第39話 贖う先は
フードの下から現れた見覚えのある顔。
それは先日、ティアを襲おうとしていたあの賊たちだった。
こいつらも揃って心闇教の教徒だということか?
「貴様ら! 右腕を見せてみろ!」
シェーラは唐突な怒声と共に、ローブごと男の服の袖を捲る。
露わになった肌を見て、彼女は1人で納得した様子を見せた。
「やはりな……他の者と同じか」
疑問を解消できたのは結構なことだけど、置いてけぼりにしないで俺たちにも分かるように説明してくれ。
「申し訳ありません。実は私たち心闇教の教徒は男性なら右腕、女性なら左腕に焼印があるのです。我々の立場上よからぬ者が紛れ込まないように、司祭様たちに認めてもらい、この証を刻まれて初めて入信となるのです」
シェーラはたった今言ったことを証明するように自分の左腕を前に突き出す。
確かにそこには、ローブの留め具と同じ形の印が押されていた。
「暴動が沈静化されてきたこともあり、私たちが屠った者たちの腕を確かめて回ってみたのです。するとやはりこの男たち同様、どの遺体にも焼印などありませんでした」
ということは言わずもがな、こいつらは心闇教のふりをした偽者というわけか。
一体どういうことかと問いただそうとするも、どうやら向こうから勝手に喋ってくれそうだ。
「俺たちは金で雇われただけなんだよ! 声をかけてここら辺のゴロツキを集め、この話を持ちかけた奴がいるんだ! あんたらに会った時が、ちょうど集合場所へ向かう途中だったってわけさ」
なるほど、話の流れとしてはおかしなことはない。
だったらその雇い主とやらはどこの誰なのか、今すぐ教えてもらおうか。
「聞いたのは仕事の内容とゲイソンという名前だけ。それも偽名っぽいけど、前金は十分に払ってもらったから金の面ではそれなりに信用してる。つまり何が言いたいかっていうと、俺たちはそいつのことを何も知らないってわけだ」
「そうか、ならば順番に喉を掻っ切っていけば不意に思い出すかもしれぬな。喋れる口など1つあれば十分なのだから」
スクレナは影から刃を作り出して、1人の男の首に宛てがう。
「ひぃぃいい!! ほ、ほ、本当に知らねぇんだ! 思う存分に暴力と略奪を繰り返すだけで金を貰えるってウマい仕事に食いついただけなんだからよ!」
スクレナの言っていることが、単なる脅しではないことくらいは感じているはず。
それでも口を割らないということは、本当に知らないのだろう。
こういう奴らは総じて自分が一番可愛いと思っているものだ。
命の危機に晒された状況で、ここまで律儀にはなれない。
たださっきの発言を聞く限りは、無条件で解放してやるほどの価値もない人間のようだが。
「おで……知ってる……」
このタイミングで口を開く者へ、その場の全員が目を向ける。
正直言うと最初から意にも介していなかった巨漢であった。
どう見ても思考して生きることを放棄しているような感じだし。
「あの日の夜、酒場へ忘れ物を取りに戻ろうと引き返した時……見た。あの男、軍人を連れて歩いてるの。階級章、つけてた……おそらく……上級特務機関のやつ」
驚いたな。
ボケっとしてるかと思ったら、そんな細かいところまで観察してるなんて。
それどころか予想以上に博識ときたもんだ。
もしこの男の情報が誤りではないとするなら、襲撃を企てたのは軍属の工作員か。
しかも随分と地位のある。
どうして軍の者が聖騎士の故郷の襲撃を依頼するのか。
グラドはこの事実を知っているのだろうか。
いや、昨日の様子だとそれはないだろう。
ましてや既知のことなら、せめてティアをこの村から遠ざけるはずだ。
――ドンッ!
襲撃者の正体を暴いたところで湧き上がる、新たな疑問に思案を巡らせている時だった。
どこからともなく聞こえてきたのは、何かを強く叩く音。
――ドォンッ!!
今度はさらに強く。
おかげで音の発生源を特定することが出来た。
俺は振り返ってその方向へ訝しげな顔を向ける。
するとこの目に映る光景に言い知れぬ不安を覚えた。
大きな音に合わせてティアのいる家が振動し、その度に亀裂が走っていく。
「ティア!」
無意識のうちに俺が家に駆け寄ろうとすると、スクレナが腕を掴んで制した。
「待て! 中からは膨大な魔力を感じる! しかもどんどん肥大化が進んでいるぞ!」
警告の直後に壁を突き破って出てきたのは白い巨大な人間の脚だ。
それも3本同時に。
そして反対側の壁も同様に破壊されると、最後に屋根を押し上げるようにして全容を現す。
顕にした姿は、巨体を持つ仰向けになった女性のような形である。
曖昧な表現になったのは、見た目があまりにも異様だったからだ。
背中や脇腹から左右それぞれに脚が生え、計6本を有している。
さらに2本の腕を使って上体を反らし、まるでブリッジをしながら蠢いているようだった。
逆さの状態であるが故に、目から額に向かって流れる赤黒い涙のような液体。
最後方の足と足の間についている蜘蛛の腹部のような膨らみが、おぞましさをさらに際立たせる。
「アア……アアアアアアア」
ずっと口を開けたまま奇声を発する化け物の顔を見て、俺の動悸は激しくなった。
容姿は成長しているが……決して受け入れたくはないが……こいつがティアにそっくりだったからだ。
「なぜ? こんなこと……」
「エルト!」
覚束無い足取りで近づこうとするところを、スクレナの叫び声のおかげで我に返る。
いつの間にかティアの喉元は大きく膨らんでいて、それを見た途端、反射的に横へ跳躍した。
窄めた口からは勢いよく粘液が飛び出し、先程まで俺が立っていた場所を通過していく。
「いぎゃぁぁああああああ!!」
背後から聞こえる悲鳴は、あのゴロツキ達からだ。
スクレナとシェーラは着弾前に回避していたが、3人は拘束されていた為に逃げ遅れた。
しかも運悪く、直接全身に浴びてしまったみたいである。
「あぁぁぁ! 痛い! 痛い! 熱いぃ! あああぁぁぁっ!!」
男たちの体からは蒸気が噴き出し、衣服を、皮膚を、肉をドロドロに溶かした。
それを見たティアは近くに寄って身を屈めると、少し前まで人間であったペースト状のものを
「エルト、大事はなかったようで安心したぞ」
気付かぬうちにスクレナとシェーラが俺の元へ集まっていた。
吐き気を催すほど惨憺たる音や光景のはずなのに、どうやらすっかり目を止めていたようだ。
「我の知るものとは少し異なるが、魔力の質には覚えがある。おそらくあれは
「あがないびと?」
「強弱の個人差はあれど、この世界に住まう者たちは光と闇、両方の属性の魔力を備えている。そのうち闇の魔力を完全に失い、均衡を崩した人間の成れの果てがあの化物だ。だがこいつへの変異は特定の条件下以外ではあり得ないはずなのだが。それにこれほど体が歪で醜く、不完全であるのも気になるな」
正直スクレナの説明のほとんどは理解できなかった。
それでもたった1つの、最も重要な情報が伝わっただけで十分だ。
贖人は人間が変異したもの。
その原因はともかく、あれがティアだということはハッキリした。
「どうしたら……元に戻せるんだよ」
「高位の個体でなければ必ず自我を失う。あれをさっきの娘と同様などと決して思うでないぞ」
俺の質問に対してスクレナが的確に答えることはなかった。
だがそれ自体が、どんな言葉よりも全てを物語っている。
もはや俺がティアにしてやれることは、これ以上人間の域を超えた行動を晒させる前に葬ってやる他にないのか。
そんな迷いを抱いている中で目に入ってきたのは、村人たちが次々と自宅から飛び出していく姿だった。
ここらは村の中心部。
それぞれの門から賊が一斉に侵入してくれば、逃げ切る前に包囲されてしまうだろう。
家屋荒らしも端から順番であったし、ならばギリギリまで籠城しようという腹づもりだったのかもしれない。
だがこの巨大な化物が相手となれば話は変わってくる。
家は自分たちを守る防壁としての意味はなくなり、たちまち喰われる順番を待つだけの餌箱と化してしまう。
だから村人たちは息を殺したまま、この場を離れようとしたようだ。
だが贖人というのは何かしらの敏感な器官を持っているのか、瞬時にその存在を察知する。
すると今度は腹部の先端から、いくつもの葉巻型の卵を地面へ産み落とした。
その表面を裂いて這い出てきたのは、小さな蜘蛛のような生き物だ。
小さいとは言えど、それは贖人と比較してのこと。
実際に全長は1メートル程ある。
全部で10匹くらいはいるそれらが、殻を破って出てきた順番に村人へ襲いかかった。
「きゃあああああああ!!」
「来るな! この化物!」
跳躍してから覆いかぶさるように彼らを押し倒すが、どうやら目的は命を奪うことではないらしい。
体から伸びる針のような細い突起を突き刺すと、自分の腹部の付け根から先にかけて何度も波打つように動かす。
こいつらが何をしているのか察した俺は、思わず眉をしかめてしまった。
おそらく体内に卵を産みつけているのだ。
いずれ孵化した時に、そのまま養分となるように。
「今度は村人たちから魔力の膨らみを感じる。どうやらとてつもない早さで中の卵が成長しているようだな。一先ず奴らの狙いは繁殖ということか」
スクレナの言葉通りであるなら、孵った化物たちがさらに他の者の体へ卵を産み、村人が全滅するまで延々と繰り返すのだろう。
その後は無人の村落を後にして、新たな餌場を求めて移動を開始すると。
それほどの惨事を阻止するならば――
「村人たちを手にかける必要がありますね」
心を読み取ったように、シェーラが俺の思いと同じことを口にする。
そうだ、今ここで彼らごと卵を処分するしかない。
そして再び産卵する体力が戻りきる前に、子蜘蛛や母体である贖人を倒す。
先のことを考えれば、それが最速で最善なのかもしれない。
だけど悪人ではない者を、事情も知らずに巻き込まれただけの者を殺めるのか……
「その役目は我が引き受けよう。我の魔術であれば、痛みも苦しみも何も感じさせぬまま逝かせてやれるからな」
この葛藤を汲んでか、闇の女王自らが汚れ役を申し出た。
俺は自身の不甲斐なさを感じると共に、スクレナがこの決断を下したことで選択肢が残されていないことを悟る。
だがその時だった。
突如、空から聞こえてきた轟音に思わず皆が顔を上げる。
――鳥? いや、形は似ているが少し違う。
それに何やら不自然な飛び方をしている。
その大きな謎の飛行物体はしばらく俺たちの頭上を旋回してから、しかと意思があるように急降下でこちらへ向かってきた。
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