第37話 聖騎士の背信②
「この土地が帝国の領土になる前までは村の皆も心闇教の信徒だった」
しばらく考え事をしている中で、唐突にグラドは口を開く。
おそらく親のことを聞いた俺が、気を使って口を噤んでいると思ったのかもしれない。
「両親は特に信仰心が強くてな。禁止された後も声を大にして多くの人たちを説得して回っていた。この村だけじゃない。それこそ近辺の街まで赴いてだ」
それだけ公に活動していたのだから、身元を調べるのも容易かったのだろう。
ある日に帝国軍が家へ押し入り、有無を言わさず親は捕縛され、すぐに処刑されたのだという。
だったらグラドは帝国へ恨みを抱いているのではないのか。
そう思っていたが、どうやらその感情をぶつける相手は違ったようだ。
「子供の頃には誰が本当に正しいことを言っているのか分からなかったし、そんなことはどうでもよかった。だけど唯一つ言えることは、その時の俺は両親を憎んでいた。信仰に熱心だと言えば聞こえはいいが、その実は自分の理想の実現に貪欲で、周りのことを顧みないということだからな」
自らの胸中の思いを語るうちに、グラドの表情は険しくなっていく。
「死ぬのはあいつらの勝手だ。だけど幼い子供を遺して逝くことがどういうことか考えていたのか!? ましてや母は身重だったのに、布教活動でどれだけ体に負担をかけていたことか! それにティアが生まれるのがあと数ヶ月遅かったら、罪のない妹は共に極刑に処されていたんだぞ!」
完全に足を止めて経緯を語るグラドの言葉には熱が帯びてきた。
俺も同じ年齢で両親と離れ離れになっている。
だけど行方知れずの父さんはともかく、母さんは最後の瞬間まで親としての責務を果たそうとしてくれた。
体を病に蝕まれているにもかかわらず。
また、その後を支えてくれる人たちがいたことで救われもした。
隣に住むおじさんとおばさん、それに……
どうやらその違いも、グラドの怨嗟の要因になっているようだ。
「父と母のせいで帝国から目をつけられたこの村はどうなる!? それによって村人から俺たちへ向けられる感情はどうなると思う!? 言わずとも想像はつくであろう!」
ああ、もちろんだ。
村中とは言わない。面倒を見てくれた人もいるようだし。
それでも多くの人たちからは疎ましく思われていたのだろう。
その中を小さな兄は、まだ立つこともままならない歳の妹を抱えながら生きていたのか。
「だからこそ俺は16歳になってすぐに軍へ入隊した。帝国の為に命を賭けることによって、望まずとも両親から受け継いだ汚名を注ぐ為に。そしてこの国が定めた規律に準ずると固く心に誓ったのだ。同時にそこから外れた生き方をする者を嫌悪するようにも」
そうか、だからグラドが俺に対して向ける目も態度も厳しいのか。
理由はどうあれパレードの時にした行いは、こいつの重んじるものを否定するのと同義なのだから。
状況も行動も全く違っていたが、きっとグラドにとってあの時の姿は両親と重なっていたのかもしれない。
「――と、少し前までは頑なにそう思っていたんだがな」
ここまで人を納得させておいてその台詞とは。
思わず拍子抜けしてしまった。
さっきまでの力説は一体なんだったのかと。
「まぁ、そう言うな。環境と共に心境が変わるということはよくあることだろう」
なだめるように語るグラドの顔は、さっきまでとは違って少し穏やかだった。
それはどこか肩の荷を下ろしたような、そんな感じが受けられる。
「こんな図体をしてるが、俺は聖騎士となる前は軍属の技師をしていた。もちろん戦場に出たのはこの力に目醒めた後のこと」
意外な経歴だった。
そういえばさっきは色々な料理を作っていたし、顔に似合わず手先は器用なのかもしれない。
「帝国主義の下では、軍事力を持って他の国や民族を支配するのは当たり前のこと。しかし実際に前線に立って自分やこの村と同じ境遇になる人たちを見れば、これは正しいことなのだと言い聞かせても割り切れない部分が生じるのだ」
特にこちらから話を引き出しているわけではない。
それなのに、グラドはまるで自分の中に溜まっている本音を吐露するように口を動かす。
「詳細は明かせないが、聖者というのは来たるべき世界の危機に対処する為に招集された。だから俺たちの戦いによる犠牲も大事の中の小事と思い、無理矢理にでも誇りを持って邁進している。やがてはそれがティアの為にもなると考えながらだ」
俺は人伝や新聞で聖者たちの話を知る度に、いつも自らが掲げる正義に疑いを持たずに意気込んでいると思っていた。
それどころかルナなどは、人を傷つけることに喜びを見出している節もある。
だからこそ、グラドがこのような葛藤を秘めているとは思ってもみなかった。
「だが本当にそうなのだろうか。俺は妹をダシにして、勝手な正義に正当性を持たせようとしているのではないか……ここ最近はそんな悩みに苛まれていた。そんな時に今日の危うい出来事だ。もし本当にティアの為と言うのなら、あいつが大人になるまで傍にいてやるのが最良の選択なのかもしれない」
そう言ってグラドは夜空を見上げる。
その目には無数に煌めく星々ではなく、まだ見ぬ地上の広い世界を映しているようだった。
「帝都に呼んで一緒に住むのもいいが、願わくば何もかもを捨て去り、俺を知る者がいない土地でティアとひっそり暮らしたいものだ。いつか世界に滅びの日が来たとしても、最後の瞬間を心からの幸せの中で迎えることが出来れば、それが運命だったと受け入れられるだろうからな」
全てを語り尽くしたであろうグラドは、ひとつ大きく息を吐く。
それが溜息なのか、鼻で笑っただけなのかは俺には窺い知れなかった。
「なんていうのが割と本気な俺の願望だ。こんな話はイグレッドにしかしたことがないのに、なぜこんなにも貴様にペラペラと喋ってしまったのだろうか」
本人が分からなければ誰も答えようのない疑問だ。
ところがグラドの口から飛び出したのは、とんでもない理由だった。
「こうして向かい合ってみると、イグレッドと貴様はなんだか似ている気がするんだ。どこと聞かれると言葉に詰まるが、醸し出す雰囲気というのかな」
「勘弁してくれ。お前は褒め言葉のつもりなんだろうけど、俺にとっては最大の侮辱だ」
「そうか、ならば今の発言は撤回しよう。ああ、その繋がりで思い出したのだが、少し前に貴様とセリアは対面しただろう?」
予想もしていなかった名前に少し動揺するも、それをなんとか表に出さずに黙って頷く。
「ちょうどフィルモスから帰ってきた頃だったかな。イグレッドとセリアの関係がぎこちなく感じるようになったのは。交渉の席で何かあったのか、貴様は知ってるかと思ったんだが」
お前さぁ……ここまでの一連の流れを分かってるくせにそれを俺に聞く?
図太いのはその体躯だけにしておけよ。
「さてね。剣聖様と聖女様は世間じゃ仲睦まじい夫婦と言われてるが、たまには喧嘩のひとつくらいしても不思議じゃないだろう」
順当に考えれば、その程度のつまらない理由だろう。
だがグラドは手で顎を摩り、何やら考え込んでいるようだった。
「もしかしたらセリアにはまだ未練があり、貴様と再会したことでその気持ちをイグレッドに悟られたのではないのか?」
その推測を聞いて急激におかしな汗が出てきた。
別に根拠もない話を信じているわけではないが……
それでもあの当時に何度も繰り返した都合のいい妄想を、第三者の口から突然語られたからだ。
「すまん、それはないか! 男女の色恋に疎い俺の予想なんて当てにもならないしな。それにパレードの時に随分と派手な振られ方をしていたのを思い出したわ!」
こいつ、今すぐこの場で消してやろうか。
幸いにも目の前には井戸があることだしな。
しかしまぁ……グラドの言うことが的確だとは俺も思う。
「そういえば、すっかり話が逸れてしまったが、わざわざ貴様を外に呼び出したのは頭に入れておいてもらいたいことがあったのだ」
ついさっきまで1人で大笑いをしていたグラドは、打って変わって神妙な面持ちとなる。
「近いうちに帝国は他国と交戦状態に入るだろう。その時には傭兵として参戦することを打診しようと思ってな。皇帝陛下は黒騎士の噂を耳にして以来えらくご執心なのだ。きっと契約金ですら相当な額を提示してくるんじゃないか?」
ルナが報告を上げているのは予想していたし、黒騎士という言葉はイグレッドの口からも出ていた。
当然、軍に正体が知れているのは承知のことである。
その上でどういう対応をしてくるかは気になっていたが、懐柔という選択をしたか。
だけど答えは既に決まっていた。
「生憎と俺は愛国心なんて微塵もないし、金銭への欲もまた同じだ。それに何より、人間同士の争いには興味がないのでな」
単に自分の意志を返したつもりだったのに、グラドには怪訝そうな顔をされてしまう。
「変なことを言う奴だな。それではまるで貴様が人間とは別物であるような言い方ではないか」
指摘されて初めて気付かされた。
それほど自然に口からこぼれた答えだったからだ。
だがその理由は分かっていたし、少し前から感じてはいた。
俺の中で起こっている変化に。
「お兄ちゃん! エルト! 早くお水持ってきて!」
皆が家にこもり、物寂しさに包まれた夜の闇の中を、慌てた様子のティアが足を庇いながら駆けてくる。
「レイナが料理を喉に詰まらせちゃって、なんかどんどん顔が青白くなってる!」
切迫した空気の中で、俺は予め教えておくべきだったと後悔していた。
別によくある事だし、背中を強く叩けば大丈夫だということを。
それにしても心闇教の言う『世界に均衡をもたらす者』が自ら混沌を招くとは。
こんな残念な姿を見せられたら、教徒たちは一体どんな顔をするのだろうか。
◇
グラドの家にお邪魔した翌々日。
待機させているマリメアには申し訳ないが、俺たちはまだレジオラに留まっていた。
もうすぐにでもこの地を去ると伝えたら、ティアがある申し出をしてきたからだ。
なんでも餞別として手作りのジャムを受け取ってほしいとのこと。
何か縁があってせっかく知り合ったんだ。
最後の挨拶がてらに寄ってみるのも悪くない。
特にグラドとは次に顔を合わせた際に、互いがどんな立ち位置にいるのかは分からないからな。
まとめた荷物を担ぎ上げ、宿を出ようと思ったまさにその時だった。
仰々しく部屋の扉をノックする音が響いたのは。
「スクレナ様! エルト様! よかった……間に合って……」
聞き覚えのある声の主はシェーラだ。
荒くなった呼吸に合わせて上下する肩。
それに額に光る汗によって、相当な距離を疾走したことが見て取れる。
そこまでして伝えたいことがあるということか。
「実は……レクトニオ様について急ぎご報告が……」
吉報なのか、悲報なのか。
シェーラの口から出た名前に、俺とスクレナは同時に顔を見合わせた。
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