第33話 スコーンと庁舎

 広瀬通を真っすぐ進むと、次第にビルが多くなってきた。通りも広くなり、交通量が増してくる。サナエたちは一列になり、車道の歩道寄りを進む。市街地の中心部と思われる大きな交差点で左折し、更に直進する。右手前方に木で囲まれた場所が見えた。木村が指を差している。どうやらあそこが目的の場所のようだ。直前に目に入った案内標識を思い返すに、公園は定禅寺通との交差点にあった。木村はそこを通り過ぎ、斜向かいの市役所で自転車を降りた。

 市役所に併設されている貸し出し所に自転車を返却し、サナエたちは公園を目指した。公園の入り口は広く、両脇には花が植えられていた。右手奥には記念碑が立てられていた。


「飯塚さん。あっちですよ」木村の言う先には階段があり、その上の方が何やら騒がしい。

「今日って、何のイベントなんですか?」

「ゆるキャラのイベントです。全国から自治体のキャラクターが集まって、ゲームをしたり、ショーをしたり、色々あるみたいですよ。私たちは、イベントの運営側から要請があって、会場の脇でコーヒーを販売するんです」木村は歩きながら言った。階段を登ると左側にステージがあり、多くの人が設営に追われていた。

「飯塚さん、私たちはあっちですよ」芹沢がステージとは反対の方向を指した。キリン柄の自動車が見えた。御影が車の周りをうろうろしている。一人、準備を始めているらしい。


「さ、ちゃきちゃき始めるわよ」木村が手を叩き、車に近づく。サナエも後ろを追いかけた。さっきはよく分からなかったが、車は後ろのシートが取り払われ、コンロや給水設備が設置されているようだった。車の左側、普通ならドアがあるところが上下にわかれ、上の部分はスライド式の窓になっていた。そこでコーヒーを販売するのだろう。

「ここでコーヒーを?」

「ええ、イベントの開始が十一時からなので、それまでに豆を挽いたり、食器を準備したり、メニュー表を作ったり、結構やること多いですよ」

 サナエは準備を手伝った。車から折りたたみ式の小さな黒板を出して、そこにメニューを書くことになった。

「メニューは、コーヒーとカフェオレと、あとスコーンでいいんですよね?」サナエと木村は車の脇にしゃがみ込み、メニューを書き、その周りを花や鳥の絵で飾ろうとしていた。


「はい。移動式ですから、コーヒーと牛乳くらいしか用意できませんからね。スコーンは、昨日のうちに私が作って持ってきたんです」

「お菓子も作るなんて、すごいじゃないですか」

「これもマリコさんに教えてもらったんです。マリコさんのコーヒーによく合うんですよ」

 カフェにスコーンはない。ここでしか食べられない味、ということだ。

「美味しそうです」サナエはなんだか嬉しくなった。河野の作ったこの世界は、確かに広がっている。

「でしょ? 売れ残ったら、皆で食べましょう」


 準備はそのあとも順調に進んだ。電動のミルで豆を挽き、お湯を沸かす。十一時を待って、移動喫茶はオープンした。

 コーヒーは順調に売れていった。イベントの参加者はもちろんだったが、運営側のスタッフや着ぐるみを来たキャラクターもコーヒーを買いにきたのには驚いた。テレビでよく目にするキャラクターもいて、イベントはそれなりに盛り上がっていた。

「どう、頑張っているかい?」コーヒーを買いにきたスーツ姿の男性が話しかけてきた。

「あ、清水さん。お疲れさまです」木村や芹沢が声を上げた。彼女たちによれば、清水は仙台市役所の復興支援企画室の担当者で、木村たちサークル活動の支援をしているそうだ。


「お客さんもいっぱい来ているし、盛り上がっているね」

「ええ、私たちは脇役ですけど、参加できてよかったです」

 清水はこのイベントを招致したそうで、今日は休日にも関わらず、運営側のスタッフと一緒に準備や客の誘導に追われているらしい。

 コーヒーを買い求める客が途切れることはなかった。木村たちと一緒に働きながら、サナエは時間がゆっくりと流れているのを感じた。まるで河野のカフェにいるように。それはここにいる全員が、コーヒーと真摯に向き合っているからだろう。コーヒーの力を、ここにいる皆が信じているのだ。

 四時には、用意したコーヒーはすべて完売した。残念ながら、スコーンも売り切れてしまった。イベントの終了までは三十分ほどあったが、豆を調達している時間もなく、木村とイベント主催者との間で話した結果、これで閉店ということになった。周りの客からは残念がる声が上がったが、大きな混乱もなく、閉店の準備を始めることができた。


「今日はありがとうございました」

「こちらこそ、楽しかったです。本当に。……マリコさんのお店で働いているみたいに、時間を忘れてしまいました」

「そう言ってもられて嬉しいです。さあ、早く片付けてしまいましょう」

 メニューやバッテリーを車の中に戻し、周りに落ちているゴミを拾った。車の中に一通り荷物をつめると、木村たちはイベントが終了するまで観覧席の一番後ろでステージを見つめていた。

 イベントも終盤のようだ。キャラクターの人気投票が行われたらしく、十位からカウントダウンをしている。仙台市のキャラクターは惜しくも二位だった。観客から大きな拍手が起こった。地元のキャラクターが負けてしまったのに、温かい祝福の音だった。




 イベントが終了すると、木村たちはステージの脇にある主催者のテントに入った。こちらに気づいた清水が立ち上がった。

「お疲れ様でした」

「清水さん、今日もありがとうございました」木村は言った。「あ、紹介します。こちら、マリコさんのお店で働いている飯塚さん。今日は、東京から応援に来てくれたんです」


 サナエは清水に挨拶をした。

「河野さんのところの。初めまして。河野さんには以前からお世話になってます。あの移動喫茶は河野さんと木村さんたちのアイディアなんですが、市としても応援しているところなんです」

「東京から出しゃばっているみたいですみません」サナエは頭を下げた。

「いいえ、河野さんがいてくれて助かりました」清水は笑顔で答えた。「こんなところで立ち話もなんですから、庁舎に行きましょう。部屋を用意してあります」

 会場の片付けをイベントスタッフに任せ、清水は立ち上がった。移動喫茶の車両は市役所の駐車場に移動することになった。




 サナエたちは復興支援企画室の会議室に通された。壁にはあの車の写真が飾ってあった。他にも何枚か移動喫茶の様子が飾られている。

「清水さん、これ、今日の売り上げです」芹沢が清水に封筒を渡した。今日だけで約四万円の売り上げがあった。コーヒーが一杯二百円だから、ざっと二百杯のコーヒーを売った計算だ。あのコーヒーならば、実際はもっといい値段がするはずだった。

「ああ、ありがとう」

「義援金として、売り上げはすべて復興支援室に寄付しているんです」木村が言った。

「復興というと、どうしても施設や設備の復旧をイメージされますが、心の復興がどうしても必要なんです。でも、それがなかなか難しいんです。やり過ぎると不謹慎だという風になりかねませんから」だから、最初は河野たちの提案に清水は二の足を踏んでいたという。木村たちが危惧していたように、コーヒーは嗜好品だ。コーヒーにお金を使うくらいならこっちに、という声は当初から上がっていたらしい。


「それでも、河野さんの言葉に、私たちも説得されました」清水の話によると、何回目かの交渉のなかで、河野が自分のコーヒーを持参したらしい。「コーヒーは、人を幸せにします」河野はそう啖呵を切ったそうだ。河野のコーヒーを飲んでみて、清水は河野の提案を飲んだという。「まあ、腹を括ったという方が正しいかもしれませんが」

「マリコさんのコーヒー、ですか?」

「ええ、単純に、すごく美味しかった。それで、私も室長も、県庁の方々も、マリコさんと一緒に移動喫茶を進めることになったんです」

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