第27話 台本とため息
MAIから曲の雰囲気や長さを聞いて、順番を決めていった。曲と曲の間には彼女のトークをはさみ、進行役の自分も間の手を入れることになった。ライブとトークショーを兼ねたイベントになりそうだ。演奏とMCを合わせて、イベントの時間は一時間半程度に収める。これ以上長くなると、トイレに立つ客が出始めて、トラブルの元になる。
「あの、この最後の曲はなんですか?」サナエは、MAIの演奏リストの末尾に書かれた曲を指した。曲名が『未完成』となっていた。シューベルト、とも思ったが、他の曲はそれぞれゴシック体でタイトルが書かれているのに、そこだけ明朝体だった。ひょっとすると、まさか、と思っていると、MAIが口を開いた。
「それね、それはまだ完成してないの。でも素敵な曲よ。ラストに相応しい感じ。あと少し手を加えれば完成するから、本番には間に合うわ」MAIは言った。あと少しって、だから、イベントは明後日なんですけど。サナエは声をあげそうになるのをぐっと堪えた。
「それは、アンコールで演奏してもらおうと思っている。そうすれば、パンフレットに曲名を書く必要もないからな」ダイスケは言った。この二人は揃いも揃って本当に楽天家だ。しかし、確かにそうすれば問題はない。
「分かりました。じゃあ、これはアンコール用、ってことで」サナエは曲名の脇にアンコールとコメントを書いた。これで、すべての曲順が決まったことになる。
「決まったじゃないか。パンフレットは実はもう大枠は作っているから、曲名を加えれば完成だ」
「じゃあ、次は台本の方を考えましょう」サナエは、バッグからノートを取り出した。
「最初は、MAIさんの演奏から始まる」ダイスケはすらすらと言った。さすがにイベントを何度もやっているだけあって、流れが頭に入っている感じだ。サナエは文字と絵でなんとかそのイメージを形にしようとする。研究もイベントも同じだ。何事もイメージが大切なのだ。
「MAIさん、こんな感じで大丈夫ですか?」サナエは、MAIが舞台に上がるところから演奏を始めるまでの流れをMAIに確認した。舞台での立ち位置やピアノの場所は適当だったが、舞台に上がってピアノのあるところまで進み、観客に向かって一度礼をする。そしてピアノに向かい、一曲目をスタートさせる流れだ。
「うん。それでオッケーよ。上手ね、さっきダイスケさんの書いたメモ見る?」そう言って、MAIは机の上のメモ用紙をサナエに見せた。そこには、いわゆる棒人間が何やら不思議な姿勢で佇んでいた。お辞儀をしているにしては、顔は正面を向いているし、腕の関節は通常とは逆方向に曲がっている。大人が描いたものとは思えない完成度だった。
「さすがダイスケ画伯」サナエは茶化した。
「うるさい。伝わればいいんだよ」ダイスケが珍しく焦っていた。サナエはそれが可笑しかった。
「オープニングさえうまくいったら大丈夫よ。演奏が終わる度に私はピアノの脇に立ってお辞儀をして、舞台正面であなたとトークをして、それでまたピアノに戻る。その繰り返しだもの」
「トークの内容ってどうします?」サナエはMAIに聞いた。サナエが何かしら話を振って、例えば曲のイメージであるとか、学生時代の思い出であるとか、公演中のハプニングであるとか、それで話をしてもらう形が一番望ましいように思えた。
「そうね。そんな感じで構わないわ。でも、一つだけ。当日は私からも質問していい? 私のことだけじゃつまらないじゃない。サナエさんのことも、お客さんに紹介しなきゃ」
「いえ、私はそういうのは。ただのバイトですし」それだけは勘弁してほしかった。見ず知らずの人の前で自分の話ができるほど、面白い人生を送ってきているとも思えないし、そんな資格があるとも思えなかった。
「関係ないわよ。サナエさんはこのお店の看板娘なんだから、お店のアピールをする絶好の機会じゃない」MAIは楽しそうだった。イベントに出演してくれる人の機嫌を損ねるわけにもいかなかったし、お店のアピールになると言われれば断るわけにもいかないだろう。サナエは仕方なく同意した。
「でも、あんまりプライベートなことは止めてくださいね。何年働いているとか、このお店の魅力とか、そういう質問にしてください」話が進むたび、サナエはヒヤヒヤした。油断をしていたら、舞台上で歌えとまで言いかねない。
「ふふふ。台本にそう書いておけば大丈夫。その通り話すから」
その後も、イベントの流れを話し合い、なんとか台本は完成した。自分で書いただけあって、既に内容はおおよそ把握していた。イメージができてくると、不安感が若干、爪の先ほどだが少なくなってきた。
「よし、できたな。MAIさん、どこか不安なところはありますか? サナエちゃんの絵で伝わりにくい部分とか、サナエちゃんの説明で分からなかったところとか」
「全部私の所為ですか」ダイスケは台本の打ち合わせの時はほとんど話さなかったのだから、そもそもそんなことを言う資格があるのだろうかと、サナエはむっとする。
「大丈夫です。ダイスケさんより、しっかりしているみたいだし」MAIはサナエにウインクをした。
「ええ、そんなあ」ダイスケはうなだれている。サナエとMAIはダイスケの様子に笑った。
ノートに走り書きしたイベントの流れを店のパソコンで文章に起こし、MAIに渡した。どんな演奏会になるのか、期待と不安がない交ぜになっていた。引き受けたものの、本当に自分でいいのだろうか。
MAIが帰るというので、サナエはドアのところまで送っていった。
「ありがとうございました。当日もよろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ。あなたがいてくれて助かったわ。いい演奏会になるように、私も頑張ります。今からスタジオに行って、最後の曲を完成させてくるわね。曲は、当日のお楽しみってことで」自分がいて良かった、そんな風に言ってくれるのが嬉しかった。ダイスケとの比較だから手放しで喜ぶほどのことではないかもしれないが、それでもやりがいになる。
「はい。楽しみにしてます」
MAIの姿を見送ってから、テーブルに戻ると、ダイスケはまだうなだれていた。
「ダイスケさん、しっかりしてくださいよ。大丈夫、私がついてますから」サナエはめいっぱいの皮肉を込めて言った。
「ああ、サナエちゃんまで、俺をおとしめようと」ダイスケは芝居がかった仕草で頭を抱えた。
「ほら、早くパンフレット完成させないと、明日中の印刷間に合いませんよ」
「了解。サナエちゃんも司会の練習しておいてね。当日の設営とかは業者の人がやってくれるから、問題はないし。研究室の皆は来るって?」
「ええ、カオルは来るって言ってましたよ。和田君も、たぶん来ると思います」
それにしても、まさか司会進行を任されるとは。口頭発表が苦手とか言っている場合ではなかったと、少し後悔した。
「そうか、それなら盛り上がるな。カオルちゃんが来るなら、俺も頑張らないとな」
「はいはい。仕事に戻りますよ。っていうか、私着替えないと」
「そうだな。サナエちゃん、急に色々悪かったな。まあMAIさんはこういうイベント事に慣れているようだったから、心配ないよ。それじゃあ、よろしく」
ダイスケは机の上の書類を片付けて、奥の事務所に消えていった。サナエは、大きく息を吐いた。
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