【番外編】 夜、ベッドの上にて

 ベッドに横たわり、窓から見える満月を眺めていた。

 旅の疲れで一晩ぐっすりと眠りにつけると思っていたが妙に目が冴えてしまっている。

 ここ数年頻繁に見る嫌な夢のせいだ。

 おかげで刻々と時間が過ぎていくにつれて焦りと苛立ちが募っていく。

 それがさらに頭の中を覚醒させるという悪循環から抜け出せなくなっていた。

 おまけに――


 唐突に膝の辺りに何かが覆い被さってきた。

 視線を向けると布団はすっかりはだけ、細くて白い足が伸びている。

 それを手で払いのけると、体を回して反対側を向いた。

 すぐ目の前にはスクレナが寝ている。

 まるで門の両脇に立てられた像のように自分とは対称的な寝姿で。


 出会ってから旅を始めてすぐの頃は別々の部屋を借りて寝ていたが、ある日の朝に大惨事が起きた。

 隣から叫び声が聞こえてくるから慌てて部屋へ駆けつけると……

 本来なら爽やかな朝を演出してくれるはずの窓から差し込む日差しが、ベッドの上のスクレナに日光と光の魔素を直に注いでもう大変なことに。


 その日を境に夜の間でも影を繋げながら寝ることに決めた。

 だからベッドが二つ備え付けられている部屋が空いていない時はこういう形になってしまう。

 最初は宿屋の主人に毛布を借りて床で寝ようとしたが、スクレナの方がこの提案をしてきた。

 さすがに何か裏があるのかとも考えたが、どうやら思い過ごしのようだった。

 こいつにもこんな気遣いが出来るというのには驚かされたが。



 しかし……

 普段は振り回されてばかりだし尊大な態度だけど、こうして静かに寝息を立てている姿を見ると普通の女の子に見えるな。


「……ん……」


 なんとなく頬を左手の指でつついてみたら微かに反応したので慌てて引っ込める。

 黙っていれば美人だというのは常々思ってはいたけど、無防備な表情はどちらかと言えば可愛らしい。


 それに……その……

 強引にだったり、緊急時の人工呼吸のような意味合いだったりではあるけど、二度もキスをしているんだよな。


 そんなことを考えながら今度は指をそっと唇に添えてみる。

 妙に心臓の鼓動が激しくなるのは、バレたら怒られるという緊張感のせいだけではないのだろう。

 あの時の感覚は覚えていなかったが、今はその柔らかさがハッキリと感じられる。



 ――かぷっ


「え?」


 スクレナが突然指に食いついてきた。

 起きたのかと思って驚いたが、どうやら無意識の行動のようだ。

 急いで指を引き抜こうとしたが……


 ぬ、抜けない?

 気付けばさっきよりも噛む力が強くなっている気がする。

 しかもさらに圧力は増していく。


「痛っ! 痛たたたたたた!!」


 ついには指先から血が滴ってきた。

 このままでは本当に食いちぎられるのではないのか。

 もはや冗談では済まなくなってきた。

 この状況を見られては一生「変態」と罵られるかもしれないが致し方ない。


「スクレナ、起きてくれ! 大変なことになってるから! なぁ!!」


 これだけ叫んでも一向に目を覚ます様子が見られなかった。

 少し前は軽く触れただけで反応したくせに。

 ここまでくると実はとっくに起きてるんじゃないかと勘繰ってしまう。


 ところがその激しい痛みがフッと消えた。

 ようやく願いが通じたのか。

 いや、確かにそうなのだが……なんか思っていたのと違っていた。


 スクレナが指を口に含んだまま、流れ出る血を舐め始めたのだ。

 絡みいてくる舌の感覚がくすぐったいのと、口元から聞こえるぴちゃぴちゃという水音がなんとも如何わしい気分にさせてくる。



 どのくらい経った頃だろうか。

 自分では見えないが出血もだいぶ治まってきたのかもしれない。

 なぜなら次にスクレナは指を吸い始めたからだ。


 うっかり力を抜くと喉奥にまで飲み込まれるかもしれない。

 それくらい一生懸命に吸っていた。

 刺激の具合と同時に、その姿もまるで幼子のように変わって微笑ましい。

 いつものスクレナとのギャップが相まって一際だ。



 うん……あれ?……なんだろう?……

 だんだんと頭がボーッとしてきた。

 目も霞んできたような……

 こんな時に急に眠気が襲ってきたのか?


 ……違う! こいつのせいだ!

 吸い出されてるのは血だけじゃない。

 魔力とか精気とかそういった類いのものもだった。

 しかもスクレナに与えられた部分ではなく、俺がもともと宿していた魔力から器用に奪っている。


 このまま意識を手放せば楽になれたんだろうけど、傷口が小さいからかなかなかその瞬間がやってこない。

 じっくりと嬲るように、倦怠感だけを与え続けられていく。

 新手の拷問のようなものだ。

 無理に抜こうとするとガッチリと歯で押さえつけられるから新たな傷ができそうだし。


「俺が……悪かったから……もう、許し…………」





 ◇





「んー!……昨晩は寝つきがよかったのか、やけに体が軽いわ。おまけに肌のツヤがいつもよりよい気がするぞ」


 日が昇り、起き上がって体を伸ばすスクレナの第一声がそれだった。


「おい、いつまで寝ておる。従者ならば主人の起床に備えて先に準備しておかぬか」


「いや……起きてはいるんだけど……てか、ずっと……」


 うつ伏せになったままの俺の背に向かってかけるスクレナの声からは戸惑いが含まれているようだった。


「そうか……その様子だとお前の方は寝つけなかったのか? それに心なしか体がしなびているように思えるんだが」


 言えない……

 この一件に関しては完全に俺の自業自得だし、追い討ちのように罵声を浴びせられたくもない。


「すまないが、今日の活動はなしにしていいかな? 体が思うように動かないから……」


「うむ、別に構わぬぞ。調子が悪いのならゆっくりと休め。お、いつの間に指を怪我しておったのだ? 確かこの部屋に救急箱が置いてあったな。どれ、我が手当してやろう」


 ベッドから立ち上がり、スクレナは子気味よい足取りで棚まで歩いていく。

 しかも鼻歌まじりにだ。

 いつもなら自分から雑用みたいな役を申し出たりもしないし。

 そういえば「ゆっくりと休め」なんて優しい言葉をかけられたような気も。

 なんか知らないけど、今日は出会ってからこれまでで一番機嫌がいいのではないか。

 不気味なくらいに。


「血は止まっておるが一応舐めておくか。なんてな」


「いや……もうこれ以上はやめて」


「……?」


 もしかしたら右手を使っていれば無事で済んだかもしれないという後悔と、自分のやらかしたことを恥じながら、俺は明日の復帰に向けて英気を養った。

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