第36話 聖騎士の背信①
俺の背の上から手を振るティアに気付き、男は安堵と戒めが入り混じった表情で駆け寄ってくる。
「ティア! 大人に黙って村の外に出るなと言ってあったじゃないか! しかもこんなに遅くまで……みんな心配してたんだぞ!」
「ごめんなさい……本当は明るいうちに帰ってくるつもりだったんだけど」
体を目一杯伸ばしていたティアは、今度は背後に隠れるように縮こまった。
「君たちが妹を送り届けてくれたのか。ありが――」
そこまで言いかけて、男は言葉も足も止めてしまう。
近くに寄ったことにより、暗がりの中で相手も俺の顔を把握できたようだ。
視線を合わせたまま互いに硬直しているのがそれを物語っている。
「き、貴様は!?……どうしてここに。いや、それよりもなぜ妹と一緒に……」
「あ、どうも……」
それ以上の会話はなく、2人の間には長い沈黙が続いた。
だがその不毛な時間を断ち切るように口を開いたのは向こうの方だった。
「ひょっとして貴様、俺のことを覚えていないのか?」
「え?……あ……ああ! もちろん覚えている……ます……あれ、ね。酒場で隣の席になってね……あの時は一杯奢ってもらっちゃって……」
「誰と混同してるんだ! 一緒に飲んだことなど一度もないわ!」
本音を言うと何となくどこかで会った気はしてるんだけど、記憶が朧気ではっきりと思い出せていない。
「まぁ、あの時はほとんど会話もなかったし、直接名乗ってもなかったから無理もないか。ならば覚えておけ! 聖者が1人にして帝国を守護する堅牢な盾、聖騎士グラドとはこの俺のことだ!」
「………………え?」
「え?」
あれ? 聖者って3人じゃなかったっけ?
頭の中に記されているセリアからの手紙を今一度読み起こしてみると――
確かに書かれてたな。しかも聖魔道士より先に。
そうか、もしかしたらパレードの時はルナの護衛の人だと思っていたかもしれない。
だからあまり印象に残ってなかったのか。
「おい、エルト! その辺にしておいてやれ。あの男の自信ありげな顔を見たであろう?……あれはかなり恥ずかしいやつだぞ。いくら我でも少しだけ可哀想に思えてきたではないか」
スクレナが他人に対してそんなことを言うなんてよっぽどだ。
確かに空に向けた目が微かに潤んでいるような気がする。
「もういい! あのパレードの時の行動を見て感じていたが、やはり貴様とは相容れんようだな!」
ここから立ち去れと言わんばかりに、グラドは俺たちに向かって手を払う。
だがティアは、俺の顔の横から身を乗り出してそれを咎めた。
「お兄ちゃん! エルトとレイナは悪い人から私を助けて、おまけにここまで送ってくれた恩人なのよ!」
妹に責められて、兄の巨体は一歩後ろへと下がる。
そんなグラドの姿を見てティアに声援を送りたくなったが、みっともないのでグッと言葉を飲み込んだ。
「別にいいのよ! お礼は私がするから。そのかわりお客さんにそんな態度を取るんだったら、お兄ちゃんはしばらく家から出ててちょうだい!」
「わ、分かった……分かったから。俺が悪かったって」
グラドは両手を広げて、怒るティアをなだめようとする。
ひょっとして頑強な聖騎士様の防御術はここから培ったものなのではないだろうか。
「じゃあ……食事だけだぞ」
おい、やめろよ。そのちょっと気になる相手からデートに誘われたから恥じらいながらも承諾する女の子みたいな返しは。
しかし厚意はありがたいけど、聖騎士と食卓を囲むなど御免こうむりたい。
だから丁重に断ろうと思っていた。
後ろからものすごい大音量の腹の虫が聞こえてくるまでは。
そういえば今日はおやつを与えてなかったか。
振り返ってみれば、スクレナは何事もなかったかのようにキョトンとしている。
そんな顔をしてもお前以外にいないんだけどな。
「どうした? もてなしを受けたいのなら我は構わんぞ。仕方がないから付き合ってやる」
この期に及んでシラを切るつもりなのが逆に清々しい。
しかしその時に背中の少女と目が合って思い直した。
これはグラドではなくティアのお誘いなんだと。
この子の屈託のない笑顔を見ると、無下にするのも違う気がする。
ここは素直に気持ちを受け取るのが礼儀かもしれないな。
「そういえば貴様! いつまで妹にくっついているんだ! さぁ、ティア。ここからはお兄ちゃんがおんぶしてやるから、早くこっちへ来なさい」
こいつ、妹思いというよりは目が曇って見境なくなるタイプか。
厳つい兄と違ってティアは成長すると綺麗な女性になるだろう。
それ故に大人になるにつれて苦労する姿が安易に想像できるな。
◇
足を手当したティアは、グラドの反対を押し切って食事の準備を手伝った。
そうでないと「お礼にならないから」なんて言って。
その歳でなんとも律儀な子だろうか。
やがて食卓に並べられた料理は、どれも家庭的なものであった。
だけど俺の舌はいつもこういう味を求めているから、寧ろありがたいと言えよう。
作ったのがグラドだけだったら変な薬でも入れてないかと疑ったろうけど。
ティアが常に横にいたのなら心配なさそうだ。
何より毎度ながらスクレナが真っ先にバクバクと食べ始めたからな。
もはや俺の専属の毒味役と言っても過言ではない。
そして皿の上に代わって腹が十分に満たされた頃、グラドがおもむろに立ち上がった。
「ちょっと井戸で水を汲んでくる。きさ……いや、エルトも付き合ってくれ」
玄関に大きなタライが2つあるが、これに並々入れるとなると相当な重さになりそうだ。
しかし食後のちょっとした運動がてらにはいいだろう。
夜ならスクレナと離れても問題ないことだし。
村の井戸がある場所までグラドの背中についていくが、特に会話もなく時間が過ぎる。
気まずさもないし別にそれでも構わなかったのだが、目的地に到着する直前に不意に向こうが口を開いた。
「あそこだ。ティアがお世話になってる老夫婦の家の脇に井戸がある」
家にお邪魔してからずっと気になっていたことだが、今の言葉でさらにその思いが強くなる。
「世話になってるって、親はいないのか?」
俺の問いに、グラドはこちらを向くことなく黙って頷いた。
「俺が10歳の頃……ティアが生まれてすぐだったな。両親がこの世を去ったのは」
境遇が自分と似ていることに少し驚いた。
とは言っても争いの絶えない今の時代、孤児など珍しいわけでもないが。
ただ永遠の別れを果たした理由は、完全に予想の範疇の外だった。
「父も母も、軍に処刑されたんだ。2人は熱心な心闇教の信徒だったからな」
今度は驚きどころではない。驚愕の事実だ。
聖騎士の生みの親が闇の女王の崇拝者だったなんて。
思い返せばせっかく心闇教の拠点まで行ったのに、俺はまだ彼らのことをまだほとんど理解していない。
だからこの際、それを知る者に聞いておきたいことがあった。
「心闇教は古くからこの地で信仰されてきた宗教だ。帝国の属州になった時に、排他主義によって淘汰されたがな」
そこまでは既に知っている。
疑問なのはなぜスクレナを崇めているかだ。
闇の女王が人間にとっての厄災だというのは帝国だけじゃなく、その周辺国でも伝承となっているのに。
「その考えをいつ誰が広めたのかは分からないが、本来は地域によって女王の人物像は異なっていたんだ。例えばここらでは、世界が混沌の渦に沈んだ時の『調停者』であったり、『均衡をもたらす者』と言われていた。正直なところ、どれが真実なのか俺にはもうさっぱりだな」
それを未だに信じているのが心闇教というわけか。
海や山に囲まれている土地柄、フェデスは長く外部からの文化的影響が少なかった。
だからこそ思想が深く根付いてしまっているのだろうとグラドは言う。
数年前なら受け入れ難かったかもしれない。
だが今は寧ろ、腑に落ちなかった為に胸につかえていたものが解消した気がする。
俺だって子供の頃には闇の女王は、残虐で狡猾な性格だと聞かされていた。
だけど本人と行動を共にしてすぐのことだった。
それらが随分と誇張されていた話だと分かったのは。
実際にはこの世の常識を説けば、大抵は聞く耳を持って自重してくれるのだから。
さっきのグラドの言葉も考慮すれば、自然と湧き上がった話ではなさそうだ。
だとするとやはり誰かが意図的に印象操作をしたということか?
しかもこれだけ人々の中に根付くほどだから、遥か昔からの話だ。
それらを踏まえると最も該当するのは、かつてスクレナと争っていたという者たち。
仮にその推論が正しいとするなら、そこからはさらなる懸念が生まれた。
強力な結界の中に闇の女王を封印したことで大戦は終結したはず。
しかし尚も、そんな気の遠くなる根回しを必要とした理由は2つ考えられる。
1つはその者が、数千年の月日を経てスクレナが復活するということを知っていた。
少なくとも、確信に近いほどの予測を立てていたのだろう。
そしてもう1つはあくまで僅かな可能性……暴論に近いにものだが、その戦に参加して闇の国を討ち滅ぼした当事者たちは、
――今もこの世のどこかで生きているのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます