血みどろアッシュ -選択の果てに-

Lance

第一話 「傭兵アッシュ」

 剛剣が唸りを上げて旋回した。

 たちまち彼を取り囲んでいた敵兵の首が吹き飛び、三本の血煙が上がった。

 再び浴びた新鮮な血が彼の兜の先から滴り落ちた。

 もう五十人は斬った。直属の指揮官の声も戦場に響き渡る音で聴こえず、おまけに彼の分隊は彼一人を残して全滅していた。だが彼は他の分隊と合流しなかった。肩で息をし、アッシュは乱戦の最中で次の相手を求めた。

 すぐに蛮族が襲い掛かって来た。自分達と異なる神を崇める者達だ。誰がどんな神を信仰しようがそんなことには興味は無かった。アッシュが求めているのは戦場と血の洗礼だった。

 見事な体格の蛮族が長柄の大斧を振り回してアッシュに挑んで来た。

 得物同士がぶつかり合うと、剣越しにアッシュは相手の膂力に思わず笑みを浮かべた。

 蛮族が彼らの言葉で怒声を張り上げ、大斧をぶつけてくる。鉄同士がぶつかり合う音が、振動が、アッシュの心を瞬く間に高揚させる。

 彼が反撃に出ると、蛮族の戦士は防戦一方になった。

 アッシュの一撃が敵の片腕を分断した。斬られた腕の先から血が噴水のように吹き上がっている。

 蛮族の戦士は片膝をついて許しを乞おうとしたが、アッシュは返答の代わりにその首に剣を振り下ろした。頭が地面に転がる。新たな鮮血が彼の剣を、兜を、鎧を朱に染め上げる。どちらにせよ、この戦に降伏は無かった。狩るか狩られるかだ。単純でやりやすい戦だった。

 雄叫びを上げて更なる獲物が斬り込んで来る影が見えた。その猛進を阻む者は肉片と魂とを散らせた。

 アッシュは興味深く相手を見詰めた。

 色とりどりの羽飾りの付いた冠を頭に抱いている。名も実力もある敵と見て、アッシュはその到着を待った。

 手柄と見たのか、仲間の傭兵が横合いから襲い掛かったが、彼もまた己の流す血の海に沈んでいった。

 現れた蛮族はアッシュを見詰め、何やら罵声を上げたようだった。だが、アッシュは鼻で笑うと剣を繰り出した。蛮族は閉口し、槍で一撃を受け止めた。そしてアッシュの剣を跳ね上げる。その圧倒する程の力にアッシュは感心した。そして右から左から剣を突き出し振り下ろした。

 敵は全てを受け止めた。アッシュは己の一撃の重さを自負していた。それを体勢を崩すことなく受け止める相手に対し更に感心した。

 十合、十五合、二十合……四十合、打ち合いは果てしなく続いた。

 敵が間合いを取った。アッシュは肩で息をし、生乾きの返り血で汚れた顔に滴る汗を軽く拭った。

 その途中、不意に風を切る鋭い音がし、アッシュが気付いた時には露出していた左腕に矢が一本、突き立っていた。

 アッシュはどす黒い怒りの念と共に戦場に目を向け、弓に矢を番えた敵兵を見付けた。彼は左手を腰に伸ばし、短剣を投擲した。

 日頃から磨かれた刃は陽光を煌めかせ、寸分も違わず敵兵の喉に突き刺さった。

 するとその僅かな間に彼と互角に切り結んでいた蛮族の将が槍を振り回し躍り掛かって来た。

 アッシュは避ける。地面に槍が突き立つ。そして土を巻き上げすぐさまこちらの喉を狙い繰り出される。アッシュはそれを寸でのところで避けたが、一度生じた隙を敵はなかなか手放しはしなかった。迅雷の如き猛撃が彼を襲い、彼の命をすり減らそうとする。

 敵のペースだった。だが、空を切る連続攻撃にも限界が訪れたようだった。疲労に満ちた一瞬の相手の表情をアッシュは逃しはしなかった。

 力を失った槍を剣で跳ね上げ、敵が驚きで目を丸くした頃にはその懐に飛び込み剣を突き立てていた。そして胸板を貫いた刃を素早く引き抜き、そのまま剣を力の限り薙いだ。首が宙を舞い、血の奔流がアッシュの顔にまともに降り注いだ。

 アッシュは転がる敵将の首から羽飾りのついた冠を取り上げた。首はかさばる。これは首級の代わりだ。報酬が上乗せされるだろう。

 だが、戦場に退却のラッパが木霊した。

 退却だと?

 アッシュは周囲を見回した。そこにいるのは自分だけであった。こちら側は兵を挙げながらも攻めきれなかったということだ。

 情けない話だ。

 アッシュは自分を幾重にも取り囲む敵兵を睨み回しながら心の底でそうボヤいた。

 敵兵が斬りかかって来た。

 アッシュはニヤリと口元を歪ませると笑い声を上げながら迎え撃った。



 もはや剣の刃は欠け、なまくらにもなっている。

 更に無数の鮮血を浴びながら、一人、砦に帰還する。

 門は開け放たれていて、味方が歓声を上げて彼の帰還を労った。

 何せ、アッシュはたった一人で退却の歩みを進めながら、帰還を阻む数え切れないほどの敵を斬り殺し、その中に紛れていた大将の首を討ち取ったのだった。

 戦況は一変し、敵勢は潰走していった。

 こちらの大将が出て来た。肥えた身体に黄金の鎧兜を身に着け、その上に深紅のマントを着た貴族だった。

 貴族は狂喜し、アッシュの両手を握り締めた。

「でかした、でかした、まさか一人で敵軍を壊滅させるとはのぉ!」

「何故追い打ちを掛けない?」

 アッシュが問うと貴族は言った。

「もはや大将を失った敵など、烏合の衆も同然、だが今は皆、見てのとおり疲労困憊だ。一晩休息を取り、援軍と合流し次第、明日攻め滅ぼそう。今宵はその前祝いを催そうと考えておる」

「悠長だな」

 アッシュはそう言った。しかし残念だが、今回はこのぼんくら貴族の言う通りになるだろう。彼は抱えていたたくさんの敵の冠と敵大将の首を突き出した。

「報酬を貰おうか」

「報酬? それは明日勝ってからだ」

「もう、明日は戦という戦にはならないだろう。お前の勝ちだ。一方的な掃討戦と略奪に俺は興味は無い。俺の戦は終わった。報酬をもらおうか」

 アッシュが凄むと、ぼんくら顔の貴族は軽く狼狽した様子を見せ、しばし腕組みし、頷いた。

「まぁ、良いだろう。この度のお前の働きは明日の分もまとめて果たしたようなものだろうし、特例だ。これ、こやつに報酬を与えい」

 貴族に追随していた文官が現れ、冠と大将首も含めた報酬を算出し、小袋に詰めてアッシュに渡した。

「しかし、お前のような戦士は是非とも我が軍に迎えたいものだが、どうだろうか、我が配下に、いや、客将にならぬか?」

 アッシュは貴族を見据えて応じた。

「大きな戦があるのか?」

 すると貴族は頭を振った。

「いや、我が領地はこれで平定された。しばらく戦は無いだろう」

「なら、興味は無い」

 アッシュは背を向けた。貴族が引き止めようとしたが、無視して砦の門を潜った。

 そして彼は戦場となった荒野の果てに消えて行ったのだった。

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