第22話 暴君 墜つ
敵陣に攻め込んでいた全てのケット・シーを元の場所まで撤退させ、俺は自陣と敵陣の半ば辺りで足を止める。
すぐに振り返ってみれば、まさにルナの掲げた召喚石が眩い赤い光を放つ瞬間であった。
地面に魔法陣が浮かび上がると、石と同様の色に輝き、外周からは炎が噴き上がる。
最初に右腕がせり出し、次いで左腕、そしてその両腕に力が込められると、這い出るように上半身が姿を現した。
頭には大きく太い2本の角、長く伸びた赤い鬣。
狼に酷似した顔にそぐわない筋肉質な人型の体は黒い皮膚に覆われ、手首や足首には炎をまとっている。
ルナが召喚したのは魔人イフリートだった。
当の本人は前屈みになりながら、汗だくのまま肩で息をしている。
どうやら自分の魔力だけでこの怪物を召喚したようだ。
この女のことだから部下の軍人たちの命を生贄にするとも思ったが、少しばかりは良心が残っていたというのか?
――いや、違うな。
こいつはただ力を誇示したかっただけなのだろう。
自分にはこれほどのことが可能なのだと。
ただの自己顕示欲の表れだ。
「人間が生きたまま1人で魔人を召喚するとは。あの小娘、質はともかく魔力容量だけなら我よりも上かもしれぬな」
いつの間にか傍らに来ていたスクレナだが、そんな物言いをするなんて意外だな。
不発に終わったとはいえ、あれだけの魔術の詠唱の後にイフリートを呼び出す。
それが並大抵のことではないことは分かるからこそ、改めて聖魔道士と呼ばれる所以を見せつけられた気がする。
「この程度で驚かれるなんて……心外ね。あんた達……これがただの召喚獣だと思ってるの?」
息も絶え絶えながらルナは言葉を発する。
許容範囲を超えて魔力を消費すれば命にさえ関わってくるのだから無理もない。
それにしても今言っていたことはどういうことなんだ?
「このイフリートには……召喚する際に魔術に対する耐性を付与したのよ。おかげで必要以上に……力を使わされたけどね」
魔術耐性だって!?
ならば物理での攻撃しか受け付けないということか。
普通に相手をするだけでも脅威的だというのに。
ケット・シーたちは完全に尻込みしているし、スクレナの魔術がどれほど効果的かも分からない。
ならばここは――
「あーら、随分と勇敢じゃない。真っ先に自分から殺されに出てくるなんて」
友軍の元まで戻らず剣を構える俺に、ルナはこれからじっくりと嬲ってやると言わんばかりの顔をする。
魔人を相手にして勝てるのか……未知なることだが。
いや、それでも出来るだけのことはやってやる。
力の解放前とはいえ、あのデリザイトといい勝負をしたんだ。
スクレナには、味方には傷一つ付けさせやしない。
ゆっくりと迫ってくるイフリートを見据えて俺はそんな決意を固めた。
「やっば! あんた思ってたよりいい素材じゃない! 私ってば『ここは俺に任せろ』みたいに格好つけてる奴を軽くプチッと潰してやるのが一番ゾクゾクするのよね」
ルナは自分の腕で体を抱くようにして身悶えする。
顔を紅潮させながら荒げる呼吸は、ここまでの魔力の大量消費によるものではなさそうだ。
「さぁ、イフリート! まずは四肢を折って身動きを取れなくしてから炎で焼いてやりなさい! でも一気にじゃないわよ。最初は皮膚を剥いで、それから少しずつ肉に焦げ目がつくようにじっくりと……あぁ、考えただけで疼いてきちゃうじゃない。きゃはははは――」
――スパァァアアン!!
「――は?」
耳に残るなんとも綺麗な破裂音が周囲に響き渡る。
「はぁあああああぁーーー!?」
「えええええぇぇぇーーー!!」
しばらくの沈黙の後、ルナと軍人たちの驚きに満ちた叫び声が山に木霊した。
それもそのはず。
先程までの目の前を闊歩していた魔人であったが、瞬きひとつする間に腹部から上がなくなっていた。
そしてイフリートが残した部位は大きな音を立てて後ろに倒れると、光となって消えていく。
気付けば俺の出で立ちにも、知らぬうちに変化が起こっていた。
『やれやれ、この姿を人前に晒してやるのはもう少し後にと思っておったのだが。エルトの因縁を踏まえれば披露するにはよい機会であろう』
「な、何をしたのよ!? そ、それにあんた……その姿はなんなの!?」
黒い甲冑で全身を包み、背には身の丈ほどの大剣を背負う。
黒騎士としての力を得た俺は自分の手に目を落とし、ルナの問いに答えた。
「魔術に耐性はあっても、魔力で強化した身体による物理攻撃は関係ないようだな」
「だ、だだ、だ、だからそれが何だって――」
「――ぶん殴った」
時間が止まったようにこの場の全てが凍りつく。
仕方がないだろう。
常識で考えれば支離滅裂なことを言っているのだから。
「もっとも拳が当たる前に凝縮した風圧だけで吹っ飛んでしまったようだが。何にせよ、剣を抜くまでもなかったか」
「う、嘘よ……殴ったって。私の最大の切り札だったのよ。命を失う危険を冒してまで、私の全てを注ぎ込んだのに……私がまっ……まけ……」
ルナは杖で覚束無い足下を支えながら、焦点の合わない目を地面に向けている。
その口から覇気のない呟きを発しながら。
「いやあああああああああああ!!」
突如、聖魔道士が頭を抱えて奇声を上げる。
その様子は既に自制心を失いかけていることがひと目で分かるほど奇怪であった。
「いや! いや! 嫌ぁ!! 私は一番じゃなきゃダメなの! 生きていけないの! でないと……許されない……大罪に……」
「聖魔道士様! お気を確かに」
すぐ傍で佇んでいた部下が慌てて歩み寄り、狼狽する指揮官に手を伸ばそうとする。
しかし顔を上げたルナは、自分を気遣う軍人へ鋭い目を向けた。
「うるさい!!」
手を払い除け、相手の腰に差した剣を抜いて奪うと、そのまま元の持ち主の脇腹へと突き刺す。
ざわめきながら後ずさりする軍人たち。
近くにいた者は血を流して倒れた同朋を引き摺り、急いでルナから遠ざけた。
「せ、聖魔道士様! ご乱心おやめください!」
「黙りなさい! そもそもあんた達がしっかり時間を稼いでいれば勝ててたのに! 役に立たないゴミは処分されて当然なんだから生意気言ってるんじゃないわよ!」
「しかし、我々は数で劣勢に立たされたわけではありません! 敵軍の隊列も崩れましたし、仕切り直すには今が好機かと」
それはおそらくルナの錯乱を治める為の言葉なのだろう。
確かにこちらは元の位置まで後退を余儀なくされた。
しかし魔人の消滅でさらに士気が上がる一方で、向こうは大将の凶行で不安と不審を募らせている。
どう考えても勝敗は決していた。
だが諌められた本人は、そんな判断もつかないほどの精神状態のようだ。
「そう……そうよ、負けてない! だってあいつが使ったのは物理攻撃なんだから……私が魔術で負けたわけじゃ……ううん、寧ろ勝ってる。魔術じゃどうにもならないから殴ったんだし……ほら、私が勝ってる! ほら! ほらぁ!」
本当のところ、自分の中では敗北を認めているはず。
それでも尚、見苦しい独り言を口にする姿は滑稽としか言いようがなかった。
まるで折れかかっているルナ自身の大切な何かを、ギリギリのところで繋ぎ合わせているように見える。
言わせてもらえば、耐性を加えたところでスクレナの本気の魔術の前では無駄なことだったろう。
さっき自分が放った一撃を見て、こいつの規格外の強さの前では俺の抱いた懸念など余計なことだと解した。
つまりもう、今の彼女には自らが失ったものを取り戻す力などありはしない。
その騒ぎに気を取られていると、身にまとっていた甲冑がひとりでに黒い
それらが一箇所に集まると人の形を作り出し、そこから自分の主が現れた。
どうやら黒騎士としていられる時間の限界がきたようだ。
そして未だに諦めを見せない聖魔道士に対して、なぜかスクレナは拍手を送って称えるのだった。
「うむ、よいぞ。玩具は丈夫でなくてはいかん。すぐに壊れてしまっては遊びも冷めてしまうからな」
そう言って指をパチンッと鳴らすと、ルナの足元からは長い影が伸び、上半身に巻き付いて自由を奪う。
「な、何なのこれ!?」
必死に振りほどこうとするが、全ては徒労であった。
悪戦苦闘しているルナの元に向かってスクレナは一歩ずつ近づいていく。
「ひっ!」
口ではいくら強がっていても、既に体は精神に刻まれた恐怖によって支配されているようだ。
スクレナの圧力に弾かれるように、ルナは反対側へ駆け出す。
――が、ぬかるんだ地面に足を取られ、僅か数秒の逃走劇はあっけなく幕を閉じた。
「なんで……なんでよ……私は聖魔道士、世界一の魔術士なのよ。選ばれた人間……特別な存在なのに……何でも意のままなんじゃないの……?」
「ほれ、どうした? 追いかけっこがしたいのであろう? 10数えてやるからさっさと逃げぬか……おお、そうか。我が泥土に浸からぬよう足場になってくれたのか」
「ぐむっ……ぐっ……んんっ!」
ルナの背に乗ってしばらく見下ろした後に、スクレナは右足で後頭部を踏んで顔を泥の中へと押しつける。
呼吸がままならないのか、ルナは地面に蠢く芋虫のように暴れた。
それにより髪に、顔に、全身に泥がまとわりき、文字通り地に墜ちた姿へと変わっていった。
「あ、あんた達、何ボーッと見てるのよ! 私の部下でしょ! 早く主人を助けなさいよ!」
どうにか顔を横に向け、必死に声を振り絞る聖魔道士。
あんな仕打ちをしても尚、このような口がきけるのはある意味で感心してしまう。
だが呼びかけられた軍人たちは目を逸らし、その場から一歩たりとも動こうとはしなかった。
それどころか、自身の上にそびえるスクレナの怒りを買う結果となる。
どうやら向かってくる気配のないルナを見て、すっかり興を削がれたのが原因みたいだ。
「つまらんな。もう少し噛みついてくれるかと思っておったのだが。せめて断末魔で我を高ぶらせてくれることを期待するぞ」
スクレナはルナから少し距離を取ると、右手を掲げるだけで上空に魔力の塊を形成する。
無詠唱で一瞬のうちに、それもルナが先ほど作り出したものよりも何倍も巨大な。
このままでは巻き込まれる。
ここにいる全ての者はそれを感じ、各々が後退していく。
ルナは相変わらず地面に伏したままだ。
乱れた前髪に隠された顔には、一体どんな表情が浮かんでいるのか。
「そこの魔術士! 待たれよ!」
スクレナが手を振り下ろす直前、新たに加わる声に遮られた。
その先に目を向ければ、いつの間にか平原には無数の明かりが灯っている。
徐々にこちらへ近づき、暗がりの中に浮かび上がってきたのは帝国の軍勢だ。
そしてそれらを率いているのは、またも俺にとっては忘れられない顔……いや、ヘルメットであった。
「ヴァイデル陣営隊長!」
ルナの下に付いていた軍人は皆一様に姿勢を正して敬礼をする。
まさか忌まわしい再会をこうも立て続けにするとは。
不本意ながら、何かしら特殊な繋がりがあるのではとも考えてしまう。
「要請もしていないのに最高のタイミングで来たじゃない、ヴァイデル。あんたは前から使える奴だとは思っていたわ」
「恐縮であります」
馬から降りたヴァイデルは、影の拘束を解かれて息を吹き返し、嬉々とする聖魔道士の元へ歩み寄る。
この時点で不可解な行動ではあるが、ルナ本人は全く意にも介していなかった。
「さぁ、これで数では圧倒的にこちらが有利! ここにいる奴らはもちろん、残りの畜生共も見つけ出して殲滅しなさい!」
「失礼……」
ヴァイデルはこちらを指さすルナの右腕を掴むと背中の後ろに回す。
続けて左腕も同様にすると、互いを交差させて手錠をかけた。
「は? 何!? 何してるのよ!」
またも唐突に自由を奪われ困惑するルナに、ヴァイデルは部下から受け取った1枚の紙を広げて目の前に掲げる。
「ルナ様、あなたには謀反の容疑、正当な理由のない戦闘行為、無断での重要資産の持ち出し、以上の罪により捕縛せよとの命令が下っております」
「誰?……誰がそんなことを!?」
「イグレッド様です」
「あんのクソが! 自分が裏でしてることを棚に上げてんじゃないわよ!」
ルナは眉間に深いシワを刻み、ギリギリと歯を鳴らした。
そしてヴァイデルが手を添えようとすると、手負いの獣は肩を振って払うことで最後の抵抗を見せる。
「触るんじゃないわよ! 1人で歩けるっての!」
そして鉄板で補強された馬車へ向かう途中、スクレナと俺の存在に気付いて進路を変える。
「これで終わりと思わないことね。私は必ず戻ってくるわ。その時まで特別にあんたの名前を覚えておいてやるから、名乗ってみなさい」
スクレナは少し間を空けた後に、衣服の下に隠れていたプレートを首元から取り出した。
「我は魔術士レイナ。ちっぽけな青銅の冒険者だ」
「な!? え? せ……せい……せいど……」
おそらくわざとだ。
わざと自分の身分を低く見せることによって、ルナに更なる恥辱を味あわせたかったのだろう。
欠片ほど残っていたプライドを踏み砕くように。
今度こそ支えがないと歩けないほどになったルナは、2人の軍人と共に馬車へ乗り込んだ。
それから重い扉が閉じられ、錠をかけられる。
あいつが最後に残した「戻ってくる」という言葉。
ルナの魔術に対しての異常なまでのプライドを思えば、いずれまた俺たちの前に立ち塞がってくるのかもしれない。
たが人間が生きられる時を全て費やしたところで、スクレナとの差を埋められるとは到底思えないが。
「医療班、負傷者の治療は?」
「は! 滞りなく。死亡者は確認できませんでした」
部下の報告にヴァイデルは頷くと、甲冑による金属音を鳴らしながらこちらに向かってきた。
おそらくはルナの身柄の引き渡しと、停戦に関しての交渉の為だろう。
はたして俺のことを覚えているのか。
3年ぶりの再会にどんな反応をするのか。
兜の下の表情を想像しながら、俺は自分の人生に大きな変化をもたらした男と向かい合う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます