第二話 「蝙蝠戦士」

 荒野に馬蹄の音が聴こえた。

 まだ遠く音は微かだったが、アッシュの耳はそれを聴き逃さなかった。それが徐々に大きくなり始めていたが、アッシュは別段身構えることも無く立ち止まり地平の果てに見える騎影の到来を待った。

 やがて現れたのは五人の騎兵だった。彼らは異民族だった。

 悪目立ちし過ぎたために、個人的な報復をしに来たのだろうかと思ったが、彼らは馬上から下りた。手にしている短槍の先は天へ向けている。敵意の無い証だ。アッシュは彼らが何を求めに来たのか察しがついた。

 羽飾りの付いた冠を被った将が一人だけいたが、話したのは、もっとも年若い男だった。

「あなたにお願いがあります」

 流暢とは言えないが、共通語でそう話しを切り出した。

「何だ?」

 アッシュが問うと相手は応じた。

「我らの客将になっていただけないだろうか」

 やはりそれしかないだろう。アッシュの勘は当たっていた。それ以外に自分ができることもなかった。

「あなた方が使う物とは違いますが、お礼も用意してます」

 その若い男が目配せすると、一人が担いでいた膨れ上がった背嚢の口を開いて中身を見せて来た。

 アッシュが覗くとそこには硬貨ではないが、色とりどりの宝石がぎっしりと詰まっていた。

 だが、アッシュにとって報酬は二の次だった。彼らは先程までアッシュの雇い主だった国軍に勝負を仕掛けるつもりだろう。先の戦いで多くの兵の損害が出た挙句、アッシュ自身の手で大将や、多くの将兵らが討ち取られていた。彼らにはもはや逃げ場はないが、黙って明日死ぬわけではなさそうだ。

 雇い主にも、かつて仲間だった者達にも何の未練も無かった。所詮、アッシュは流れの傭兵だ。そして今は軍勢としては向こうの方が多い。斬り甲斐がある。それだけのことだ。

 アッシュは頷いた。だが、彼はたった今から敵となった国軍の貴重な情報を漏らすつもりは無かった。今宵は酒宴をして過ごす事、明日には援軍があること。頭数の失われた異民族達にとって勝負をつけるなら今晩だが、それをアッシュは黙っていた。援軍が合流し大きくなった国軍と、明日、正面から挑ませるためだ。全て斬り捨てる。アッシュは口元を歪ませた。

「では、我らの客将になってくれるのか?」

「ああ、良いだろう」

 若い男が彼らの言葉で仲間に伝えると将兵は表情を明るくさせた。



 2



 翌日、荒野には悲壮感を漂わせながらも、決意を漲らせた異民族達が集結した。本来なら彼らは騎兵での戦いを得手としているが、長らく続いた小競り合いの末に馬は失われ、今は繁殖させている最中だという。

 新たな大将は、前大将の息子だった。少年のように若かった。今は彼らの言葉で兵隊を鼓舞している。彼は父の仇アッシュを受け入れる度量も示した。案外有望な大将になれるかもしれない。そうアッシュは思った。

 アッシュは最前列で剣の具合を確かめていた。まずは昨晩、異民族の鍛冶師に直させた、長らく苦楽を共にしている長剣の修復された刃を隅から隅まで眺め、手に入れた二本の腰に提げた剣の様子も再度確認した。

 やがて物見が馬を駆けさせて戻って来た。彼らの言葉で叫んでいる。そして国軍のラッパとは違った音色の笛を鳴らした。その甲高い音に続いて、国軍が姿を現した。

 そのまま歓声を上げて国軍の第一陣が突っ込んで来た。

 地鳴りが響く。

 こちらでも若き大将が声を上げた。

 言葉が分からなくとも、ここは戦場だ。察しは着く。アッシュは異民族達と共に国軍を迎え撃った。

 両軍は激突する。戦の熱気がアッシュの身体を精神を高揚させた。

 突き出される刃の列を跳ね上げ、剣を薙ぐ。たちまち幾つもの血煙が上がった。

「あ、お前は!?」

 アッシュの姿を見た国軍の傭兵達が驚きの声を上げる。

「馬鹿なヤツ、この状況で鞍替えしたか!」

 槍が迫る。アッシュはそれをかわし、脇の下に挟み込むと、槍を戻そうと足掻いている元同僚の首を刎ね飛ばした。

 こちらは知らないが、先の戦で悪目立ちし過ぎたようだった。次々驚きと、嘲笑を浮かべた傭兵達が斬りかかって来た。

 アッシュは刃を振るい、腕を切り落とし、首を斬り飛ばす。気付けば異民族の隊列は彼だけを先頭にしていた。アッシュもそれに気付いたが、何ら思うところは無い。おかげで多くの敵を斬れる。

 殺到してくる敵を見て、アッシュは笑い声を上げ、肉片と血流とをその身に浴び続けた。

 やがて剣の切れ味が悪くなると新たな長剣を抜き放ち、果敢に挑んでくる傭兵どもを討ち果たした。アッシュの働きに鼓舞されたのか、異民族達も前に進み出て果敢に応戦し始めた。

 傭兵の部隊が壊滅すると、国軍は正規兵を繰り出してきた。

 騎兵部隊だった。

 土煙を上げて敵は肉薄してきた。

 アッシュは短剣を三本引き抜くとそれぞれ投擲した。短剣は先頭にいた騎兵の喉を正確に貫き落馬させた。騎兵の列が乱れた。

 すると、背後で異民族の若き大将が声を上げた。途端に長槍を構えた異民族の歩兵達がアッシュを追い抜き、陣形を構える。

 そして再び両軍はぶつかった。馬上の兵士が、歩兵の異民族がそれぞれ吹き飛んでゆく。

 アッシュは持ち主の居なくなった長槍を拾い上げ、自軍の中を最前列へ進み出た。馬が嘶きを上げて棹立ちになる。迫力のある図だったが、元の姿勢に戻ったところをアッシュの槍が冷静に馬上の主を突き落としていた。落馬した兵には手近の異民族がとどめを刺しに向かった。

 アッシュは主を失った馬を見付けると飛び乗った。そして最前列で槍を振り回し、敵を払い落とし、あるいは甲冑の隙間に正確に刃を突き刺した。そうしていつの間にか、異民族達はそれぞれ馬を獲得し、馬上の人となってアッシュに並んで得物を振るった。

 叱咤激励する二種類の声が戦場に飛び交う。馬を得た異民族は強くなっていた。馬上での姿勢が武器の捌きが見違えるほど冴え渡っていた。後方からの弓矢の支援もあった。敵には弓兵はいなかった。大将は完勝を確信し、一揉みにただ押し潰すつもりだったらしい。

 長槍と、矢の雨を受け、第二陣も壊滅した。

 そして残すは本隊だけとなった。

 その頃にはこちらの騎兵部隊が膨れ上がっていた。異民族達は馬と共に歩む生活を送っている。だから勝負を優勢にするために馬を傷つけることなど論外としていたのだ。そのおかげで彼らは多くの殆ど無傷の馬を獲たのだった。

 すると異民族の若き大将が進み出て来た。彼もまた馬上の人となっていた。

 彼は彼らの言葉で「全軍突撃」を叫んだ。

 アッシュを先頭にして異民族の軍団が動き始めた。敵は逃走しはじめた。

 アッシュは舌打ちした。まだ三本目の剣が血を吸っていない。彼は歯噛みし、馬腹を蹴り続け、駆け続けた。

 駆けろ、駆けろ、もっと早く、更に早く!

 長槍を放り捨て三本目の剣を抜き放っていた。

 敵の背はぐんぐん近付いてくる。と、その乱れた隊列の中に黄金色の甲冑に身を包む者を見付けた。

 大将だった。何ら感慨は湧かない。

「弓を貸せ。弓矢だ」

 アッシュは傍らの異民族から弓を借りると矢を番えて、狙いを絞って放った。

 矢は敵の大将の乗る馬の尻に突き刺さった。馬が棹立ちになり、敵の大将は地面に転がり落ちた。

 アッシュはそこへ一番乗りに辿り着いた。

「お前は、傭兵! 裏切ったのか!? こ、この蝙蝠め!」

 敵の大将が悲鳴に近い声でそう言った。

 アッシュは下馬し敵の大将を見据えて応じた。

「アンタとの契約は昨日で終わったはずだ。じゃあな」

 アッシュの三本目の剣がその首を刎ねた。

 その左右を脇目もくれずに異民族の騎兵隊が追い抜いてゆく。敗残兵へ肉薄したが敵は砦へ逃れてしまった。頑丈な城門が閉ざされ、異民族達は追撃を断念したのだった。

 アッシュが敵の大将の首を手に取ると、異民族達が唱和した。

「何と言っているのだ?」

 あの若い男が居たので尋ねると、相手は微笑んだ。

「あなたを称えているのですよ。雷帝万歳! とね」

 すると若き大将が馬を寄せて来た。そして力強い笑みを浮かべて彼らの言葉で何やら言った。褒め称えられたような気もした。若い異民族の男は言った。

「あなたの活躍はまさに空を行く一筋の稲妻の如しと、族長はおっしゃっております」

「稲妻ね……」

 アッシュはそう応じると大将首を族長に差し出した。

「後は囲むだけだろう? 大事にならないなら俺はここで退散させてもらう」

 そう言うと、若い男が通訳する。大将は笑みこそ見せなかったが、頷いた。

 そして兵を呼び報酬を持ってこさせた。

 アッシュは宝石の詰まった背嚢を受け取ると、振り返る事も無く戦場を後にしたのだった。

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