を聴き、アッシュの足は止まった。
花屋の女性の姿が目に入った。色とりどりの花が並んでいたが、どれも彼女の美しさと可愛らしさには遠く及ばなかった。
「ソフィー……」
アッシュが思わず呟くと、花売りの女はこちらを振り返った。
「お花はいかがですか?」
そう問われ、アッシュは何をどう答えれば良いのか分からなかった。ようやく出てきた言葉を彼は苦労して紡いだ。
「いや、今は要らん」
「そうですか」
少しだけ相手は残念そうな顔をしたがすぐに明るい朗らかな笑みを見せてくれた。
「お花が欲しくなったらどうぞいらっしゃって下さいね。お待ちしてます」
アッシュはそのまま宿へ帰った。花を一本でも買ってやるべきだっただろうか。そう後悔した。あの顔が、あの華奢な身体が、柔らかで美しい声が、忘れられず、彼はその日、眠れなかった。
二
アッシュの姿は再び戦場にあった。
同業者達と肩を並べ、大地を血に染める。
ペレサの指揮官の巧みな戦術に、侵攻してきたアヴィドの軍勢は多勢ながらも上手く統率が取れずにいた。さすがに四方を敵に回しているだけのことはあり、ペレサの指揮官は防衛術には慣れているようだった。
アッシュは無数の血を浴びながら、今は中隊長の命令で後列にいた。ぼんやりと戦況を見詰めている。
と、早馬が現れ、中隊長に伝令が告げた。
「アヴィドの軍勢が領内に入った模様!」
「何だと!? 別動隊がいたのか!」
中隊長が驚きの声を上げる。その瞬間、アッシュの脳裏をあの花屋の女性の姿が過ぎった。
ソフィー!
アッシュは伝令を鞍から突き落とし、素早く馬に跨った。
「貴様、何をする!?」
そんな声が上がったが、アッシュは素早く方向転換し、馬腹を蹴って戦場を後にした。
アッシュは馬を駆けに駆けさせた。
ようやくレーニの町が見えてくる。幾つもの煙が上がっていた。
町に入ると、そこは傭兵達の略奪と破壊と殺戮の場と化していた。
アッシュは馬を飛ばしてその間を駆け巡りながら、花屋の女性がいつも商売をしていた場所へと向かった。
そこには飛散した花だけが残されていた。
側に一人の少年が倒れていた。素早く馬から下り抱き起す。腹を貫かれていた。助からない。
「おい、聴こえるか!? 花屋の女はどこだ!?」
少年は虚ろな目を向けてか細い声で言った。
「お姉さんは、あそこ……」
手が弱弱しく上げられ、すぐ側の民家を指した。そこで少年は事切れた。側に剣が落ちていた。花屋の女を助けるつもりだったのだろう。アッシュの身体が熱くなった。
民家の前には敵の傭兵達が屯していた。
アッシュ駆け付けると、敵は笑いながら剣を抜いた。
「花屋の女はこの中か?」
アッシュが低い声で脅す様に尋ねると、敵の傭兵達は小馬鹿にするように笑いながら応じた。
「お前は敵の傭兵だな。女はこの中だが、今は取り込み中だ。殺されたくなかったら」
アッシュは素早く踏み込み剣を薙いだ。敵の首が四つ、鮮血を撒き散らしながら宙を舞った。
「ひ、お、お前何者だ!?」
残る一人の傭兵は動揺して臨戦態勢になったが、その時には既に首は飛んでいた。
血煙を潜りアッシュは民家の中へ踏み入った。
すると台所に三人の傭兵と、花屋の女がいた。
二人の傭兵に無理やり腕を押さえつけられ、卓の上で仰向けに固定されていた。最後の一人が短剣で女の服を引き裂き始めた。
女が悲鳴を上げる。
アッシュは駆けた。そして一人斬り、立て続けにまとめて二人斬った。
女は涙を流していたが、警戒しているようだった。服がボロボロだった。幸いそれだけで済んでいた。
アッシュは剣を鞘に収めた。
「大丈夫か?」
「あ、あなたは、この間のお客さん……」
女はようやく警戒を解いた。
「ここを出るぞ。少なくとも、お前はこんないつ負けるかもわからねぇ弱小国にいるべきじゃない。これで分かったはずだ」
アッシュは自分でも止められぬほど、相手を急き立てていた。
「……私の故郷はハイデンです。家族はいませんが、家がまだあると思います」
ハイデンは東の国ラッピアの都市だった。前線ではない奥まった場所にある。アッシュは安堵した。
「そうか。なら、行くぞ」
「待ってください!」
女が慌てる様に言った。
アッシュが目を向けると彼女は応じた。
「町の皆さんを、見捨てて行くわけにはいきません」
たった今、悲惨な目に遭ったというのに彼女はそう言った。だが、その心意気をアッシュは気に入った。ちょうど、戦場を抜けてきて大勢の敵を斬り損ねて来たのだ。
「隠れていろ。俺が戻るまで絶対に出るな」
「でも、お一人では……」
「心配ない。隠れてろ」
アッシュは相手が身を潜めたのを見届けると、血の滴る剣を手に外へ出て行った。
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