第9話 水の都

 美しい運河が流れ、街中に水路が張り巡らされていることから水の都と呼ばれるフィルモス。

 目的地と定めていたここへ到着した俺たちは、手漕ぎボートに乗ってさらにある建物を目指していた。

 本当は少しでも節約する為に徒歩で行こうと思っていたが、スクレナが「あれに乗るぞ!」と言って聞かないから仕方なくだ。


 俺はせっかくの街並みに目もくれず、隣で水面を掻いて遊んでいるスクレナを見つめた。


「どうした?」


 こっちの視線に気付いたらしく眉をしかめて首を傾げられる。


 思えば3年前に初めて会った時からこうだったな。

 そう、その日のうちに最寄りの宿駅に到着した時のことだ。

 「あの部屋では空腹になることはないが数千年も食事をしておらんのだ」なんて言ってちょっとシュンとしてたから不憫に思って、「好きな物を食べろ」なんて口にしたのが間違いだった。

 遠慮もなしにテーブルいっぱいの料理を注文した上に食後のケーキと紅茶付き。

 あげくに食べ終わってから出た言葉が「まぁまぁだな」ときたものだ。


 それからというもの行くところ行くところでこんな感じだった。

 宿は一番高級でサービスが充実していないと嫌だ。

 馬車に乗る時は広くて椅子がフカフカした箱馬車じゃないとダメ。

 要はいの一番に庶民の常識と我慢を教えてやらなかったのが致命的だというわけだ。

 叱ればある程度は聞くけど、これがまた面倒くさいったらありゃしない。

 おかげで銀行強盗と鉢合わせた時もそうだ。

 時間をかけずにサラマンドラを討ち取れたのはこいつのおかげだし、根本的に悪いのも向こうだけどさ。

 黙ってやり過ごせば下手に目立つこともなかったのに。

 おかげでレマリノには居づらくなって街を移動する羽目になったんだ。


「そうか、この綺麗な街並みが霞むほどの我の美しさに見惚れるのも無理はない」


 おまけに闇の国の女王というのに頭の中は常に晴れ渡っているようだし。


 俺は1つため息をついてから、風景でも眺めて心を浄化することにした。

 時々吹き付ける風によってなびく銀髪が顔に当たるので、まずは反対側に移動してからだ。



 ◇



 到着してから最初に訪ねようと思っていた場所。

 それはこの街の冒険者ギルドだ。

 今まではレマリノを拠点にしていたから向こうに籍を置いていたが、今度はこのフィルモスで登録し直さないと活動が出来ない。

 要は食い扶持を稼ぐ手段を確保しておかなければということだ。



 ドアを開ける直前までは随分と緊張をしていたが、いざ入ってみればなんてことはなかった。

 内装もそうだが、屯する人物も雰囲気もあまり変わりなかった。

 この分だとどこの街も似たりよったりなのだろうな。


 受付カウンターは入口からすぐの所にあるのだが、その前にスクレナには言っておかなければいけないことがあった。


「手続き諸々は俺が全部やるから、スクレナは見てるだけでいいからな」


「なぜだ?」


「こういう雑用は従者の仕事だろ? わざわざ主人の手を煩わせるなんて恐れ多いよ」


「なるほど、一理あるな。ふふ、お前もようやく立場が分かってきたか。ではここは任せるとしよう」


 自分で言っておいてなんだけど、満足気な顔にちょっとイラッときた。

 だがここはグッと堪えて平静を保たねば。

 こいつに他人と喋らせたらいきなりどんな失礼なことを口にするか予想もつかない。


「いらっしゃい。あら? 初めての方かしら?」


「はい。この街に登録を移そうと思いまして」


 受付のお姉さんから貰った書類に記入して、プレートを2人分添えて提出する。


「エルトさんとレイナさん。職業は剣士に魔術師ですね」


 ちなみに「レイナ」とはスクレナの偽名である。

 本名を名乗ると皆一様に「うん……」と言って目も合わせずに優しい顔になるからだ。

 出生が曖昧な人なんて珍しくもない世界だし、人数が増えて困るような仕事じゃない。

 それが幸いして名前と健康な体、そしてそこそこの礼儀があれば十分だった。

 当初スクレナの気分を損ねたが、「今の世界では高貴な名前だから」とか適当な理由をつけたら納得したようだ。

 なんてチョロいやつ。


「プレートをお預かりしますね。えっと……青銅……ですか」


 苦笑するお姉さんだったが理由は明白だ。

「え、3年やってて青銅ですか?」という意味に違いない。

 冒険者の等級は7段階に分けられている。

 下から青銅、銅、鉄、銀、金、白金、金剛アダマスである。

 秀でた才能がなくても、頑張ってそれなりの依頼さえこなしていれば、遅くとも1年ほどで銅への昇格の打診が来る。

 つまり俺たちはそんな声すらかからないほど絶望的な腕前か、素行がよくないと思われているのだろう。

 それを考えたら後者なのかな。

 不真面目というわけではないけど、生活費を賄える最低限の仕事しかしてこなかったし、難度も最下位のGランクがほとんどだ。

 ギルド側からやる気なしと見られていても仕方がないかもしれない。

 でも寧ろそれでいい。

 とにかくひっそりと過ごすことこそが今の目的なのだから。


「移籍だから登録料はなしか……それでは最後に保証金の支払いをお願いしますね」


 この月々にギルドへ払う保証金とは、冒険者として再起不能に陥った際に、その程度に応じて受け取れる生活補助のようなもの。

 もちろん不正がないように精査した上でのことだ。

 一応は義務づけられているが、中には「最強の俺様には必要ねぇぜ!」なんて言って踏み倒す奴もいる。

 だいたいそういうのに限って後から泣きを見るパターンが多いのだけど。

 そうそう、ちょうどああいう厳つくて腕っ節に絶対的な自信がありますみたいなのが……


「って、うおおぉぉーーーーい!!」


 思わず声が出てしまう。

 それくらい切羽詰まった状況に陥っていた。

 ほんのちょっと目を離している間になんでお前は絡まれてるんだよ。

 トラブルの中に身を置かないと絶命する病でも患っているのか。


「こんな上玉ここらじゃ見たことねぇや。おい、女ぁ! お前新顔か? それとも誰かの連れか? まぁなんだっていい。横に座ってこのドング様の相手をしろ」


 スキンヘッドで粗暴な感じのドングと名乗る大男は既にほろ酔いになっていた。

 建物内に備えられている食堂兼酒場を指さしているから真っ昼間から飲んでいるのだろう。


 それよりも頼むぞ!

 初日からトラブルなんて起こしたくはない。

 断るならやんわりとだ!


 するとスクレナは意外にもドングに微笑みかける。

 それを見て俺は泣きそうになった。

 もちろん感動してだ。

 スクレナが過去の失敗から学んで自制心を持ってくれるなんて。

 自分の赤ん坊がある日に突然立って歩き出したとか、そんな感じの喜びである。

 味わったことがないからおそらくだけど。


「何か用か? ハゲ。鏡なら間に合っておるぞ。我の美貌は永劫変わらぬからな」


 俺は泣いた。

 スクレナは当然のことながら、自分の学習能力のなさに。

 一体何度同じことを繰り返してきたと思っているんだ。


 ドングの顔がみるみるうちに赤くなる。

 酔いが回ってきているからというわけではないことくらいは分かっている。


「そうじゃないだろ? な? 断るにしてもちゃんと言い方が――」


「なんだ違うのか? 顔面は汚らしいのに頭頂だけは丁寧に磨いてあるから勘違いをしたわ。許せ」


 周囲からはクスクスと笑い声が聞こえてきた。

 そしてドングは頭に上った血が沸騰して湯気が出ているかのように錯覚するほど怒気のこもった顔をする。


「てめぇ! 女だからって手を出されねぇと思うなよ!」


 スクレナに対してドングは殴りかかろうとする。

 危険だと感じて俺は瞬時に間に割って入った。

 どちらが危ないかというのは分かりきっていることだが。



 ドングの振りかざした拳が顔に当たり、俺は弾き飛ばされると床を滑った。

 殴った本人は自分の手を訝しげに見つめていたが、仰向けになって間もなく状態を起こす俺に目を移す。


「くぅ……痛ぇ!」


「あの女の仲間みてぇだな! 邪魔するならしばらく仕事ができなくなるのを覚悟しろよ!」


 ドングはすごい形相で凄んでくる。

 決して触れてはいけないタブーだったに違いない。

 やっぱりこだわりとかではなかったのか。


 そんな怒れる大男に構わず、立ち上がって目の前まで近づくと顔を見上げた。


「な、なんだよ……」


 臆する様子を見せないことによる戸惑いか、勢いをくじかれたのか、俺はすっかり士気が低下してしまっている男の手を取る。


「何を!?――」


「すいませんね、俺の連れが世間知らずなばっかりに。よかったらここらで仲直りの握手でもしませんか?」


 そう言いながら掴んでいるドングの手の中に「ある物」を握らせる。

 目で見ずとも感触だけでそれが何かは理解したようだった。

 さらに畳み掛けるように周りには聞こえないよう小声で囁く。


「これで気分直しに一杯やってくださいよ。それとも、問題を起こしてみんな一緒に絞られますか?」


 当然渡してやった金額はここの酒なら一杯どころではないくらいである。

 どうやらどっちが得かを計るくらいの頭は持ち合わせていたようだ。


「けっ! 世渡りが上手い野郎だ。その女にもよく仕込んでおけ!」


 踵を返してドングは酒場のカウンターの方へと去っていった。

 注目を浴びたし、ざわつきもしたけど大きな騒ぎにまでは発展せずに済んだか。


「おい! なぜあんなのに謙る! わざわざそのような面倒なことせずとも瞬殺できたものを」


 いや、殺しちゃダメだろ。

 やっぱり止めて正解だったな。


「いいか。何度も言ってるが、然るべき場所や状況意外で戦闘を行うと罰せられるんだ。だから時には我慢をすることも必要なの。結局それが原因でレマリノにはいられなくなったんだから。せっかくお前が気に入っていた地元のワインだってあったのにな」


「むぅ……やはり人間の世界というのはいろいろと窮屈だな。ザラハイムならば力で屈服させればそれで全て解決であったのに」


「とりあえず今日のところは帰ろう。長旅で疲れてるし、美味いものでも食べて宿でゆっくりするか」


 さすがは冒険者ギルドと言うべきか。

 俺がスクレナを連れて建物を出ようとする頃にはすっかり平常に戻っていた。

 我が強い者が多いだけあってこんなことは珍しくないというところだろう。


「あんたも大変だな」


 扉に手をかけようとする間際に何者かに声をかけられた。

 その主は出入口付近に佇んでいた栗色の髪の男。

 革鎧を着て弓矢と短剣を装備している。

 見た目的に職業はスカウトのようだ。

 さり気に首から下がるプレートを見てみれば等級は銀か。

 かなりの腕の持ち主なのだろう。


「いやぁ、こっちの言い方にも問題があったし、仕方ないですよ」


 愛想笑いを浮かべながら会話もそこそこに立ち去ろうとすると、男は首を横に振った。


「俺が言ったのは『あんな演技をするのも大変だな』ってことだよ」


「演技……ですか?」


 この男が言わんとしていること。

 俺にはそれが何を指しているのかが理解できたからこそ、少しだけ動揺してしまった。


「あんた、殴られた時に衝撃を完全に受け流していただろ。きっと向こうの拳にもほとんど感触が残らないくらいに」


 ここまで自分の考えを口にした男は口元に笑みを浮かべ、探るような目をこちらに向ける。


「誰にでも出来るような芸当じゃない。名の知れた冒険者というわけでもなさそうだし、一体何者だ?」


 スクレナにあんな偉そうなことを言っておいて、まさか自分でこのような自体を招いてしまうとは。

 だが何者かなんて……そんな質問にはどうあっても答えられるわけはない。


「っと、そろそろ行かないと。パーティーを待たせてるんだった。じゃあな、今度また顔を合わせることがあったら話を聞かせてくれよ」


 手を掲げて建物を出ようとする男はふいに立ち止まって一度こちらへ振り返る。


「そうだ、一応言っておくが、何か事情があって隠し事をしているならもっと上手く誤魔化さないとダメだぜ。さっきので何かを察したのは俺だけじゃないみたいだからな」


 そう言いながら、まるで子供が何か楽しめるものを見つけたかのような無邪気な笑みを残してその場を後にする。


 それから俺は改めてギルド内を見渡してみた。

 何人いるかは分からないが、図らずともこの中の者の興味を引いてしまったようだな。


 スクレナがこの世界に順応するのが先か、自分の演技力が上がるのが先か。

 いや、スクレナに関してはもう望み薄だろう。

 俺が頑張らないと……

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