第23話 騎士たる所以
ヴァイデルと対面し、それなりに時間は経ったが未だに沈黙したままだ。
やはり記憶にはないかと思った途端に、ヘルメットの下からはくぐもった声が聞こえてきた。
「貴様は聖女様の村にいた男だな。散々手を焼かされたのを覚えているぞ。このような形で再会するとは思ってもいなかった」
一応は覚えていたか。
そう返してやろうとすると、ヴァイデルは首を振って掌を向けながら制した。
「いや、申し訳ない。今は『貴様』などと呼べる立場ではなかったな。君たちは大切な交渉相手なのだから」
意外な出来事に面食らってしまった。
この男が謝罪の言葉を述べるとは。
「セリア様は健在であられるぞ」
「だからなんだ? それを俺に伝えてどうする?」
突っぱねた言い方にヴァイデルは押し黙る。
だが実際のところ、今の俺がセリアについての近況報告を受けたところで何の意味があるっていうんだ。
しかも2人の関係を絶つことに加担した本人の口から。
表情が見えないからだけじゃない。
こいつは醸し出すものからも意図が汲み取れない、どこか気味の悪い雰囲気を持っている。
まるで腹の底に何かを秘めているような。
「んー、レイナ殿もエルト殿も見事な戦いであったぞ。まさか魔人までも倒してしまうとは」
振り返ればイルサンが輿に乗せられ、この平原まで運ばれてきていた。
戦闘中は万が一にも何かあった時に、いつでも戦士以外の者を連れて脱出できるように離れた場所に待機させていたのだ。
「イルサン王、此度のことは聖魔道士の独断によるもの。もちろんその責から逃れるつもりはございませんが、帝国はあなた方と敵対する意思は皆無ゆえ、どうかこれからも良き関係を」
イルサンの前で跪き、頭を下げるヴァイデルだったが、その控えめな態度に俺は皮肉を込めた笑いを浮かべた。
「相変わらず面の皮が厚い奴だな、ヴァイデル」
「ほう、それはどういう?」
俺の言葉に、ヴァイデルは顔を上げて問いかける。
「いい関係で全てを丸く収めるつもりじゃないよな。奴の暴走を俺たちが止めてやったんだ。他に尽くすべき礼儀があるんじゃないか?」
「もっともな意見だ。もちろんケット・シー側にも、君たちにも恩赦と謝罪を込めた相応の礼を約束しよう。だが私の一存では決定しかねる。後日双方の元へ大使を送るという形で承知願いたい」
まだ膝をついたまま再び頭を垂れるヴァイデル。
スクレナも初めからルナが単独で行ったことだと仮定していたし、こいつはただ尻拭いをさせられているだけなのだろう。
そう思えばなんだか少し気の毒に――
「笑わせるな、ヴァイデルとやら。今回の一件は貴様らが結果を見て聖魔道士を切り捨てた可能性もゼロではないのだぞ。それを踏まえれば随分と寝ぼけたことを言うではないか。信頼が欲しくば担保を置いていけ、担保を」
容赦ないな、こいつは。
戦の前と言ってることが違うじゃないか。
おまけにケット・シーから受け取った槍の柄で何度も頭を叩いているし。
悔しさなのか、苦悩なのか、よく見ればヴァイデルは体を震わしていた。
「こ、これは我がリーランド家の者に代々受け継がれてきたロングソードです。今、担保として私個人が差し出せるのはこれくらいしか……」
ヴァイデルは腰に差した剣を両手で持って差し出す。
3年前に俺の首に宛がったあの時の剣だ。
今も変わらず身につけているのは、大事なものであるという証拠だろう。
何より剣士が自分の得物を他人に渡すというのは、首を差し出すことと同じだ。
「イルサン、これはお前が預かっておれ。また耳障りな金属音を立てながら訪ねてこられても鬱陶しい。それと貴様の部隊が持っている物資の全てと部下を100名置いていけ。荒らされた山を元に戻すのには労働力がいる。2週間経っても大使の姿がない場合にはこの者共を斬首刑に処すこととする」
2匹のケット・シーが、それぞれ剣の端と端を持ってヴァイデルから受け取る。
ゆっくりと立ち上がる仕草は重そうに感じたが、まとっている甲冑のせいだけじゃないのだろう。
「覚えておけヴァイデル。時が経てば経つほど代価は大きくなるからな。それにこちらは捕虜になるはずであった聖魔道士の身柄を渡すのだ。それも上乗せすれば生半可なものでは済まぬぞ。大事な家宝を物干し竿にされたくなくば肝に銘じておくがいい」
スクレナの言葉に自軍の元へ向かって歩いていたヴァイデルは一度立ち止まると、振り返ることもなく口を開く。
「これは何の根拠もない私の勘だが、いつか君たちはこの国を滅ぼす大きな災いとなる気がするのだ」
「では我の勘も口にしておこう。貴様がその足掛かりになるとな」
それ以上のやり取りもなく、ヴァイデルは歩みを進める。
だが皆が改めて勝利の喜びを分かち合っている時に、俺だけが目にしていた。
ヴァイデルが握った拳を、ルナが乗った馬車へ打ちつけるところを。
あいつ……もしかしたら結構苦労してるのかな。
上と下、両方からの板挟みになったりして。
ヘルメットの中はだいぶ薄くなったりしないだろうか。
そんな余計な心配を抱きながら皆の輪の中に戻ろうとすると、目の前に広がる光景に思わず後ずさりしてしまう。
今度は輿から降りたイルサンを含め、全てのケット・シーたちが跪いていた。
「レイナ殿……いや、レイナ様、エルト様。御二方のご助力により我ら一族は滅びの危機を脱したどころか、故郷を取り戻すことが出来ました。なんとお礼を申し上げればよいか」
代表して礼を述べるケット・シーの王だったが、対してスクレナの返す言葉は叱責と賞賛であった。
「一国の主がよそ者に軽々しく頭を下げるでない。それに我らは降りかかる火の粉を払っただけだ。この戦の勝利は小さき戦士たちが誇りを取り戻し、立ち上がらなければ成し得んかった」
少し大袈裟なくらいに持ち上げるのは、今後ケット・シーたちが同じような困難に直面した時の為なのかもしれない。
目を背けずに全員が結束して立ち向かえば、これだけの力になるのだと覚えておいてほしいのだろう。
「そうは申されても、しかと恩を返さねば末代までの恥となりましょう。吾輩らに出来ることならば何なりと」
「ふむ、そうだな……ではひとつだけ」
しばらく考え込んだ末に口から出るスクレナの言葉に、ケット・シーたちは一様に押し黙って聞き入る。
「いずれ我はとある場所に国をつくる。だからその折には其方らと同盟を結びたい。有事の際には我の呼びかけに応える同士としてだ」
その申し出に周囲はざわめいた。
まぁ、この世界の理の中に生きる者なら当たり前の反応だろう。
一個人の口からいきなりそんな内容が出るなど普通なら思いもしない。
だがやがて静けさを取り戻した頃には、イルサンは至って真剣に受け入れたようだった。
「承知いたしました。この世界に住まう全てのケット・シー、貴方様の命とあらば如何なる時、如何なる場所であろうとも馳せ参じましょう」
どうやらイルサンはこの地にいる猫妖精以外にも顔が利くようだな。
そう考えればあの3バカも入れるとして、たった6人だった仲間が一気に膨大な数に膨れ上がったというわけだ。
こちらには魔人討伐という一番の武功があるにもかかわらず、笠に着ることなく対等な関係を結ぼうとした。
だからこそ、ここにいる者たちからの信頼を一層得られたということか。
どこまでが計算で、どこまでが素なのか。
本当に……いつまで経っても底が見えてこない奴だな。
◇
日が昇ってからグラッシ村の人たちに全てが解決したことを報告に行くと、1人の青年がフィルモスまで幌馬車を出すと言ってくれた。
どうせどこかで拾うつもりではあったし、俺たちはその言葉に甘えることに。
それから道中はスクレナと隣り合って座っていたが、交わす会話は何だか長くは続かなかった。
「聖魔道士には神具の情報をどこで得たのか問いたかったのだがな。例え聞いたところであの精神状態では真偽の判断は難しかっただろう」
「ああ……」
「しかしケット・シーたちが総出で捜索してくれるそうだ。もし本当にあの山にあるとしたら、ひょっとして近々見つかるかもしれぬな」
「ああ……」
その原因は主に俺にあった。
横からスクレナに話しかけられても、たった一言の返事だけ。
ここから見える景色を眺めながら考えにふけっていた。
「どうした? 前回とは逆に今度はお前がむくれているのか?」
「別に。ただ考え事をしてるだけさ」
変わらず移り変わる風景に目を向けていると、不意に肩を掴まれ引き倒される。
だが後頭部に当たったのは硬い板の感触ではなかった。
そして俺の視界に入るのは上から覗き込むスクレナの顔へと変わる。
「なんだよ、急に。なんで膝枕なんて」
「夜通しの戦で疲弊しておるだろう。膝くらいは貸してやる。減るものでもないからな。それに……こうしておれば互いに顔を合わせて話せるではないか」
その体勢のまましばらく沈黙が続く。
しかしスクレナの微かに細めた目と、口元の笑みを見ているうちに自然と口を開いていた。
「戦いが終わって気持ちが落ち着いてからずっと考えていたんだ。俺は本当にお前に相応しい騎士ってのになれるのかなって」
「それこそどうしたのだ? 急に」
今回の戦を振り返って思った。
俺は本当に役に立っていたのだろうかと。
「何を言う。聖魔道士の詠唱を止めたのはエルトであろう。あれがなければ甚大な被害が出ていたか、最悪ケット・シー軍は全滅していたかもしれん」
だがそれもほとんどがケット・シーたちの活躍によるもの。
俺は最後の詰めを担っただけに過ぎない。
そして何より、魔人を一撃で倒せたのもスクレナの強さがあってこそだ。
相応しいと言うのなら、目指す高みはまさにそこ……いや、それ以上なのだろう。
つまるところ、あまりにも果てしなくて気が滅入ってしまっている。
本当に自分に成し得るのだろうかと。
所詮はまだ仮初の力でしかない。
言うなれば、地上の蟻が神々の世界へ通じる塔を登るようなものだ。
「我とお前では踏んできた場数が桁違いなのだ。そう簡単に並ばれてたまるか。それにな、よく聞け。エルト――」
スクレナは目を瞑り、幌の中に吹き抜ける風によってなびいた髪を掻いてから再び口を開く。
「騎士なる者はただ力があればよいというものではない。聖魔道士が魔人に魔術耐性を付与したと聞いた時、お前は我のことを案じて決して退こうとはしなかったな。相応しいかどうかはその時に見た背中が物語っておったぞ」
その言葉を聞いて、俺は体を横に向けることで顔を背けた。
自分がまだ理想には程遠いと思う気持ちは変わらない。
だけど今の話を聞いて、胸が軽くなった途端に緩んだ表情を見られたくなかったんだ。
赤くなっているであろう顔もまた。
「……ちょっと寝る」
敢えてぶっきらぼうに伝えて目を閉じると、疲労のせいか馬車の激しい振動にもかかわらず、早くも意識を手放しそうになる。
静かに頭を撫でるスクレナの手の感触を感じながら。
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